2013年4月29日月曜日

ゴムとなる植物「グアユール」を育てるブリヂストン



25年前、世界3位だったブリヂストンは、4位のファイアストン社(アメリカ)を買収して、グローバル展開を一気に加速。2008年からフランスのミシュランなどを抑え、トップに立っている。



タイヤ世界シェア(2011)

1位 ブリヂストン(日本) 15.2%
2位 ミシュラン(フランス) 14.6%
3位 グッドイヤー(アメリカ) 10.9%



円高にも関わらず、営業利益は過去最高の2,859億円を記録(2012年12月期)。

そのブリヂストンがさらなる成長を目指し、熱い視線を送る先。それは、巨大なサボテンが並ぶアメリカ・アリゾナ州。



ブリヂストンはここに東京ドーム24個分という広大な農地を取得。ここでは、これまでのゴムの木に代わる、乾燥に強い「グアユール」という植物を育てて、その幹根から天然ゴムを取り出すとのこと。

現在、タイヤの原料となる主原料は、熱帯で育つ「パラゴムノキ」の樹液から作られている。ただ、生産の9割もが東南アジアに集中するため、リスクを分散する必要があったのだ。



「グアユール」の栽培は、およそ3年。1.5メートルまで成長したところで収穫となる。

採取したグアユールを乾燥させ、粉砕。「幹」の部分と、「根」の部分から溶剤などで木質成分を取り除くことで、天然ゴムを抽出。

2015年には、グアユール由来によるタイヤの試験生産を開始する予定。



創業から80年以上、成長を続けるブリヂストンは今後とも、新たな植物グアユールとともに益々の成長を続けていくとのことである。







出典:テレビ東京WBS特集
「タイヤで断トツ目指す ブリヂストン」

「その寿司ネタは、本当にマグロ?」。欺けないバイオ・ハッカーの眼







いつも道路に「プレゼント」を置いていくのは、いったいどこの飼い犬の仕業か?

あるバイオ・ハッカーは、誰の犬かを見つけようと、近所中すべての犬とボール遊びをしながら、そのテニスボールに「付着した唾液」を採集して回った。

その唾液のDNAを分析した結果、「プレゼント」の犯人(犯犬?)が判明(笑)。



いまやDNAを読み書きするのは、DIY(日曜大工)の領域。

30億文字以上のヒトゲノム(人の遺伝子)ですら、1日のうちに1,000ユーロ(約12万円)以下でできるとのこと。



バイオ・ハッカーというのは、個人(もしくは小グループ)でそうした取り組みをする人々のことだが、知識のない人々は彼らを「フランケンシュタインを造り出そうとしている」と恐れる(笑)。

だが、病原菌を扱わない彼らは、バイオ・テロリストとは一線を画する。実際のところ、アメリカやヨーロッパなどの彼らのコミュニティでは「倫理協定」が締結されており、倫理という面で「従来の科学よりも、ずっと先を行っている」とのこと。



そのキャビアが、本当にチョウザメの卵なのか?

その寿司ネタが、本当にマグロなのか?

大金をはたいたヤギのチーズが、本当にヤギのものなのか?



世界中にいるバイオ・ハッカーたちの眼は、決して欺けない。

そんな一人、エレンは言う。

「これは全く新しい分野であり、ブルックリン風に言えば『お楽しみはこれから(You ain't seen nothin')』」






出典:TED
エレン・ジョーゲンセン(Ellen Jorgensen)
「個人でもできるバイオハッキング(Biohacking -- you can do it, too)」

2013年4月28日日曜日

上方落語 桂枝雀「貧乏神」






貧乏神の内職は...、つまようじ削り。

ついつい、つまようじの両端を削ってしまう貧乏神(貧乏けずり)。







2013年4月27日土曜日

金の価格は高くとも、安くとも…



「金」の先物相場は、4月15日のニューヨーク市場で歴史的急落を演じた。

その強烈な下げ幅は、ここ30年間で最悪(1983年2月28日以来)。

この急落を前にも、国際相場はここ数ヶ月下落傾向にあった。



ところが日本の国内相場ばかりは、上昇の一途。今年の2月に33年ぶりの高値をつけるなど、1グラム当たり5,000円を超す局面も珍しくない(去年10月は1g当たり4,500円ほど)。

ニューヨークの金先物の急落にも、国内の金高値はめげる気配がない。右肩下がりに下落する国際価格を尻目に、右肩上がりに国内相場はクロスして上昇する。

それはひとえに「円安」ゆえの逆転現象である。



自民党の安倍首相が政権のトップに立った去年の暮れ以来、アベノミクスと騒がれる景気対策によって、日本の円が愕然と安くなってしまった。

「いま為替が1円動きますとね、金は1グラム当たり約50円違うんですよ」

そう言うのは、金を扱う第一商品の土肥章社長。同社の取引量は去年より5割も急増しているのだという。



ドル円相場の最安値は約76円。現在は100円に届くか届かないか。

その差はおよそ24円。金1グラムに換算すれば、1,200円もの差になる。

金価格がまったく動かなかったと仮定しても、日本国内の金価格は為替の下落のみでグラム当たり1,200円も上昇することになるのである(24%の上昇)。



円安、金高の動きは、リサイクル市場にも変化を呼んだ。

北九州市にある「日本磁力選鉱」のひびき工場では、年間3,000トンの産業廃棄物を処理しているというが、1トンの廃棄物の中から約180グラムの金が取り出せるという。

「一般的な金鉱山で採れる10〜20倍の金が、このゴミの中に埋まっているんです」

同社の原田信常務は、金価格高騰を受けて、日本国内でのリサイクルがしやすくなったと語る。今月下旬にはインドから年間200トンの廃棄される基板を輸入して、年間30トンの金の回収を目指すという。

「いままでは貴重な資源が海外に流出していたのです」と原田常務。



一方、金の高値を喜ばない人々も…。

たとえば、全国の99%の金箔を製造する石川県金沢市。金箔は金銀銅の合金だが、その95%は金である。

「為替で95円が100円になれば、金の価格は1gにつき250円も上がります。そうなってくると、金箔の値段が1枚7円も8円もいっぺんに値上がりしてしまいます」

石川県箔商工業協同組合の今井圭一・副理事長は、そうボヤく。



国際価格と国内価格のすれ違う金相場。

そして、金高値に笑う人と嘆く人…。

金貨に表裏があるのは必然なのか…?






出典:テレビ東京 WBS特集
「33年ぶり高値 金市場に熱い視線」

2013年4月24日水曜日

「僕たちは勝利する(We are going to win)」U2ボノ






ワエル・ゴニム(Wael Ghonim)のことを 知っている人もいると思う。

エジプト、タリハール広場のデモのきっかけとなったフェイスブックグループのひとつを作った人で、そのために投獄もされている。僕の頭には彼の言葉が刻み込まれている。



「僕たちは勝利する。なぜなら、政治のことを知らないから。

 We are going to win because we don't understand politics.

 僕たちは勝利する。なぜなら、政治家のように汚い手段を使わないから。

 We are going to win because we don't play their dirty games.

 僕たちは勝利する。なぜなら、政治的なアジェンダを持っていないから。

 We are going to win because we don't have a party political agenda.



 僕たちは勝利する。なぜなら、僕たちが流す涙は- 心から流れ出たものだから。

 We are going to win because the tears that come from our eyes actually come from our hearts.

 僕たちは勝利する。なぜなら、僕たちには夢があり - その夢のためなら 喜んで立ち上がるから

 We are going to win because we have dreams, and we're willing to stand up for those dreams.」



ワエルの言うとおりだ(Wael is right)。僕たちがひとつにまとまれば勝つのは僕たちだ(We're going to win if we work together as one)。

なぜなら、団結した人々の力は、権力を持つ者よりもずっと強いのだから(because the power of the people is so much stronger than the people in power)。







引用:TED
ボノ(U2):貧困についての良いニュース(そう、いいニュースもあるんだ)
Bono: The good news on poverty (Yes, there's good news)

2013年4月21日日曜日

鉛刀と泥蛇



もしそれ、鉛刀、ついに鏌耶が績(わざ)なし

泥蛇、あに応龍の能あらんや



訳:なまくらな刀(鉛刀)には、名刀の働きがない。土でつくった龍(泥蛇)に、どうして飛龍のような能力があろうか。



※「鏌耶(ばくや)」というのは、古代中国・呉国の名刀。呉王・嘱の命により、刀工・干将がつくった陰陽二振りの名刀の一本(陽は「干将」、陰を「鏌耶」と名付けられた)。刀工・干将が刀をつくる時、妻・鏌耶の髪を炉に入れて、はじめて名刀を作り得たという話。






出典:空海「秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)」十住心論
第四唯薀無我心(ゆいうんむがしん)

2013年4月19日金曜日

褒めるべきは、結果か努力か? 米研究



高い目標に挑戦する心を育むために何ができるのか。

1999年アメリカ教員連盟の機関誌に発表されたスタンフォード大学の教授、キャロル・S・デュエック(Carol S. Dweck)の実験を紹介しよう(Caution - Praise can be dangerousu)。



子供をAとBのグループに分け、知能テストを受けさせる。

採点後、Aグループには「問題に正解したあなたは素晴らしい」と『結果』を褒める。

Bグループには「問題を解くために努力したことが素晴らしい」と、結果ではなく『努力』を褒める。



次に、両方のグループに「難しい問題」と「簡単な問題」のどちらがやりたいかを問いかける。

すると、結果を褒められたAグループは、高い点数を取りやすい「簡単な問題(Easy)」を選び、挑戦する姿勢を失った。

一方、努力を褒められたBグループは「難しい問題(Hard)」にチャレンジする姿勢を見せた。



高い目標に挑む心は、結果よりも努力を評価することで育まれる。

この成果は今、日米の教育現場で活用されている。






引用:NHK「為末大が読み解く! 勝利へのセオリー」
「レスリング女子日本代表監督 栄和人」

2013年4月18日木曜日

「一睡の夢、一杯の酒」。毘沙門天・上杉謙信



戦国武将「上杉謙信(うえすぎ・けんしん)」。

彼は僧衣を脱ぎ捨てたのではなく、そのままに鎧を重ねた。







自らを北の守護神「毘沙門天」の転生と信じ切っていた謙信。

「北条の小田原城を囲んだ折は、矢弾の中を城門の前まで進み、そこで弁当をつかい、茶を三杯まで喫したという」

毘沙門天だと思い込んでいなくば、できぬことである。



「友軍の城へと救援に向かう際、『とりあえず』と将みずから、わずか23騎の共を従えて、敵軍の中を駆け抜けた」

川中島では、鎧の上に僧衣をまとった武田信玄を、「ただ一騎、陣中に大将みずから馬を乗り入れて、斬りつける」。







「利」を追い求める戦国武将の中にあって、謙信ばかりは「信」と「義」を高らかと掲げ、彼らの前に立ち塞がった。

「通常なら、群と異なる価値観はすぐさまに撲滅されるであろうが、謙信の場合は違いすぎたために、近寄り難い高みにまで浮き上がった(黒鉄ヒロシ)」

あの織田信長でさえ、贈り物などしながら、謙信を避けまくる。



そんな漢(おとこ)、上杉謙信の辞世の句。

「四十九年 一睡夢 一期栄華 一杯酒」

(49年の生涯は、一瞬の夢のようなものであった。栄華は一杯ほどの酒にひとしい)

この句を遺し、毘沙門天はこの世から消えた…。






出典:千思万考(黒鉄ヒロシ)
「謙信的 美」

2013年4月16日火曜日

神にも仏にも、何回でも願う民。



「願いは叶えてもらうものではなく、通じるものだと思っております」

石清水八幡宮58代目の宮司、田中恆清さんは、そう言う。

「神々に対して、自分の思いが届く。届くということは通じること。それを願うのです」



その言葉に、テニスの松岡修造の言葉も思い出す。

「100回叩くと壊れる壁があったとする。でもみんな何回叩けば壊れるか分からないから、90回まで来ていても途中であきらめてしまう」



何回願えば、思いは神に通じるのか? そもそも、その神とは?

「何ごとの おはしますかは知らねども かたじけなさに 涙のこぼるる」

伊勢神宮に足を踏み入れた西行法師がそう詠ったように、神とは何かは「知らねども」、ありがたいような気持ちになってしまうものなのか。



ところで、「神も仏も」というのが日本人。

「これは世界でも例のない形で、ある宗教と宗教が結びつくことはありますが、結局どちらかが収奪という形になって、争いが生じてきました。日本の神道と仏教のように、仲良く補い合って生き続けるとはないのです」と田中宮司は言う。

仏間の隣りに神棚を祀り、結婚式には教会の神父に誓いを立てて、葬式となると寺の和尚に頭を下げる。

「このような暮らしに外国人は驚きますが、日本人は違和感を感じるどころか、それが当たり前として生きてきました。その寛容さは日本人の凄さでもあります」



大昔、日本に異国の仏教が伝わってきた時、欽明天皇はこう言ったという。

「西の国から伝わった仏の顔は、端麗の美をそなえ、いまだ見たこともない(日本書紀)」

欽明天皇はその美しさに惚れたのだ。



美しき日本の宗教。

神でも仏でもいい、とにかく願いを聞いてくれ。

惟神(かんながら)の精神というのは、意外と直感的なものなのかもしれない…。






出典:致知2013年5月号
「神道と仏教 凡神教としての神道」

2013年4月7日日曜日

吉川神道と会津藩主・保科正之



神の働きを意味する「誠(まこと)」

その働きに達するための「敬(つつしみ)」

実践の方法たる「祓(はらい)」



いずれも吉川惟足(きっかわ・これたり)の大成した神道思想であった。

もとは江戸日本橋の魚屋の息子だったという惟足。京に出ると神道を学び、吉田神社に仕える卜部(うらべ)吉田家の神道を継承し、大いに発展せしめて独自の流派をなした稀代の天才、それが吉川惟足。

ついには、日本の神道家たちの筆頭とまで目されるに至る。







その惟足が、会津藩主「保科正之(ほしな・まさゆき)」に贈った霊号が「土津(はにつ)」。

「土(はに)とは、神道において宇宙を構成する万物の根源であり、その最終的な姿を意味している」

神も霊も心も、結局は同じもの(土・はに)が別の形をとっているのである。その土(はに)たる理の一切を体得しえた会津の王、それが藩主・保科正之という人物であった。







惟足に大いに師事した正之は、神道を極めること10数年。

「正之は惟足が狂喜するほどの境地に達した」

ついには最高奥義「四事奥秘伝」授受の段にまで至る正之。その神法は、吉田神道が神代のときより受け継いできたとされる「秘中の秘」であったという。



その奥義を伝授されたことを示す「証文」が、正之死後、幕府と揉めに揉めた「神式の葬儀」の激論に決着をつけることになる。

当時は、キリシタン排除貫徹のため「仏式葬儀」が通例だった。それをあえて、神道家・吉川惟足は「本来、神式こそ日本人の葬法である」と主張した。そして、会津藩主・保科正之の葬儀を神式で執り行うと宣言したのである。



しかし、幕府の閣僚には神道の葬儀を正しく理解する者がいなかった。ゆえに問題はややこしくなって、正之の葬儀は3ヶ月もの異様な遅延を余儀なくされる。

結局、幕府は奥義秘伝の証文を見せつけられたことにより、口をつぐまざるを得なくなる。そして、神式の葬儀を「黙認」することが決まった。

「もし強硬に神式の葬儀を禁じては、全国の神道家たちから幕府の弾圧とみなされ、どんな不満を醸成するか知れなかった」



保科正之の霊碑には「土津神墳鎮石」と刻まれた。

さらに「土津神社」が創建され、幕府黙認のもと、初代会津藩主にして将軍家ご落胤たる人を祀る、異例の神社建立がなされたのであった。







出典:天地明察

2013年4月5日金曜日

福沢諭吉と新渡戸稲造の「せんべい話」



「一身独立して、一国独立する」

明治時代を生きた福沢諭吉は、著書「学問のススメ」の中でそう繰り返している。

諭吉は言う、「人間が自分で衣食住をまかなうのは難しいことではない。そんなことはアリでさえやっている」と。



ところが、開国後の日本には「お上(かみ)頼りの百姓根性」が蔓延していた。

このままだと日本は「先導する人のいない盲人の行列」に成り果ててしまう。そう危惧した諭吉は、日本国民に発奮を促した。

「政府が悪いのではない。愚民が自分で招いた結果なのだ」と。

そして断言する。「この国民あってのこの政治なのだ!」。



「心事ばかりが高大で、働きが乏しい者は、常に不満を抱かざるを得ない」

それは「蠢愚(しゅんぐ)」、思うだけで動かなければ、それは無知で愚かなのだと、諭吉は痛烈であった。







そんな諭吉の話を、新渡戸稲造は子ども時分に聞いていた。

「福沢先生は、皆にお煎餅を配りながら話してくれた」

のちに「武士道」を記すこととなる新渡戸は、明治維新の時にはまだ6歳。武士として育てられた経験はあっても、武士として生きた体験はなかった(一方の諭吉は元々武士である)。



江戸時代の終焉とともに、日本からは「お上(かみ)」という価値観が消えた。

ところが、それに代わる新しい価値観がない。ゆえに当時、発狂する人が増えたのだ、と諭吉は指摘する(文明とは、たとえば聖書やコーランなどのように、何か帰依するものがないと上手く回らぬものであろうか)。

そんな迷妄の闇にあって、武士道というのは一つの光であったのかもしれない。



明治初期という時代は、江戸の侍の香りがまだ濃厚であった。

「日本人を一皮むけば、まだ侍だった」

ゆえにイザとなると日本は強かった。清(中国)よりもロシアよりも…。



新渡戸もまた熾烈である。

「食っていけないなら食うな。それでも学者なら死ぬまで学問を教え続けろ」と彼は言う。

「最後には腹を切れ」とまで、恐ろしい徹底さの中に彼はいた。



死が日常だった侍の世界。それは、「80くらいまでは生きるだろう」と漠然と思っている現代とは明らかに異なる。途中で殺されることも、ままあったのだ。

「武士に二言はない」というのは、そうした世界の中から生まれるものであり、現代の「謝れば許してもらえる」という謝罪文化はきっと、せせら笑われるであろう。



新渡戸稲造の著書「武士道」は、切腹の意義をこう記す。

「私は魂が鎮座している場所を開き、あなたにその様子を見せましょう。私の魂が清らかなのか、それとも汚れているのか。どうぞご自身でご確認下さい」と。



もしかしたら、新渡戸は武士を美化しすぎていたのかもしれない。それでも、彼はその香りに酔いしれたのだ。

「何年もの歳月が流れ、武士道の習慣が葬り去られ、その名さえ忘れ去られる日が来たとしても、その香りは空中を漂っているでしょう」

そして新渡戸はこう続ける。

「私たちはいつでも、遥か遠くの見えない丘から漂ってくるその香りを嗅ぐことができるのです」と…。






出典:致知2013年5月号
「日本復活の鍵は名著にあり 夏川賀央・奥野宣之」

2013年4月4日木曜日

煙突を曲げ、薪を移す。「曲突徙薪」の教え



中国のある村に旅籠があった。

旅人が通りかかると、その旅籠の煙突から火の粉が飛んでいるのを見た。

その先にはなんと薪(たきぎ)が積んである。



「火事になるといけない。煙突の向きを換えて(曲突)、薪を移しておいた方がいいよ(徙薪)」

その旅人は親切にも、旅籠の主に声をかける。ところが…。

「余計なお世話だ!」と怒った主は、茶の一杯も旅人に出さずに追い払う。



ところが、また別の旅人が旅籠を通りかかると、その旅籠は燃えていた。

髪を焦がし、額に火傷して懸命に消化協力した第二の旅人。



「ありがとうございます。ありがとうございます」

平身低頭、旅籠の主は第二の旅人を下にも置かぬ上客扱いで、豚を出し酒を出した。



その一部始終を見ていた近所の人たちは、主にこう言った。

「危険を忠告してくれた第一の旅人こそ、上客として遇するべきではないのか?」

その言葉に、主は大変に恥じ入ったとのことである。






以上、「曲突徙薪(きょくとつ・ししん)」の教え(漢書・霍光伝)。

災難は未然に防いでこそ…。





出典:致知2013年5月号
「安岡正篤師の曲突徙薪の教え 佐々淳行」



関連記事:

「孝」と「教」

忘却という「黒いページ」




2013年4月3日水曜日

漢詩「雨中即事」袁枚



「雨中即事」袁枚(えんばい)



青蛙抱仏心

踏上蓮花坐



青蛙(せいあ)仏心を抱き

踏んで蓮花(れんげ)に上って坐す



「青蛙が仏さまのように、蓮の葉の上に坐っている」



漢詩「初冬」陸游



「初冬」陸游



楓葉欲残愈好

梅花未動意先香



楓葉(ふうよう)残(く)ちんと欲するも看(み)ればいよいよ好く

梅花未だ動かざるも意まず香(かんば)し



「朽ちようとする楓(かえで)の葉は見るほど好く、梅の花は咲かぬ先からよい香りがする」


2013年4月2日火曜日

米仕事と花仕事。水戸岡鋭治



デザイナーの水戸岡鋭治(みとおか・えいじ)さんは、仕事には2つの種類があると言う。

「簡単に言うと『米仕事』と『花仕事』の2種類です」



経済性を求める、つまり稼ぐための仕事が「米仕事」。

文化や感性を大切にするのが「花仕事」。



「日本では経済重視の『米仕事』の人が圧倒的に多いんですが、私はできるだけ文化を持ち込んだ『花仕事』をしていきたいと考えているんです」と水戸岡さんは話す。

しかし、「花仕事」というのは、どうしても目先の利益が下がってしまう。



たとえば、水戸岡さんの手がける鉄道車両などで、床材をプラスチックにすれば低コストでメンテナスも容易になる。

「そこに木材を使おうとすると、高コストでメンテナンスが大変」

それでも敢えて木材を使おうとする理由は、そこに文化を持ち込みたいからだ、と水戸岡さんは言うのである。



というのも、たとえ目先の利益が下がろうとも、木材で魅力的なものを作っておけば、それに惹かれた人たちが「本当のファン」になってくれる。そして、それは結果的に長続きにつながっていく。

「経済性と文化性のバランスを保つようにしていくと、皆がそこそこ好むものが出来上がってきます。実際にそのバランスを追求することが、最終的に一番いい結果を生む可能性が高いのです」と水戸岡さんは語る。



米仕事と花仕事。

経済と文化。

その妙を水戸岡さんは問うのであった…。






出典:致知2013年5月号
「仕事の真髄・人生の妙味 水戸岡鋭治」

2013年4月1日月曜日

神中の神「アマテラス」、神社中の神社「伊勢神宮」



人の世界において、天皇は諸王や廷臣たちに「位階」を与え、その最高位を「正一位(しょういちい)」としていた。

神々の世界にも同様、位階なるものが存在する。それを神階という。

最高位は人同様、正一位の神であり、官幣大社(かんぺいたいしゃ)と呼ばれる上位の神社を統べるのは、正三位以上の神でなくてはならなかった。その格下の官幣中社となれば従四位以上の神々である。



ところで、日本には数多くの「神宮」が存在するが、その頂点に君臨するのは「伊勢神宮」である。

ちなみに、古来より神宮と名乗っているのは鹿島神宮と香取神宮だけであったが、明治の王政復古以降、多くの神社が名前を神宮に変更し、そのうちでも伊勢神宮が最上位とされるようになったのだという。



その伊勢神宮に祀られるのは「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」。

じつは、この神中の神、神階(位階)をもたない。というのもアマテラスはいわば、人の世の天皇のような存在であり、八百万の神々に神階を授ける立場にあるとされているのである。

人界の最高位である天皇に位階を授ける人間がいないように、アマテラスに神階を授けられるほど偉い神様は存在しないのである。



アマテラスは天上界の主宰神であり、人界の天皇の皇祖神(皇室の祖先)でもある。つまり大本の大元だ。

「アマテラスを主祭神とする伊勢神宮は、神社の格や神階をはるかに超えた別格の存在なのである(井上宏夫)」



ところで、それほどの神がなぜ、都ではなく、伊勢の地に置かれているのだろうか?

どうやら、神々同士にも相性というものがあるらしく、崇神天皇が都に祀った倭大国魂(やまとおおくにたま)とアマテラスとは、ともに我慢がならなかったようである。



都を去ったアマテラスは、いったん大和の笠縫邑(かさぬいむら)に遷るのだが、最終的には伊勢の地に至ることになる。

伊勢に着いたアマテラスは、この地がお気に召す。

「不死の国である常世(とこよ)からの波が、伊勢の国には絶えず打ち寄せる。この美しい国に私は住む」と日本書紀にはある。これが伊勢神宮の起源とされる。



さて、今年2013年は、伊勢神宮の式年遷宮(しきねん・せんぐう)の年である。

式年とは一定の期間という意味であり、伊勢神宮の場合、20年に一度、内宮・外宮をはじめ、神宮所蔵の神宝にいたるまで、そのすべてが新調されることになる。

大昔に、天武天皇がそうせよと命じたのだという。



なぜ、つくり替えられるのか?

古代の技術・技法の伝承という側面もあるように、遷宮のたびに「古代の記憶」が蘇る。



ドイツの建築家ブルーノ・タウトは、蘇った神宮の印象をこう語っている。

「これらの建造物は簡素に見えるので、それに捧げられる尊称の念が不思議にさへ思はれるほどである。それは農家を想起せしむるものであり…」



古代より脈々と受け継がれきた建造物は、西洋人の目に「農家のような簡素さ」として映ったようだ。

確かに、アマテラスが祀られている正殿には「古代人の素朴な匂い」が漂っているようであり、まさかそれが神中の神の場とはブルーノには思えなかったのかもしれない。



しかし、それこそが「農耕に生きた日本人の根源」であった。

「田圃に黄金色の稲穂が垂れた里山の光景を連想させる伊勢神宮は、日本人にとっての原風景なのである(井上宏夫)」



華やかさとは無縁な、素朴な社殿に祀られているアマテラス。

アマテラスが五十鈴川の上流に鎮座してから、すでに二千年以上。よほどにこの地がお気に召したようである。

そして、アマテラスを祖先とする皇室は、神の香りを人の世へと伝えているかのようである…。






出典:大法輪 2013年 04月号 [雑誌]
「伊勢神宮を知るために 井上宏夫」