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2014年1月23日木曜日

逆方向の電車  末井昭


話:末井昭




 人身事故、つまり電車に人が飛び込むのが一番多いのは”月曜日”だそうです。学校でいじめられたり、会社で孤立したり、業績が上がらず上司から嫌みばかり言われたりしている人には、休み明けの月曜日はつらいかもしれません。

 しかし、早まって電車に飛び込まないでください。そういうときは反対側のホームに行き、”逆方向の電車”に乗ることです。僕も会社に行きたくないとき、逆方向の電車に乗ることがたまにあったのですが、行き先が決まっているわけではないので、適当な駅で降りて、駅の周りをブラブラ歩き回ったりして、最終的にはパチンコ店に入るぐらいなのですが、それでも気分は少しは変わります。

 会社や学校やアルバイト先に行く電車が世間に向かっているとすれば、逆方向の電車に乗ることは、世間に背を向けることです。世間の尺度から離れて、できれば一生世間から離れて生きていければ、世間の煩わしさに悩むこともありません。



 そんなことを考えているとき、ふと入った本屋さんで『生きづらさの正体  世間という見えない敵』というタイトルが目に入りました。まさに自分が考えていることと同じだと思って、その本を即購入して読みました。この、ひろさちや氏の本は、夏目漱石の三部作『三四郎』『それから』『門』、カフカの『変身』、旧約聖書の「ヨブ記」を題材に、世間から外れた者が、世間からどういう扱いをされるかが書かれていました。

 世間というものは幽霊のようなもので、幽霊にびくびくしている人に幽霊が出るように、世間を怖がる人に世間圧が掛かってくる。しかし、革命運動家やアウトロー、世間に反抗する若者たちには、世間のほうが恐れて世間圧は掛からない、と書かれています。そして、

 いいですか、あなかは世間から、良き夫、良き父、良き会社員であることを期待されている。あなたは良き夫、良き父、良き会社員であらねばならないのだ。 しかし、あなたは、絶対に、 ーー真の人間ーー であってはならない。あなたは良き人間であらねばならないが、あなたは真の人間であってはいけないのだ。もしもあなたが真の人間であろうとすれば、それは世間の禁忌に触れたのであって、あなたは「深海魚」に変身させられてしまう(『生きづらさの正体』ひろさちや)。



 という箇所に、なるほどと思いました。「深海魚」とは、社会からバッシングされ、世間という大海の底に深く潜って、あまり動かずひっそりと生きなければいけないことを、著者が比喩として使っている言葉です。世間サマは良識のある善良な人を歓迎しますが、真の人間を嫌うのです。真の人間とは、人間らしく生きることを望み、人としてどう生きたらいいのかを問い直し、その答を求めようとする人です。

 では、なぜ世間サマは真の人間を忌み嫌うのか。それは、自分たちが信じているものが、脆くも崩れ去ってしまうからです。真の人間から見れば、世間なんて映画のセットの書き割りかハリボテのようなただの見せかけです。世間サマが価値としているものは、ただの「存在のうわべ」です。そんなものに価値なんかありません。

 世間になんの疑いもなく順応し、生きていくことになんの苦痛も感じない人は、自殺なんて考えないでしょう。しかし、世間にどうしても収まることができず、その軋轢で自殺を考えている人は、世間に背を向けて生きればいいのではないかと思います。それが自由ということです。自由とは輝かしいものではなく、孤独で厳しいものですが、真の人間として生きる喜びがあるはずです。





”自殺する人は、真面目で優しい人です。感性が鋭くて、それゆえに生きづらい人です。生きづらいから世の中から身を引くという謙虚な人です。そういう人が少なくなっていくと、厚かましい人ばかりが残ってしまいます。だから、生きづらさを感じている人こそ、死なないで欲しいのです…(末井昭)”



引用:『自殺』末井昭

2013年9月11日水曜日

都心は「水の気」がない [平野勝之]



 都心は「水の気」がない。

 別に、ふつうに水道は通っているわけだし、飲み物に困るわけではない。水の「気」がないのだ。コンクリートの比率が多く、また、いろいろなものが密集しているためだ。



 人間は「水」だと思う。

 「水の気」が少ないとバランスが崩れる気がする。



 ふだんから都心を自転車で散歩したり、移動したりしているとよくわかるのだが、水の気が少ないので、非常にザラザラと乾いた感覚を味わいながら走ることになる。

 「水の気」を発信する代表が樹木だ。公園や緑道などに逃げこむのはそのためだ。本能的な身体の反応だとおもう。すべての生き物にとって「原点は水なのだ」と体が訴えかけてくる。これは都市での独特の現象だと思う。



 僕は、コンクリートの中に押し込められて、むやみに祀られるのはゴメンだ。コンクリートや石の墓が嫌いだ。無名の適当な大木などに、そのへんの犬や猫と一緒に適当に埋めるなり、骨とかをバラまくなりしてほしいと思う。

 僕の理想的な環境は、自転車が快適に走れる程度の道や文明、そして野グソくらいは気軽にできるぐらいの環境があればそれで良い。過剰なデジタル機器もいらないし、車だって電気だって、もちろん無くては困るけど、イザとなったら無くてもどうにかなる程度のもので良い。







引用:自転車人NO.32 2013夏号 綴込付録「富士山一周いいとこどりライドMAP」 (別冊山と溪谷)
「軽量家出セット計画Ⅱ 平野勝之」


2013年6月11日火曜日

「意志の力」は有限、そして減っていく



「意志の力」とは減るものだったのか?

そんな研究結果が、フロリダ州立大学の心理学者ロイ・バウマイスター氏によってもたらされた。

「意志の力というものは、自動車のガソリンのようなものだ。つまり、使えばなくなっていく消耗品なのだ(WIRED)」



意志の力は「我慢」によって消耗していく。

学生たちを2組に分け、一つのグループには「チョコチップ・クッキー」を自由に食べることを許し、もう一方のグループには、それを指をくわえて見ているように、すなわち「我慢」するように命じた。

その後、我慢を強いられたグループは、「難しいパズル」を解くための力が残されていなかった。すぐに投げ出してしまったのだ。

一方、我慢という意志力を温存していたクッキー組は、ずっと長い時間、難しいパズルと向き合うことができた。彼らはクッキーを我慢しなかった分、そのエネルギーがまだ残されていたのだ。



このクッキーの実験が示すように、意志力は「食べもの」とも深い関わりがある。具体的には「グルコース(ブドウ糖)」が意志力のエネルギー源となる。

「つまり、食べ物を食べないでいるとグルコースが減少し、それに伴って意志の力も減少していくのだ(WIRED)」

これは皮肉なことだ。とりわけダイエットを継続することを難しくしてしまう。食べないという意志がグルコースの減少をもたらし、ダイエットへの意志をどんどんと弱めてしまうのだから。



「食べないでいるためには意志の力が必要だが、意志の力を得るためには食べることが必要なのだ」

この言葉は、バウマイスター氏と一緒に本を出版したジョン・ティアニー氏のものである。

もはやこれでは「禅問答」だ。



では、どうすれば意志の力をコントロールできるのか?

「まず、意志力は有限な資源なので、無理に手を広げすぎてはならない。決心は『一つ』にするべきだ」と彼らは言う。

そして、意志の力には「休息」も必要だ。

「たとえば1週間の禁煙などをやり遂げることができた場合、美味しい夕食を楽しむなどして、意志力を『一休み』させる」



「セルフ・コントロール(自制)が最もよくできている人は、一日中ずっと意志の力を使ってはいない。その力を節約できるように生活を構築している」

ジョン・ティアニー氏は、そう言っている。







 (了)






ソース:WIRED
『意志の力』が減っていく理由

2013年6月2日日曜日

人を変えるもの。それはリスク




「リスク(危険)を冒す」

それはかつて「先天的」、つまり生まれつきリスクを厭わない人がいるのだと考えられていた。たとえば、「女性は生まれつき男性よりも慎重だ」とか「10代の若者はリスク志向が強い」といった感じで。

ところが最近、そうした固定観念を覆す研究結果がいくつか出ており、その結果、普段は極めて慎重な人も「そのときの感情」や「周囲の環境」で、突然リスクを侵す可能性が高いことも明らかになっている。



アメリカの財務アドバイザー、「ポール・カスマン」さん(36)。

顧客の資金を扱うカスマンさんは、その仕事柄か、普段は非常に慎重に物事を進める性格だ。

だが、「投資」という生き馬の目を抜く世界にあって、「イザという時に備える必要がある」とも考える。



その一時の勝負に備えるため、カスマンさんはハイウェイを最高速のバイクで乗り回すようになった。

「1秒でも集中力を失えば、衝突・炎上して死ぬだろう」と、カスマンさんのアドレナリンは最高潮に達する。

時には、ミグ戦闘機に搭乗し、時速1,000マイル(時速1,600km)超で高度7万フィート(2万1,000m)まで上昇する。



危険を過大に恐れてしまうと、新たな冒険には飛び込めなくなる。逆に過小に危険をみくびれば、何も考えずに危険に飛び込むことにもなる。

「たいていの人は『慣れない環境』に踏み込む時、うまくいかなかった場合の結果を必要以上に恐れている」と、リスクを研究しているマージー・ウォーレル氏は話す。

だが、自らの安全地帯から一歩踏み出した時、人は普段よりもリスクを取るようにもなる、とウォーレル氏は言う。



たとえば、画家のアイオーネ・フレッチャー・クレブンさん(67)。

普段は物静かな彼が、ある春の夜、自宅の庭から聞こえてきた「ケンカの物音」に「イラッ」ときた。その庭には、息子と2人で植えたばかりの植物がある。それを荒らされてはたまらない。



クレブンさんがドアを開けて庭を見ると、ナイフで刺された少年と、血に濡れたナイフをもった屈強そうな男が立っていた。

「背骨がカッとなるのを感じた」というクレブンさん。「自分で自分が怖くなるほど怒り狂っていた」。

怒髪天をついたクレブンさんは、屈強な男のナイフをもった手首をねじり上げると、「Get out of here!(出ていけ!)」と怒鳴った。ややもすると、クレブンさんはその男の手首をねじ切ってしまいかねないほどの剣幕だった。



ほうほうのていで逃げ出す男。

その後ろ姿を眺めているうちに、クレブンさんは我に帰っていた。

飛行機の嫌いなクレブンさん、普段はそんな危険は侵さない。賭け事だって1度もしたことがない。



「今でも自分が冒した危険に驚いている」とクレブンさん。息子と植えた植物を荒らされて、いつも以上に「強い感情」に支配されてしまった。

ある調査によれば、プライドを傷つけられたり、子供を守るために必死になったりと、「強い感情」が胸の内から湧き上がってきた時に、人は必要以上のリスクを取る傾向もある、ということが分かっている。

また、差別されたり拒否されたりしても、常ならぬリスクを冒す危険は高いともいう。



一方、「コロンビア・カード・タスク」という実験では、「10代の若者だから必ずしもリスクを取るわけではない」ということが示されている。

カードをめくって「笑顔のマーク」が出れば勝ち。お金をもらえる。逆に「しかめっ面のネコの顔」が出てくれば負け。お金を失う。

この実験は2通りのバージョンがあり、1つ目は、予め何枚のカードをめくるかを決めておく方法(コールド・バージョン)。2つ目は、はじめに何枚のカードをめくるか決めておかずに、1枚ずつめくり、その時の結果に応じて次をめくるか決める方法(ホット・バージョン)。



はじめに何枚めくるかを予め決めておくほうが、「コールド」と呼ばれるように、冷静に客観的な決断が下せる。

その一方、はじめに何枚めくるか決めておかないと、場合によっては勝負熱がエスカレートして、必要以上の資金を失う危険がある。「ホット」と呼ばれる所以である。



「ホット・バージョンの場合、人は後悔しそうな危険を冒しがちだ」

ベルント・フィグネル助教(ラドバウンド大学)は、そう言う。彼は実験の考案者であり心理学者でもある。

「ホット・バージョンは、バーに飲みにでかけ、1杯飲むごとにもう1杯飲むかどうかを決めるようなもので、どうしても飲み過ぎる」



コールド・バージョンの方では、10代の若者でさえ「冷戦な判断」を下すことができる。たとえばお酒なら、予め飲む杯数が決められているのだから。

ところが、ホット・バージョンとなると、普段は冷戦沈着な老紳士ですら、判断を誤ってのめり込んでしまうことがある。



やはり「リスクを冒す」のは、生まれつきだけではなさそうだ。

感情の過度の高まり、もしくは外的環境に少なからず左右される。



逆に危険なのは、普段は「大丈夫だ」と自分で思っている人かもしれない。

確かに自分の安全地帯のなかでは大丈夫なのかもしれない。だが、そこから一歩足が踏み出て締まった時…

人はどうなるか分からない…







(了)






出典:The Wall Street Journal
人はなぜリスクを冒すのか

2013年3月27日水曜日

「犬に体罰はいらない」 盲導犬訓練士「多和田悟」



「犬ってね、楽しくなきゃ仕事をしないんですよ」

そう言うのは、盲導犬の訓練士「多和田悟(たわだ・さとる)さん。



「我慢して仕事やるなんていう犬、見たことない」

多和田さんは、世界で30人しかいないという国際盲導犬連盟の査察員に選ばれた唯一の日本人。そう、「伝説の盲導犬訓練士」である。







盲導犬をつくっているというその場所は、まるでドッグラン。

「遊んでるみたいでしょ」と多和田さん。

たとえ盲導犬といえども、犬には人のために仕事をしているという意識はない。ただ、訓練士のお姉ちゃんと遊びたいのだ。

「まず、お姉ちゃんに夢中なんですよ。ああやって、頭さわってもらって。だって、叱っても問題しか起こらないしね(笑)」



そのお姉ちゃんは、犬が正しい行動をとると「Good」という言葉を連発。

褒められて楽しいと感じれば、犬はまた褒められたくて、同じ行動をとるようになるという。それは次第に高度な技術へと発展していく小さな第一歩である。

多和田さんは言う。

「褒めて育てる。犬の能力を最大限に引き出すには、それしかない」



しかし、「ただ褒めるだけではダメだ」とも多和田さんは言う。

大切なのは「褒めるタイミング」なのだという。

「褒める時、やり終わってから言わないの。もう遅い」



「たとえば、Sitと言って座らせて…、ほら、座りが完成する前にGoodって言ってるでしょ」

とらせようと思った行動が終わる前に「Good」と褒めてあげる。アクションを起こした瞬間に褒めることで、犬にその行動が正しいことを伝えるのである。

というのも、犬は最初、その行動が正しいかどうか分からないので、少し迷っている。その迷った背中を押してあげるのが、訓練士たちの「褒めるタイミング」なのである。







「犬にものを教えるのに体罰は必要ありません」

多和田さんは、そう断言する。

「いい子だね、いい子だね、こればっかりですよ。もう、ただのバカ親父ですよ(笑)」



犬の心は、純粋すぎるほどにシンプルである。

その点、「いや、そうじゃないもん!」と歯向かうことのある人間とは大きく異なる。しかし、たとえ複雑な人間の心とはいえ、その根底に根差すのは盲導犬のようなシンプルさではなかろうか。







現在、日本で活躍する盲導犬は1,043頭。

これは圧倒的に足りない数字だ。盲導犬の希望者はその3倍の3,000人を超えるというのだから。

じつは、訓練をへて最終的に盲導犬になれるのは、3〜4割と意外に難しい。それでも、多和田さんを始めとする訓練士たちは、日夜の努力を惜しむことがない。



「褒めて、育てて、”ワン”ダフル!」







 (了)



出典:探検バクモン
「盲導犬でワンダフル!」

2013年3月23日土曜日

「ヒト」とは? そして人間になった。



「人(ひと)」という古い日本語の由来は「霊処(ひと)」、つまり「霊(ひ)がとまるところ」という説がある。また、「ひ」は「日」に通じ、「日の徳にとまるところ」というものもある。

「私たちの祖先は、太陽に明るく照らされ、神霊が宿るところが人間だという見方をもっていたようです(光延一郎)」

いわば、日本人は「天」を見て、そして人を見たのだ。



さて、次は西洋へと目を転じてみよう。

ギリシャ語の「人」は「アントロポス」。「花開く」という意味。ラテン語では「ホモ」、これは「大地」。旧約聖書に登場するアダムという最初の人の名は、「アダマー(地面)」に由来し、「土の塵」からできたことを示唆している。

なるほど、西洋の人々は「地」を見て、そこから人を見たのだ。



ところでラテン語では、「人格」を「ペルソナ」というが、その語源は「仮面」だという。これは、英語のパーソンにも派生する言葉だ。

土くれから生まれたヒトが、人間という仮面をかぶる…。

それはなんとも、人の間に生きる「人間」らしい姿ではあるまいか…。






出典:大法輪2013年3月号
「日本人のためのキリスト教入門 光延一郎」

2013年3月15日金曜日

「ありがとう」の反対語とは?



してもらったこと。

お返しをしたこと。

迷惑をかけたこと。



この3つの問いかけ。

それらを通じて、自分の内面を深く見つめていくのが「内観(ないかん)」。







ある男性は、重度の認知症になった母親の介護に葛藤を抱いていた。

「意志の疎通もできなくなった親を介護することに、どんな意味があるのか?」



はじめは内観にあまり乗り気ではなかったというその男性。

しかし、「あるイメージ」が浮かんだことで、みるみる内観が深まっていったという。



その「あるイメージ」とは、真っ黒な俵型のおにぎり。

男性が小学生の頃、友だちが家に遊びに来るたびに、母親は「ノリを巻いた真っ黒な俵型のおにぎり」をたくさんつくってくれた。



しかし、男性はそれが恥ずかしかった。

「ほかの家ではドーナツやクッキーが出てくるのに…。なんで、うちはおにぎりなんだよ…」



当時、男性の家では2人の姉が進学したばかりで、経済的にとても苦しかった。母親には、お腹を空かせてくる子どもたちに、お菓子を買ってあげる余裕がなかったのだ…。

熱々のご飯で手を真っ赤にしながら、たくさんのおにぎりを握る母親の笑顔。

その笑顔が俵型の真っ黒なおにぎりと結びついたとき、男性は気づかされた。母親の想いに…。そして、その想いは男性の胸をこれでもかと突き上げるのであった…。



以来、男性が母親の介護を苦にすることはなくなっていた。

「自分の中に鬼を発見すると、不思議と仏になる」

この言葉は、内観の創始者である吉本伊信(よしもと・いしん)氏の言葉だという。



「ありがとう」の反対語は何か?

それは「当たり前」なのではないか。



自分を中心に物事を見たとき、その心は「当たり前」で占められている。

しかし、その同じ物事を反対から見てみれば…。

きっと「ありがとう」で一杯なのだ…!





出典:致知2013年4月号
「『ありがとう』の反対語」

2013年3月2日土曜日

なぜ、人間は宇宙を目指すのか?



B.フラーは地球を、宇宙船地球号という「乗り物」だと言った。

その一方で、J.ラブロックは地球を、ガイアという「生物」だと言った。



「?」

地球は「乗り物」なのか?

それとも「生物」なのか?



その矛盾を解決するのが、R.ドーキンス。

彼は名著「利己的な遺伝子」の中で、こう言っている。

「人間は、遺伝子の乗り物(ビークル)だ」と。







人間という「生物」は、同時に遺伝子にとっての「乗り物」でもあったのだ。だとすれば、人間はいわば、地球にとっての遺伝子。地球はその乗り物であり、かつ生物でもあり得る。

「だから、(地球の遺伝子たる人間は)利己的だし、増殖も続ける」

それが遺伝子としての宿命なのだから。



そして、遺伝子が自分のコピーを作ろうとするように、人間も自分の子孫(コピー)を創ろうとする。そして、それは地球という「生物」も然り。

地球というより大きな生物にとって、人間という遺伝子は増殖する「生殖細胞」のようなもの。つまり、地球の精子たる人間が宇宙に「発射」されれば、地球のコピーが宇宙に誕生する可能性がある。

ゆえに、人間は宇宙を目指す。



そこに確たる理由はあるのか?

はたまた、突然変異にすぎぬのか?






出典:宇宙兄弟(3): 3 (モーニングKC)