2020年9月18日金曜日

靴底の「金貨」木村秋則

 

話:木村秋則


靴底にはさまった金貨


いよいよ家計が逼迫してきた頃、少しでも現金収入を得るために私はアルバイトを始めました。ほかの農家と同じように冬は出稼ぎに出ていましたが、それまでアルバイトはしてきませんでした。リンゴ栽培で食べていくのだという意地があり、時間のすべてをリンゴに費やしたいと考えていたのです。しかし、そうも言っていられなくなりました。昼間は畑仕事があるため、働くのは夜。最初に勤めたのはパチンコ店でした。


ところが、私はそれまでパチンコというものをしたことがありません。店員の仕事は客のクレーム対応やパチンコ台の調整ですが、なかなか要領がのみ込めず苦労しました。高校卒業後に入った自動車部品メーカーのトキコでは、原価計算の仕事を担当していました。また、トキコを退職し実家に戻ったあと、依頼されて手伝った農協の金融業務では、その年の貯蓄高を倍増させました。機械の修理や改良も大好きです。しかし、パチンコ店の仕事は、まったく勝手が違います。客対応がおぼつかない私は、とうとうライバル店の入客状況を調べる仕事を割り振られるようになりました。ポケットにカウンターを忍ばせて他店に入り、台を探すふりをしてカチカチと人数を数えては店を出るのです。


その日も、いつもと同じようにいくつかの店を調べ歩いて、自分の店に帰ろうとしていたところでした。雪の降る季節で長靴履きでしたが、気がつくと歩くたびにカツカツと音がするのです。はじめは「ガムでもついたかな」と思いました。ガムが寒さで固まると、ちょうどそんな音がします。しかし立ち止まって靴底を見ましたが、ガムではありません。それは、切手よりひと回り小さいサイズの楕円形をした金属でした。靴底から取ってみると、厚さは1ミリほどで、手で力を加えれば簡単に曲がりそうな柔らかさです。そんな金属が、靴底のへこんだ部分にちょうどうまい具合にはさまっていたのです。


店の洗面所で洗ってみると、表面の汚れが取れ、酸化した真鍮のような赤っぽい金色になりました。私は、縁起物の熊手などについているオモチャの小判かなと思いました。家に帰り妻に見せると「お父さん、これ金じゃないの?」と言います。「まさか」と笑いながらも、念のため貴金属店に見てもらうことにしました。


翌日の出勤途中、さっそく貴金属店に持ち込んでみました。金属を見た店主は開口一番「お客さん、これ売ってくれませんか」と言いました。8万円を出すと言います。1円でも2円でも、お金が欲しい頃です。すぐに頷くこともできました。しかし、なぜかそう言われると売る気がなくなるのが、私の性分です。黙っていると「じゃあ、25万でどうですか?」と、いきなり値段が跳ね上がりました。店主は「ぜひ欲しい」と言うのです。こんな小さなオモチャみたいなものにそんな価値があるのだろうかと、私は不思議に思いました。どんなものかはわからないけれど、欲しいというのであれば売ってしまえば、お金は入ってきます。25万円あれば当座がしのげ、子どもたちに何か買ってやることもできます。それはわかっているのですが、私はそのまま小判を持ち帰りました。どうしても手放す気にはなれなかったのです。


その後しばらくして、思い立って別の貴金属店に行ってみました。するとそこでは、値段を言う前に「これは、どこで手に入れたのですか?」と尋ねられました。東北には数枚しかない貴重なものなのだそうです。買値は50万。しかし、それでも私の心は動きませんでした。「掛け値なしに欲しいから、もっと出してもいい。あなたの言い値で買ってもいい」とも言われましたが、結局そのまま店を出ました。その店では、100万円以上の値をつけても、買い取りそうな勢いでした。生活に困っているのですから、さっさと売って現金に換えるのが普通かもしれません。けれども、なぜかそうする気にはなれませんでした。今考えると、せっかく授かったものなのだから、お守り代わりに持っておこうと思ったのかもしれません。


家に帰って「売らなかったよ」と言っても、妻は何も言いませんでした。私も妻もお金に執着するタイプではありません。結局、その小判のようなものもどこかにしまったまま、長年目にしていません。家のなかを探せばあるはずですが、額に入れて飾っておこうとか、盗まれないように金庫にしまっておこうなどとは考えないのです。


聞くところによると、それはお金ではなく、殿様の奥方が、奉公していた女中に報奨として与えたものなのだそうです。今の勲章やメダルのようなもので、数多く出回っているものではないと言います。確かに、よく見ると表面には細かな模様が彫られていて、「金○匁」という文字が読み取れました。


そんな貴重なものが、なぜ弘前の歓楽街を歩く私の長靴についていたのでしょうか。考えてみれば不思議です。結局お金にはなりませんでしたが、それは苦しい生活のなかでちょっとお日さまが顔を覗かせたオマケのような出来事でした。




2020年9月9日水曜日

福岡正信『自然農法』から『奇跡のリンゴ』へ

 


その日も、木村は参考資料を探していた。


何軒か町の書店を回って、ようやく見つけた目当ての本は、書棚の最上段にあった。木村は横着をした。踏み台を探すか、店員を呼ぶべきだったのだが、ちょうどいい具合に、そこに棒が置いてあったのだ。


「その棒でさ、トラクターの本をつっついたわけ。そしたらよ、隣の本も一緒になって2冊落ちてきた。あわてて拾ったら、隣の本のカドが潰れてしまっていたの。それで、しょうがないから、その本も一緒に買ったの。

これは『損したなぁ』と思って、家に持って帰ってからも、しばらく放っぽらかしにしておいたの。ちゃんと読んだのは、それから半年後か一年後か、もう忘れてしまったけどよ。暇だったときにかなにかに引っ張り出してみたの。


本のいちばん最初のところに、


『何もやらない、農薬も肥料も何も使わない農業』


と書いてあった。あぁ、こういう農業もあるのかなと。自分でやるやらないは別としてな、同じ百姓として興味がわいてきたのさ。



それから何回、その本を読んだかわからない。


本が擦り切れるほど読んだ。


福岡正信さんの書いた『自然農法』という本でありました」



トウモロコシと「タヌキ」

 


広大な整然としたトウモロコシ畑ができあがった。


品種はハニーバンタム。土地がよく肥えていたせいか、出来はきわめて良好だった。


ただ、タヌキの被害に悩まされた。収穫間際になると、たっぷりと太ったトウモロコシが、ごっそり喰われてしまうのだ。


「それで、畑のあっちこっちに『トラバサミ(虎鋏)』をしかけた」




「そしたら、子ダヌキがかかったの。母親のタヌキもすぐそばにいてさ、わたしが近づいても逃げようとしないのな。

トラバサミをはずしてやろうと思って手を出したら、子ダヌキは歯をむいて暴れるわけだ。かわいそうだけど、長靴で頭をふんづけてトラバサミを外して逃してやった。

ところが、逃げないのよ。わたしの目の前で、母親が子ダヌキの足、怪我したところを一生懸命なめているのな。その姿を見て『ずいぶん罪なことしたなぁ』と思ったよ。

それで、できの悪いトウモロコシをまとめて、畑の端に置いてきた。

次の朝、畑に行ったら、ひとつ残らずなくなっていた。と同時に、タヌキの被害が何もなかったのな。それでトラバサミをやめて、収穫するたびに歯っ欠けのトウモロコシを置いてくるようにした。それからタヌキの被害がほとんどなくなった。

だから、人間がよ、『全部を持っていくから被害を受けるんではないのか』とな。そんなこと考えました。もともとはタヌキの住処だったところを畑にしたんだからな」



「いつか必ず答えに巡り合う」木村秋則

 


木村の人生がNHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」という番組で紹介されたのが、その12月の初めのことだった。


「あの時、あなたがしゃべった一言一言が心に残ってますって、いろんな人が言ってよこすんだけどな。わたし何をしゃべったべなぁ…。バカだから、よく覚えてないのさ」



そう言って、木村は「歯のない口」を大きく開けて笑った。


木村はまだ50代だったが、すでにほとんどの歯を失ってしまっていた。


「わたしはリンゴの葉と自分の歯を引き替えにしたのさ」


と、下手なダジャレを言って、自分で大笑いしている。



「自殺を考えてたっていう若い人からも電話あったな。何をやっても駄目で、就職口もないし、家へも戻れない。それで死ぬことを考えていたんだけど、あのテレビを見て思い直しました、やっと生きる気持ちが湧きましたとな」


木村さんはそういう時、どんな話をするんですか、と聞くと、


「『バカになればいいんだよ』と言いました。死ぬくらいなら、その前に一回はバカになってみたらいい。同じこと(自殺)を考えた先輩として、ひとつだけわかったことがある。


ひとつのものに狂えば、いつか必ず答えに巡り合うことができるんだよ、


とな」



津軽の「カマドケシ」

 


その畑の主が、カマドケシという、津軽弁の最悪のアダナで呼ばれているのは、仕方のないことだったかもしれない。


その畑のリンゴの木には、果実がほとんどついていない。葉の数も奇妙なくらい少なかった。夏だというのに、すでにかなりの葉が落ちている。


なぜ?


農薬を散布しないからだ。この6年間というもの、畑の主はリンゴ畑に一滴の農薬も散布していない。この何年かは花も咲かなくなった。


カマドケシは「竈(かまど)消し」だ。一家の生活の中心である竈を消すとは、つまり家を潰し家族を路頭に迷わせるということ。



男の目はただひたすら、一匹の害虫の動きを追いかけていた。


その日、男が熱心に見つめていたのはシャクトリムシだ。


男は朝からずっと、そのシャクトリムシの行動の一部始終を、リンゴの木の下で飽きもせずに眺めていた。


「あんまり葉っぱ喰うんでないよ」


虫にそんなことを言い聞かせている。



腐らないリンゴ

 


シェフの井口さんが、リンゴをきざみながら呟きます。


「腐らないんですよね…」


厨房で、2年前から保存されていた、2つに割ったリンゴ。


通常、リンゴは切ったまま置いておくと、すぐに茶色く変色し、やがては腐ってしまいます。しかし、その「木村さんのリンゴ」は腐ることなく、まるで「枯れた」ように小さくしぼんでいました。


「農薬も肥料も使わず、たわわにリンゴを実らせる」


そんな農家がいる。


その農家、木村さんの作るリンゴは、農薬どころか有機肥料も一切使わず、そして「腐らない」といいます。




木村さんは、とにかく「よく笑う人」でした。

自分で冗談を言っては笑い、誰かの言葉に笑い、そして辛い思い出を話していても、最後はなぜか笑うのでした。


そのリンゴは、私がこれまで食べていたものとは「まったく違う果物」でした。

噛むとパリンと音がしそうなほど、しっかりとした歯ごたえ。強烈な甘味と酸味。まさに、木村さんが「樹(き)の実」と呼ぶのにふさわしい、野生の味でした。




「奇跡のリンゴ」まえがきより

2020年9月6日日曜日

万巻の書たる「大地」


話:サン・テグジュペリ


大地は僕ら自身について万巻の書よりも多くを教えてくれる。
なぜなら大地は僕らに抗(あらが)うからだ。
人間は障害に挑むときにこそ自分自身を発見するものなのだ。

ただし、障害にぶつかるには道具が要る。
犂や鍬が要る。
農夫は土を耕しながら、自然の神秘を少しずつ暴いていく。

そうやって手にする真実は、普遍的な真実だ。



2020年8月15日土曜日

水車のおしえ『二宮翁夜話』


『二宮翁夜話』

第三 天道人道の辨

翁曰(いわく)、

夫(それ)人道は譬(タトヘ)ば、水車(ミヅグルマ)の如し。

其形半分は水流に順(シタガ)ひ、半分は水流に逆(さか)ふて輪廻す、丸に水中に入れば廻らずして流るべし、又水を離るれば廻る事あるべからず。

夫(それ)仏家に所謂(イワユル)知識の如く、世を離れ欲を捨(ステ)たるは、譬(タトヘ)ば水車の水を離れたるが如し、又凡俗の教義も聞(キカ)ず義務もしらず、私欲一偏に着(ヂヤク)するは、水車を丸に水中に沈めたるが如し、共に社会の用をなさず。

 故に人道は中庸を尊む、水車の中庸は、宜(ヨロシ)き程に水中に入て、半分は水に順(シタガ)ひ、半分は流水に逆昇りて、運転滞らざるにあり。

人の道もその如く天理に順ひて種を蒔き、天理に逆(サカ)ふて草を取り、欲に随(シタガヒ)て家業を励み、欲を制して義務を思ふべきなり



参考:

国会デジタルコレクション『二宮翁夜話』

 資料31 二宮尊徳 『二宮翁夜話』 (巻之一~巻之五)   


 

2020年7月30日木曜日

倍賞千恵子「渥美清のやさしさ」


話:倍賞千恵子






それから渥美さんの母親の話を一度だけ伺いました。

「この間、おふくろの具合が悪くなって、おふくろのところに行ったんだよね」

「え?」

「おれの顔を見て、『どちら様ですか?』って聞くんだよ。もうわからなくなってきているんだよな」

そのとき、渥美さんはけっこう厳しい顔をしていました。当時は認知症という言葉もありません。




渥美さんのお芝居がとても深かったのは、本当の孤独や寂しさを知っている人だったからだと思います。だから寅さんが悲しいときや寂しいときは、全身からそれがにじんでいました。

渥美さんは喜劇役者として芽が出始めた若いころ、肺結核で二年間の療養生活を強いられていたそうです。まだ結核が「不治の病」と言われていたころです。

渥美さんの、触れれば切れるように鋭い感性は、一度死に直面した人ゆえのものだっただろうし、本当につらい思いをした人だからこそ、小さく生きている者に特別深い気持ちを持っていたんだろうと思います。



ふだんの渥美さんは、いつも何かを考えているようでした。たぶん、芝居のこと、家族のこと、病気のこと、生きるということ…。とくに晩年はよく黙って考え込んでいました。

私は長く一緒にお芝居をしてきて、渥美さんが怒った姿を一度も見たことがありません。国民的俳優と呼ばれ、仕事を続けているうちには理不尽なことや腹の立つこともあったはずです。俳優さんというのはどこかでわがままなので、普通は辛抱できずにどこかで弾けるはずなのに。



みんなで食事をしていたときに、こんなことがあったそうです。たまたま障がいを持った息子を連れていた親御さんがいて、周りの迷惑になると気を遣ったのでしょう、「うちの息子はこちらでいいです」と別の席に移そうとしたのです。

そのとき、渥美さんは、

「そんなことはない。一緒にご飯を食べればいいんだよ」

と強い調子で促したそうです。怒った渥美さんを見たことはなかったけれど、弱い者、虐げられた人への思いの足らない仕打ちには火を噴くような表情を見せていたんだろうと思います。





2020年6月20日土曜日

ニューヨークの祈り[対訳]


ニューヨークの祈り

悩める人におくる

A CREED(信条) 
FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED



わたしは神に強さを求めた、成功したくて。
I asked God for strength, that I might achieve

だが、与えられたのは弱さだった。素直に学びなさいと。
I was made weak, that I might learn humbly to obey...



わたしは健康を求めた、人より凄いことがしたくて。
I asked for health, that I might do greater things

与えられたのは病いだった。より善いことをしなさいと。
I was given infirmity, that I might do better things...



わたしは富を求めた、幸せになりたくて。
I asked for riches, that I might be happy

与えられたのは貧しさだった。より賢くなりなさいと。
I was given poverty, that I might be wise...



わたしは力を求めた、名誉が欲しくて。
I asked for power, that I might have the praise of men

与えられたのは弱さだった。他者が必要だと思えるようにと。
I was given weakness, that I might feel the need of God...



わたしは何でもかんでも欲しがった、人生を楽しみたくて。
I asked for all things, that I might enjoy life

しかし、与えられたのはこの人生だ。何事でも楽しめるようにと。
I was given life, that I might enjoy all things...



わたしの願いは何ひとつ叶えられなかった。
I got nothing that I asked for –

でも、それで良かった。
but everything I had hoped for

なにも思いどおりにいかなかったから、本当に願っていたものがわかった。
Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.



わたしは他の誰より、ずっと恵まれていたんだ!
I am among all men, most richly blessed!



読み人知らず
Author unknown

2020年3月6日金曜日

データ記録装置としてのDNA[Scientific America]


from Scientific America



DNAは二重らせん構造をしていて、一方の鎖の塩基配列がわかれば、対となる鎖の配列も自動的にわかるので、情報の保存に最適だ。

またDNAは長期間安定しており、情報の完全性と正確さを維持できる。一例を挙げると、8,100年前の人骨から分離されたDNAが2017年に解析された。この遺物は理想的とはいえない状態で保存されていたものだ。低音で乾燥した環境で保存さていれば、DNAが何万年ももつのはほぼ確実といえる。情報を完全な状態で正確に維持できる。

だが最も魅力的な特徴は、DNA二重らせんが非常に稠密な構造に折りたたまれるという点だ。人間の細胞には直径約0.00001mの細胞核があるが、一個の細胞核の内部にあるDNAをまっすぐに伸ばすと長さが2mに達する。別の言い方をすると、一人の人間の体内にあるDNAを全部つなげると100兆mになる。

2012年に科学者が試算したところによると、理論上はたった1gのDNAに455エクサバイト(4,550億ギガバイト)のデータを保存できる。この情報記録密度はハードディスクの物理的記録密度の100万倍だ。






様々な分野でDNAが情報の生成・追跡・記録に使われるようになった現在、いずれは在来の電子的記録装置に対抗してデジタルデータの保存に使われるのだろうかと問うのは自然な疑問だ。

現時点での答えはノーだ。最新のDNA記録システムよりも、ハードディスクやフラッシュメモリーのほうが情報の保存にはるかに優れている。

だがすべての技術と同様、在来の電子デバイスにも限界がある。物理的な空間を専有し、特定の環境条件を必要とする。最も耐久性に優れたものでさえ、寿命は数十年だ。こうした問題を考えると、私たちが現在作り出しているデータすべてを保持し続けるのは遠からず困難になるかもしれない。

これに対しDNAは、低温・乾燥環境で保存すれば、ほぼ確実に数万年はもつ。低温条件を必要とする研究室ではDNAを-20℃ないし-80℃で保管するのが当然になっているし、通常の電子機器が耐えられない高温での保存も可能だ。スイス連邦工科大学チューリヒ校のグラス(Robert Grass)とスターク(Wendelin Stark)は2015年、シリカに封入したDNAがエラーを生じることなく70℃の高温に一週間耐えられることを示した。

また、ハードディスクは1平方インチ(6.45cm2)あたり1テラバイトの情報を記録できるものの、最近の試算によると、全世界で生成された情報すべてをわずか1kg足らずのDNAに保存することが理論的には可能だ。



J.E.ダールマン
DNAストレージ
世界の全情報をタマゴ1個に
日経サイエンス2019年11月号(北極融解/BMIで拡張する身体) 

2020年3月4日水曜日

北極圏の海氷に関して[Scientific America]


from 日経サイエンス

特集:北極融解

北極圏は劇的に変化しつつある。北極海では海氷減少と気温、海水温の急上昇が続いている。今後も海氷減少は止まらず、早ければ2030年代後半には夏場の北極海から海氷がほとんどなくなる可能性がある。






北極海では海氷が減り続け、気温は地球全体の平均の2倍以上の速さで上がっている。2030年代末には氷がほとんど消える可能性がある。



年平均気温の上昇幅を産業革命以前をベースに算定すると、地球全体では約1℃なのに対し、北極域では3℃近くに達する。



「今年(2019年)9月中旬の北極海の海氷面積は、観測史上最小を記録した2012年9月ほどにはならないかもしれないが、史上3~4位くらいにはなるだろう(菊池隆・海洋研究開発機構)」



北極域の海氷の最大面積と最小面積は年ごとにかなり変わるが、長期的に見れば減少し続けている。年間で最大近くなる3月1日時点の海氷面積を例に取ると、1980年代の平均で1,557万平方kmだったのが、2010年代の平均では1,405万平方kmまで縮小した。

日本国土面積の4倍の海氷が消えた計算だ。



一方、年間で最少近くなる9月1日時点の海氷面積は、1980年代の平均が738万平方kmだったのが、2010年代の平均で455万平方kmにまで縮小している。

実に日本8つ分近くの減少で、減少幅は夏の最小面積の方が冬の最大面積よりも倍近く大きい。



ちなみに2012年に観測史上最小値が記録されたのは、同年9月15日と16日の両日で318万平方kmだった。






海氷面積の年間最小値の推移を見ると、2010年代は以前よりも減少ベースが鈍っている。そのため、海氷減少は一息ついているのではないかと考えがちだが、それは違う。

「海氷の厚さは減り続けていると見られる(菊池)」からだ。



「以前は年齢が4~5年以上で、厚さが3~4mの海氷が北極海を広く覆っていたが、最近は海氷の融解が進んだり、北極海から出ていく氷が多い年があったりして、年齢が1~2年で厚さ2mに満たない海氷の割合がとても多くなった。海氷は面積が縮小しているだけでなく、年齢が若く薄くなっている(菊池)」



北極圏の海氷減少は、北極の気温が地球全体の平均の2倍以上のペースで上昇していることと表裏一体だ。出発点は地球温暖化で、気温が上がると海氷が減り、海氷が減るとさらに気温が上がるというサイクルが繰り返されることで、気温上昇と海氷減少が増幅されている、と菊池は話す。

このフィードバック機構を「アイス・アルベド・フィードバック」という。

アルベド(反射率)は地球表面での太陽光の反射率を意味する。海水面が約10%と最も低く、地面が約20%、これに対して雪や氷で覆われた場所は低くても85~90%で、ススや塵などの汚れが少なければ、それ以上になる。

逆に言えば海水面は太陽光の約90%を吸収し、地面は約80%、氷雪面では15%以下になる。

北極海での状況を考えると、まず地球温暖化で気温が上がれば、太陽が照り続ける白夜の夏場、海氷の融解が進み、海氷面積が縮小する。その分、氷に覆われていな海面が広がるため、北極海はより大量の太陽光を吸収、海水温が上昇する。






「以前は海水温がそれほど高くなかったため、気温が下がればすぐに氷が張り始めていた。ところが近年の夏は以前より海水温が高いため、まずは海水が冷えないと氷ができない状況になっている。夏の海氷減少によって、秋の氷のでき始めが遅れることで、作られる海氷が減ってきている」。

このような秋から冬にかけての海氷形成の遅れが、冬場の海氷面積の縮小をもたらし、それが冬場の気温上昇を引き起こす。

太陽が昇ってこない真冬、北極海の気温はマイナス20~30℃まで下がるが、海氷がない海面の温度は約0℃で、大気より20~30℃も高いため、海面から立ち上る水蒸気が大気を暖める。海氷面積が縮小した分だけ、水蒸気による加熱が強まるので、気温の低下が抑制される。

そうした状況で次の春を迎えると、前年の春先より気温は少し上がり、海氷面積は小さくなる。そして白夜の夏に向けて日照時間が長くなるにつれ、気温が上昇して海氷の融解が進むため、夏場の海氷面積は前年よりさらに縮小し、海水温が上がる。

こうしたサイクルが毎年繰り返されることで、北極海では海氷減少とともに気温上昇が増幅されることになる。



ちなみに南極は広域が氷で覆われている点は北極と同じだが、南極の平均気温の上昇ペースは、北極とは逆に地球全体の平均よりもかなりゆっくりだ。

南極には大陸があり、その上に厚さ2,000~2,500mもの氷が乗っているので、夏場に氷がいくら融解しても海水面や地面は出てこないので、太陽光の反射率は変わらない。

そのため、北極のようなフィードバックは働かず、気温の上昇が増幅されることはない(ただし、氷の融解は進むので、海水面の上昇など別の面で大きな変化が起きている)。






海氷減少のきっかけとなった地球温暖化は大気中の二酸化炭素(CO2)による温室効果が強まっていることが原因だ。



「CO2濃度は少なくとも40万年前まではたかくても280ppm程度だったが、現在は人類活動由来の部分が自然界の変動に加わり400ppmまで上がっている」。



「北極海の海氷減少について言えば、今すぐにCO2の排出を全部やめても、変化はもう止まらない。残念ながら臨界点を越えてしまったと思う」。



「地球全体の気温が2100年までに2~3℃上がるといわれているが、北極は8~9℃、もしかすると10℃も上昇する可能性がある」。



グローバルな気候変動に与える影響も甚大だ。地球大気は赤道域で加熱され、極域で放熱して冷えるが、南極は変動が穏やかな一方、北極で最も激しい温暖化が起きている。地球全体でみた場合、北極が変化の中心になっているわけだ。

その影響が強く出ているのが、北極域に隣接した北半球の中緯度域、つまり欧州や米国、日本が位置する緯度帯だ。これらの地域に異常気象をもたらすジェット気流の蛇行は北極の変動がその一因と考えられる。



「日本に暮らす人々にとって、北極海は縁遠い場所だが、実際には密接なつながりがある」



ノルウェーのスバールバル諸島は急変している。1971年に比べ、冬は7℃暖かく、2ヶ月短くなった。雪に代わってかつては稀だった雨が降り、ゆるんだ土壌をたびたび水浸しにして、建物はぬかるみに沈降している。





日経サイエンス2019年11月号(北極融解/BMIで拡張する身体)

2020年3月3日火曜日

上げ潮『ナイジェリア』[Newsweek]


from Newsweek



30年後には、ナイジェリアは人口でアメリカを上回るとみられている。今世紀末には、インドと中国に次いで、世界第3位の人口大国になる見通しだ。






問題の多くは石油に起因する。原油生産の収入は1日約1億ドルだが、人口が多いため国民一人あたりでは0.5ドル程度。全員を豊かにするには不十分だが、一部の人間は大金持ちになれる。石油収入の80%は全人口の推定1%が独占している(輸出の97%を原油が占める)。



経済の変革は困難だが、不可能ではない。毛沢東が死去した1976年、中国の一人当たりGDPは約200ドル(インフレ調整後)。世界の最貧国の一つだった。だが2年後、改革開放路線に舵を切ると、爆発的な経済成長が始まった。今や一人当たりGDPは1万ドルを突破。8億5,000万人が貧困から抜け出した。

現在のナイジェリアの状況は当時の中国に驚くほど近い。1978年の中国の貧困率は、ナイジェリアとほぼ同じ55%。成人識字率は65%で、ナイジェリアは62%。今の中国の貧困率はほぼゼロで、識字率は97%だ。



ナイジェリアの約2億の人口は、全アフリカ諸国の平均の10倍。既にロシアより多く、30年以内にアメリカも抜く。国連によると、今世紀末までに7億3,300万人に達すると推定されている(5億3,200万人増)。

加えて若年人口が多いという強みもある。ナイジェリアは南アフリカを抜き、今やアフリカ最大の経済大国だ。



ナイジェリアの最も価値ある輸出は今や石油ではなく、人間だと指摘する人もいる。今では約5,000万人のナイジェリア人が、米英などの国外在住者。彼らの教育レベルは高い。

全米ナイジェリア人の3分の1近くが修士号や博士号を持つ。国外で働くナイジェリア人からの年金送金額は最高400億ドルとの試算もあり、外国からの援助額を上回る。



かつて、「今後著しい経済成長が見込める国」といえばBRICS(ブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカ)のことだったが、今はMINT(メキシコ・インドネシア・ナイジェリア・トルコ)だ。





サム・ヒル(作家・コンサルタント)
『上げ潮ナイジェリアが次の中国になる日』
Newsweek (ニューズウィーク日本版) 2020年2/18号[新型肺炎 どこまで広がるのか] (日本語) 雑誌 – 2020/2/12

一般的なインフルエンザによる死亡者数[Newsweek]


From Newsweek



新型肺炎には有効な治療法がなく、強い警戒が必要なのは事実だが、実は日本国内では毎年3,000人以上が一般的なインフルエンザで亡くなっている



毎年冬にはインフルエンザが流行するが、その死亡者数は2018年が3,325人と、リーマンショック以降、急増している。



諸外国の企業ではインフルエンザが流行した場合は、書類のやりとりを控える、可能な限り会議を控える、デスクに消毒液を置く、といった措置を実施するところもあるが、日本ではこうした意識は希薄である。





経済評論家:加谷珪一
『新型肺炎から見を守る働き方』
Newsweek (ニューズウィーク日本版) 2020年2/18号[新型肺炎 どこまで広がるのか] (日本語) 雑誌 – 2020/2/12