『宋名臣言行録』より
太祖は…趙普(ちょうふ)にたずねた。
「…わしは、この世から戦いをなくし、国家維持の大計を建てようと思うが、その方法はどうあるべきか」
太祖、趙普を召して、問いて曰く、
「吾(わ)れ天下の兵を息(やす)め、国家のために長久の計を建てんと欲す。その道いかん」
趙普は答えた。
「…唐末このかた、戦いが絶えず、国家が安定しない理由はほかでもなく、節度使(軍閥)が強盛で、君が弱く臣が強いだけにすぎません。これを正すには特別の方法はございません。漸次その権限を剥奪し、財政力を削減し、優れた兵力をこちらに収めれば、天下は自然に安定するでしょう」
普曰く、
「唐季以来、戦闘息(や)まず、国家安んぜざるは、そのゆえ他にあらず。節鎮はなはだ重く、君弱く臣強きのみなり。いまこれを治むる所以は他に奇巧あらず。ただややその権を奪い、その銭穀を制し、その精兵を収めれば天下おのずから安んぜん」
…
その後、転運使、通判などの新しい官職を置き、各地の財政をとりしきらせ、全国から精兵を選んで皇帝直属とした。功臣たちの方も終わりを全うして、子孫は現在までも富み栄えている。
その後また転運使、通判を置き、諸道の銭穀を主(つか)さどらしむ。天下の精兵を収め、もって宿衛に備え、諸(もろもろ)の功臣をまたもって終わりを善くし、子孫富貴、いまにおよぶも絶えず。
最初の趙普の深慮遠謀と、太祖の聡明果断がなかったならば、天下が治まり、白髪の老人に至るまで長く戦争がなくなることができたであろうか。
さきに韓王の謀慮深長、太祖の聡明果断にあらざれば、天下何をもって治平今に至り、戴白の老、干戈を観ざるや。
聖賢の見識はずっと先を見通しているものである。
聖賢の見、何ぞそれ遠きかな。
…
趙普の謀りごとをききいれた太祖は、たびたび特使を全国各方面に派遣し、精兵を選抜した。人にぬきんでた才能、力量のある者はすべて禁軍にいれて国都周辺に聚め、皇帝を直衛させた。その給与を増やし、常に皇帝自身が閲兵、訓練し、一騎当千に仕上げた。
太祖すでに韓王の謀を納れ、しばしば使者を遣わして諸道に分詣し、精兵を選択せしむ。およその材力伎芸、人に過ぐる者あれば、みな禁軍に収補し、これを京師に聚めもって宿衛に備う。その粮賜を厚くし、居常みずから按閲、訓練し、みな一もって百に当たる。
地方の節度使軍団が兵力、精鋭の度合が中央の敵でないことを承知し、異心を抱こうとしなくなったのは、太祖の「強幹(きょうかん)弱枝(じゃくし)」、ころばぬ先のつえの策謀によるものである。
諸鎮みなみずから兵力、精鋭、京師の敵にあらざるを知り、あえて異心ある者なきは、わが太祖よく幹を強く枝を弱め、治をいまだ乱れざるに制せしが故なり。
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