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それから渥美さんの母親の話を一度だけ伺いました。
「この間、おふくろの具合が悪くなって、おふくろのところに行ったんだよね」
「え?」
「おれの顔を見て、『どちら様ですか?』って聞くんだよ。もうわからなくなってきているんだよな」
そのとき、渥美さんはけっこう厳しい顔をしていました。当時は認知症という言葉もありません。
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渥美さんのお芝居がとても深かったのは、本当の孤独や寂しさを知っている人だったからだと思います。だから寅さんが悲しいときや寂しいときは、全身からそれがにじんでいました。
渥美さんは喜劇役者として芽が出始めた若いころ、肺結核で二年間の療養生活を強いられていたそうです。まだ結核が「不治の病」と言われていたころです。
渥美さんの、触れれば切れるように鋭い感性は、一度死に直面した人ゆえのものだっただろうし、本当につらい思いをした人だからこそ、小さく生きている者に特別深い気持ちを持っていたんだろうと思います。
ふだんの渥美さんは、いつも何かを考えているようでした。たぶん、芝居のこと、家族のこと、病気のこと、生きるということ…。とくに晩年はよく黙って考え込んでいました。
私は長く一緒にお芝居をしてきて、渥美さんが怒った姿を一度も見たことがありません。国民的俳優と呼ばれ、仕事を続けているうちには理不尽なことや腹の立つこともあったはずです。俳優さんというのはどこかでわがままなので、普通は辛抱できずにどこかで弾けるはずなのに。
みんなで食事をしていたときに、こんなことがあったそうです。たまたま障がいを持った息子を連れていた親御さんがいて、周りの迷惑になると気を遣ったのでしょう、「うちの息子はこちらでいいです」と別の席に移そうとしたのです。
そのとき、渥美さんは、
「そんなことはない。一緒にご飯を食べればいいんだよ」
と強い調子で促したそうです。怒った渥美さんを見たことはなかったけれど、弱い者、虐げられた人への思いの足らない仕打ちには火を噴くような表情を見せていたんだろうと思います。
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引用:倍賞千恵子の現場