2016年4月29日金曜日

「撮りすぎる」土門拳



話:土門拳





大体ぼくは昔から撮りすぎる癖がある。写真のやりはじめ、日本工房にいたときも、

「土門君、フィルムを使いすぎるよ。もう少し倹約しても、いい写真が撮れないものかね」

と編集長の飯島実さんからしょっちゅう文句をくったものだ。



そんな時ぼくは

「ライフのマーガレット・バークホワイト女史は一週間出張すると、手札判、6×6判、ライカ判こきまぜて3,000枚も撮ってくる。その3,000枚の中からたった15枚か20枚厳選して編集するから、ライフはいいグラフができるのだ。それにくらべたら、ぼくの撮る枚数なんかものの数ではない」

と言い返した。







「それはライフのような世界的大資本だからできるので、日本の小さな出版社でライフ並にやられたら、たちまちつぶれてしまうよ」

と飯島さんも負けずに言い返した。そう言われればまさにその通りで、ぼくは「日本的条件」にベソをかいて屈服するほかなかった。

それでもやっぱりぼくの撮りすぎる癖は、くびになるまで直らずに続いた。







昔、ドイツにマルチン・ムンカッチという偉い報道写真家がいた。ナチスに追われてニューヨークに渡った。はじめはライフの仕事などもしたが、後にはほとんどハーパース・バザーなどモード雑誌の仕事を主にやっている。

或る時ムンカッチは、当時アメリカ第一の人気女優だったクローデット・コルベールのイヴニング姿を撮ることになって、彼女の家の二階に待たされていた。待つほどに、着付けのすんだコルベールが彼の前に現われて、

「お待たせいたしました。では、早速撮影お願いいたしますわ」

と言った。するとムンカッチは

「もう撮影はすみました。どうも有難うございました」

といって、さっさと帰ってしまった。コルベールが呆気にとられたことはいうまでもない。



実はコルベールが彼の待っている二階へ向かって庭を横切ってくるときに、たまたま二階のバルコニーに出ていたムンカッチは、4×5判のアンゴーで上からパシャリと一枚撮ったのだった。

その一枚だけで、撮影はおしまいなのだった。

やがてハーパース・バザーには、一面の芝生の庭をコルベールがイヴニングの白い裳裾をひるがえしてさっそうと歩いている。素晴らしく動的なモード写真が一頁大に発表された。

その写真はモード写真の歴史の上でも画期的な写真となったし、ムンカッチの鮮やかな撮りっ振りも有名になった。







昔のぼくは、この話に感激した。自分の撮りっ振りは是非そうありたいと思った。

一枚、ドンピシャ

それこそが理想だと思った。ムンカッチはその時分のぼくの偶像だった。

しかし相変わらず、もう一枚、もう一枚という、にぶい、しつっこい撮りっ振りから抜けられなかった。ついに今日に至るまで、ムンカッチの方法論はぼくのものにならずじまいである。



雑誌のグラフでぼくに撮られる文化人は、

「土門君の撮影はしつっこいからね」

とか

「時間がかかるからね」

とみんな閉口頓首するのがならわしだ。なかには梅原龍三郎みたいに、籐椅子を叩きつける人まで現われた。そしてぼくはすっかり嫌われ者になってしまった。少なくともリアリズム以前のぼくはそうだった。

絶対非演出主義の今の撮りっ振りは、昔ほど文化人たちを苦しめなくなったはずとは思うが、撮る枚数はふえこそすれ、減りはしない。









引用:「フォトアート」昭和31年1月号




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