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2016年3月26日土曜日

「あなたを、なだめたくて」 [ノリーナ・ベンツェル]



話:クリストファー・マクドゥーガル




私にとってのアラビアのロレンス --

ヒロイズムは美徳ではなくスキルだ

と初めて気づかせてくれた人物-- は、ペンシルヴェニア州の片田舎で小さな小学校を運営する大きな丸眼鏡の中年女性だった。





2001年2月2日、ノリーナ・ベンツェルが校長室にいたとき、山刀(マチェーテ)をもった男が校内に併設された幼稚園の園児たちに襲いかかった。

そのあとに起きたことを知ってから10年、私は今になってようやくある疑問の答えがわかりはじめている。

なぜ、彼女はあきらめなかったのか?

戦闘経験のない42歳の小学校校長が、逆上した陸軍退役軍人を相手に、木の枝も真っ二つにできる刃物で切りつけられながら、どうやって戦いを --執拗に、素手で、160cmという小柄な身体で-- つづけられたというのか?

立ち向かう不屈の精神があったことも驚きだが、本当の謎は

勝ち目はないとすぐにわかったはずなのに、どうやって食い下がったのか

だ。というのも、それがヒロイズムにつきまとう忌まわしい真実だからだ。試練がスタートするのに、こちらの準備を待ってはくれないし、疲れたからといって終わるわけでもない。タイムアウトもウォーミングアップもトイレ休憩もなしだ。

たまたま頭痛がする日のことものあれば、ふさわしいパンツをはいていないこともあるだろうし、あるいは気づくと --ノリーナのように-- スカートにローヒールの靴という格好で学校の廊下にいて、足元の床が自分の血でみるみるうちに滑りやすくなっているかもしれない。



マイケル・スタンキウィッツは、ボルティモアのハイスクールの社会科教師で、3番目の妻に去られてから怒りと被害妄想でいまにも破裂しそうになっていた。脅迫行為が原因で解雇され、入院させられ、あげくには投獄された。

釈放後、彼はマチェーテ(山刀)を手にし、ペンシルヴェニア州ヨーク郡の静かな田園部にあるノースホープウェル・ウィンターズタウン小学校に車を走らせた。そこは以前、義理の子供が通っていた学校だった。



昼休み直前、ノリーナ・ベンツェルがふと窓の外に目をやると、ふたりの子供を連れた母親の背後に、入り口から忍びこむ人影が見えた。何者か確かめにいくと、見知らぬ男が付属の幼稚園をじっとのぞいていた。

「失礼ですが」

ノリーナは言った。

「どなたかお探しでしょうか?」

スタンキウィッツが向き直り、ズボンの左脚からマチェーテ(山刀)を引き抜いた。それをノリーナの喉元に切りつけると間一髪はずれ、首から下げたプラスチック製のIDカードが切り裂かれた。

悲しくもやけにはっきりした考えが彼女の頭をよぎった。まわりに助けてくれる人はいない。ここにいるのは自分ひとり。

つぎの数秒間にどうするか

で、誰が生きてこの学校を出るかが決まる。



ノリーナは悲鳴をあげて逃げてもよかった。

身体を丸めて慈悲を乞うことも、スタンキウィッツの手首に体当たりすることもできただろう。だが彼女は

腕を顔の前でX字形に交差させ、後ずさりした。

スタンキウィッツは、なおも切りつけ切り裂こうとしてきたが、ノリーナは攻撃をかわし、相手から決して目を離さず、差をつめて倒そうとするのを許さなかった。



ノリーナスタンキウィッツを誘い出して教室から遠ざけ、廊下を校長室に向かった。そしてどうにか部屋に入ると、ドアのボルトをかけ、深傷(ふかで)を負った血まみれの手で、室内待機警報を作動させた。

一瞬おそかった。

ちょうど園児が何人か教室から出たところで警報が鳴ったのだ。

スタンキウィッツはその園児たちに襲いかかった。教師の腕に深傷を負わせた彼は、女児ひとりのポニーテールを切り落とし、男児ひとりの腕を折った。



園児たちは校長室のほうに逃げ、そこでノリーナはまたスタンキウィッツと対峙した。

マチェーテ(山刀)が両手に深く切りつけられ、指が2本切断された。ノリーナはもはやこれまでと見え、スタンキウィッツは新しい犠牲者を求めて振り返る。

ノリーナが跳んだのは、そのときだ。

抱きついて両腕を巻きつけ、ありったけの力でしがみつくと、男はジタバタもがき--

カタッ

マチェーテ(山刀)を落とした。養護教諭がつかみ、廊下へ隠しに駆けだした。スタンキウィッツがよろよろとデスクに倒れこんでも、ノリーナはまだ背中にかじりついていた。



まもなくサイレンと雷鳴のような足音が近づいてきた。

ノリーナは血液を半分ちかく失ったが、病院に担ぎこまれて一命をとりとめた。

スタンキウィッツは投降した。



この衝撃後の数日間には、”運”と”勇気”が語られることが多かった。だが、さまざまな要因のうち、いちばん重要でなかったのがこの2つだ。

勇気はあなたを苦境に追いやる。必ずしもそこから脱出させてくれない。そして、相手がすべって転びでもしないかぎり、マチェーテ(山刀)を手に襲いかかってくる男と戦って勝つことに、運はなんの関係もない。

ノリーナ・ベンツェルが生き延びたのは

一連の決断を即座に、ありえないほどの重圧がかかるなかで下し、その成功率が生死の分かれ目となったから

だ。





腕を交差させて後ろに下がったとき、彼女が本能的にとったのは、まさしくパンクラティオンで推奨される姿勢だった。

この古代ギリシャのルールのない格闘技は、第二次世界大戦中に”天の双子(heavenly twins)”ことビル・サイクスとウィリアム・フェアベアンに採用され、現在もその接近戦のテクニックが特殊部隊につかわれている。

ノリーナはあわてて足がもつれることも、行き止りに逃げこむこともなく、

わざと後退する作戦

を採った。アドレナリンが限界値に達するままにしていたら、エネルギーが燃え尽きて、打つ手はなくなっただろう。ところがガス欠になったのはスタンキウィッツのほうで、ノリーナは待っていた好機をものにすることができたのだ。



身体の強さや体格、残忍さの勝負になっていたら、ノリーナは手も足も出なかった。そこで力をぶつけ合う代わりに、彼女はもっといい解決策をみつけた。

筋膜、つまり皮膚の内側で身体を包んでいる繊維質の結合組織を頼った

のだ。人間の上半身には、胸を横切り一方の手からもう一方の手にまで走る帯状の筋膜がある。スタンキウィッツを両腕で包むことで、ノリーナ

その筋膜の輪を閉じた。

いわば人間投げ縄となって、スタンキウィッツの腕を太いゴムケーブルで縛り、彼の力を無効にしたわけだ。



だが、そうするために、ノリーナはまず自分の扁桃体を制御しなくてはならなかった。

扁桃体は恐怖の条件づけに関わる脳の部位だ。そこは長期記憶にアクセスし、過去にやったことのなかに現在やろうとしていることと似たものがないかスキャンする。

もし一致するものがヒットしたら、先に進んでいい。筋肉はほぐれ、心拍数は安定し、疑念は消える。だが過去に、たとえば高い木から下りた形跡が見つからなかった場合、扁桃体は神経系にその行為を中止するよう圧力をかける。

扁桃体こそ、人が消防士の用意したハシゴに乗らずに焼け死に、ライフガードの首から手を放そうとせずに溺死する原因だ。5歳のころは自転車に乗るのがむずかしいのに、5年ぶりに乗るのはたやすい理由でもある。一度おぼえたら、扁桃体はその行動を認識してゴーサインを出す。

あなたの扁桃体は判断しない。反応するだけだ。

だから扁桃体を詭計(トリック)にかけることはできない。訓練(トレーニング)するしかないのだ。



ほとんどの人は、いくら強くても、また勇敢であっても、マチェーテ(山刀)で襲撃されるという異常事態に見舞われたら扁桃体が圧倒され、その場で動けなくなる。

ノリーナが天才的だったのは、自分のスキルに合った戦略を見つけたことにあった。戦うことはできなくても、抱きしめることなら得意だ。

腕で人を包みこむのは慣れた動作だから、感覚器も反対しなかった。

ノリーナがそのハグをやってのけたのは、直感的にひらめいたからだ。つまり、スタンキウィッツの怒りを抑えつけるのは無理でも、鎮めることならできるんじゃないか、と。



「私は、あなたの身体に腕をまわしました」

マイケル・スタンキウィッツに判決が下された日、彼女は証言台から被告にそう告げる。

「あなたを、なだめたくて」

スタンキウィッツは、じっと彼女を見つめた。

そして声に出さずに「ありがとう」と口にすると、禁固264年の刑に服するために連れていかれた。





では、マチェーテ(山刀)をもった狂人の襲撃に、どう備えたらいいのか?

その質問は私の口をついて出るとバカみたいに感じられるし、状況を考えれば無作法といってもいい。私は今、ノリーナの学校にいる。あの襲撃からようやく一年といったところだ。だがノリーナも内心、ずっとおなじことを自問してきた。

「外で話しましょう」

と彼女は提案する。上品で上機嫌、子供たちに魅了されている彼女は、教師となって17年がたった今も、休み時間にはしゃぎまわる彼らを、仕事の合間に眺めるのが好きだ。

腕は、稲妻のような傷跡に覆われている。

4回の再建手術をへて、手の機能はだいぶ回復したものの、まだ自分の手という感じはしない。いつも冷たく痺(しび)れ、こんな暖かい秋の午後にもカイロを握りしめたままだ。それでも、夫や子供たちとまた手をつないだり、ペン州立大ブルーバンドの同窓会でアルトサックスを吹いたり、運動場でわれわれの姿を見るなり駆け寄ってくる児童の髪をクシャクシャにすることはできる。



「おかしな話に聞こえるでしょうが、

あの日は準備ができていたのです

」とノリーナは言う。

そうだったに違いない。彼女は落ち着いていて、理性的で、強かった。パニックを起こすことも、死を受け入れるつもりもなく、選択肢を検討し、次にどう動くかプランを立てていた。彼女の反応は行き当たりばったりだったのではない。

自然で、意図的だった。

意図的どころか、「天から導かれた」感じだったという。ただ実際は、内面から導かれていた。彼女は何をすべきか知っていて、

身体はそれをどのようにすべきかを知っていた

のだ。



「この子たちを大切にするという理由で、わたしを英雄とお呼びになるなら、それもけっこうです。でも、

毎日仕事でしていることです

」とノリーナは言う。これは興味深い手がかりだ。



彼女が落ち着いていたのは、状況が熱を帯びたときに冷静でいられる訓練を積んだ終生の教師だからだろうか?

視線を合わせたままだったのは、かんしゃくを起こす子供や興奮した親に毎日そうやって接しているからだろうか? 

手がサックス吹きとして何十年も練習した位置に上がったこと、そして彼女が両腕で攻撃をそらしたり防御したりする両手利きだったことは偶然だろうか?



ほんの数分、彼女と校庭にいるだけで、この子たちのために死ぬまで戦おうとした理由はわかる。

依然として不可解なのは、とりわけノリーナにとっては

なぜ勝てたのか

だ。







引用:ナチュラル・ボーン・ヒーローズ―人類が失った"野生"のスキルをめぐる冒険




2015年8月30日日曜日

念流「負ける所を勤めて、勝つ所を知る」


〜話:念流二十五世、樋口十郎右衛門源定仁〜


 念流(ねんりゅう)は

「後手必勝(ごて・ひっしょう)」

徹底的な護身を旨とした自衛の剣です。その理念として、すべての人生に通ずる剣法であること、和の剣法であり、人を倒すことを目的とせず、

「十分の負けに十分の勝ちあり」

の精神をもつことを掲げています。念流十四世定高の

「負ける所を勤めて、勝つ所を知る」

の教えのように、「勝つことを求めず、守りに徹し、最後に相手の負けを認めさせる」剣術です。あくまでも争うことを善とせず、「剣は身を守り、人を助けるために使うもの」と考えています。



 当流に入門した門弟は、後ろ足に重心を置いた八文字型の「足捌き(あし・さばき)」を学びます。上体は常に相手を真正面で受け止めるため、体を開くことはありません。加えて全身、とくに下半身の鍛錬を行います。これを「体作り(たい・づくり)」と言います。当流の業(わざ)は、すべてこの所作の上に成り立っているため、これを身に付けなければ、数々の業を身に付けることはできません。

 当流の「気合(きあい)」は古来より連綿と継承され、そこに「手の裏(うち)」の極意があります。「気合」は単に声を出しているわけではなく、全身の動作と連動した呼吸法です。体の動きは「形(かた)」、呼吸は「気合」で覚えます。当流の「気合」と「手の裏」は、道場で先輩を真似ることで身に付くのが理想です。これを「見盗り稽古(みとり・けいこ)」と言います。



 当流の初心者への稽古は、体得を主体とし、言語による指導はできるかぎり避けています。指導者が言語化した情報はそれを体得した者は理解できるのですが、初心者にとっては理解不能どころか、誤解を生む可能性があります。身に付いてきたと思う時期に、指導者の言語でその動きを体系化しながら頭に刷り込む作業は必要です。しかし、基本は単純だからと、言語で教えようとしてもまったく身に付きません。

 基本に忠実、そして人の動きを見て覚えると上達は早いものです。頭で覚えたことは、それを修正したときに狂いが生じます。当流では一度できあがりつつある形を、もう一度崩すくらいの激しい稽古をしつつ、本当の業と体の習得を目指します。これを何度も繰り返していくのが念流の稽古です。それには10年、20年かかります。



 剣の動き、体の動き、これはその人のこころの表れです。当流では、お互いの気合が合えば「剣と剣がクモの糸で引かれ合うように動いていく」と言われます。無駄のない剣の動き、その体の動きには、その人の瞬時のこころを感じるときがあります。恐れ、怒り、気負いがあれば、剣と体は離れ、その動きはぎこちなく、無駄に速くなったりするものです。こころ静かに相手の動きを見て、気合、気配を感じながらその流れに逆らわずに剣を使えば、速くも遅くもなく、剣と体は同体となり無駄なく動きます。

 当流には「気位(きぐらい)」という言葉があります。「気位」とは相手が感じるものであって、自分が感じるものではありません。自分で感じてしまっては、うぬぼれや自信過剰です。相手に剣を向けるとき、この時点では勝負は誰にもわかりません。勝ちを意識しても負けを意識しても、体と思考は硬直してしまいます。自分の剣の「心」を信じ、相手の剣と交わるまでは体の力も抜いて、臨機応変に変化できるように気を保ちます。「負ける所を勤めて、勝つ所を知る」の精神が「気位」につながります。



 剣はその刃で人を殺(あや)めることのできる道具です。剣はその剣尖を相手に向けた瞬間よりその意味が生まれます。木剣であれ、当流の袋竹刀(ふくろ・じない)であれ、その剣には刃があります。

 しかし、道場では往往にしてその刃の存在を忘れて単なる棒の稽古になる場面があります。剣術の稽古で危険なのは、この剣の意識の低いときです。相対した者の意識と、剣に対する恐れを感じ、自らは「気位」を保ち、相手の「心」をとることが当流の修行です。

 当流の剣術は、その人を育てる慈しみのこころを持つ師の剣を受けること、そして信頼関係のある門弟同志が剣を交えることでしか修行できません。それこそが、当流が「和の剣」と言われた所以であり、念流創始者である慈恩和尚の名前の由来と私は信じています。




出典:月刊「武道」2015年9月号
樋口十郎右衛門源定仁「念流随想」


2014年7月2日水曜日

女傑の母に導かれた「入神の妙技」 [遠藤時習]




遠藤勇五郎時習(ときしげ)

 ——女傑に育てられた伊達男



 遠藤時習(ときしげ)は時中の子である。父に従って射芸を学んだが、晩成の器であったのか、なかなか上達せず、堂射ができなかった。24歳のとき父に死別したが、時習は重症の「早気(はやけ)」になって、とても家業を継ぐどころではなかった。早気とは、弓を射る際に、十分に発射の機が熟さない早い時期に矢を発射してしまい失敗する射の癖である。種々の射癖のなかでも、最も直すのが難しい。

 そのころ山内致信の子の三保吉秀雄が、射芸に精通して既に一家をなしており、時中(時習の父)の後の仙台藩指南役に命ぜられる形勢となってしまった。



 時習の母は天厳院といい、天保12年に70歳で亡くなった人であるが、男勝りに女丈夫であった。そのような形勢を察すると、あるとき時習を一室に呼んで、涙ながらに云うには

「お前は射芸の家に生まれながら、未熟にして家業を継ぐのが難しい。大変残念なことであります。これでは、亡父の霊に対し一死をもってこれ謝るほかはありません。ゆえに母はすでに覚悟を決めました。お前の一箭により潔く瞑目しようと思います。お前もまたこの母を射たあと、射芸未熟のための過ちで母を射てしまったその罪は軽くない、よって自害しますと遺書をしたためて事後処理をしなさい。心広く思いやり深い藩公が我ら母子の心情を察せられて、あるいは家名存続の恩命に浴することもあるでしょう。これが祖先と亡夫とに対する唯一の途です。決して迷うのではありませぬぞ」と諭して聞かせた。

 時習もこのような母の命に従うよりほかに仕方がなかった。






 母子は射場を清めて、父祖の霊を祀り、母は正装して矢道におり、矢面に立った。子は日ごろ愛用の弓矢をとって射場に立つ。誠に悲壮な光景に、母子はしばらくのあいだ涙にむせんでいたが、そうしていてもきりがないと、母は子を励まして

「これも皆、父祖のため、家のためです。かならず卑怯未練があってはなりませぬ。その一矢をもって我を射止めなさい。射損じて無益の苦痛を与えてはなりませぬぞ!」と激励した。



 時習も今は仕方なし、もはやこれまでと覚悟を決めて、目を閉じて、心をこめて神仏に祈り、渾身込めて熱血を奮い立たせ、威風堂々と弓を満月に引き絞った。もし早気で矢を離せば、ただちに母の胸を射通すであろう。

 辺りはしんとして音もなく静まり、凄惨な気配がその場を満たした。さしもの早気も影を潜め、いよいよ機は熟して、まさに矢が弦を放れるかと思われたその刹那、たちまちに時習の射形が入神の妙技に変じた。

 そのとき母は一声高く、「善し、その呼吸を忘れるでない!」と叫んで矢面を避けた。

 時習はしばらく呆然として、酔ったような夢心地のようであった。その時まさに神秘の扉を開く鍵を得たかのように、豁然として悟るところがあったのである。



 それから何日も経たない間に、雪荷派の極意に達した。そのようにして成長した時習に、山内秀雄は受け継いでいた仙台藩の射芸指南役を譲ったのであった。






 時習は一度、江戸深川の堂に上ったが、三井某という書家に妨害されて新記録に失敗したことがあった。その後、再度試みたいと藩主伊達慶邦公に願い出たところ、お許しは出たが、「万一今回もまたその目的を達し得ないならば、帰藩するに及ばず」というきつい命令であった。

 時習を幼いときから養育した横山という足軽なども大変に心配をし、一緒に江戸に上り、成功を神仏に祈願していた。諸般の準備も終わり、いよいよその当日になり、担当の役人も早朝から出てきて、定刻ともなると見物人が市をなした。ところが肝心の時習の姿が見えない。



 皆が心配していると、そこへ遊郭帰りでほろ酔い加減で酒の香を漂わせながら、伊達な着物姿の時習がやって来た。

 堂に上がると諸肌を脱ぎ、初矢を放ったが通らない。ところが続く二の矢、三の矢は綿々として糸のごとくに切れ目なく、雲を起こし風を呼び、飛ぶがごとく流れるごとくに、見るも見事に通って行くので、見物人一同、思わず歓呼の声をあげてその妙技を誉め称えた。

 そしてついに、日矢数の総矢6,561本中、4,066本を通し、首尾よく「射越し」の新記録をだして、江戸一の名声を博して宿願を遂げたのであった。

 当時、江戸の花柳界に「勇五郎紋」という柄模様が流行したという。これは勇五郎時習が射越しをやったときの着物の模様をとったものだそうである。



 時習は嘉永4年5月に、行年55歳で没した。法名は霊鷲院秀嶽雄䠶居士。

 「勇五郎遠藤先生之墓」が仙台土樋の大蔵山松源寺に、いまも父・時中の墓とならんで建っている。








引用:
弓聖 阿波研造
附録Ⅱ 仙台藩雪荷派 仙台藩当流射芸史(樋口臥龍原作)




2014年7月1日火曜日

「はじめから矢先が的の中に入っている」 [竹内敏晴]




話:竹内敏晴



 このころ、急に思い出したことがあった。その一つは弓の修業についてであった。さしあたって今は弓について書く。からだの不思議に微妙な働きについて、驚くとともに、深い信頼感を私が持ち続けているように思うのは、この経験によるところがあるらしいから。



 私は13歳から弓術をはじめた。耳が悪化してほとんど完全に「つんぼ」になった時期である。ほかの運動は満足にできなかったのだろう。一年後に初段になり、15歳で二段、16歳で三段になった。第一高等学校でも弓術部に入ったのだが、運動部というものの考え方がまるで違うし、自分自身人生について悩みはじめたことと重なって、段を取ることはやめてしまったから、どれほどの技量に達したかはわからないけれども、ほぼ10年間、わたしは弓に熱中した。

 高等学校に入った頃は、生来の耳の病気が良くなって、からだ全体が非常に快調に成長しはじめた時期だったのかもしれない。わたしは猛烈な稽古をした。17歳の冬、寒稽古に、夜中の零時から次の日の零時まで24時間、不眠不休で弓を引いて一万一本射た記憶がある。的に向かって射たのが三千本くらいだったろうか、あとは巻藁に向かって射た。だれ一人助けてくれる人はいなかったから、そうするほかはなかったのだが、とにかく一万本を24時間で射たのは、たぶん明治以降は私一人が持っている記録ではないかと思う。そういう無茶なことをしたおかげで、私はほかの高等学校の運動部にまで有名になったらしい。

 確か19歳の秋、わたしは絶好調であった。弓をいっぱいに引き絞って、的をぴたっと狙う。狙うと的が非常に大きく見える。大きく見えるというのは、30m先の的が30m先で大きくなるのではない。ぐんと近づいてくる。反対にコンディションの悪いときは、的がはるか遠くに消えそうになって、どうしてもつかまえられない。狙えないことがある。この秋の絶好調のときには、ぴたっとからだが決まったとき、的に向かって弓を押している左手、つまり弓手が的の中に入っているように見えた。的が弓手のこぶしより手前、肘にあたりに見える。これでは、はじめから矢先が的の中に入っているわけだから、これはまあ、外れっこない。事実こういうときには絶対に外れない。

 絶好調のときにはこんなことが起こる。まず、第一の矢が的の真ん中の黒丸にあたる。次の矢を射ると、これが前の矢筈にガチンと当たる。実戦用の矢尻なら前の矢を裂いてしまうはずだが、うすい金属の帽子みたいな矢尻だから、前の矢の矢筈をカチンと欠いて、羽根を削ってピタリと並ぶ。さらに第四の矢がまた第一の矢筈に当たる。こんな経験がなんべんかある。

 これは10年ばかりたって、たまたま知人との思い出話のなかに浮かんできて、われながら不思議な気がしたのだが、そんなにちゃんと当たるはずはどう考えてもあり得ない。にもかかわらず当たるのはなぜか? 意識を超えた、きわめて微妙なからだのバランスのコントロールがあるのだろうと考えないわけにはいかない。



 実はその存在をもっと証明するような経験があった。まだ私が16歳、中学在学中だった。弓の稽古をしているうつに日が暮れてきた。戦争中のことで電力制限で電燈がつかない。弓術は矢を四本もって14、15射目から夕闇が濃くなって、的がほとんど見えなくなってしまった。しかし、それまで一本も的を外していない。記録がつくれそうなのにやめるのは残念なので、とにかく真っ暗な道場のなかで、足の位置だけをピチッときめて立ったまま動かないことにした。

 友達に射た矢をとってきてもらっては、またつがえてキリキリと引き絞る。的はまったく見えないのだが、張りつめた力のバランスがピッタリ成り立ったところで、パッと離す。パーンと当たった音がする。こうして、20射20中するというのはなかなかむつかしいことで、私は、最初の一本を外して20射19中とか、途中で一本外して20射19中とか、30射で28中とかはなんべんやったかわからないけれども、20射皆中はほとんどできなかった。その出来たまれな例がこのときであった。足の位置さえピタッとしておきさえすれば、的が見えなくとも当たる。体のバランスがきまっているときは、それほど微妙な正確さを持ってくるのだということは、少年の心におぼろげながら感動を残した。



 宮本武蔵がそばにたかってくるハエを箸でつまんで捨てたという話があるが、大正年代にいた中山博道という剣道の名人が同じことができたという。実際にそういうことはありうるだろうと信じて私は疑わない。からだと「もの」との関係は、それほどすばらしく精妙なのだ。ただ私には、それが年がら年中できたとは思えない。名人になれば、ある集中度を持とうとすれば、どんな状況でも必ずできるという状態を保ち続けられるのかもしれないが、しかし、それは肉体と精神とが最高のコンディションにあって、有機的につながっているときにのみ可能なのであって、常時できるかどうかは、保証の限りではないだろう、と思う。













評:日野晃



 おもしろいことに、竹内敏晴氏はオイゲン・ヘリゲル氏が学んだ阿波研造氏に、勝るとも劣らない弓の技術を身につけていたということだ。しかも、10代の半ばにしてだ。

 以前、弓術の話になったとき、竹内氏は「私は、阿波氏のように観念的なところに解決したくはない。すべてはからだの微妙なバランス感覚だとしています」とおっしゃっていた。また、「私は武道を否定します」とも明確におっしゃった。

 もちろん、阿波氏であれ竹内氏であれ、特別の人、つまり「達人」である。しかし、それらは結果論にすぎない。達人という体をつくりだしたのは、まぎれもなく達人以前の「身体(もちろん知性や内的なもの全てを含んだ)」なのだ。決して、摩訶不思議ななにかが突然、達人という身体をつくりだしたのではない。













出典:

2014年6月22日日曜日

目が見えるという障害 [日野晃]




話:日野晃



 あるTV番組で、目の不自由なご両親が、健常者である子供のイタズラを叱っている場面があった。目が不自由だから、子供がどこにいるのかは、文字通り見えていない。にもかかわらず、お母さんは子供を真正面にとらえ叱っていたのだ。

 そしてその子供は、玄関の戸を開け、外に飛び出して逃げ出した。するとお母さんは、何のためらいものあく子供を追い外に飛び出した。外はもちろん道路で、自動車も行き来している。子供が右に行ったのか、左に行ったのかも分からないはずだ。にもかかわらず、正確に子供を追って走ったのだ。



「どうして出来るのか?」

そのとき思った。しかし、それは”目が見える”という枠に囚われてしまっている自分の哀れな姿だ。自分は実は”目が見える”という障害者だったのだと気づいた。

 目が見えている、というのは、文字通り見えているのだが、本当に大事なことが見えているのではなく、さまざまな固定観念や先入観が見えているだけである。逆に言えば、目が見えているということは、何も見えていないとも言えるのだ。








出典:月刊 秘伝 2014年 06月号
日野晃「武術の解答」



2014年6月18日水曜日

「良い祈り」「悪い祈り」 [宇城憲治]




話:宇城憲治



脳科学の進歩によって「祈り」と「脳」との関係が発見されたと言われています。

すなわち、心で思うことが科学的にも身体に影響を与えるというものです。すなわち「良い祈り」がその人間を救い、「悪い祈り」がその人の身体に悪影響を与えるというものです。



たとえばスポーツなどの勝負事では、「勝ちたい」「うまくなりたい」と願います。すると、これはポジティブな祈りとして、その人の脳内に神経伝達物質の「ベータ・エンドルフィン」が分泌されます。この物質は会館物質であると同時に脳を活性化させ、かつ身体の免疫力を高めるなど、さまざまな病気を予防する効果があるそうです。

しかし、ここに落とし穴があります。スポーツ、勝負事における願いは、一歩間違うと「ライバルを蹴落として叩きのめしたい」という攻撃的な面に力点が置かれがちです。この場合、「悪い祈り」として分泌する脳内物質は、ベータ・エンドルフィンではなく「アドレナリン」及び「ノルアドレナリン」が主となります。

このノルアドレナリンは別名「怒りのホルモン」とも言われていて、それを数ミリグラムをラットに注射するだけで死に至るほど強い毒性があると言われています。したがって、ノルアドレナリンが脳内に出っ放しになると、脳にとっても身体にとっても非常に害があるものとなります。



これらのことは日常で起こっている事実ですが、良い祈りは「伝統」や「文化」に多々見られ、逆に悪い祈りは「文明」によって生まれているところが多いように思います。

わかりやすい例でいえば、伝統の武術と現在のスポーツ武道との比較です。とかく勝負にこだわる今のスポーツ武道の「相手を倒せ」や「アドレナリンを出せ!」など檄を飛ばす光景などは、まさに悪い祈りの典型ですが、本来の武術はその反対の「戦わずして勝つ」という高い次元にあります。それは、武術というのは生と死のなかで悟ったところから生まれたものだからです。実際、江戸時代の剣聖・伊藤一刀斎は、その剣術書で「術技の究極は真心にある」と説いています。







出典:宇城憲治『気によって解き明かされる 心と身体の神秘



2014年6月14日土曜日

東郷重位の剣 [内田樹]




話:内田樹



示現流の流祖に東郷重位(ちゅうい)という剣客がいた。

その人の息子とその友達が、近所に野犬が出て危険だと聞いて、犬を斬りに行った。帰ってきて、何匹も犬を斬り捨てたが、太刀の刃が一度も地面に触れず、刃こぼれしなかったと自慢した。

それを隣りの部屋で聞いていた重位は、「刃が地面に触れなかったなどということを自慢してはならん」と、いきなり脇差(わきざし)を抜いて、目の前の碁盤を斬り、そのまま畳を斬り、根太まで斬り下げた。そして、「斬るとはこういうものだ」といったという逸話がある。



ここにある対象を斬ろうと思ったら、斬れない。碁盤てものすごく硬いカヤ材でできてますから、「碁盤を斬ろう」と思ったら、刀なんか跳ね返されてしまう。「地面を斬ろう」と思わなくてはならない。刀って不思議なもので、その「先」に用事があって通過する時には、途中にあるものを何でも全部斬ってしまうんです。



剣には剣固有の動線というものがある。この線を進みたいという欲求がある。武道的感覚というのは、剣が発するその微かなシグナルを聞き取ることなんだと思うんです。

人間がするのは初期条件を与えることだけ。いったん剣が起動したら、なすべきことは剣自身が知っている。だから、その後の人間の仕事は、いかに剣の動きを邪魔しないかなんです。

居合いをやっているとわかるんですけど、剣が選ぶ動線には必然性があるんです。だから、それを人間の賢しらで操作しようとすると良くないことが起こる。










出典:内田樹『日本の身体



2014年6月13日金曜日

敵をつくっておいて敵をつくらない [内田樹]




話:内田樹





基本的に武道では、相対的な稽古をしてはいけないことになっています。自分と同じレベルにいる敵に対しての勝った負けた、強い弱いを競っては絶対にいけない。競うものではなく「場を主宰する」。敵を作らないで、あらゆるものとパッと和合してしまう。

敵味方は、いわばボルトとナット。戦ってどちらが強いというのではなく、ボルトとナットが接合することで、全体があるかたちで機能しはじめる。

ですから武道における身体運用というのは、身体の局所を強くするとか、速く動くとか、いわんや相手を倒すのではない。自分と相手が対峙する状況全体をいかにコントロールするかというところが肝要なんです。そのためには、目の前の人と敵対してはいけません。一瞬にして呼吸を合わせ、細胞の肌理(きめ)を会わせていかなくては。

人間はさまざまな模様のパッチワークに似た、非常に複合的な存在です。だから相手の中には部分的に自分と同じ模様もある。その同じ模様にパッと同期できるような、感度のいい身体をつくるための訓練が武道なんです。

武道の場合、最初にわざと「敵対」というネガティブな状況をつくっておいてから同期させるところが、条件としては面白いと思います。








出典:内田樹『日本の身体



2014年5月29日木曜日

氣は相対するものか? [藤平光一]




引用:藤平光一『氣の確立






 先生(植芝盛平)は「えいっ」と掛け声をかけ、これで氣が結べたとおっしゃる。しかし私には、なぜそれで氣が結ばれたことになるのか、皆目わからなかった。



 先生が氣結びをやれば、私も一緒にやったのだが、どうにも理屈に合わないような気がして仕方がなかった。仮に天と自分とが氣を結ぶとする。ということは、天と自分は相対していることになるはずだ。

 合気道というのは氣に合する道である。それはわかっていた。だから、相手が二でくれば、こちらは八を合わせて、二と八で十。五でくれば五で合わせて十にする。こうして相手の氣に合わせるのが合気道の極意だということである。



 しかし私は、どうしてもそれに納得がいかなかった。たとえば後に私は戦地で八十人の兵隊を預かっていたが、いくらなんでも八十人もの兵士すべての氣に合わせ切れるものではない。人によってそれぞれ違うし、全員に特徴がある。

 そのうち八人だけでもかかってくれば、その八人それぞれが違うのだ。一瞬の戦いのなかで、それぞれ別個に氣を合わせていくことなど、本当にできるのだろうか?



 やがて私は、天地が一つであることに気がついた。つまり、氣を天地に合わせるだけという、たった一つの方法でよかったのだ。

 なぜなら人間は、天地と対立するものではなく、天地の氣の一部なのである。それなのになぜ、わざわざ相対して結ばなければならないのか? そんな必要はない。

 先生が氣結び、氣払いと言ったために、今ではだれも本当の氣のことがわからなくなってしまった。氣結びだの、氣払いだのという言葉は、本質とは無縁のものなのである。










抜粋:藤平光一『氣の確立



リラックスしていればこその不動 [藤平光一]




抜粋:藤平光一『氣の確立







 当時、中野から慶応がある日吉まで行くには、渋谷経由で電車を使っていた。

 そのときの車中でも私は、いつも統一体の稽古をしていた。

 電車は嫌でも揺れる。最初は空手のように全身に力を入れていたほうが強いと思っていたので、思い切り力んで立つ。すると電車が左右に揺れるたびに、ばたんとひっくり返ってしまう。



 そのうち、リラックスすることの重要性がわかってきた。

 きっかけは電車の中の鉄柱だった。

 電車の中で鉄柱を見ていると、電車が動くときに鉄柱も一緒に動いている。ならば、この鉄柱になってしまえばいいのではないか、と思ったのだ。

 それにはまず、全身をリラックスさせることが重要だ。

 電車が動くと、自然に身体も動揺するのに任せていた。するとおもしろいことに、いつまでたってもひっくり返らない。



 たとえば高層ビルは、常に微動するように設計されている。逆に不動に設計してしまうと、風や地震で簡単にひっくり返ってしまうらしい。

 ということは、やはりそれも天地の理なのである。

 リラックスしていればこその不動——もちろん、ほんの少し、振動で揺れるぶんにはかまわない——なのだ。

 電車が動けば、乗っている人間の身体も揺れるのが当たり前だ。ところがそれに逆らい、常に電車が動く方向の逆へ身体を動かしていなければ不安になるのが人間だ。そこに力が入っていれば、当然のようにバランスを失い、ひっくり返る。何のことはない、自ら理不尽なことをしているだけなのだ。



 それを覚えてからは、船に酔うこともなくなった。素人は必ず、船の動きに抵抗する。しかし、長年、船に乗りなれた船員を観察していると、船の揺れるとおりに身を任せている。なんとも当たり前のことである。ならば、自分もそのとおりにと思い、船と一緒に動いていれば、逆に身体はぜんぜん揺れなくなる。

 つまりはそれが、リラックスなのである。



 私が最初にこのリラックスを意識したのは、一九会でのことだった。

 みそぎで疲れ果てて、そのまま合気道の道場に行けば、身体も思うようには動かない。

 ところが不思議なもので、その状態のほうが、なぜか相手の技にかからなくなるのだ。

 これは簡単な理屈で、それまで力を入れて相手の技に逆らっていた。ところが疲れ果てていれば、嫌でも力など入らない。つまり、力を抜いたほうが強いということだ。

 では、力を抜くとはどういうことか?

 それこそまさに、リラックスにほかならなかったのである。










出典:藤平光一『氣の確立



2014年5月26日月曜日

虚体で立つ [斎藤豊]




「”動きから感情を抜いていくこと”は、形を練習するうえで非常に重要だ」

と斎藤豊師は語る。



この考えは、新たに稽古で取り組みはじめた天神真楊流柔術においても言えることだという。

「天神真楊流に『片胸取(かたむなどり)』という形があるのですが、座して向かい合った一方が相手の胸を取るとき、この形がきちんととれると相手が打ち込めない状態となるんです」

試しに、斎藤師が後ろに立てた膝を前へ倒したり元に戻したりすると、そのたびに相手の攻撃が届いたり届かなかったりする。

「これは捕の意志とは関係なく起こるんです。ある状況において必要な条件を満たせば、技はかかる。そこに感情や想いといったものが介在しないのが”術”だということです」

「形を練っていくうちに、”形とは、自由に動くときの身体の感覚、あるいはその身体そのものをつくるものだ”と考えざるを得ない状態になりました。そうした動きだからこそ、自分の身体や感覚に集中できるのが古流の形だとおもいます」



たとえば伝書には「虚体となりで立居る」とある。

「この立ち方は、”ぎりぎり立っていられる最低限の力で立つ”というものでした。最小の力で立つこと。そのバランスを保ちつつそのまま動くことで、相手は倒れてしまうのです」










出典:DVD付き 月刊 秘伝 2014年 05月号 [雑誌]
斎藤豊「伝書から紐解く”やわら”の術理の世界」



2014年4月14日月曜日

人馬一体、”動いて動くものなし”



引用:天狗芸術論


問ふ

何をか動いて動くことなしといふ。

曰く

汝、馬を乗る者を見ずや。

よく乗る者は、馬東西に馳すれども、乗る者の心泰(ゆたか)にして忙しきことなく、形静かにして動くことなし。

ただ、かれが邪気を抑へたるのみにて、馬の性に逆ふことなし。ゆえに人、鞍の上に跨(また)がって馬に主たりといへども、馬これに従って困(くる)しむことなく、自得して往く。馬は人を忘れ、人は馬を忘れて、精神一体にして相離れず。

これを鞍上に人なく鞍下に馬なしともいふべし。これ動いて動くことなきもの、形に表はれて見やすきものなり。

未熟なる者は、馬の性に逆って我もまた安からず、つねに馬と我と離れて、いさかふゆえに、馬の走るにしたがって五体うごき、心忙しく、馬もまた疲れ苦しむ。ある馬書に、馬の詠みたる歌なりとて、

打込みて ゆかんとすれば 引きとめて 口にかかりて ゆかれざるなり

これ馬に代りてその情を知らせたるものなり。

ただ馬のみにあらず。人を使ふにもこの心あるべし。一切の事物の情に逆ふて、小知を先にする時は、我も忙しく、人も苦しむものなり。





【現代語訳(石井邦夫)】

次のような質問があった。

”動いて動くことなし”とは、一体どのようなことを言っているのであろうか。

次のように答えて言った。

あなた方は乗馬者をよく見るだろう。上手な乗馬者は、馬を東西に走らせても心は安泰でせわしいことはなく、その姿も静かでゆれ動くことがない。外から見れば、馬と人が一体になっているようである。

しかしそれは、ただ彼が自分の邪気を抑えているだけのことで、馬の性質に逆らうことがないのである。それだから、人が鞍の上にまたがって馬の主になっていたとしても、馬はそれに従って苦しむこともなく、納得して走っていくのである。

馬は人を忘れ、人は馬を忘れて、気持ちが一体になってお互いに離れることがない状態、これを”鞍上に人なく鞍下に馬なし”とでもいうのであろう。これなどは”動いて動くことなし”ということが具体的な形に表れて、わかりやすい例である。

未熟な者は馬の性質に逆らってしまい、自分もまた安泰ではなく、つねに馬と自分の気持ちが離れて、争ってしまうために、馬が走るにしたがって身体が揺れ動き、心がせわしくなり、馬もまた疲れて苦しむのである。

ある馬術書に、馬が詠んだ歌として、次の和歌がある。

打込みて ゆかんとすれば 引きとめて 口にかかりて ゆかれざるなり
(集中して走り込もうとすると引き止められ、手綱が口にかかって前に行かれないんだ)

これは馬に代わって馬の気持ちを伝えたものである。

ただ馬だけではない。人を使う場合にも、このような気持ちはあるであろう。一切の物事の状況に逆らって小賢しい知恵を先に働かせてしまうような場合は、自分でもせわしなく、他人も困らせてしまうものである。





 引用:天狗芸術論・猫の妙術 全訳注 (講談社学術文庫)

2014年4月4日金曜日

赤いニシンに騙されて [内田樹]


話:内田樹「初学者を極意に導く方法について(抜粋)」


 いったいどういう方たちがこの本(『天狗芸術論・猫の妙術』佚斎樗山)を買うのでしょう?

 

たぶん武道の稽古を始めて数年というくらいの人たちが購入者のヴォリュームゾーンではないかと思います。武道を稽古して五年、十年という人々が、この本のタイトルを知らないということはありえません。

 もし、あなたがかなりの年数にわたって武道を稽古してきたにもかかわらず、この2つの武芸伝書(『天狗芸術論・猫の妙術』佚斎樗山)の話を、師匠からもまわりの道友の口からも「一度も聞いたことがない」としたら、あなたが稽古しているのは武道ではなく、なにか別のものです。それは『風姿花伝』という書物の話をまわりの誰からも聞いたことがないという人が稽古している芸能は、たぶん能楽ではないというのと同じくらい確実なことです。

 武道家にとっての必読文献というものがあります。澤庵(たくあん)禅師の『太阿記』、『不動智神妙録』、柳生宗矩の『兵法家伝書』と並んで、この佚斎樗山(いっさい・ちょざん)の『天狗芸術論』と『猫の妙術』は、たぶんそのリストの初めの方に掲げられるものです。



 なぜ、この2つのテクスト(『天狗芸術論・猫の妙術』)が江戸時代から久しく武芸を志す者にとっての必読文献とされてきたのか? その理由について個人的意見を述べて、本書の解説に代えたいと思います。

 佚斎樗山(いっさい・ちょざん)は『天狗芸術論』の中で、当今の武芸者についてずいぶん手厳しい評言を下しています。
「今人情薄く、志切(せつ)ならず。少壮より労を厭ひ、簡を好み、小利を見て速やかにならんことを欲する(巻之一)」。今の人は速成を好む。面倒が嫌いで楽をしたがり、「どうやったらさっさと巧くなれますか」と聞いてくる。少ない修業で効率的に極意に達することのできる費用対効果のよい稽古をしようとする。それが当今の趨勢である、と佚斎樗山は嘆いています。

 江戸時代の半ばにして、すでに武士たちは昔のように「いいから黙って修業しろ」というだけでは稽古に励まなくなってしまいました。しかたがないので、師匠のほうから手を差し伸べて、初心者に極意のありかを示し、手をひいてそこまで連れて行くような教え方をせねばならなくなった。この書は、初学者の「手を執って」極意まで曳いて行くための本なのです。

 でも、極意というのは初学者に「はい、これが極意です」とお見せできるようなものではありません。極意が何かを知らない人間をあやまたず「極意のある方向」に導いてゆくにはどうすればいいのか?

 たとえて言えば、「京都がどこにあるか知らないで東京駅をウロウロしている旅行者を、西行きの新幹線ホームにまで連れて行く」ようなことをしなければならない。佚斎樗山のこの本が優れているのは、その点においてです。つまり、「京都がどこにあるか知らない旅行者」をとりあえず京都行きの新幹線に乗せてしまう。その実践的有効性において、本書は卓越しているのです。



 江戸に幕府がひらかれて平安の時代がすでに100年。武士たちにも、白刃をまじえる斬り合いのなかで極意を会得するというような機会はなくなってしまいました。でも、先人が命がけで完成した武芸の伝統は継承されなければならない。

 そういう特異な歴史的状況が要請したのが「初心者フレンドリーな伝書」です。そんな本が書かれたのは日本武道史上たぶんこの時が最初です。ですから、著者(佚斎樗山)はまったく独特の、それまでに前例のない構成上・文体上の工夫を余儀なくされました。

 それは初心者を”正しい方向にミスディレクトする”という方法です。「ミスディレクト」というのは「間違った方向に導く」ことですから、「正しい方向にミスディレクトする」という言い方は理論的に矛盾しているように聞こえるでしょうけれど、本当にそうなのです。

 もう一度さっきの比喩を使いますけれど、東京駅でウロウロしている旅行者を「正しい方向」に連れて行くために「京都はこっちだよ」と言ってもダメなんです。だって、「京都って何?」というレベルの旅行者なんですから。でも、とにかく西行きのホームに連れて行かなければならない。見ると、どうもお腹が空いているようである。すると「駅弁買いたいんじゃない? 駅弁こっちだよ」と手を曳いて、西行きホーム近くの売店に導く。

 そういうふうに、初心者でもわかるその都度の実践的な課題に解答するかにみせかけつつ、ほんとうの目的地に連れて行く。この「京都に連れて行くために駅弁屋に連れて行く」というのが、「正しい方向にミスディレクトする」ということです。



 極意というのは、先人がそれだけ身銭を切って獲得した知見です。初学者がぱらぱらと本を読んだくらいで、「なるほど、そうか。相わかった」と膝を叩くというような安直なことは起こりません。それなりの手間暇をかけなければ「たいせつなこと」はわからない。

 でも、はじめから「手間暇がかかる」と言ってしまうと、「労を厭ひ、簡を好む」初学の人は「そんな面倒なことなら、僕はいいです」と修業をやめてしまう。それでは困る。そこで、初学者をして、それと気づかぬうちに、彼らの理解を絶した境地へと誘うための「仕掛け」を施したわけです。正しい旅程を歩むために、初学者は”大いなる迂回”をしなければならない、というのが著者(佚斎樗山)の戦略でした。

 そのために「わかりにくいことを、わかりやすい言葉で書く」という戦略を著者は採用したのです。どうしてこの戦略が有効かというと、それは「わかりやすい言葉」が「レッドヘリング(赤いニシン)」として機能するからです。



 「レッドへリング(赤いニシン)」というのは、ミステリーなどで読者を間違った解答へ導くミスディレクションのことです。

 もともとは狩りの用語です。狩猟犬を訓練するとき、赤い薫製ニシンを途中に仕掛けておきます。ニシンの匂いにつられて、本来の獲物を追うのと違うコースに逸脱してしまった犬は飼い主にこっぴどく叱られます。「レッドへリング」はあやまたず目標をめざして走る能力を育成するために、わざと仕掛けられるのです。

 アルフレッド・ヒッチコックは「レッドへリング」の名手でした。映画の前半で「いかにも犯人らしい人間」を前景に押し出し、観客自身に「謎解き」をさせるのです。観客は映画を観ながら「あ、こいつが犯人で、事件の真相はこうなのだ」と得心して膝を打ち、「監督を出し抜いた」とほくそ笑みます。そして、これから後の物語が自分の予想通りの展開になることを予測して、わくわくしながら映画を観つづけます。

 もちろん、映画はそのあと予想もしない大ドンデン返しに突入して、観客は仰天させられることになるのですが、ヒッチコックは別に観客を愚弄してそんなことをしているわけではありません。これは間違いなく観客へのサービスなのです。

 というのは、何も考えずにぼんやりプロットを追っている受動的な観客よりも、この「レッドへリングにひっかかった観客」の方がはるかに深く映画に没入し、はるかに多くの映画的悦楽を享受することができるのです。



 「ミスディレクトされた観客」の方が、騙されなかった観客よりも遠く、深くまで映画の中に参入することができる。行き先を「勘違い」した旅人の方が、行き先がわからないでぼんやりしている旅人より歩みが速く、踏み込みが深い。

 おわかりでしょうけれども、伝書における「わかりやすい言葉」は「レッドへリング」なのです。「わかりにくいこと」を教えるときにわざと「わかりやすい言葉」を使うのは、初学者を「ミスディレクト」するためなのです。「なるほど、修業の目的はこの方向なのだな。わかった!」と膝を打たせるために、わかりやすい言葉、つまり誤解されやすい言葉をちりばめてあるのです。

 久しく座右にあった伝書を取り上げて読んでみたときに、10年前と同じような読み方しかできないということは、どんな凡庸な武道家にもありえません。必ず「自分はなんと浅い読み方しかしていなかったのだろう」とひとり赤面することになります。必ず、なります。それが伝書の効用です。「わかった」と「ひとり赤面」を繰り返す。その反復を通じて修行者はしだいに武道修業の要諦について自得していくことになるのです。

 それは、”自分がかわったつもりでいることは、だいたい間違っている”ということでもあります。これが武道修行者が繰り返し、骨身にしみて会得しなければならない修業上の大原則です。





 本書収録の二編(『天狗芸術論』と『猫の妙術』)はいずれも「読んでわかったつもりになる」ための本です。それでよいのです。何年かして読み返して、以前の自分の「わかったつもり」に赤面すればいい。それを何度も繰り返せばよいのです。そのために書かれた本なのですから。

 『天狗芸術論』も『猫の妙術』も、中学修了程度の古文の知識があれば読めます。出てくる鍵語の大半も日常語です。「所作」も「気勢」も「無心」も「自然」も「精神」も、僕たちはその語義を熟知しているものとしてふだん用いています。ですから、初学者はかならず現代語の語義を当てはめてこれを読みます。自分の知っている言葉が「現代語の語義とはまったく違う意味」で使われている可能性を吟味したりはしません。

 ですから、逆説的なことですけれど、「意味がわかりそうな箇所」が伝書を読むときのピットフォール(落とし穴)なのです。「自分の日常感覚の延長でなんとなく類推できること」についての話はうっかりわかったつもりにならない方がいい。

 逆に、「自分の日常感覚ではまったく類推できないこと」については、気にしなくいい。そこにはピットフォールもないし、レッドへリングも仕掛けられていないからです。たとえば、「存在しないもの(大天狗や説教を垂れる老描など)」について書かれた箇所には誤解の余地がありません。



 私たちが誤解できるのは、「正しい理解」と「間違った理解」が併存する場合だけです。そうした箇所は全部「謎」です。すべてが「レッドへリング」であるというくらいの警戒心をもって読む方がいいです。

 でも、繰り返し言うように「レッドヘリング」に騙されて、自分なりの「読み筋」を作り上げるというのは、修業上の必然なのです。騙されて、誤読して、いいんです。そのために書かれて本なのですから。

 そういう迂回をスキップして、「レッドへリングなどに惑わされたくない、まっすぐに極意に達したい」と望むことこそ、佚斎樗山の言う「労を厭ひ、簡を好む」ことに他ならず、まさに初学者の初学者たる所以なのです。



 僕が書いているこの解説ももちろん、この二篇の解説としては間違っていることでしょう。

 ”間違っているに決まっている”

 僕程度の武道家に、こんなに簡単に「解説」されてしまうような文書が300年も読み継がれているはずがありませんからね。

 でも、それでいいんです。

 修業というのは「オープンエンド」なんですから。