2016年4月1日金曜日
ダーウィンとカーネギーの勘違い
話:クリストファー・マクドゥーガル
…
チャールズ・ダーウィンでさえ英雄たちに当惑していた。
科学に対するダーウィンの偉大な貢献は、あらゆる生命を純粋数学に単純化したことだった。つまり、地上における唯一の目的は倍々となる繁殖であると。あなたがすることはどれも、あなたがもつ本能はどれも、子をつくって自分の複製をできるだけ多く残したいという進化上の衝動だというわけだ。
その観点から見ると、ヒロイズムは意味をなさない。生物学的な見返りの保証がないのに、なぜほかの人間のために死ぬリスクを冒すのか? わが子のために死ぬ。それなら賢明だろう。ライバルの子供のために死ぬのは?
遺伝上の自殺だ。
精力にあふれる健康な英雄を何人育てようと、性欲旺盛な自分本位のろくでなしがまわりに一人いるだけで、あなたの血統は絶滅する。自分本位のろくでなしの子供たちは成長して繁殖し、英雄たる父(hero dad)をもつ子供たちは、いずれ父親を模範として自分を犠牲にし、死に絶える。ダーウィンはこう結論づけた。
「多くの未開人がそうだったように、仲間を裏切るくらいなら自身の命を犠牲にしようという覚悟のあった者は、往々にしてその高潔な性質を受け継ぐ子孫を残さない」
では、自然淘汰(natural selection)によって生まれながらの英雄的資質(natural heroism)が排除されるとしたら、それがいまも存在するのはなぜなのか?
アンドリュー・カーネギーもダーウィンと同じく困惑していた。この19世紀の鉄鋼王は人間性を読み取る能力で財産を築いたが、ヒロイズムという特異な個性は彼にも読み解けなかった。
13歳でスコットランドから合衆国にやってきたとき、カーネギーは極貧で、ほとんど教育も受けていない移民だったが、運よく鉄道関連の仕事にありつくと、当時の冷酷きわまりない強欲漢たち --人を食い物にするとの悪名をはせたJ.Pモーガンなど-- を出し抜く技量のおかげで、とんとん拍子に鉄鋼業界のトップに上りつめた。
金が欲しかった彼は、勤勉に働き、巧みに投機をした。魔術めいたところはどこにもない。だが、無償でもっと奮闘し、もっとリスクを冒す人間のことは、どう説明したらいいのか?
カーネギーは英雄たちにいたく興味をそそられ、彼らを探しはじめる。
1904年、報奨と研究を目的にカーネギー英雄基金(hero fund)を開設した。ここでは純粋な利他主義者だけがその資格を満たすとされ、消防士や警察官、わが子を救う親は対象にならない。毎年、この基金では英雄的行為の事例を国じゅうから収集し、性や地域、年齢、事例別に分類して、英雄やその遺族に賞金を授与する。
カーネギーはまもなく、セルマ・マクニーのことを耳にした。アパートの屋上から燃えている隣のビルに跳び移り、炎に閉じこめられた子供ふたりを助けた10代の少女だ。ウェイヴァ・キャンプレドンというニューメキシコ州の70歳の女性が、傷を負いながらも二頭の猛犬と園芸用の鍬で戦いつづけ、隣人を救ったという報告もあった。また、25歳のオレゴン州の主婦、メアリ・ブラックは「4枚のスカートがじゃまだった」が、氾濫した川に二度飛びこみ、溺れていた姉妹2人を救出した。
ここには何かパターンみたいなものがあるのだろうか? カーネギーは考えあぐねていた。自分の目にしているものは再現可能なパフォーマンス・モデルなのか、それとも幸運な偶然が重なり、適材が適所に、ときに鍬を伴って現れたにすぎないのか。
というのも、もしヒロイズムを一つの公式 --一つのアート-- に要約できたなら、なんと素晴らしいことだろう! 自分は平和を実現する世界の偉人の一人として歴史に名を残し、キリストと並び称されるはずだ。誰もが守護者になれば、もはや守ってもらえない人などいなくなる。どの教室にもノリーナ・ベンツェルのようなヒーローが、どの家庭にもセルマ・マクニーが、どの川岸にもメアリ・ブラックがいるようになる。
カーネギーは強面の闘士という評判だったが、実際は平和主義者で、暴力とは病気であり、人が --ひょっとするとカーネギー本人にも-- 治せるものだと信じていた。だが結局、彼はあきらめた。カーネギーはその後も英雄に報奨金を提供しつづけるが、彼らを理解することはなかった。
「この基金でヒロイズムを刺激したり引き起こしたりできるとは思わない」
と認めている。
「英雄的行動は、衝動によるものだと重々承知している」
衝動によるもの。
それがカーネギーの間違いだった。
カーネギーもダーウィンも科学を究めようとしていたが、この問題への取り組み方はまるで詩人だった。犠牲…、裏切り…、高潔…、衝動…、どれも意思を定義する言葉であって、
行動の描写ではない。
カーネギーとダーウィンは、行動に、つまり
どのように?
という冷厳な事実に焦点を当てるべきなのに、思考と感情 --なぜ?-- に思いをめぐらせていた。
探偵は捜査のはじめに動機について頭を悩ませたりしない。
それは
どこまで皮をむいても中身にたどり着けない無限のタマネギ
だ。まずは
何をしたか
を突き止めるべきで、そうすれば、あるいは理由も見えてくる。
…
ヒロイズムとは、謎に包まれた内なる美徳などではない、とギリシャ人は信じていた。どんな男女も習得できる
スキルの集まり
で、だから窮地に立たされたら誰もが”守護者”になれるのだ、と。
…
引用:ナチュラル・ボーン・ヒーローズ―人類が失った"野生"のスキルをめぐる冒険
ラベル:
クリストファー・マクドゥーガル,
本
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