2019年5月2日木曜日

「わたし」とは、川の流れが生じる模様のようなものなのだ【レイ・カーツワイル】


話:レイ・カーツワイル





わたしは誰? わたしはなに?


宗教なんて、犬のスマイルみたいなもの…
哲学なんて、つるつるする岩の上を散歩するようなもの
宗教なんて、霧の中の光みたい…

――エディ・ブリケル(英国出身の女性ボーカリスト)
「ホワット・アイ・アム」


意識と関連がありながら、また別の問題となるのが、われわれのアイデンティティである。個人の精神のパターン――知識や技術、人格、記憶など――を、他の基板にアップロードできる可能性については前に述べた。その結果生まれた新しい存在は、わたしそのもののように振る舞うだろうが、そこに問題が生じる。

それは本当にわたしなのだろうか?

画期的な寿命延長のためのシナリオのいくつかは、われわれの身体と脳を構成するシステムやサブシステムの再設計と再構築を必要とする。この再構築を行うと、わたしはその過程で自己を失うのだろうか? この問題もまた、今後数十年の間に、時代がかった哲学的対話から、差し迫った現実的課題へと変貌していくだろう。

では、わたしとは誰なのか?

たえず変化しているのだから、それはただのパターンにすぎないのだろうか? そのパターンを誰かにコピーされてしまったらどうなるのだろう? わたしはオリジナルのほうなのか、コピーのほうなのか、それともその両方なのだろうか? おそらく、わたしとは、現にここにある物体なのではないか。すなわち、この身体と脳を形づくっている、整然かつ混沌とした分子の集合体なのではないか。


だが、この見方には問題がある。わたしの身体と脳を構成する特定の粒子の集合は、じつは、ほんの少し前にわたしを構成していた原子や分子とはまったく異なるものなのだ。

われわれの細胞のほとんどがものの数週間で入れ替わり、比較的長期間はっきりした細胞として持続するニューロンでさえ、一か月で全ての構成分子が入れ替わってしまう("How Do you Persist When Your Molecules Don't?" Science and Consciousness Review 1.1 June 2004)。

微小管(ニューロンの形成に関わるタンパク質繊維)の半減期はおよそ10分である。樹状突起中のアクチンフィラメントに至っては約40秒で入れ替わる。シナプスを駆使するタンパク質はほぼ1時間で入れ替わり、シナプス中のNMDA受容体は比較的長くとどまるが、それでも5日間で入れ替わる。

そういうわけで、現在のわたしは一か月前のわたしとはまるで異なる物質の集合体であり、変わらずに持続しているのは、物質を組織するパターンのみだ。パターンもまた変化するが、それはゆっくりとした連続性のある変化だ。

「わたし」とはむしろ川の流れが岩の周りを勢いよく流れていくときに生じる模様のようなものなのだ。実際の水の分子は1000分の1秒ごとに変化するものの、流れのパターンは数時間、ときには数年間も持続する。

つまり、「わたし」とは長期間持続する物質とエネルギーのパターンである、と言うべきだろう。





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