「ぱーーーん」と鋭い音が鳴った。
渋川春海は無意識に拍手を打っていた。
何のための拍手か?
「心の異変において、仏教徒が阿弥陀仏を唱えるように、キリシタンが思わず手で十字を切るように、この咄嗟のときに、それが出た」
左手は火足(ひたり)、すわち陽にして霊。
右手は水極(みぎ)、すなわち陰にして身。
「拍手とは、陰陽の調和、霊と身の一体化を意味し、火と水が交わり火水(かみ)となる」
「手を鋭く打ち鳴らす音は、天地開闢の音霊(おとだま)。無に宇宙が生まれる音である。それは天照大御神の再臨たる天の岩戸(あまのいわと)開きの音に通じる」
拍手が鳴れば、そこに天地が開く。
ある禅僧は、こう問うた。
「右が鳴ったのか、はたまた左か?」
右でも左でもなく、右であり左でもある。
陽でも陰でもなく、陽であり陰でもある。
霊でも身でもなく、霊であり身でもある。
出典:天地明察 (冲方丁)
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