年たけて
また越ゆるべしと
思ひきや
いのちなりけり
小夜(さよ)の中山
西行
鎌倉時代初期、京都から遠くはなれた関東は、ほとんどが未開の地。とりわけ、鈴鹿(三重)、小夜の中山(静岡)、箱根(神奈川)は東海道の三大難所であった。
西行にとって生涯2度目となった、奥州への旅路。すでに齢69、死を覚悟してのことだった。まさか、生きてふたたび、小夜(さよ)の中山を越えることになろうとは…。その感慨ひとしおに、西行きっての秀歌をこの地に遺す。
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あづまのかたへ
相識りたる人のもとへ
まかりけるに
小夜の中山見しことの
昔になりたるける
思ひ出でられて
年たけて
また越ゆべしと
思ひきや
いのちなりけり
小夜の中山
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西田幾多郎は名著『善の研究』において、この西行の歌を以下のように引用している。
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まだ高等学校の学生であった頃、金沢の街を歩きながら、夢みる如くかかる考に耽ったことが今も思い出される。
その頃の考がこの書(『善の研究』)の基ともなったかと思う。私がこの書を物せし頃、この書がかくまでに長く多くの人に読まれ、私がかくまでに生き長らえて、この書の重版を見ようとは思いもよらないことであった。
この書に対して、命なりけり小夜の中山の感なきを得ない。
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