2016年6月17日金曜日

日本仏教、10大宗派の現実



週刊『エコノミスト』より



日本の伝統仏教には、いわゆる「10大宗派」がある。いずれも200ヶ寺をこえる寺院を有し、全国寺院の約80%を占める。

年間予算は10億円前後から100億円超と教団によって差がある。これに50年ごとの大遠忌(だいおんき)や伽藍の修復・新築、あるいは記念行事がかさなると予算はさらに膨らむ。

これらの予算の歳入は、寺院や僧侶(教師)から収められる宗費や賦課金。宗費は寺院の格式や規模、申告檀信徒数などを基にして計算される。そのため寺院の減少は教団の財政や将来的な存続にも影響をあたえる。


天台宗
信者数153万人・寺院数3,339・予算11億710万円

高野山真言宗
信者数383万人・寺院数3,642・予算55億4,785万円

真言宗智山派
信者数29万人・寺院数2,907・予算19億5,856万円

真言宗豊山派
信者数137万人・寺院数2,652・予算9億779万人

浄土宗
信者数602万人・寺院数7,056・予算42億5,000万円

浄土真宗本願寺派
信者数793万人・寺院数1万352・予算56億3,000万円

真宗大谷派
信者数322万人・寺院数8,727・予算117億2,500万円

臨済宗妙心寺派
信者数35万人・寺院数3,366・予算9億9,520万円

曹洞宗
信者数361万人・寺院数1万4,566・予算48億4,000万円

日蓮宗
信者数391万人・寺院数5,198・予算22億9,963万円

出所『平成26年版 宗教年鑑』


近年、共通課題として提起されているのが「過疎地寺院」と「後継者不在」である。両者は同じ土俵にあり、収入の少ない過疎地寺院は後継者が育ちにくい。

臨済宗妙心寺派では「寺院数の約3分の1の寺院が、専任住職が不在」と明らかにした(栗原正雄宗務総長)。この傾向は他の教団もおなじで、浄土真宗本願寺派は5年前、過去30年間で110ヶ寺が廃寺になったと発表した。一人の住職が複数のお寺の住職を務める兼務ではなく、「廃寺」は重い響きをもつ。

天台宗は2015年10月の議会で、正住職がいるのは2,281ヶ寺で、残りの約1,000ヶ寺強(31%)が兼務と無住寺院だと報告した。



すこし前の各教団調査だが、ほぼ3分の1の寺院に「後継者がいない」と回答している。

日蓮宗調査(2004年)では35.5%、曹洞宗調査(2005年)では35.4%、本願寺派調査(2009年)では36.3%である。過疎化と収入減のため「寺を継いでほしい」と子供に言い出せない住職がいることも現実である。



地方寺院ばかりではなく、都市部の寺院にも新たな問題が起きている。

顕著なのは「僧侶抜きの葬儀」が増加していることである。火葬場で済ます「直葬」はよく知られている。また家族葬や一日葬として近親者のみでおこない、一周忌、三回忌の法事をしない遺族も珍しくない。

葬儀・法事といったかつての葬祭儀礼が縮小・簡略化されてきたのである。



首都圏のある住職は、

「檀家が『納骨してほしい』と、いきなりお骨をもってきた。そのかたの祖母の骨箱でしたが、亡くなったとの連絡はなかったし、葬儀もしていない。それで説明してから、戒名をつけ、小さな葬儀をして納骨した。これからも増えるかもしれない」

と顔を曇らせた。檀家数はそれほど多くなく、住職自身、檀信徒に目が行き届いていたと自負していた。

「自分のところは大丈夫だと思っていただけに…」

と肩を落とした。



世代交代がすすむと、次の世代の檀信徒は「寺院への帰属意識」は極めて薄い。

だいたいお寺に参るのは年配者が多い。寺院側は、寺参りに来る人たちに教化はできても、その下の世代への教化は十分とはいえない。これもまた課題である。



地方は檀信徒減にともなう「住職の不在化」、都市部は「葬儀・法事ばなれ」。それが21世紀初頭の寺院の姿である。

「葬式仏教がなつかしい」

と自虐的に話す僧侶や

「『ボウズ丸儲け』の経験がない」

と若手僧侶もいるぐらいだ。



これに対して、教団はどのような対策をとっているのか?

臨済宗妙心寺派は「宗門活性化推進局」を新設し、宗教法人の統廃合をすすめる一方で、志のある「定年退職者」をつのり、修行をへて僧侶とする取り組みをはじめた。定年退職者であるため、金銭的な持ち出しは少なくて済む。何人かが地方寺院の住職として活動している。この施策は、各教団から注目をあびている。

浄土真宗本願寺派と真宗大谷派は、「首都圏開教」に力をそそぐ。もともと関東には真宗寺院が少なく、人口集中地に布教所を開設して、離郷門徒(郷里をはなれた信者)らを再結集しようという取り組みである。教団が資金面でもバックアップ。これに刺激をうけたのか、日蓮宗も「都市開教」に目をむけている。



近年めだっているのは「女性僧侶」の誕生と進出である。

従来は、お寺に男子がいない場合、娘婿が住職の弟子となり、修行や研修をうけて住職資格を取得するケースがほとんどだった。ところが娘だけの場合でも剃髪して僧侶となる事例が増えた。娘だけではない。住職急逝により妻が僧侶となって寺を維持するケースも少なくない。

そうした延長線上といっていいと思うが、男性僧侶社会だった教団の宗会に、女性議員が加わるようになった。大谷派にはこれまで数人いたが、昨秋、浄土宗にも一人の女性議員が誕生した。



最後に、青年僧侶のがんばりに言及したい。

東日本大震災から5年をむかえた。震災直後から全日本仏教青年会をはじめとする「宗派をこえた青年僧侶」たちは被災地に走り、物心両面からボランティアをはじめた。時間の経過とともに被災地をはなれる団体が多いが、青年僧侶組織はいまも地道に活動をつづけている。

仏教会への目が厳しいなかで、「女性僧侶の進出」と「青年僧侶の躍動」は、寺院および日本仏教の将来に期待を感じさせる。







ヨーロッパにおける教会の衰退をかたる言葉として「10分の1の法則」がある。

日曜日ごとの礼拝参加者も、一般信者数も、聖職者も、教会数も、収入も、教会にかかわるすべての数字が、現在は「最盛期の10分の1規模」、そう思ったらいい、と。



いま、日本でも多くの伝統寺院が苦境にたたされている。

簡単に拾える統計数字からだけでも、厳しい現実をみてとることができる。朝日新聞(2015年10月11日付)は、主要10宗派に取材し、次のような数字を挙げている。

全国7万5,900寺院のうち、住職の兼務寺院が1万496寺、無住寺院は1,569寺で、あわせて1万2,056寺。全体の16%にあたり、ほぼ「6寺に1寺は住職が住んでいない」。過去10年間に解散、吸収合併などで消滅した法人は434寺。



寺院の年間収入については、各宗派の宗勢調査がある。

浄土真宗本願寺派の調査によると、同派寺院の最多収入層は「100〜300万円」が25%で、「300〜600万円」の19%、「100万円未満」の18%とつづく。

10年ごとの曹洞宗の調査(2005年)でも、最多層は「100万円以下」の29%、次いで「100〜300万円」の22%、「300〜500万円」の15%、「500〜800万円」の13%の順だ。

「ボウズ丸儲け」などと言えるものでなく、傍目にも「これで本堂や境内の維持ができるのか?」と心配になるような収入額だ。「10分の1の法則」は欧州のキリスト教会だけにあてはまるものではなく、日本の仏教寺院にも十分妥当する普遍的な法則かもしれない。



近代化にともなう一般的な「宗教ばなれ(人間は神仏の助けを借りずとも、科学と経済を発展させることによって人間自身の手で幸福をつかみとることができる、という確信)」は、日欧双方で認められる現象だが、日本には欧州におけるイスラム人口の急激な流入によるキリスト教の相対的な地位低下のような現象はなかった。

インパクトの点でそれに相当するものがあったとすれば、戦後一貫してつづいた地方から都会へ、東京圏へという「極端な一極集中の動き」だったかもしれない。



寺院向けの雑誌『月刊住職』の発行者で、高野山真言宗の住職でもある矢澤澄道氏は

「よく『お寺は敷居が高い』と言われるが、高いのではなく、(東京圏には)お寺があまりに少ないのだ」

と言う。






つまり一極集中によって日本では、住民人口に比し寺院数の多い地域と、逆に極端に少ない地域とができてしまった。

前者では寺院の維持自体が困難になり、後者では普段、寺院や僧侶に接することはおろか、多くから法衣姿を見かけることさえ稀になってしまう。葬儀や仏事、あるいは仏教の教えを聞きたくても、簡単に聞くことのできる相手がいないのだ。

まして現在は、非正規労働者が全労働者の37%を占める時代である。親が亡くなってもなかなか会社に忌引休暇を申請しにくい風潮もあると聞く。葬儀をおこなわなかったり、直接遺体を火葬場におくって済ます「直葬」などは自由選択の結果というよりむしろ、そうせざるを得ない、という面があるようだ。

ただ、いったん東京圏で無葬儀、直葬がおこなわれだすと、今度はそれが葬送におけるニューファッションであるかのようにマスコミによって報じられ、逆に全国に波及、定着してしまう。



寺院の苦境を伝える報道は多い。しかし、その扱いはもっぱら経済的な面からの分析が目立つ。

「寺院数はコンビニ店舗数以上で多すぎる」

「破れ寺を復興させた住職のビジネスモデルは?」」

「小学校でさえ統合するのだから、寺も」

といった具合である。



しかし、もともと仏教とは社会の主流の原理に、やや離れたところから反省をせまるものではなかったか?

経済主義の時代なら、「経済以外にも、もっと大切なものはありませんか?」と問いかけるものである。経済以外の価値をしめすことによって、社会の足早な歩みを引き止め、経済主義の生活に疲れ果てた人たちに救いを用意する。

なのに宗教団体自身が経済主義にどっぷりと浸かり、企業と同じように金儲けにいそしんでどうするのか。



世間の人はかならず宗教者の「求道の姿」を見ている。

いたずらに寺の塀を城壁のようにするのではなく、「経済にとらわれない別の生き方があること」を、あらゆる機会に都会の人々に見てもらう。僧侶は法衣のまま、街中に出たらいい。仏事だけでは社会との接触が足りないというなら、僧職以外の仕事にも積極的に就き、世の中と関わればいい。

昨今、坊主バー経営、テレビタレント、カウンセラーなど多方面への進出がつたえられるが、おおいに結構なこと。ようは社会を知り、社会に知ってもらうことで、すべてはそこからはじまる。



最後に興味深い数字をあげてみたい。

日本のカトリックの修道女数は5,303人(2013年)で、ほかの聖職者同様、きびしい減少傾向にあると聞くが、それでも信者総数44万人の半分が女性だとして、女性信者の2.4%に相当する。

これだけの女性を出家に誘う力は何か?

一つにはカトリック系学校教育の成果。一つには修道女が礼拝だけでなく、福祉・医療・出版・教育などさまざまな仕事をつうじて社会に関わっていること。さらには日々着用する聖衣がそのまま、自分たちの活動の世間へのPRになっていること、などが指摘されよう。

伝統仏教にも参考になるかもしれない。











from 週刊エコノミスト 2016年03月29日号 [雑誌]




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