2013年8月19日月曜日

夏目漱石「草枕」冒頭



夏目漱石「草枕」冒頭(引用)


 山路を登りながら、こう考えた。

 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。



 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画(え)が出来る。

 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。



 住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧く。

 着想を紙に落とさぬとも璆鏘(きゅうそう)の音※は胸裏に起る。丹青は画架に向って塗抹せんでも五彩の絢爛は自から心眼に映る。ただおのが住む世界を、かく観じ得て、霊台方寸のカメラに澆季溷濁(ごうきこんだく)の俗界を清くうららかに収め得れば足る。

 この故に無声の詩人には一句なく、無色の画家にはには尺[糸+賺のつくり](せっけん)※なきも、かく人世を観じ得るの点において、かく煩悩を解脱するの点において、かく清浄界に出入し得るの点において、またこの不同不二の乾坤(けんこん)※を建立し得るの点において、我利私欲の羈絆(きはん)を掃蕩するの点において、―――千金の子よりも、万乗の君よりも、あらゆる俗界の寵児よりも幸福である。



 世に住むこと二十年にして、住む甲斐ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日はこう思うている。―――喜びの深きとき憂(うれい)いよいよ深く、楽みの大いなるほど苦しみも大きい。

 これを切り離そうとすると身が持てぬ。片づけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖えれば寝る間も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支えている。背中には重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽き足らぬ。存分食えばあとが不愉快だ……



璆鏘(きゅうそう)の音:玉や金属が触れ合って鳴り響く高く美しい音。詩や歌などの旋律の美しさを表す。

尺[糸+賺のつくり](せっけん):一尺ほどのわずかな絹地。転じて、ほんの小さな画作。

乾坤(けんこん):天地

羈絆(きはん):行動する際に足手まといになり自由を奪う絆。






引用:草枕 [kindle版]


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