話:末井昭
人身事故、つまり電車に人が飛び込むのが一番多いのは”月曜日”だそうです。学校でいじめられたり、会社で孤立したり、業績が上がらず上司から嫌みばかり言われたりしている人には、休み明けの月曜日はつらいかもしれません。
しかし、早まって電車に飛び込まないでください。そういうときは反対側のホームに行き、”逆方向の電車”に乗ることです。僕も会社に行きたくないとき、逆方向の電車に乗ることがたまにあったのですが、行き先が決まっているわけではないので、適当な駅で降りて、駅の周りをブラブラ歩き回ったりして、最終的にはパチンコ店に入るぐらいなのですが、それでも気分は少しは変わります。
会社や学校やアルバイト先に行く電車が世間に向かっているとすれば、逆方向の電車に乗ることは、世間に背を向けることです。世間の尺度から離れて、できれば一生世間から離れて生きていければ、世間の煩わしさに悩むこともありません。
そんなことを考えているとき、ふと入った本屋さんで『生きづらさの正体 世間という見えない敵』というタイトルが目に入りました。まさに自分が考えていることと同じだと思って、その本を即購入して読みました。この、ひろさちや氏の本は、夏目漱石の三部作『三四郎』『それから』『門』、カフカの『変身』、旧約聖書の「ヨブ記」を題材に、世間から外れた者が、世間からどういう扱いをされるかが書かれていました。
世間というものは幽霊のようなもので、幽霊にびくびくしている人に幽霊が出るように、世間を怖がる人に世間圧が掛かってくる。しかし、革命運動家やアウトロー、世間に反抗する若者たちには、世間のほうが恐れて世間圧は掛からない、と書かれています。そして、
いいですか、あなかは世間から、良き夫、良き父、良き会社員であることを期待されている。あなたは良き夫、良き父、良き会社員であらねばならないのだ。 しかし、あなたは、絶対に、 ーー真の人間ーー であってはならない。あなたは良き人間であらねばならないが、あなたは真の人間であってはいけないのだ。もしもあなたが真の人間であろうとすれば、それは世間の禁忌に触れたのであって、あなたは「深海魚」に変身させられてしまう(『生きづらさの正体』ひろさちや)。
という箇所に、なるほどと思いました。「深海魚」とは、社会からバッシングされ、世間という大海の底に深く潜って、あまり動かずひっそりと生きなければいけないことを、著者が比喩として使っている言葉です。世間サマは良識のある善良な人を歓迎しますが、真の人間を嫌うのです。真の人間とは、人間らしく生きることを望み、人としてどう生きたらいいのかを問い直し、その答を求めようとする人です。
では、なぜ世間サマは真の人間を忌み嫌うのか。それは、自分たちが信じているものが、脆くも崩れ去ってしまうからです。真の人間から見れば、世間なんて映画のセットの書き割りかハリボテのようなただの見せかけです。世間サマが価値としているものは、ただの「存在のうわべ」です。そんなものに価値なんかありません。
世間になんの疑いもなく順応し、生きていくことになんの苦痛も感じない人は、自殺なんて考えないでしょう。しかし、世間にどうしても収まることができず、その軋轢で自殺を考えている人は、世間に背を向けて生きればいいのではないかと思います。それが自由ということです。自由とは輝かしいものではなく、孤独で厳しいものですが、真の人間として生きる喜びがあるはずです。
…
”自殺する人は、真面目で優しい人です。感性が鋭くて、それゆえに生きづらい人です。生きづらいから世の中から身を引くという謙虚な人です。そういう人が少なくなっていくと、厚かましい人ばかりが残ってしまいます。だから、生きづらさを感じている人こそ、死なないで欲しいのです…(末井昭)”
引用:『自殺』末井昭
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