「因縁(いんねん)」とは?
内的な原因を「因」といい
外的な条件を「縁」という
その内外の結果が「果」となる
「因・縁・果」
これらは仏教で語られる言葉である。
「煩悩」は、なにを因縁とするのか?
それは「不正思惟」である、と空海は言う(十住心論)。
空海のいう不正思惟の因縁には、12種ある。
無明・行・識・名色・六処・触・受・愛・取・有・生・老死
これ(不正思惟)をもってその因となし、「無明」を縁とす。
「無明」を因とし、「行」を縁とす。
「行」を因とし、「識」を縁とす。
「識」を因とし、名色を「縁」とす。
「名色」を因とし、「六処」を縁とす。
「六処」を因とし、「触」を縁とす。
「触」を因とし、「受」を縁とす。
「受」を因とし、「愛」を縁とす。
「愛」を因とし、「取」を縁とす。
「取」を因とし、「有」を縁とす。
「有」を因とし、「生」を縁とす。
「生」を因とし、「老死」を縁とす。
グルグル巡る、因と縁。
因が縁を生み、縁が因を生む。
内外の原因が織りなすその連鎖が続くほどに、煩悩は勢いを増していく。
その止まらぬ連鎖を断ち切るには、元の元を正さなければならない。
そのことを諭すのが、「十住心論」の第五「抜業因種心(ばつごういんじゅしん)」。
「無明、種を抜く。業生、己に除いて、無言に果を得」
「因縁の種」である不正思惟(邪な思惟)。それを抜き去ることができた時、その果である「自分一人の悟り(独覚)」は得られる、と空海は言っている。
出典:致知2013年6月号
空海の「十住心論」をかじる
「空海の言葉に学ぶ生き方のヒント 矢山利彦」
0 件のコメント:
コメントを投稿