2013年8月24日土曜日

自然だけの四万十川


「日本人の体には川が流れている」と開高健は言った。

野田知佑は日本一のせせらぎを聞きに、夏の四万十川を訪ねた。



「最近の日本人はちょっとおかしいよ」

宿の主人が言った。

「ここに来るお客さんで、『四万十川、四万十川というけど、どこが面白いんだ?』と怒る人が増えた。この人たちは、川岸にずらりとお土産屋が並び、何か遊園地みたいに遊ばせるものがないと、有名な川としては納得できんのやろね。こんな静かできれいな川は日本に何本もないぜよ」



数年前から、そんな時代がくるのではないかと僕は危惧していた。

泳げず、川を見ても怖いだけで何の遊びも出来ない人ばかりになり、彼らには「自然だけの四万十川」はつまらないのだろう。



川を見てもムズムズしない人間が大多数になり、彼らは四万十川を前にして呆然としている。日本人の川離れもここまできたのである。きれいな川を見ても、それがどうしたという顔をする。

そういう自然音痴の人間は、ライフジャケットを着せて川に放り込み、どんどん流すといいのだ。中には気持良さに喜ぶ人間も出てくるかもしれない。

犬たちは大きな音を立てる強引な荒瀬下りを嫌い、川に飛び込んで流れを泳いで下っている。自主的に遊べず、「四万十川は何もない」と不平をいう馬鹿な観光客よりも、この犬たちの方がよほど遊びを知っている。



しかし、この日本一有名な川の強みは、何と言ってもそこにいる人の人情だろう。

上流からカヌーで下ってきた連中がここで上陸し、カヤックを折りたたんで、川岸にある商店から家に宅配便で送る。

この店のおばちゃんが善意にあふれた人で、何かしてやりたくて仕方がない。川で拾った油石に「四万十川の思い出」などとマジックで下手な字を書き、預かった荷物の中にどっさりと詰め込む。



30kgの荷物を送ったはずなのに、家には40kgの荷物が届く。

開けてみると石ころや、小魚を突くチャン鉄砲(これにも「美しき四万十川」と書いてある)、ミカンやナスなどが入っており、みんなを驚かせ、また喜ばせている。

流域の人は、「日本人は皆、四万十川の石を喜ぶ」と思い込んでいるのだ。









「美しき四万十川の女たち 野田知佑」


2013年8月19日月曜日

夏目漱石「草枕」冒頭



夏目漱石「草枕」冒頭(引用)


 山路を登りながら、こう考えた。

 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。



 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画(え)が出来る。

 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。



 住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧く。

 着想を紙に落とさぬとも璆鏘(きゅうそう)の音※は胸裏に起る。丹青は画架に向って塗抹せんでも五彩の絢爛は自から心眼に映る。ただおのが住む世界を、かく観じ得て、霊台方寸のカメラに澆季溷濁(ごうきこんだく)の俗界を清くうららかに収め得れば足る。

 この故に無声の詩人には一句なく、無色の画家にはには尺[糸+賺のつくり](せっけん)※なきも、かく人世を観じ得るの点において、かく煩悩を解脱するの点において、かく清浄界に出入し得るの点において、またこの不同不二の乾坤(けんこん)※を建立し得るの点において、我利私欲の羈絆(きはん)を掃蕩するの点において、―――千金の子よりも、万乗の君よりも、あらゆる俗界の寵児よりも幸福である。



 世に住むこと二十年にして、住む甲斐ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日はこう思うている。―――喜びの深きとき憂(うれい)いよいよ深く、楽みの大いなるほど苦しみも大きい。

 これを切り離そうとすると身が持てぬ。片づけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖えれば寝る間も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支えている。背中には重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽き足らぬ。存分食えばあとが不愉快だ……



璆鏘(きゅうそう)の音:玉や金属が触れ合って鳴り響く高く美しい音。詩や歌などの旋律の美しさを表す。

尺[糸+賺のつくり](せっけん):一尺ほどのわずかな絹地。転じて、ほんの小さな画作。

乾坤(けんこん):天地

羈絆(きはん):行動する際に足手まといになり自由を奪う絆。






引用:草枕 [kindle版]


2013年8月12日月曜日

カメムシの知性と人間の愚策



「憎まれっ子世にはばかる」とでも言うべきか、「臭いカメムシ」は世の中にじつに蔓延(はびこ)っている。

昆虫には、カブトムシなどのように幼虫からサナギを経て成虫へと至る「完全変態」と呼ばれる者と、カメムシなどのように幼虫からサナギを経ずして直接成虫になる「不完全変態」というものがいる。

カメムシはこの不完全変態の昆虫の中では最も種数が多く、最も繁栄しているのである。



カメムシの「あの独特の臭気」を最も嫌うのは、じつは人間ではない。「アリ」である。なぜかといえば、アリはカメムシを食べてしまう恐ろしい捕食者なのである。

試しに、アリの巣穴近くに臭気を放っているカメムシを置いてみる。すると、アリたちは慌てふためいて臭いカメムシを避けはじめる。

昆虫はフェロモンという匂いでコミュニケーションをとることが知られているが、じつはカメムシの匂いは「アリの警報フェロモン」の成分とよく似ている。だから、アリはカメムシの匂いを嗅ぐと、何か大変な危険が迫っていると勘違いしてしまうというのである。



なるほど、じつに巧妙なカメムシの匂い。

それは一種の「化学擬態」。敵の戦術をまんまと逆手にとるカメムシはたいそうな戦略家である。

と同時に、カメムシの匂いは仲間たちにとっての「警報フェロモン」でもある。それが一気に放たれれば「逃げろ」、もしゆっくりなら「集まれ」という信号にもなっているという。同じ物質を用いながら、濃度や放出の仕方を帰ることで、まったく異なる信号になるのである。



ところで、カメムシの仲間には幼虫が「アリそっくり」の種も存在する。「ホソヘリカメムシ」というのがその種で、アリに似せるのはもちろん、アリに食べられないようにするためである。

ちなみに、このホソヘリカメムシ、成虫になると羽が生えて「飛ぶハチ」に擬態する。これももちろん、脅威の捕食者ハチに食べられないようにするためである。



じつに知的なカメムシたち。

「ベニツチカメムシ」という赤と黒の甲羅を背負ったカメムシは「子育て」もする。メス親は重たい木の実をせっせと巣へと運び込み、子どもたちに食べさせる。

また、献身的な「アカギカメムシ」のメス親は、卵塊や若い幼虫に覆いかぶさって、天敵たるアリなどから子どもたちを守る習性もある。








さて、そんな頭の良い昆虫・カメムシは、人間の農業者の頭を悩ませる。大切な農作物を荒らす害虫となるカメムシの種は数多い。

「チャバネアオカメムシ」は、杉やヒノキの球果で繁殖し、柿やナシなどの果樹園に飛来しては加害する。



杉やヒノキで繁殖するチャバネアオカメムシが増えたのは、1960年代の拡大造林政策の結果、杉やヒノキの針葉樹が盛んに植林されたからである。その面積はじつに森林面積の4割、国土面積の3割を超えたのだ。

皮肉にも、害虫としてのカメムシを増やしたのは人間様の所行の因果であった。杉林の急激な増加はスギ花粉症の患者を増大させる一方、農地の果樹も甚大なる被害を受けることとなり、過度な農薬使用にもつながってしまっているのである。



困ったことに、カメムシは日本人のソウルフード「米」をも害する。

カメムシのかじった米には黒い斑点がついて「斑点米」となる。もし、1,000粒に1粒(0.1%)、出荷した米にこの斑点米が混じっていると、一等米から二等米に格下げされてしまう。それほどに米の品質基準は厳格である。

ゆえに、農家も必死になって農薬を散布してカメムシを防除せざるを得ない。なにせ、二等米の安い値段では商売が成り立ちようもないからだ。



その厳しすぎる品質基準も農家の悲劇であるが、国の減反政策もカメムシの増加を手伝った。

コメの栽培が禁じられると、その田んぼは耕作放棄地となり、斑点米カメムシにとっては格好の棲家となってしまうのである。

農薬を撒けばとりあえずカメムシは殺せる。しかしその裏では、カメムシを食べてくれる「ありがたい捕食者たち(アリやハチ、トンボやクモ類)」も死んでいることを忘れてはならない。



ただ臭いと嫌がるなかれ。

小さいと侮るなかれ。小さい者たちほど、絶妙なバランスを保持するには欠かせない者たちなのであるから。

本当の「憎まれっ子」は、もっと大きい者たちに他ならない。













(了)






出典:NHK視点論点
「カメムシの話」日本昆虫科学連合代表 藤崎憲治

「たのしみは…」 橘曙覧『独楽吟』



橘曙覧(たちばなの・あけみ)
「独楽吟(どくらくぎん)

たのしみは
珍しき書(ふみ)人にかり
始め一ひらひろげたる時


たのしみは
紙をひろげてとる筆の
思ひの外に能くかけし時


たのしみは
妻子(めこ)むつまじくうちつどひ
(かしら)ならべて物をくふ時


たのしみは
朝おきいでゝ昨日まで
(なか)りし花の咲ける見る時


たのしみは
常に見なれぬ鳥の來て
軒遠からぬ樹に鳴(なき)しとき


たのしみは
まれに魚煮て児等(こら)皆が
うましうましといひて食ふ時


たのしみは
そゞろ讀(よみ)ゆく書(ふみ)の中に
我とひとしき人をみし時


たのしみは
わらは墨するかたはらに
筆の運びを思ひをる時





「橘曙覧(たちばなの・あけみ)は江戸末期の歌人。

28歳の時、家業(文具商)を弟に譲って足羽山近くで隠棲生活に入る。本居宣長に私淑し、その弟子・田中大秀に入門。37歳の時、藁屋と名付けた家に住み、生涯を終えるまでそこで生活した。

短歌集「独楽吟(どくらくぎん)には25首の歌が収められており、いずれの歌も「たのしみは」で始まり、日常にありふれた些細な出来事の中に「たのしみ」を見出している。



平成6年、天皇皇后両陛下を国賓として迎えたアメリカのクリントン大統領は、ホワイトハウスの歓迎式典のスピーチで「独楽吟」の一首を取り上げている。

たのしみは
朝おきいでゝ昨日まで
(なか)りし花の咲ける見る時

(私の楽しみは、朝起きた時に昨日まで見ることがなかった花が咲いているのを見る時である)

クリントン大統領はこの歌を通して、日本人の心の豊かさを賞賛したという。



橘曙覧(たちばなの・あけみ)は2歳で母と死別、そして15歳で父と死別。隠棲生活に入ってからの生活は困窮を極め、愛する我が子を3人も失っている。

歌集「独楽吟」は当時多くの人々に書き写されて反響を呼び、ほどなく時の福井藩主・松平春嶽(しゅんがく)の目にも留まる。橘曙覧の歌に心打たれた春嶽は、わざわざ彼の草庵を訪ねたが、そのあまりにも貧しい暮らしぶりを見かねて禄を与えようとまで考えた。

しかし、曙覧はこのまたとない話を辞退。むしろ甘い話に乗ろうとした自分を忌み嫌い、家業を捨ててまで得た束縛のない生活を守る決意を固くする。



「苦楽同体」という言葉があるが、それは人生の苦しみと楽しみは一枚の葉っぱの裏と表のようなものであることを示している。

橘曙覧の歌は生活苦を詠んでいるにも関わらず、石川啄木のような悲壮感がないのは、むしろ葉っぱの表にある「たのしみ」を見ているからであろう。



曙覧の師事した本居宣長(もとおり・のりなが)という人は、「私有自楽(しゆうじらく)という考えを持っていた。それは自分の身近な空間に自らを自由に表現することができる和歌の世界に遊ぶことを意味した。

その宣長には、こんな歌がある。

「たのしみは くさぐさあれど 世の中に 書(ふみ)よむばかり たのしきはなし」

宣長に私淑していた曙覧は、おそらくこの歌に触発されて「独楽吟」を詠んだものと思われる。そうした歌は、外の世界に不満を抱くのではなく、内なる自分の心に喜びを見出すものとなった。技巧や嘘で歌を詠むのではなく、自らの偽りなき心が詠わせた歌であった。



57歳で生涯を閉じる時、橘曙覧は子供らにこう言い遺した。

うそいうな
ものほしがるな
からだだわるな(だらけるな)






2013年8月1日木曜日

つもり違い十ヶ条


高いつもりで低いのが「教養」
低いつもりで高いのが「気位」


深いつもりで浅いのが「知識」
浅いつもりで深いのが「欲望」


厚いつもりで薄いのが「人情」
薄いつもりで厚いのが「面皮」


強いつもりで弱いのが「根性」
弱いつもりで強いのが「自我」


多いつもりで少ないのが「分別」
少ないつもりで多いのが「無駄」


曹洞宗 香澤山 安洞院