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2018年3月17日土曜日

秩序の反対は無秩序ではない[レイ・カーツワイル]


話:レイ・カーツワイル



秩序はすなわち、無秩序の反対ではない。

無秩序とは、事象がランダムな順序で起こることだとしたら、無秩序の反対は「ランダムでないこと」になってしまう。情報とはデータの配列であり、有機体のDNAのコードとか、コンピュータのプロブラムのビットのように、その配列に意味がある。

一方で「ノイズ」とは、ランダムな配列のことだ。ノイズはその性質からして予測不可能ではあるが、なんの情報ももってはいない。しかし、情報もまた予測不可能なものである。もしも、それまでのデータから以後のデータが予測できるのなら、以後のデータは情報ではなくなる。よって、情報もノイズも圧縮することはできない(さらには、まったく同じ配列を復元することもできない)。

要素が交互に現れる予測可能なパターン(0101010101...など)には秩序があると思うかもしれないが、最初の数個のビット以降には何の情報もふくまれていない。

したがって、秩序立っているからというだけで、秩序があるとは言えない。秩序には情報が必要だからだ。秩序とは、目的にかなった情報のことである。秩序を測る基準は、情報がどの程度目的にかなっているかということだ。

生命体の進化における目的は、生存だ。進化アルゴリズム(生物進化をシミュレートして問題を解決させるコンピュータ・プログラム)を、たとえば、ジェットエンジンの設計に応用する場合、その目的は、エンジンの性能や効率や、あるいは他の条件を最適化することだ。

秩序を測ることは、複雑さを測るよりもさらに難しい。先の述べたように、複雑さを測る手法はいくつか提示されている。秩序を測るとなると、成功の程度を測る手段が必要となるが、それは、それぞれの状況に応じたものでないといけない。

進化アルゴリズムを作成するにあたっては、プログラマーは、そのような成功を測る基準(「効用関数」と呼ばれる)を盛り込む必要がある。テクノロジーの発展における進化のプロセスでは、経済的な成功を測る基準を取り入れることになるだろう。

情報がより多くあるだけでは、必ずしもよりよく適合することにはならない。ときには、複雑さを増すよりも単純にすることで、秩序がより深まり、目的によりよく適合できる。

たとえば、新しい理論が生まれて、見たところばらばらのアイディアを、ひとつの大きなより一貫性のある理論へと結びつけるようになれば、複雑さは少なくなるが、「目的にかなった秩序」は増大する(この場合、目的とは、観測された現象を正確にモデル化すること)。

実際のところ、より単純な理論を打ち立てることで、科学は前進していくものだ(アインシュタインも「全てをできるかぎり単純にせよ。ただし単純すぎてもいけない」と言っている)。





シンギュラリティは近い―人類が生命を超越するとき Kindle版
レイ・カーツワイル (著), 小野木 明恵 (翻訳), 野中 香方子 (翻訳), 福田 実 (翻訳), 井上 健 (監修)

2018年3月16日金曜日

128倍になった睡蓮の葉


話:レイ・カーツワイル



こういう話がある。

湖の所有者が、睡蓮の葉で湖面が覆われ、湖の魚が死んでしまうことのないよう、家を寸刻も空けずに湖を観察することにした。睡蓮の葉は、数日ごとに2倍に増えるという。

何ヶ月もの間、所有者はひたすら様子をうかがったが、睡蓮の葉は、ほんのわずかしか見られず、とりたてて広がっていくようには思われなかった。

睡蓮の葉が占める面積は、湖全体の1%にも満たないようなので、ここらで休みを取って、家族で出かけても大丈夫だろうと判断した。

数週間後に帰宅した所有者は、びっくりした。湖全体が睡蓮の葉で覆われ、魚がみんな死んでしまっていたのだ。

数日ごとに2倍になるので、最後に7回倍加した分で、睡蓮の葉が湖全体に広がっていたのだ(7回倍加すると、睡蓮の葉の占める面積は128倍になる)。

指数関数的な成長には、こうした特質がある。





ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき 単行本 – 2007/1/25
レイ・カーツワイル (著),‎ 井上 健 (著),‎ 小野木 明恵 (著),‎ 野中香方子 (著),‎ 福田 実 (著)

発明サーフィン[レイ・カーツワイル]


話:レイ・カーツワイル



70年代になり発明を続けていると、発明の内容が、それが具体化される将来に存在するはずの、発明を現実にするテクノロジーや市場原理に釣り合っていないといけない、ということがわかってきた。

発明が現実になるときの世の中は、発明が考案されたときの世の中とは、大きく違っているはずだからだ。

そこでわたしは、個々のテクノロジー(電子工学、通信、コンピュータのプロセッサ、メモリ、磁気記憶装置など)がどのように発展し、それらの変化が、市場やひいては社会制度にどのような波紋を引き起こしたかをモデル化する作業を始めた。

発明が失敗する理由は、ほとんどの場合、研究開発がうまくいかないからではなく、タイミングが悪いからだということがよくわかった。

発明はサーフィンによく似ている。波がいつ来るかを予測し、ちょうどよいタイミングで乗らなければならないのだ。






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2017年7月23日日曜日

10% human [prologue]





〜書籍『あなたの体は9割が細菌』より〜
10% Human; Alanna Collen


プロローグ
PROLOGUE
回復はしたけれど
Being Cured


2005年のある夏の夜、私は森から野営所に戻るところだった。
As I walked back through the forest that night in the summer of 2005,

20匹のコウモリをつめた布袋を首から下げ、あらゆる種類の虫がヘッドランプめがけて飛んでくる踏み分け道を歩いていると、
with twenty bats in cotton bags hanging around my neck and all manner of insect life dashing for the light of my head torch,

足首がむずむずするのを感じた。
I realised my ankles were itching.

ズボンは防虫剤でコーティングし、すそをヒルよけスパッツにたくしこんでいる。
I had my repellent-soaked trousers tucked into my leech socks,

その下には念のため、もう一枚余分にスパッツをはいている。
with another pair underneath for good measure.

森に仕掛けておいた罠からコウモリを夜中に回収する巡回作業では、闘う相手が山ほどある。湿気、滴る汗、足元のぬかるみ、虎と出くわさないかという恐怖、そして蚊。
The humidity and drenching sweat, the muddy trails, my fear of tigers, and the mosquitoes were enough to contend with as Imade my rounds, collecting bats out of traps in the darkness of the rainforest.

そんな手一杯の状況で私の肌を守ってくれるはずの繊維と化学薬品の防壁を、何かが突破したようだ。
But something had got through the barrier of fabric and chemicals protecting my skin.

何かがチクチクと肌を刺す。
Someting itchy.



22歳だった私は、のちに人生を一変させることになる3か月をマレーシアのクラウ野生生物保護地区の奥深いところで過ごしていた。
A twenty-two, I spent what turned out to be a life-changing three months living in the heart of Krau Wildlife Reserve in peninsular Malaysia.

生物学を専攻し、コウモリに魅せられるようになった私は、イギリスのコウモリ学者が現地調査の助手を探していると聞くや、すぐさま応募した。
During my biology degree, I had become fascinated by bats, and when the opportunity came up to work as a field assistant to a British bat scientist, I signed up immediately.

リーフモンキーにテナガザル、そして多種多様なコウモリに出会える貴重な機会を思えば、オオトカゲの棲む川で体を洗うのも、ハンモックで寝泊まりするのも嫌ではなかった。
Encounters with leaf monkeys, gibbons and an extraordinary diversity of bats made the challenges of sleeping in a hammock and washing in a river populated by monitor lizards seem worthwhile.

しかしこの熱帯雨林での出来事が、単なる一時的な体験に終わらずずっと続くことになろうとは、そのころは夢にも思わなかった。
But, as I was to discover, the trials of like in a tropical forest can live on far beyond the experience itself.



川のそばの空き地に設けられた野営所に戻るなり、私は重ねた衣類をはぎとって不快さの原因を調べた。
Back at base camp, in a clearing next to the river, I peeled back the layers to reveal the source of my discomfort:

ヒルではなくダニだった。
not leeches, but ticks.

50匹ほどがたかっており、皮膚に食い込んでいるのもいれば脚のほうまで這い上がっているのもいた。
Perhaps fifty or so, some embedded in my skin, others crawling up my legs.

ダニをブラシではたき落とせるだけ落とすと、私はコウモリに注意を戻し、できるかぎり手早く必要な計測と記録をした。
I brushed the loose ones off, and turned back to the bats, measuring and recording scientific data about them as quickly as I could.

作業を終えてコウモリを解放してやると、繭のようなハンモックに飛び乗って閉じこもり、ピンセットを手に残っていたダニをヘッドライトの下で最後の一匹まで取り除いた。周囲は漆黒の森で、セミの鳴き声だけが響き渡っていた。
Later, with the bats released, and the forest pitch-black and bussing with cicadas, I zipped myself into my cocoon-like hammock, and, with a pair of tweezers, under the light of my head torch, I removed every last tick.



数か月後、私はロンドンにいた。
A few months later, at home in London,

ダニがもたらした熱帯病は根を下ろしていた。
the tropical infection introduced to me by the ticks took hold.

体が思うように動かず、足の指が腫れていた。
My body seized up and my toe bone swelled.

奇妙な症状が現れては消え、そのたびにさまざまな血液検査と専門医の診察を受けた。
Weird symptoms came and went, as did various blood tests and hospital specialists.

私はまともな暮らしを送ることができなくなった。痛みと脱力感、意識障害に数週間から数か月間とらわれたかと思うと、何事もなかったように平穏な日々が続き、しばらくするとそれがまた繰り返される。
My life would be put on hold for weeks or months at a time as bouts of pain, fatigue and confusion gripped me without warning, then released me again as if nothing had happened.

数年後にやっと正確な診断がついたときには、すっかり定着してしまった感染症を治すのに、家畜の群れをまるごと治療できるほど大量の抗生物質を長期にわたって強力に投与された。
By the time I was diagnosed many years later, the infection was entrenched, and I was given a course of antibiotics long and intense enough to cure a herd of cattle.

そしてなんとか、本来の自分を取り戻せそうな気がするまでに立ち直った。
At last, I was going to be myself again.



しかし、この話はここで終わらなかった。
But, unexpectedly, the story did not end there.

私はダニ媒介型の感染症を治すために全身を薬漬けにした。
I was cured, but not just of the tick-borne infection. Instead, it seemed I had been cured as if I were a piece of meat.

抗生物質は絶大な効力を発揮してくれた。
The antibiotics had worked their magic,

だが私は、こんどは別の不具合に苦しめられるようになった。以前と同じく症状は多種多様だ。
but I began to suffer new symptoms, as varied as before.

皮膚に赤い発疹ができ、胃腸が弱くなり、たまたま出合った感染性の病原体を何であれ拾うようになった。
My skin was raw, my digestive system was choosy, and I was prone to picking up every infection going.

一つの疑いが頭をもたげた。あの一連の抗生物質は、私を苦しめていた細菌を全滅させただけでなく、もともと体の中にいた細菌まで絶滅させてしまったのではないだろうか。
I had a suspicion that the antibiotics I had taken had not only eradicated the bacteria that plagued me, but also those that belonged in me.

私は自分の体が微生物の棲めない荒れ地になってしまったように感じ、かつて私の体を棲み処としていた100兆個の友好的な微生物がどれだけ重要な存在であったかを、このときはじめて意識した。
I felt like I had become inhospitable to microbes, and I learnt just how much I needed the 100 trillion friendly little creatures who had, until recently, called my body their home.





あなたの体のうち、ヒトの部分は10%しかない。
You are just 10 per cent human.

あなたが「自分の体」と呼んでいる容器を構成している細胞一個につき、そこに乗っかっているヒッチハイカーの細胞は9個ある。
For every one of the cells that make up the vessel that you call your body, there are nine impostor cells hitching a ride.

あなたという存在には、血と肉と筋肉と骨、脳と皮膚だけでなく、細菌と菌類が含まれている。
You are not just flesh and blood, muscle and bone, brain and skin, but also bacteria and fungi.

あなたの体はあなたのものである以上に、微生物のものでもあるのだ。
You are more 'them' than you are 'you'.

微生物は腸管内だけで100兆個存在し、海のサンゴ礁のように生態系をつくっている。
Your gut alone hosts 100 trillion of them, like a coral reef growing on the rugged seabed that is your intestine.

およそ4,000種の微生物がそれぞれの小さなニッチを開拓し、長さ1.5mの大腸表面を覆う襞(ひだ)に隠れるようにして暮らしている。
Around 4,000 different species carve out their own little niches, nestled among folds that give your 1.5-metres-long colon the surface area of a double bed.

あなたは生まれた日から死ぬ日まで、アフリカゾウ5頭分の重量に匹敵する微生物の「宿主」となる。
Over your lifetime, you will play host to bugs the equivalent weight of five African elephants.

微生物はあなたの皮膚の上にもいる。
Your skin is crawling with them.

あなたの指先には、イギリスの人口を上回る数の微生物が付着している。
There are more on your fingertip than there are people in Britain.



いや、待てよ。
Disgusting, isn't it?

私たちは衛生観念を発達させた進化の頂点に立つ生き物だ。
We are surely too sophisticated, too hygienic, too evolved to be colonised in this way.

樹上生活をやめたとき邪魔になった体毛や尾をなくしたように、寄生する微生物も減らしてきたのではなかったか。
Shouldn't we have shunned microbes, like we did fur and tails, when we left the forests?

より清潔で健康で自立した生活ができるよう、現代医学は微生物を追い払うさまざまな方法を用意してきたのではなかったか。
Doesn't modern medicine have the tools to help us evict them so that we can live cleaner, more healthy, independent lives?

私たちは人体に微生物がたくさん棲んでいることを知ったとき、とくに害がないならいいではないかと黙認した。
Since the body's microbial habitat was first discovered we have tolerated it, as it seemed to do us no harm.

しかし、サンゴ礁や熱帯雨林を保護しなければと考えるのと同じように、人体に棲む微生物も保護しようとは思わなかった。ましてや、大切に世話する必要性など気づきもしなかった。
But unlike the coral reefs, or the rainforests, we have not thought to protect it, let alone to cherish it.



私は進化生物学者として、ある生物の体の構造やふるまいを見るとき、その利点や意味を考えるよう訓練を受けている。
As an evolutionary biologist, I am trained to look for the advantage, the meaning, in the anatomy and behaviour of an organism.

通常、その生物に有害な特性や相互作用は不利な戦いを強いられるか、進化の過程で失われるかするものだ。
Usually, characteristics and interactions that are truly detrimental are either fought against, or lost in evolutionary time.

私は考えをめぐらせた。
That set me thinking:

100兆個の微生物は、もし何の手土産もなしに私たちの家のパーティーに来ていたなら、いずれ招かれなくなっていたはずだ。
our 100 trillion microbes could not call us home if they brought nothing to the party.

敵を撃退して感染症を治すのが仕事のはずのヒト免疫系は、なぜこれだけの微生物の侵入を許しているのだろうか。
Our immune systems fight off germs and cure us of infections, so why would they tolerate being invaded in this way?

私は、この謎についてもっと知りたくなった。なにしろこの私は、数か月に及ぶ化学兵器戦争で、悪い微生物だけでなく有益な微生物まで殺してしまったのだ。
Having subjected my own invaders, both good and bad, to months of chemical warfare, I wanted to know more about the collateral damage I had caused.



私がこの問題を探りはじめたのは時期的によかった。
As it turned out, I was asking this question at exactly the right time.

そのころやっと、私たちの好奇心に技術が追いついたからだ。共生微生物についての科学研究はそれ以前からあったが、遅々として進んでいなかった。
After decades of slowpaced scientific attempts at learning more about the body's microbes by culturing them on Petri dishes, technology had finally caught up with our curiosity. 

人体内に棲む微生物はほとんどは腸内の無酸素環境に適応しており、酸素に触れると死んでしまう。
Most of the microbes living inside us die when they are exposed to oxygen, because they are adapted to an oxygen-free existence deep in our guts. 

人体外で育てる(ペトリ皿で培養する)のが困難なのはもちろんのこと、実験するのはさらに困難だった。
Growing them outside the body is difficult, and experimenting with them is even harder.



だが、ヒトの遺伝子をすべて解読するという画期的なヒトゲノム・プロジェクトのおかげで、DNA解析(配列決定)が格段に速く安くできるようになった。
But, in the wake of the seminal Human Genome Project, in which every human gene was decoded, scientists are now capable of sequencing masive quantities of DNA extremely quickly and cheaply.

糞便にまじって体外に出てきた「死んだ」微生物を特定することさえ可能になった。微生物そのものは死んでいても、DNAが無傷で残っているからだ。
Even our dead microbes, expelled from the body in the stool, could now be identified because their DNA remained intact.

これまでだれもが見落としていた共生微生物について、科学はいま、新しい素性を明らかにしようとしている。
We had thought our microbes didn't matter, but science is beginning to revel a different story.

ヒトの暮らしはヒッチハイカー微生物の暮らしと噛み合っていて、そこでは微生物が人体を動かしている。そうした微生物なしにヒトは健康ではいられない。
A story in which our lives are intertwined with those of our hitchhikers, where our microbes run our bodies, and becoming a healthy human is impossible without them.



私の健康被害は氷山の一角だった。
My own health troubles were the tip of the iceberg.

共生微生物のアンバランスが胃腸疾患、アレルギー、自己免疫疾患、さらには肥満を引き起こしているという科学的証拠が続々と出てきていることを私は知った。
I learnt of the emerging scientific evidence that disruptions to the body's microbes were behind gastrointestinal disorders, allergies, autoimmune diseases, and even obesity.

体の病気だけではない。不安症、うつ病、強迫性障害、自閉症といった心の病気にも微生物が影響している。
And it wasn't just physical health that could be affected, but mental health as well, from anxiety and depression to obsessive-compulsive disorder (OCD) and autism.

私たちが人生の一部として甘受している病気の多くはどうやら、遺伝子の欠陥や体力低下のせいではなく、ヒト細胞の延長にある微生物を軽んじたせいで出現した、新しい病態のようなのだ。
Many of the illnesses we accept as part of life were not, it seemed, down to flaws in our genes, or our bodies letting us down, but were instead newly emerging conditions brought on by our failure to cherish the long-held extension to our own human cells: our microbes.



私が知りたかったのは、投与された抗生物質が自分の微生物集団に与えたダメージについてだけではない。微生物のどんな作用が私を体調不良に陥れたのか、また熱帯雨林でダニに噛まれる前まで保たれていた微生物のバランスをとり戻すにはどうしたらいいのかについても調べたいと思った。
Through my research, I hoped not only to discover what damage the antibiotics I had taken had done to my microbial colony, but how it had made me unwell, and what I could do to restore the balance of microbes I had harboured before the night of the tick bites, eight years earlier.

その一環として、DNA解析をするプログラムに参加する同意書にサインした。
To learn more, I signed up to take the ultimate step in self-discovery: DNA sequencing.

ただし、解析するのは私の遺伝子ではなく、私の腸内に築かれている微生物集団の遺伝子 -マイクロバイオーム- である。
But rather than sequence my own genes, I would have the genes of my personal colony of microbes - my microbiome - sequenced.

私は改善への道のりの出発点として、まずは自分の腸内にいる菌種や菌株を知ろうと思った。
By knowing which species and strains of bacteria I contained, I would have a starting point for self-improvement.

そしてそれを、本来なら私の腸内にいるべき微生物についての最新知識と突きあわせれば、与えてしまったダメージの大きさが推測でき、修復を試みることもできるだろう。
Using the latest understanding of what should be living in me, I might be able to judge just how much damage I had done, and attempt to make amends.

私が参加したのは市民科学プログラムの一つ、アメリカン・ガット・プロジェクト(AGP)だ。アメリカのコロラド州ボールダーにあるコロラド大学のロブ・ナイト研究室が主体となっているこの活動には、世界中のだれもが参加できる。
I used a citizen-science programme, the American Gut Project, based at the laboratory of Professor Rob Knight at the University of Colorado, Boulder. 

参加者が自分の糞便サンプルを提供すると、AGPはその中に含まれる微生物のDNAを解析する。AGPはヒトの体内にいる微生物のサンプルをできるだけ多く集め、微生物の種類と、それが私たちの健康に与える影響を調べようとしている。
Available to anyone around the world for a donation, the AGP sequences samples of microbes from the human body to learn more about the species we harbour and their impact on our health.

私は糞便サンプルを送り、お返しに私の腸内生態系の「スナップ写真」を受けとった。
By sending a stool sample containing the microbes from my own gut, I received a snapshot of the ecosystem that called my body home.



うれしいことに、何年も抗生物質の治療を受けていたにもかかわらず、私の腸内にはちゃんと細菌がいた。
After years of antibiotics, I was relieved to find I had any bacteria living in me at all.

私の腸内細菌の様相は、少なくとも他のAGP参加者のそれと比べて大きな違いはなかった。
It was pleasing to see that the groups I harboured were at least broadly similar to those in other American Gut Project participants, 

私がひそかに心配していた「有毒物質で汚染された腸内で、奇怪な変異菌種がほそぼそと命をつないでいるような」荒廃した光景は広がっていなかった。
and not the microbial equivalent of mutant creatures eking out a living on a toxic wasteland.

だが、ある程度予想していたことだが、私の腸内細菌は多様性に欠けているようだった。
But, perhaps predictably, the diversity of my bacteria seemed to have taken a beating.

生物の分類で「界」のつぎに大きな分類群である「門」で比べたとき、私の腸内細菌の多様性は相対的に低く、二大勢力に属する細菌の占める割合が他の参加者よりも多かった。
At the highest level of the taxonomic hierarchy, the diversity was relatively low, looking a bit bipartisan compared with the guts of  other people.

二大勢力とはヒトの腸内で多数派の二つの「門」に属する細菌集団で、私の場合は97%以上の細菌がこのどちらかの分類群に属していた。平均的な参加者の場合は90%程度にとどまる。
Over 97 per cent of my bacteria belonged to the two major bacterial groups, compared with around 90 per cent making up these two groups in the average participant.

これは私が使っていた抗生物質が少数派の菌種を絶滅させ、それに耐えた菌種だけが残った結果なのだろう。
Perhaps the antibiotics I had taken had killed off some of the less abundant species, leaving me with only the hardy survivors.

この多様性の喪失が、ここ数年の私の体調不良に関係があるかもしれないと私は思った。
I was intrigued to know whether this loss might be related to any of my more recent health troubles.



しかし、高木と低木、あるいは鳥類と哺乳類というような大きな分類群の割合だけで熱帯雨林と温帯の森を比較しても、それぞれの生態系がどう機能しているかはわからない。同じように、私の腸内細菌を大きな分類群の割合で比べたぐらいで腸内の微生物環境が健全かどうかなどわかるはずがない。
But, just as comparing a tropical rainforest and an oak woodland by looking at the proportion of trees to shrubs, or birds to mammals, reveals little about how both ecosystems function, comparing my bacteria at such a broad scale may not tell me all that much about the health of my inner community.

生物の分類群では「門」の下に「属」や「種」がある。
At the other end of the taxonomic hierarchy were the genera and species that I contained.

私の治療中にずっと耐えていたであろう細菌や、治療終了後にどこかから戻ってきた細菌の種類が詳しく特定できれば、私の現在の健康状態が明らかになるのだろうか?
What could the identities of the bacteria that had either clung on throughout my treatment, or returned since it ended, reveal about my current state of health?

それよりもっと切実な問題として、抗生物質による無差別攻撃で消滅した細菌種の「不在」は、いまの私の体調にどう関係しているのだろう?
Or perhaps more pertinently, what did the absence of species that might have fallen victim to the chemical warfare I had unleashed on them, mean for me now?



私は、自分自身とその中にいる微生物についての探求に乗り出したとき、得られた知識を実践に活用しようと決めていた。
As I embarked on learning more about us - myself and my microbes - I resolved to put what I learnt into practice.

有益な微生物をとり戻したかったし、ヒト細胞と調和する微生物バランスを築くためには生活習慣を変える必要があることも理解していた。
I wanted to get back on their good side, and I knew I needed to make changes to my life to restore a colony that would work in harmony with my human cells.

無差別攻撃で微生物環境を壊してしまったことが私の近年の体調不良の原因なら、それを元に戻すことでアレルギーや皮膚のトラブル、年がら年中の感染症から抜け出すことができるかもしれない。
If my most recent symptoms were stemming from the collateral damage I had inadvertently inflicted upon my microbiota, perhaps I could reverse it and rid myself of the allergies, the skin problems and the near-constant infections?

これは自分のためだけではなく、これから産み育てたいと思っている子どものためでもあった。
My concern wasn't just for myself, but for the children I hoped to have in the coming years.

生まれてくる子どもに遺伝子だけでなく微生物も手渡すことになるのなら、私は手渡すに値する微生物を保有していると、胸を張って言えるようになりたかった。
As I would pass on not only my genes, but also my microbes, I wanted to be sure  I had something worth giving.



私は微生物を最優先に考え、微生物たちのニーズに合うよう食生活を変えることにした。
I resolved to put my microbes first, altering my diet to better suit their needs.

そしてそのあとで、もう一度サンプルを送ってDNA解析をしてもらおうと計画した。食生活を変える努力によって微生物集団の多様性とバランスに何らかの効果が現れることを私は期待していた。
I planned to have a second sample sequenced after my lifestyle changes had had a chance to take effect, in the hope that my efforts might be evident from the change in the diversity and balance of the species I play host to.

何よりも、微生物に対する私の投資の見返りとして、より健康で幸せになるための扉を開くカギを手に入れられることを期待していた。
Most of all, I hoped that my investment in them would pay dividends, by unlocking the door to better health and happiness.









引用:
あなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れはじめた
10% Human: How Your Body's Microbes Hold the Key to Health and Happiness


2017年4月18日火曜日

GRIT [Angela Duckworth]





『やり抜く力 GRIT』
アンジェラ・ダックワース
Angela Duckworth


from: English Journal 2017 March



わたしが教壇に立ったばかりのころは、多くの子どもの成功というのは、頭の良さ次第だと考えていました。賢い(smartness)のはもちろん有利ですけど、思っていたほどは重要ではないのです。

When I started teaching, I thought a lot of kids' success would be just how smart they were. And smartness helps, but it's not as important as I thought it would be.



才能(talent)は完全に遺伝によるもの(inherited)で、やり抜く力(grit)はすべて身につけるもの(learned)だ、というわけではありません。

It's not that talent is entirely inherited and grit is entirely learned.



わたしを訪ねてこられる日本や中国の人たちがよくおっしゃるのが、それらの国の人たちは、忍耐(persistence)や勤勉(hard work)に関しては十分理解しているものの、それ以外の部分で足りないものがあるのではないか、と。たとえば、自分がやっていることへの情熱(passion)とか。

Many times people from Japan or China who came to visit me tell me that, that people in those countries know a lot about persistence and hard work, but they're maybe lacking in something else, like passion for what they do.



わたしの推測では、日本の文化は、回復力(resilicence)、そして希望、それに7回転んでも8回立ち上がる(七転び八起き、getting up seven times after falling eight)ということに長けているのでしょうね。

My guess is that the Japanese culture is pretty good at resilience, and hope, and getting up eight times after falling seven.



一つには、計画的訓練(deliberate practice)について考えてみること、それは、やみくもに何千時間も費やせばいい、ということではありません。

I think one thing is that when you look at deliberate practice, it's not just about thousands of hours.



伝えたいのは、より長い時間、さらに一生懸命、訓練しなければいけない、ということではなく、もっと頭をつかって訓練すべきだ(practice smarter)、ということです。

I don't think the message is, like, you need to practice longer or even harder, but you have to practice smarter.



だからこそ、拙著のなかで、デンマークのオリンピック・ボート競技選手について書いているのです。かれが言うには、日本に行ったとき、子どもたちを見学したところ、とにかく死に物狂いで練習していた(practiced like crazy)そうです。でも、それは利口な訓練(smart practice)とはいえません。弱点(weakness)を見極め、フィードバックをもらって、とても戦略的に(stategically)、しっかり考えて(thoughtfull)、そう、上達するために微調整をする方法の開発に取り組む、というような訓練ではありません。子どもたちは、ただただ多くの時間を費やしていたのです。

That's why, in the book, I talk about the Olympic rower who was from Denmark, where he said, look, you know, when I went to Japan and I saw these kids, I mean, they practiced like crazy. But it's not smart practice. It's not identifying weakness, getting feedback, very strategically, thoughtfully, you know, working on how to make an adjustment to be better. They just put more hours in.



情熱(passion)について考えるのと同じ次元で、忍耐力(perseverance)について考えられる場合、この組み合わせを一語であらわせる言葉(グリット)があって、よかったと思うのです。

If you can think about perseverance in the same breath as you think about passion, that's why I like having one word (grit) to describe this combination.









2017年2月7日火曜日

The Reason I Jump[東田直樹]






話:東田直樹



会話はすごく大変です。気持ちを分かってもらうために、僕は、知らない外国語をつかって会話しなくてはいけないような毎日なのです。



僕たちは、自分の体さえ自分の思い通りにならなくて、じっとしていることも、言われた通りに動くこともできず、まるで不良品のロボットを運転しているようなものです。



自分が何のために生まれたのか、話せない僕はずっと考えていました。



自分のせいで他人に迷惑をかけていないか、いやな気持ちにさせていないか。そのために人といるのが辛くなって、ついひとりになろうとするのです。僕たちだって、みんなと一緒がいいのです。



人の批判をしたり、人をばかにしたり、人をだましたりすることでは、僕たちは笑えないのです。僕たちは、美しい物を見たり、楽しかったことを思い出したりした時、心からの笑顔が出ます。



ずっと昔に起こって、もう終わってしまったことなのに、どうすることもできなかった気持ちが、あふれてあふれて抑えられなくなるのです。その時には泣かせて下さい。泣いて泣いて心を軽くすれば、僕らはまた、立ち直ることができます。



自分がやりたくても、やれない時もあります。体がいうことをきいてくれない時です。体がどこか悪いのではありません。なのに、まるで魂以外は別の人間の体のように、自分の思い通りにはならないのです。それは、みんなには想像できないほどの苦しみです。僕たちは、見かけではわからないかも知れませんが、自分の体を自分のものだと自覚したことがありません。



僕たちは、何のために人としてこの世に生まれたのだろうと、疑問を抱かずにはいられません。側にいてくれる人は、どうか僕たちのことで悩まないで下さい。自分の存在そのものを否定されているようで、生きる気力が無くなってしまうからです。僕たちが一番辛いのは、自分のせいで悲しんでいる人がいることです。自分が辛いのは我慢できます。しかし、自分がいることで周りを不幸にしていることには、僕たちは耐えられないのです。



ずっと「僕も普通の人になりたい」そう願っていました。障害者として生きるのが辛くて悲しくて、みんなのように生きていけたらどんなにすばらしいだろう、と思っていたからです。でも、今ならもし自閉症が治る薬が開発されたとしても、僕はこのままの自分を選ぶかもしれません。どうしてこんな風に思えるようになったのでしょう。ひと言でいうなら、障害のある無しにかかわらず人は努力しなければいけないし、努力の結果幸せになれることが分かったからです。



文字を書いている間は、何もかも忘れることができます。そして、文字と一緒の僕は、ひとりではないのです。



手足がいつもどうなっているかが、僕はよく分かりません。僕にとっては、手も足もどこから付いているのか、どうやったら自分の思い通りに動くのか、まるで人魚の足のように実感の無いものなのです。



物は、すべて美しさを持っています。僕たちは、その美しさを自分のことのように喜ぶことができるのです。



僕たちにとって時間は、例えば、行ったことのない国を想像するくらい難しいことなのです。(中略)僕たちの一秒は果てしなく長く、僕たちの24時間は一瞬で終わってしまうものなのです。



僕たちは、おかしいほどいつも、そわそわしています。一年中まるで夏の気分なのです。(中略)まるで、急がないと夏が終わってしまう蝉のようなものです。



自分がくるくる回るのが好きだし、何でもかんでも回しては喜んでいます。(中略)回転するものは、とても刺激的です。僕たちから言わせると、それは見ているだけで、どこまでも続く永遠の幸せのようなものです。見ている間、回転するものは規則正しく動き、何を回してもその様子は変わりません。変わらないことが心地よいのです。それが美しいのです。



並ぶことは愉快です。水などが流れ続けることも快感です。



僕たちには、いつも目や耳からの刺激が多すぎて、1秒がどれだけで、1時間がどれだけなのか見当もつきません。



どうして、みなさんはコマーシャルに興味がないのですか? あんなに何度も繰り返し見せられると、まるで友達が遊びに来てくれたような感覚になりませんか?



繰り返しは、とても楽しいです。なぜだと聞かれると、僕はこう答えます。「知らない土地で、知っている人に会っておしゃべりすると、すごくほっとするでしょ」



僕たちは数字が好きなのです。数字は決まっているので、例えば1は、1以外の何も表していません。単純明快が心地いいのです。(中略)僕たちにとっては、目に見えない人間関係やあいまいな表現は、とても理解するのが大変です。



速く走れないもうひとつの理由は、人に勝つことの喜びがよく分からないことです。みんながそれぞれ自分の力を出し切ることは、とてもすばらしいと思います。それで順位が決まることは理解できますが、それと人に勝つということは、別のことのような気がするのです。



みんなが緑を見て思うことは、緑色の木や草花を見て、その美しさに感動するということだと思います。しかし、僕たちの緑は、自分の命と同じくらい大切なものなのです。



僕たちにとって自由というのは、とても不自由な時間なのです。「好きなことをしてもいいよ」と言われたとします。けれども、好きなことと言われても、何をしたらいいのかを探すのが大変です。



このあいだ家族で鎌倉に行った際、大仏を見たとたん、感動して泣き出してしまいました。大仏様の威厳のあるすばらしさと共に、歴史の重さや人々の思いなどが、一度に僕の心に押し寄せて来て、僕は涙が止まらなかったのです。



僕の心は、いつも揺れ動いています。どこに行きたいわけでもないのに、目についた場所に飛んで行きたくなる気持ちをおさえられません。周りの人に怒られて自分でも嫌になるのですが、どうやったらやめられるのか分かりません。(中略)誰かが止めても、何が起こっても、その時には悪魔が自分にとりついたかのように、自分が自分でなくなります。どこに解決策があるのでしょう。今も僕は、その衝動と戦っています。



僕は幼稚園のころ、勝手に家を出てしまい警察に保護されたことがあります。(中略)とにかく、外に出なければ、自分が自分でなくなるのです。なぜだか分からないけれど、どこまでも行かなければならないのです。戻ることは許されません。なぜなら、道には終わりがないからです。



自閉症の人が繰り返しを好きなのは、自分のやっていることが好きだとか、楽しいからではないのです。(中略)たぶん、脳がそう命令するのです。それをやっている間は、とても気持ち良く、すごく安心できます。(中略)自分の気持ちとは関係なく、いつも脳は、いろんなことを僕に要求します。僕がそれに従わないのならば、まるで地獄に突き落とされそうな恐怖と、戦わなければならないのです。生きること自体が、僕たちにとっては戦いなのです。



もし、人に迷惑をかけるこだわりをやっているのなら、何とかしてすぐにやめさせて下さい。人に迷惑をかけて一番悩んでいるのは、自閉症の本人自身なのですから。たとえその時、やっている本人が笑っていたり、ふざけていたりしていても、心の中では傷ついているのです。自分の体でありながら、こだわりをやめることもできない僕たちには、どうしようもありません。



逆に、こだわりが人の迷惑にならなければ、そっと見守って下さい。そのこだわりが永遠に続くことはありません。あんなにやめられなかったのにどうしてと思うほど、ある日突然しなくなります。僕は、きっかけは脳が終了のサインを出すからだと思います。終了のサインは、まるでお菓子を一袋食べてしまった後のように、こだわる必要が何もなくなることです。サインが出れば僕はもう、昨日見た夢を全て忘れてしまった人のように、こだわりから解放されるのです。



あきらめないで欲しいのです。僕たちと一緒に戦って下さい。一番困っているのは僕たち自身で、僕たちこそ、この鎖から解放されたいと思っているのですから。



僕はいつでも出口を探しているのです。どこかに行ってしまいたいのにどこにも行けなくて、いつも自分の体の中でもがき苦しんでいます。



みんなが僕たちを誤解していることのひとつに、僕たちは、みんなのような複雑な感情は無い、と思われていることです。目に見える行動が幼いので、心の中も同じだろうと思われるのです。僕たちだって、みんなと同じ思いを持っています。上手く話せない分、みんなよりもっと繊細かもしれません。思い通りにならない体、伝えられない気持ちを抱え、いつも僕らはぎりぎりのところで生きているのです。



僕は、自閉症とはきっと、文明の支配を受けずに、自然のまま生まれてきた人たちなのだと思うのです。これは僕の勝手な作り話ですが、人類は多くの命を殺し、地球を自分勝手に破壊してきました。人類自身がそのことに危機を感じ、自閉症の人たちをつくり出したのではないでしょうか。(中略)僕たちが存在するおかげで、世の中の人たちが、この地球にとっての大切な何かを思い出してくれたら、僕たちは何となく嬉しいのです。



僕は大人になり、自閉症である自分を好きになることができました。



失敗を繰り返す僕にも、明日という日はやってきます。









話: David Mitchell



なぜ、うちの3歳児は床に頭をがんがん打ちつけるのだろう?(中略)『ピングー』のDVDが傷だらけになって再生できなくなったとき、45分間も悲嘆の吠え声をあげつづけるのはどうしてか?(中略)理由はわからず、できるのはただ、なす術もなく見ていることだけだった。



ある日、妻が日本に注文していた、注目すべき本が届いた『自閉症の僕が跳びはねる理由』。著者の東田直樹は1992年生まれで、この本が出版されたときにはまだ中学生。直樹の自閉症はかなりの重度で、会話によるコミュニケーションは、現在でもほぼ不可能だ。



私たちが待ち望んでいたのは、なぜ自閉症の子は独特なふるまいを見せるのか、その理由の、彼による説明だった。まだ片足を子供時代につっこんだ年齢の、しかも自閉症の症状が、私の子と少なくともおなじくらいに困難が多く、生活を左右するものであるような著者によって書かれたこの本は、天の啓示といってもいい、思いがけない贈り物だった。



この本を読んだとき、直樹の言葉をつうじて、まるでうちの息子が自分の頭の中で起きていることについて、初めて私たちに語ってくれたかのように感じられたのだ。



本書は自閉症をめぐる最も否定的な常識、自閉症の人々は反社会的で孤独を好み、他人に共感することができないというもの、に対する、意図せぬ反論となっている。東田直樹がくりかえし述べるのは、他人と一緒にいることを、彼が大切にしているということだ。



本書は私にとって、息子との関係における大きな転換点となったといっても誇張ではない。自分を憐れむことをやめ、私よりも息子にとってこそ、いかに人生がきびしいものであるか、そのきびしさを少しでもやわらげてやるために、私には一体何ができるのか、それを考えるための、まさに私が必要としていた大きなきっかけを、直樹の言葉は与えてくれたのだ。



アイルランドの私たちとおなじ地方で、自閉症の子供をもつ友人たちにも読めるよう、妻は直樹の本の試訳にとりかかった。ついでウェブ上のグループを通じて、自閉症の子をもつ在外日本人の母親たちが本書の英訳がないことに不満をもっていると知り、私たちは東田直樹にはもっと幅広い読者がいるのではないかと考えるようになった。その結果として生まれたのが『自閉症の僕が跳びはねる理由』の英訳版だ。



『自閉症の僕が跳びはねる理由』が大西洋の両岸でベストセラーチャートをかけのぼり、数週間にわたってそこに君臨することになるだろうと、もし誰かにいわれていたとしても、私はまるで信じようともしなかっただろう。しかし、たしかにそうなったのだ。



また私は、本書にこんなにも多くの外国語訳が出るとは考えてもいなかった。2007年に刊行された、13歳の日本人による、自閉症という経験の当事者の立場からの手引書は、現段階で中国語からマケドニア語まで、24言語に翻訳されている(2016年現在では30言語で翻訳)。私が知るかぎり、東田直樹は、現代日本の作家では村上春樹についで広く翻訳されている作家なのだ。










2016年4月1日金曜日

ダーウィンとカーネギーの勘違い



話:クリストファー・マクドゥーガル







チャールズ・ダーウィンでさえ英雄たちに当惑していた。

科学に対するダーウィンの偉大な貢献は、あらゆる生命を純粋数学に単純化したことだった。つまり、地上における唯一の目的は倍々となる繁殖であると。あなたがすることはどれも、あなたがもつ本能はどれも、子をつくって自分の複製をできるだけ多く残したいという進化上の衝動だというわけだ。

その観点から見ると、ヒロイズムは意味をなさない。生物学的な見返りの保証がないのに、なぜほかの人間のために死ぬリスクを冒すのか? わが子のために死ぬ。それなら賢明だろう。ライバルの子供のために死ぬのは?

遺伝上の自殺だ。

精力にあふれる健康な英雄を何人育てようと、性欲旺盛な自分本位のろくでなしがまわりに一人いるだけで、あなたの血統は絶滅する。自分本位のろくでなしの子供たちは成長して繁殖し、英雄たる父(hero dad)をもつ子供たちは、いずれ父親を模範として自分を犠牲にし、死に絶える。ダーウィンはこう結論づけた。

「多くの未開人がそうだったように、仲間を裏切るくらいなら自身の命を犠牲にしようという覚悟のあった者は、往々にしてその高潔な性質を受け継ぐ子孫を残さない」

では、自然淘汰(natural selection)によって生まれながらの英雄的資質(natural heroism)が排除されるとしたら、それがいまも存在するのはなぜなのか?






アンドリュー・カーネギーもダーウィンと同じく困惑していた。この19世紀の鉄鋼王は人間性を読み取る能力で財産を築いたが、ヒロイズムという特異な個性は彼にも読み解けなかった。

13歳でスコットランドから合衆国にやってきたとき、カーネギーは極貧で、ほとんど教育も受けていない移民だったが、運よく鉄道関連の仕事にありつくと、当時の冷酷きわまりない強欲漢たち --人を食い物にするとの悪名をはせたJ.Pモーガンなど-- を出し抜く技量のおかげで、とんとん拍子に鉄鋼業界のトップに上りつめた。

金が欲しかった彼は、勤勉に働き、巧みに投機をした。魔術めいたところはどこにもない。だが、無償でもっと奮闘し、もっとリスクを冒す人間のことは、どう説明したらいいのか?



カーネギーは英雄たちにいたく興味をそそられ、彼らを探しはじめる。

1904年、報奨と研究を目的にカーネギー英雄基金(hero fund)を開設した。ここでは純粋な利他主義者だけがその資格を満たすとされ、消防士や警察官、わが子を救う親は対象にならない。毎年、この基金では英雄的行為の事例を国じゅうから収集し、性や地域、年齢、事例別に分類して、英雄やその遺族に賞金を授与する。

カーネギーはまもなく、セルマ・マクニーのことを耳にした。アパートの屋上から燃えている隣のビルに跳び移り、炎に閉じこめられた子供ふたりを助けた10代の少女だ。ウェイヴァ・キャンプレドンというニューメキシコ州の70歳の女性が、傷を負いながらも二頭の猛犬と園芸用の鍬で戦いつづけ、隣人を救ったという報告もあった。また、25歳のオレゴン州の主婦、メアリ・ブラックは「4枚のスカートがじゃまだった」が、氾濫した川に二度飛びこみ、溺れていた姉妹2人を救出した。



ここには何かパターンみたいなものがあるのだろうか? カーネギーは考えあぐねていた。自分の目にしているものは再現可能なパフォーマンス・モデルなのか、それとも幸運な偶然が重なり、適材が適所に、ときに鍬を伴って現れたにすぎないのか。

というのも、もしヒロイズムを一つの公式 --一つのアート-- に要約できたなら、なんと素晴らしいことだろう! 自分は平和を実現する世界の偉人の一人として歴史に名を残し、キリストと並び称されるはずだ。誰もが守護者になれば、もはや守ってもらえない人などいなくなる。どの教室にもノリーナ・ベンツェルのようなヒーローが、どの家庭にもセルマ・マクニーが、どの川岸にもメアリ・ブラックがいるようになる。

カーネギーは強面の闘士という評判だったが、実際は平和主義者で、暴力とは病気であり、人が --ひょっとするとカーネギー本人にも-- 治せるものだと信じていた。だが結局、彼はあきらめた。カーネギーはその後も英雄に報奨金を提供しつづけるが、彼らを理解することはなかった。

「この基金でヒロイズムを刺激したり引き起こしたりできるとは思わない」

と認めている。

「英雄的行動は、衝動によるものだと重々承知している」





衝動によるもの。

それがカーネギーの間違いだった。

カーネギーもダーウィンも科学を究めようとしていたが、この問題への取り組み方はまるで詩人だった。犠牲…、裏切り…、高潔…、衝動…、どれも意思を定義する言葉であって、

行動の描写ではない。

カーネギーとダーウィンは、行動に、つまり

どのように?

という冷厳な事実に焦点を当てるべきなのに、思考と感情 --なぜ?-- に思いをめぐらせていた。

探偵は捜査のはじめに動機について頭を悩ませたりしない。

それは

どこまで皮をむいても中身にたどり着けない無限のタマネギ

だ。まずは

何をしたか

を突き止めるべきで、そうすれば、あるいは理由も見えてくる。





ヒロイズムとは、謎に包まれた内なる美徳などではない、とギリシャ人は信じていた。どんな男女も習得できる

スキルの集まり

で、だから窮地に立たされたら誰もが”守護者”になれるのだ、と。







引用:ナチュラル・ボーン・ヒーローズ―人類が失った"野生"のスキルをめぐる冒険




2016年3月24日木曜日

脂肪と筋膜 [Natural Born Heroes]



話:クリストファー・マクドゥーガル







ナチスでさえクレタ上陸時には、

まったく異質な戦い

に突入したことに気づいていた。戦争犯罪で死を宣告された日、ヒトラーの最高司令部総長は、ニュルンベルク裁判の判事たちのせいにはしなかったし、敗戦を兵士のせいにせず、失望を総統のせいにすることもなかった。彼らが責めたのは

〈英雄たちの島〉

だったのだ。

「ギリシャ人の信じがたいほど強力な抵抗に遭い、ドイツのロシア侵攻には2ヶ月以上の致命的な遅れが生じた」

とヴィルヘルム・カイテル将軍は、絞首刑に処させる直前に嘆いた。

「この大幅な遅延がなかったなら、戦争の結末はちがっていた…。今日ここには、ほかの人間が座っていただろう」

そして、ギリシャのどこよりも独創的で、迅速で、我慢強いレジスタンスが展開されたのが

クレタ島

だった。とすると、彼らはいったい、どんな手を使ったのだろう?





その問いが謎ではなかった時代があった。

人類の歴史上、長きにわたり英雄の技術(Art)とは、なにか偶然に身につく類いのものではなかったのだ。それは最適な栄養、肉体のセルフコントロール、心を整えること(Mental conditioning)に徹した、多分野にまたがる努力の賜物だった。英雄のスキルは研究され、訓練され、磨きあげられ、親から子、教師から生徒へと受け継がれた。

英雄の技術とは勇敢であることではない。

要求にかなう能力があることであり、勇敢さはそこでは関係なかった。大義のために倒れることがあってはならず、けっして倒れないための手立てを見つけることが目標だった。

アキレウス(アキレス)やオデュッセウスをはじめ、古典的な英雄は死ぬという考えを嫌い、人生の一瞬一瞬を切り開いていった。英雄が不滅となるチャンスはひとつ、闘士(champion)として記録されることで、チャンピオンというのは愚かな死に方をしない。すべては、強さ、耐久力(endurance)、敏捷性(agility)といった、

自分がそんなものを持ち合わせているとは多くの人が気づいていない、とてつもなく豊かな資質

を解き放つ能力にかかっていた。



英雄たちは、糖の即効性に頼るという、現在おなじみのやり方ではなく、

体内の脂肪を燃料にする方法

を身につけた。あなたの身体のざっと5分の1は、蓄積された脂肪だ。それは上質な熱エネルギーで、点火されるのを待っていて、食べ物をまったく口にしなくても山を登り下りするのに余りあるほどのパワーがある。ただし、そのやり方を知っていれば。

Fat as Fuel
燃料としての脂肪

という秘訣を、耐久レースに挑むほとんどのアスリートは忘れているが、これを復活させると目覚ましい効果が得られる。史上最も偉大なトライアスロン選手、マーク・アレンが大躍進を遂げたのは、

炭水化物の代わりに体脂肪を燃焼させる方法

を発見してからだ。それは競技に対する彼のアプローチを一新させ、アレンはアイアンマン世界選手権を6度制覇、出場したほぼすべてのレースで3位以内に入り、1997年には「世界一壮健な男(World's fittest man)」と認められた。



英雄たちは筋肉で身体を大きくすることもなかった。代わりに頼りにしていたのが、

身体のゴムバンドともいえる強力な結合組織、筋膜

の無駄のない効率的な力だ。





 ブルース・リーは、女性が創始した唯一の武術、詠春拳に魅せられるまでは並みの武術家だった。詠春拳は筋肉の代わりに

筋膜の伸縮力

を使う。ブルース・リーは筋膜のパワーを利用することに熟達し、寸打(One inch panch)を完成させて、拳をかすかに動かすだけで、自分の2倍の体格の男を部屋の向こうへ突き飛ばしてみせた。

筋膜の力は誰にでも平等に具わった、尽きることのない資源

だ。これこそマサイ族の戦士がジャンプの儀式で頭の高さまで跳ねることができる理由だし、史上最も破壊力があるといえる護身術、ギリシャのパンクラティオンとブラジリアン柔術の真髄にもなっている。





英雄は不測の事態に対処できなければならなかった。

彼らは”自然な動き(Natural movement)”を練習することで、脳の扁桃体を鍛えた。ナチュラル・ムーブメントこそ、かつて人類が知っていた唯一の動き方だ。人間は、さまざまな地形をなめらかに移動できなければ生き延びることすらままならなかった。行く手に障害物があれば、身体を曲げてよけ、果敢に跳んで正確に着地しなければならなかった。

1900年代前半、フランスの海軍将校ジョルジュ・エベルはひたむきにナチュラル・ムーブメントの研究に取り組んでいた。子供たちが遊ぶ様子、--走ったり高いところに登ったり取っ組みあいをしたり-- を見て、

自発的で即興的な動き

の重要性を理解するようになったのだ。エベルからナチュラル・ムーブメントを学んだ弟子たちは、強さ、速さ、敏捷性、耐久力のテストで、世界クラスの十種競技選手にひけをとらない得点を記録した。



だからこそギリシャ人は英雄の出現を待たなかった。代わりに自分たちでつくりあげたのだ。

彼らが完成させた英雄食は、空腹を抑え、力を高め、体脂肪を高性能燃料に変換する。ギリシャ人は恐怖やアドレナリンの放出を制御するテクニックを開発し、筋肉よりもはるかにパワフルで効果的な身体の弾性組織、筋膜に秘められた驚異的な強さを活かすことを学んだ。2000年以上もまえに、

われわれ誰もの内にいる英雄

を解き放つことに本気で取り組んだのだ。そしてそのまま、彼らは姿を消した。





英雄のスキルは、いまやバラバラになっているが、少し探せばどれも見つかる。

ブルックリンの公園の茂みに分け入った元バレリーナは、古代ギリシャ人が頼りにしていたのと同じスーパーフードを買いもの袋いっぱいに詰め込んで戻ってくる。ブラジルでは、かつての海辺の行商人がナチュラル・ムーブメントの失われた技術を復活させているところだ。さらに、アリゾナ州の人里離れた黄塵地帯オラクルでは、寡黙な天才が偉大なアスリート数人、--そしてなぜか音楽畑のジョニー・キャッシュとレッド・ホット・チリ・ペッパーズ-- に

体脂肪を燃料として使う古来の秘密

を教えてから砂漠へと消えた。



だが、最高の学習ラボは敵陣の山中の洞窟にあった。第二次世界大戦中、ギリシャの羊飼いたちと英国の若いアマチュアたちの一団が、10万人のドイツ軍と戦う計画を立てた場所だ。

彼らは生まれついての強靭な身体をもつわけではなく、専門の訓練を受けたわけでも、勇敢さで知られていたわけでない。お尋ね者で、見つかりしだい即刻処刑だと宣告されていた。

ところが彼らは、断食すれすれの食事だけで突き進むことができた。追跡され、つけねらわれるうちに、より強くなっていた。

Natural Born Heroes
生まれついての英雄たち

となり、史上最大の英雄オデュッセウスにならって、自分たちなりのトロイの木馬を企てようと決意したのだ。それは決死のミッションだった。誰にとっても、つまり、この古代の技術を習得していない者にとっては。







引用:ナチュラル・ボーン・ヒーローズ―人類が失った"野生"のスキルをめぐる冒険




2015年10月28日水曜日

大空襲と「不死身感」 [マルコム・グラッドウェル]



話:マルコム・グラッドウェル
逆転! 強敵や逆境に勝てる秘密






「爆撃が怖くなくなる」理由


第二次世界大戦の気配が濃厚になってきたころ、イギリス政府には大きな懸念があった。

In the years leading up to the Second World War, the British government was worried. 

戦争になったら、ドイツ空軍がロンドンに猛攻を仕掛けるだろう。それを止めるすべはない。

If, in the event of war, the German Air Force launched a major air offensive against London, the British military command believed that there was nothing they could do to stop it.

軍事戦略家のバジル・リデル=ハートは、ドイツ軍による空襲が始まれば、最初の一週間でロンドン市民の死傷者は25万人にのぼると推測した。

Basil Liddell Hart, one of the foremost military theorists of the day, estimated that in the first week of any German attack, London could see a quarter of a million civilian deaths and injuries.

ウィンストン・チャーチルは、

「ロンドンは敵の格好の標的であり、猛獣が舌舐めずりをする丸々と肥えた立派な牛(a kind of tremendous, fat, valuable cow)だ」

と表現し、30〜400万人が地方に疎開すると計算した。

Churchill described London as 

"the greatest target in the world, a kind of tremendous, fat, valuable cow, tied up to attract the beast of prey."

He predicted that the city would be so helpless in the face of attack that between three and for million Londoners would flee to the countryside.






開戦前夜の1937年、イギリス軍司令部が不吉な報告書を発表する。

In 1937, on the eve of the war, the British military command issued a report with the direst prediction of all:

ドイツ軍の空襲が継続的に行われると、死者は60万人、負傷者は120万人になるというものだ。

a sustained German bombing attack would leave six hundred thousand dead and 1.2 million wounded and create mass panic in the streets.

ロンドン市民は恐怖のあまり職場を放棄して、工業生産が立ちいかなくなるだろう。

People would refuse to go to work. Industrial production would grind to a halt.

政府はロンドンの地下に防空壕網を張りめぐらせることを検討したが、すぐにあきらめた。防空壕に入った市民が、二度と出てこなくなると思ったからだ。

The army would be useless against the Germans because it would be preoccupied with keeping order among the millions of panicked civilians. The country's planners briefly considered building a massive network of underground bomb shelters across London, but they abandoned the plan out of a fear that if they did, the people who took refuge there would never come out.

空襲の恐怖で心理面に打撃を受ける人が続出することが予想され、郊外に精神科病院がいくつか新設された。

They set up several psychiatric hospitals just outside the city limits to handle what they expected would be a flood of psychological casualties. "There is every chance," the report stated, "that this could cost us the war."



1940年秋、恐れていたことがいよいよ現実になった。

In the fall of 1940, the long-anticipated attack began.

ドイツ空軍の爆撃機がロンドン上空に来襲し、高性能爆弾と焼夷弾を投下したのだ。なかでも最初の空襲は57日間続いた。

Over a period of eight months -beginning with fifty-seven consecutive nights of devastating bombardment- German bombers thundered across the skies above London, dropping tens of thousands of high-explosive bombs and more than a million buildings were damaged or destroyed.

死者は4万人、負傷者は4万6000人。損壊した建物は100万棟になり、とりわけイースト・エンドは壊滅的な被害を受けた。

In the city's East End, entire neighborhoods were laid waste. 

すべてはイギリス政府の予想どおりだった。たったひとつ、ロンドン市民の反応を除いては。

It was everything the British government officials had feared -except that every one of their predictions about how Londoners would react turned out to be wrong.







人びとはパニックに陥らなかった。

The panic never came.

郊外に建てられた精神科病院は閑古鳥が鳴いていたので、軍事施設に転用された。

The psychiatric hospitals built on the outskirts of London were switched over to military use because no one showed up.

女性と子どもは多くが疎開したが、市内に残らざるをえない人たちはそのまま残った。

Many women and children were evacuated to the countryside as the bombing started. But people who needed to stay in  the city by and large stayed.

政府が驚いたのは、市民が空襲に勇敢に立ちむかう姿もさることながら、彼らが見せる無頓着に近い不思議な態度だった。

As the Blitz continued, as the German assaults grew heavier and heavier, the British authorities began to observe -to their astonishment- not just courage in the face of the bombing but something closer to indifference.



イギリスのある精神科医は終戦後すぐの時期にこう書いている。

One English psychiatrist wrote just after the war ended:

1940年10月、数度にわたる空襲を受けた直後のサウスイーストを訪れる機会があった。

In October 1940 I had occasion to drive through South-East London just after a series of attacks on that district.



100メートルごとに、爆弾でできた大きな穴や、住宅や商店の廃墟が現れる。空襲警報が鳴りだし、成りゆきを見守った。

Every hundred yards or so, it seemed, there was a bomb crater or wreckage of what had once been a house or shop. The siren blew its warning and I looked to see what would happen.

子どもの手を引いて歩いていた修道女が先を急ぐ。だが彼女と私のほかは、誰も警報に気づいていないかのようだった。

A nun seized the hand of a child she was escorting and hurried on. She and I seemed to be the only ones who had heard the warning.

少年たちは通りで遊び、買い物客は値段交渉に余念がない。警官はいかめしい面もちで交通整理を続け、自転車は死の恐怖も交通ルールもおかまいなく疾走していく。

Small boys continued to play all over the pavements, shoppers went on haggling, a policeman directed traffic in majestic boredom and the bicyclists defied death and the traffic laws.

私の見るかぎり、空を見上げる者は皆無だった。

No one, so far as I could see, even looked into the sky.


そんなバカなと思うだろう。

I think you'll agree this is hard to believe.

戦時下である。

The Blitz was war.

爆弾が炸裂して、四方八方に飛びちる破片が直撃したら即死だ。焼夷弾が毎夜あちこちを燃えあがらせ、100万人が住む家を失っていた。

The exploding bombs sent deadly shrapnel flying in every direction. The incendiaries left a different neighborhood in flames every night. More than a million people lost their homes.

間に合わせの防空壕となった地下鉄駅には毎夜大勢の人が詰めかけ、外では爆撃機の轟音や爆発音、高射砲の発射音が響き、救急車や消防車のサイレンがひっきりなしに聞こえてきた。

Thousands crammed into makeshift shelters in subway stations every night. Outside, between the thunder of planes overhead, the thud of explosions, the rattle of anti-aircraft guns, and the endless wails of ambulances, fire engines, and warning sirens, the noise was unrelenting.

1940年9月12日の夜に実施されたある調査では、ロンドン市民の3分の1が前夜は一睡もできず、もう3分の1が眠れたのは4時間未満だったと答えた。

In one survey of Londoners, on the night of September 12, 1940, a third said that they had gotten no sleep the night before, and another third said they got fewer than four hours.

これがもしニューヨークだったら? 自分の働くオフィスビルが瓦礫と化す生活が2ヶ月半ずっと続く生活に耐えられるだろうか?

Can you imagine how New Yorkers would have reacted if one of their office towers had been reduced to rubble not just once but every night for two and a half months?








ロンドン市民のこの冷静な態度は、少々のことでは動じない「ジョン・ブル魂」の発露と言うこともできる。

The typical explanation for the reaction of Londoners is the British "stiff upper lip" -the stoicism said to be inherent in the English character. (Not suprisingly, this is the explanation most favored by the British themselves.)

しかし他の国でも、同じように激しい空襲下で住民は平然としていることがわかってきた。つまり空襲は、当初想定されていたような打撃を与えていないということだ。

But one of the things that soon became clear was that it wasn't just the British who behaved this way. Civilians from other countries also turned out to be unexpectedly resilient in the face of bombing. Bombing, it became clear, didn't have the effect that everyone had thought it would have.

この謎を解明したのが、カナダの精神科医J.T.マカーディとその著書『モラールの構造(The Structure of Morale)』だった。

It wasn't until the end of the war that the puzzle was solved by the Canadian psychiatrist J. T. MacCurdy, in a book called The Structure of Morale.







マカーディによると、爆弾を落とされた人は3つのグループに分かれるという。

MacCurdy argued that when a bomb falls, it divides the affected population into three groups.

ひとつは「死ぬ人」。

The first group is the people willed.

空襲体験で最悪の被害をこうむるグループだ。当たり前だが。

They are the ones for whom the experience of the bombing is -obviously- the most devastating. 

このグループに関して、マカーディはこう書いている。

But as MacCurdy pointed out (perhaps a bit callously),

「共同体のモラールは生存者の反応に左右される。ゆえに死者は関与しない。死体は走りまわってパニックを拡散しないのである」

"the morale of the community depends on the reaction of the survivors, so from that point of view, the killed do not matter. Put this way the fact is obvious, corpses do not run about spreading panic."



次が「ニアミス・グループ」である。

The next group he called the near misses:

爆風を受け、目の前で建物が破壊され、死体の山に恐れおののき、自らも負傷しながらも生命は失わなかったグループである。彼らは強烈な印象を受けている。

They feel the blast, they see the destruction, are horrified by the carnage, perhaps they are wounded, but they survive deeply impressed.

ここでの「印象」は空襲にまつわる恐怖反応を補強するものであり、その結果「ショック」を引き起こすこともある。この「ショック」も意味の広い言葉で、茫然自失、感覚麻痺、神経過敏、それに目にした恐怖が頭から離れないといったことがすべて含まれる。

"Impression" means, here, a powerful reinforcement of the fear reaction in association with bombing. It may result in "shock," a loose term that covers anything from a dazed state or actual stupor to jumpiness and preoccupation with the horrors that have been witnessed.



第3は「リモートミス・グループ」。

Third, he said, are the remote misses.

サイレンは聞こえるし、敵の爆撃機が上空を飛ぶのを見たし、爆発音も耳に飛び込んでくる。

These are the people who listen to the sirens, watch the enemy bombers overhead, and hear the thunder of the exploding bombs.

でも爆弾が落ちるのは通りをずっと行った先か、隣のブロックだ。

But the bomb hits down the street or the next block over. 

これを2度、3度と繰りかえすうちに、彼らが空襲体験で抱く感情はニアミス・グループとは正反対になる。

And for them, the consequences of a bombing attack are exactly the opposite of the near-miss group. 

それは「どこか不死身感の漂う興奮」だとマカーディは指摘する。

They survived, and the second or third time that happens, the emotion associated with the attack, MacCurdy wrote, "is a feeling of excitement with a flavour of invulnerability."

ニアミスは心身に深い傷を残すが、リモートミスは無敵感覚を植えつけるのである。

A near miss leaves you traumatized. A remote miss makes you think you are invincible.



大空襲をくぐりぬけたロンドン市民の日記や回想には、こうした現象を裏づける記述がたくさんある。

In diaries and recollections of Londoners who lived through the Blitz, there are countless examples of this phenomenon. Here is one:

初めて空襲警報が鳴ったときは、子どもたちを連れて公園の防空壕に逃げこみました。「このまま死んでしまうにちがいない」と思っていました。でも何ごともなく終わって防空壕を出たときは、「何があっても死なない」と思うようになっていました。

When the first siren sounded I took my children to our dug-out in the garden and I was quite certain we were all going to be killed. Then the all-clear went without anything having happened. Ever since we came out of the dug-out I have felt sure nothing would ever hurt us.

別の女性は、爆発で家が激しく揺れたときのことをこう回想している。

Or consider this, from the diary of a young woman whose house was shaken by a nearby explosion:

ベッドに横たわったまま、何ともいえない満ちたりた勝利感を味わっていました。「いま爆撃されてる!」そう何度もつぶやいていました。まるでおろしたてのドレスのぐあいを確かめるように。その夜はたくさんの人が死んだり、けがをしたりしました。だから不謹慎かもしれないんですが、あのときほど純粋で完全無欠な幸福感を味わったことはありません。

I lay there feeling indescribably happy and triumphant. "I've been bombed!" I kept on saying to myself, over and over again -trying the phrase on, like a new dress, to see how it fitted. "I've been bombed!..I've been bombed -me!" It seems a terrible thing to say, when many people were killed and injured last night; but never in my whole life have I ever experienced such pure and flawless happiness.



なぜロンドン市民は大空襲にもひるまなかったのだろう?

So why were Londoners so unfazed by the Blitz? 

ロンドンは800万人以上が暮らす大都会だ。それで死者4万人、負傷者4万6000人ということは、ニアミスで心身に傷を負った人よりも、リモートミスで強烈な高揚感を覚えた人のほうがはるかに多かったと言える。

Because forty thousand deaths and forty-six thousand injuries -spread across a metropolitan area of more than eight million people- means that there ware many more remote misses who were emboldened by the experience of being bombed than there were near misses who were traumatized by it.

マカーディは解説する。

MacCurdy went on.

私たちはただ怖がるだけではなく、怖がることを怖がってもいる。それだけに恐怖を克服すると気持ちが高揚する。

We are all of us not merely liable to fear. We are also prone to be afraid of being afraid, and the conquering of fear produces exhilaration....

空襲になったらパニックに陥ると思っていたのに、実際の場面では落ちつきはらった態度を周囲に見せることができて、なおかつ無事だった。

When we have been afraid that we may panic in an air-raid, and when it has happened, we have exhibited to others nothing but a calm exterior and we are now safe,

事前の危惧といまの安堵感の落差が自信につながり、それが勇気の源になったのだ。

the contrast between the previous apprehension and the present relief and feeling of security promotes a self-confidence that is the very father and mother of courage.



大空襲が最も激しかったとき、ボタン工場で働いていた中年の男性は疎開の打診を受けた彼の自宅には二度も爆弾が落ちていたが、そのたびに妻ともども助かった。男性は疎開を断った。

In the midst of the Blitz, a middle-aged laborer in a button-factory was asked if he wanted to be evacuated to the countryside. He had been bombed out of his house twice. But each time he and his wife had been fine. He refused.

「こんな経験、いままでになかったし、この先も二度とない。それをみすみす見逃せというのかい? 冗談じゃない!」

"What, and miss all this?" he exclaimed. "Not for all the gold in China! There's never been nothing like it! Never! And never will be again."

同じできごとなのに、心身に深い傷を受ける人もいれば、反対に幸福感や充実感で舞いあがる人もいる。ボタン工場の男性も、爆発の衝撃で揺れる家にいた女性も、胸がわくわくしていたはずだ。

The idea of desirable difficulty suggests that not all difficulties are negative.

MacCurdy's theory of morale is a second, broader perspective on this same idea. The reason Winston Churchill and the English military brass were so apprehensive about the German attacks on London was that they assumed that a traumatic experience like being bombed would have the same effect on everyone: that the only difference between near misses and remote misses would be the degree of trauma they suffered.

But to MacCurdy, the Blitz proved that traumatic experiences can have two completely different effects on people: the same event can be profoundly damaging to one group while leaving another better off. That man who worked in a button factory and that young woman whose house was shaken by the bomb were better off for their experience, weren't they? 

どう言いつくろってもこれは事実だ。ただ、そのとき彼らのなかに恐怖心は存在しなかった。だからこそ戦時下の耐えがたい生活を乗りきることができたのかもしれない。

They were in the middle of a war. They couldn't change the fact. But they were freed of the kinds of fears that can make life during wartime unendurable.




私たちは開戦前のイギリス政府と同様、深刻な損害をもたらす不幸な出来事が、一種類の結果しか引きおこさないと思いこんでいる。

Too often, we make the same mistake as the British did and jump to the conclusion that there is only one kind of response to something terrible and traumatic.

だがそうではなく、結果にはプラスとマイナスの2種類が存在するのだ。

There isn't. There are two.









出典:
マルコム・グラッドウェル『逆転! 強敵や逆境に勝てる秘密
Malcolm Gladwell: David and Goliath: Underdogs, Misfits, and the Art of Battling Giants