2014年4月5日土曜日
「本願が昇ってきたぞ」 [鈴木大拙]
話:内藤喜八郎
鈴木大拙先生は、昭和41年(1966)の7月12日に95歳で逝去されたが、その一ヶ月前の6月13日に松ヶ岡文庫で、京都から上京された金子大榮先生と対談しておられる。同席した加藤辨三郎理事長は「世紀の対談」と称賛された。
対談の最後に、加藤先生が一つ問いを出された。そのときの問答を加藤先生が自ら追悼号に書いておられる。
「”この身即ち仏なり”ということも理の上ではわかるのですが、実感としてはどうしても私は凡夫としか思えないのです。それはどうしたことでしょうと申しますと、(鈴木大拙)先生はこうおっしゃった。
『凡夫か、凡夫ね。ふーむ、誰がそう思わすか、そこがまことに微妙なところでね』
これが私にとりましては、期せずして、先生の遺偈となったのです。私は終生、先生のあの温顔とともに、この遺偈を忘れないでありましょう」
昨年の秋、その「世紀の対談」の舞台となった北鎌倉の松ヶ岡文庫を訪ねた。鈴木先生ご生前のままにのこされた洗面室のある二階へも通していただいた。そこには、先生ご逝去の年のカレンダーが書き込みを遺したまま張られ、洗面具もまだ棚にあった。
洗面台の上に、東に向かって小さな窓が開いていた。そこから峡をへだてて円覚寺の山が見える。卒然と、その山の上に真紅の朝日が昇ってくる幻想にかられた。
鈴木先生がひげを剃っておられた時、秘書の岡本美穂子さんに「本願」を問われ、顎に手を当てたまま考えておられた先生が、昇ってくる朝日を見ると、「ほーら、美穂子さん、本願が昇ってきたぞ」とおっしゃったという。単刀直入の本願であった。
先生はいつも全体を全体のままつかまれる。分析したらいのちがなくなるのだ、と。「人は考えながら、しかも考えない。彼は空から降る夕立のように考える。じつに彼は夕立であり、海原であり、星であり、木の葉である」と。
対象を裁断しない。全体まるごとの中に、無心に飛びこむ。その消息は、朝日そのものが自らに飛びこんでくる消息でもあった。
出典:『鈴木大拙 (道の手帖)』
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