2014年7月1日火曜日
「はじめから矢先が的の中に入っている」 [竹内敏晴]
話:竹内敏晴
このころ、急に思い出したことがあった。その一つは弓の修業についてであった。さしあたって今は弓について書く。からだの不思議に微妙な働きについて、驚くとともに、深い信頼感を私が持ち続けているように思うのは、この経験によるところがあるらしいから。
私は13歳から弓術をはじめた。耳が悪化してほとんど完全に「つんぼ」になった時期である。ほかの運動は満足にできなかったのだろう。一年後に初段になり、15歳で二段、16歳で三段になった。第一高等学校でも弓術部に入ったのだが、運動部というものの考え方がまるで違うし、自分自身人生について悩みはじめたことと重なって、段を取ることはやめてしまったから、どれほどの技量に達したかはわからないけれども、ほぼ10年間、わたしは弓に熱中した。
高等学校に入った頃は、生来の耳の病気が良くなって、からだ全体が非常に快調に成長しはじめた時期だったのかもしれない。わたしは猛烈な稽古をした。17歳の冬、寒稽古に、夜中の零時から次の日の零時まで24時間、不眠不休で弓を引いて一万一本射た記憶がある。的に向かって射たのが三千本くらいだったろうか、あとは巻藁に向かって射た。だれ一人助けてくれる人はいなかったから、そうするほかはなかったのだが、とにかく一万本を24時間で射たのは、たぶん明治以降は私一人が持っている記録ではないかと思う。そういう無茶なことをしたおかげで、私はほかの高等学校の運動部にまで有名になったらしい。
確か19歳の秋、わたしは絶好調であった。弓をいっぱいに引き絞って、的をぴたっと狙う。狙うと的が非常に大きく見える。大きく見えるというのは、30m先の的が30m先で大きくなるのではない。ぐんと近づいてくる。反対にコンディションの悪いときは、的がはるか遠くに消えそうになって、どうしてもつかまえられない。狙えないことがある。この秋の絶好調のときには、ぴたっとからだが決まったとき、的に向かって弓を押している左手、つまり弓手が的の中に入っているように見えた。的が弓手のこぶしより手前、肘にあたりに見える。これでは、はじめから矢先が的の中に入っているわけだから、これはまあ、外れっこない。事実こういうときには絶対に外れない。
絶好調のときにはこんなことが起こる。まず、第一の矢が的の真ん中の黒丸にあたる。次の矢を射ると、これが前の矢筈にガチンと当たる。実戦用の矢尻なら前の矢を裂いてしまうはずだが、うすい金属の帽子みたいな矢尻だから、前の矢の矢筈をカチンと欠いて、羽根を削ってピタリと並ぶ。さらに第四の矢がまた第一の矢筈に当たる。こんな経験がなんべんかある。
これは10年ばかりたって、たまたま知人との思い出話のなかに浮かんできて、われながら不思議な気がしたのだが、そんなにちゃんと当たるはずはどう考えてもあり得ない。にもかかわらず当たるのはなぜか? 意識を超えた、きわめて微妙なからだのバランスのコントロールがあるのだろうと考えないわけにはいかない。
実はその存在をもっと証明するような経験があった。まだ私が16歳、中学在学中だった。弓の稽古をしているうつに日が暮れてきた。戦争中のことで電力制限で電燈がつかない。弓術は矢を四本もって14、15射目から夕闇が濃くなって、的がほとんど見えなくなってしまった。しかし、それまで一本も的を外していない。記録がつくれそうなのにやめるのは残念なので、とにかく真っ暗な道場のなかで、足の位置だけをピチッときめて立ったまま動かないことにした。
友達に射た矢をとってきてもらっては、またつがえてキリキリと引き絞る。的はまったく見えないのだが、張りつめた力のバランスがピッタリ成り立ったところで、パッと離す。パーンと当たった音がする。こうして、20射20中するというのはなかなかむつかしいことで、私は、最初の一本を外して20射19中とか、途中で一本外して20射19中とか、30射で28中とかはなんべんやったかわからないけれども、20射皆中はほとんどできなかった。その出来たまれな例がこのときであった。足の位置さえピタッとしておきさえすれば、的が見えなくとも当たる。体のバランスがきまっているときは、それほど微妙な正確さを持ってくるのだということは、少年の心におぼろげながら感動を残した。
宮本武蔵がそばにたかってくるハエを箸でつまんで捨てたという話があるが、大正年代にいた中山博道という剣道の名人が同じことができたという。実際にそういうことはありうるだろうと信じて私は疑わない。からだと「もの」との関係は、それほどすばらしく精妙なのだ。ただ私には、それが年がら年中できたとは思えない。名人になれば、ある集中度を持とうとすれば、どんな状況でも必ずできるという状態を保ち続けられるのかもしれないが、しかし、それは肉体と精神とが最高のコンディションにあって、有機的につながっているときにのみ可能なのであって、常時できるかどうかは、保証の限りではないだろう、と思う。
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評:日野晃
おもしろいことに、竹内敏晴氏はオイゲン・ヘリゲル氏が学んだ阿波研造氏に、勝るとも劣らない弓の技術を身につけていたということだ。しかも、10代の半ばにしてだ。
以前、弓術の話になったとき、竹内氏は「私は、阿波氏のように観念的なところに解決したくはない。すべてはからだの微妙なバランス感覚だとしています」とおっしゃっていた。また、「私は武道を否定します」とも明確におっしゃった。
もちろん、阿波氏であれ竹内氏であれ、特別の人、つまり「達人」である。しかし、それらは結果論にすぎない。達人という体をつくりだしたのは、まぎれもなく達人以前の「身体(もちろん知性や内的なもの全てを含んだ)」なのだ。決して、摩訶不思議ななにかが突然、達人という身体をつくりだしたのではない。
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