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2018年4月28日土曜日

「右」「左」という言葉をつかわない民族【TED】






私の好きな例を いくつかお話ししましょう
So let me tell you about some of my favorite examples. 

まず 私が研究する機会のあった― オーストラリアの アボリジニの話から始めましょう
I'll start with an example from an Aboriginal community in Australia that I had the chance to work with. 

これはクウク・サアヨッレ族の人々です
These are the Kuuk Thaayorre people. 

ヨーク岬半島の西端の ポーンプラーウに住んでいます
They live in Pormpuraaw at the very west edge of Cape York. 

クウク・サアヨッレ語の 面白いところは
What's cool about Kuuk Thaayorre is, 

「左」や「右」という言い方はせず
in Kuuk Thaayorre, they don't use words like "left" and "right," 

あらゆることを 東西南北の方角で 言い表すことです
and instead, everything is in cardinal directions: north, south, east and west. 

文字通りに 「あらゆること」を表します
And when I say everything, I really mean everything. 

「あら 南西の脚にアリがいるわよ」 みたいな言い方をするんです
You would say something like, "Oh, there's an ant on your southwest leg." 

あるいは「コップを少し 北北東にずらして」とか
Or, "Move your cup to the north-northeast a little bit." 

挨拶にしても クウク・サアヨッレ語では
In fact, the way that you say "hello" in Kuuk Thaayorre is you say, 

「どちらの方に行くの?」と言い
"Which way are you going?" 

それに対する答えは
And the answer should be, 

「ちょっと北北東の方へ あなたは?」という具合です
"North-northeast in the far distance. How about you?"

考えてみてください 一日の中で
So imagine as you're walking around your day, 

会う人 会う人に
every person you greet, 

向かう方角を 言わなきゃいけないんです
you have to report your heading direction.

(笑)
(Laughter)

方角に鋭くなることでしょう
But that would actually get you oriented pretty fast, right? 

どの方角に向かっているのか 分からないと 挨拶もできないんですから
Because you literally couldn't get past "hello," if you didn't know which way you were going. 

実際このような言語を話す人たちは 方角をとても良く把握しています
In fact, people who speak languages like this stay oriented really well. 

かつて人間に可能だと 思われていたよりも ずっとです
They stay oriented better than we used to think humans could. 

生物学的な理由により この面で人間は 他の動物より 劣ると思われていました
We used to think that humans were worse than other creatures because of some biological excuse: 

人間は嘴や鱗に 磁石がないからと
"Oh, we don't have magnets in our beaks or in our scales." 

でも 言語や文化が そうすることを求めるなら
No; if your language and your culture trains you to do it, 

できるようになるんです
actually, you can do it. 

世界には方角を本当によく 把握している人々がいます
There are humans around the world who stay oriented really well.

これが 私たちのあり方と いかに違うか分かるように
And just to get us in agreement about how different this is from the way we do it, 

ちょっと目を閉じて いただけますか
I want you all to close your eyes for a second 

では 南東を 指差してください
and point southeast.

(笑)
(Laughter)

目は閉じたままで
Keep your eyes closed. 

指差して
Point. 

じゃあ 目を開けていいですよ
OK, so you can open your eyes. 

皆さん あっちを指したり こっちを指したりで
I see you guys pointing there, there, there, there, there ... 

どっちなのか 私も分かりませんが—
I don't know which way it is myself --

(笑)
(Laughter)

皆さん あんまり 助けになりませんでした
You have not been a lot of help.

(笑)
(Laughter)

どうも この会場にいる人は 方角には疎いようです
So let's just say the accuracy in this room was not very high. 

言語によって認知力に 大きな違いが生じているということです
This is a big difference in cognitive ability across languages, right? 

皆さんのようなグループでは
Where one group -- very distinguished group like you guys -- 

どっちがどの方角なのか 分かりませんが
doesn't know which way is which, 

別のグループでは
but in another group, 

5歳児に聞いても 正しい答えが返ってきます
I could ask a five-year-old and they would know.

(笑)
(Laughter)




From:TED
レラ・ボロディツキー
Lera Boroditsky
言語はいかに我々の考えを形作るのか
How language shapes the way we think



「2つの言語をもつことは、2つの魂をもつことである」【Charlemagne】




神聖ローマ皇帝 シャルルマーニュは
Charlemagne, Holy Roman emperor, said, 

「第2の言語を持つのは 第2の魂を持つことである」と言いましたが
"To have a second language is to have a second soul" -- 

これは言語が現実を作り出すという 強い主張です
strong statement that language crafts reality. 

一方で
But on the other hand, 

シェイクスピアは ジュリエットに言わせています
Shakespeare has Juliet say, 

「名前が何だというの?
"What's in a name? 

バラは別の名前で呼ぼうと 変わらず いい香りがするでしょう」
A rose by any other name would smell as sweet." 

これは名前によって現実は変わらないと 言っているように聞こえます
Well, that suggests that maybe language doesn't craft reality.





レラ・ボロディツキー
Lera Boroditsky
言語はいかに我々の考えを形作るのか
How language shapes the way we think

2017年12月10日日曜日

常識とは...[アインシュタイン]


Common sense is the collection of prejudices acquired by age 18.

常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションである。

アルバート・アインシュタイン




2016年11月19日土曜日

遅い、が早い[ハングル]



늦었다고 생각할 때가 
가장 빠른 것이다

遅いと思った時が
いちばん早い時だ。


日本語の似た表現としては

「思い立ったが吉日」





出典:テレビでハングル語




2016年11月11日金曜日

辞書の最初の意味[MIA MADRE]



L'importante è che tu non traduca i verbi con la prima cosa che trovi sul vocabolario.

大切なのは、言葉を辞書の最初の意味だけで訳さないこと。





映画『MIA MADRE(母よ)』

イタリア映画界の巨匠、ナンニ・モレッティ監督による感動のドラマ。映画監督のマルゲリータは恋人と別れたばかりで、離婚した夫との娘は反抗期の真っ只中。新作映画の撮影も思うように進まない中、彼女は母・アーダの余命がわずかであることを知る(「キネマ旬報社」データベースより)。




a broken man[オスカー・ワイルド]




すべての女性は母親のようになる。
All women become like their mothers.

これが女性の悲劇だ。
That is their tragedy.

男性は一人もそうならない。
No man does.

これが男性の悲劇だ。
That's his.


これは誰の言葉でしょう?

そう、オスカー・ワイルド(Oscar Wilde)です。






ほんの少しの誠実さは危険なものだ。
A little sincerity is a dangerous thing,

たっぷりの誠実さは命にかかわる。
and a great deal of it is absolutely fatal.


オスカー・ワイルドの末路(demise)は悲しい。

アルフレッド・ダグラス卿と肉体関係をもったことが原因で、彼は逮捕され、2年間の重労働(hard labor)の刑に処される。この2年で身も心もボロボロになったワイルドは、フランスで死んだ。人知れず、極貧のなかで。






ウワサになるよりも悪いことが、人生にはある。
There is only one thing in the world worse than being talked about,

それはウワサにならぬことだ。
and that is not being talked about."









2016年4月17日日曜日

人生の向き [キルケゴール]


Live can only be understood backward;

but it must be lived forwards.

Soren Kierkegaard

人生は後ろ向きにしか理解できないが、生きるのは前向きでなければならない。

セーレン・キルケゴール







2015年10月26日月曜日

前の波と、後ろの波 [中国語]



长江 后浪 推 前浪

長江の後ろの波が、前の波を押し出す

前浪 死在 沙滩上

前の波は砂浜で消える



NHKラジオ レベルアップ中国語 2015年 10月号 より〜


弟子が師匠を超えたり、後輩が先輩より立派になることを、日本語の熟語では「出藍(しゅつらん)の誉(ほま)れ」と言う。”长江后浪推前浪(長江の後ろの波が、前の波を押し出す)”という熟語はもともと「出藍の誉れ」と同様の意味だった。

だが近年は”前浪死在沙滩上(前の波は砂浜で消える)”という後半部も新たに言われるようになり、”前浪(前の波)”すなわち”乗り越えられた師匠や先輩”が競争原理で淘汰されるという現代社会の現実を、風刺とユーモアをこめて述べるときにも使う。

今日では「改革開放経済の熾烈な競争のものでは、先行するヒット商品や先輩社員も、すぐに後発組に追い越されてダメになる」というニュアンスも付加されてしまっているため、中高年が自嘲的に使う場合はよいが、若輩者が目上に向かって言う場合は、失礼にならぬよう注意を要する。


青出于蓝,而胜于蓝

藍は藍より出でて、而(しこう)して藍より勝る(『荀子』)







2015年10月19日月曜日

まるで熱い鍋の上のアリ [中国語]


热锅上的蚂蚁 团团转

まるで熱い鍋の上のアリ 大あわて

NHKラジオ レベルアップ中国語 2015年 10月号〜より

中国語の熟語の一種に”歇后语(けつごご)というジャンルがある。”歇后”とは「後半部分を欠いている」という意味。わざと熟語の前半部分だけを言い、後半部分は言わない、というのが本来の形である。ただし、近年の中国人の国語力の低下もあり、話の聞き手が熟語の後半部分を知っているとは限らないため、話し手は”歇后语(けつごご)の前半部を言ったあと、後半部も自分で言い添えることが多い。

”热锅上的蚂蚁(まるで熱い鍋の上のアリ)”という”歇后语”の後半の句は”团团转(くるくる回る)”、つまり「いても立ってもいられない(大あわて)」という意味である。昔は”热锅上的蚂蚁(まるで熱い鍋の上のアリ)”と前半部だけを言って止めたが、近年は念のため後半部の”团团转(大あわて)”も言い添えるのが普通である。

日本語でたとえると、尾籠(びろう)な例で恐縮だが、「便所の火事」という慣用句に似ている。そのココロは「やけくそ」。




2015年10月13日火曜日

「子供を失ったか」という恐怖 [服部文祥]



話:服部文祥





樹の生えた緩傾斜帯で、長男が登って来るのを待った。

そのとき、ガラガラと岩が崩れる音がして、ドッポーンと、大きな物体が水に落ちる音がした。笑い話が増えたな、と思った。ところがコールしても反応がなかった。何度か叫び、大声で名前を呼んでも何も返ってこなかった。

慌ててザックを下ろし、長男が登ろうと目論んでいたラインへ走った。森の緩斜面はそのまま渓につながっていたが、長男の姿はなかった。私はあわてた。最悪の状況を想定してしまい、そんなことが起こっていないでくれと祈りつつ、流れの中に息子の姿を探しながら、渓を駆け上がった。

呼びながら走っていくと、さっきのボルダーチックなヘツリにへばりついて、笑っている息子がいた。血相を変えて下流から走ってきた私を見て、すこし驚いている。足下の大きな岩が崩れて渓に落ち、コールは沢音で聞こえなかっただけらしい。私は自分の混乱ぶりを悟られないように、そのまま登るようにうながした。





マザー・テレサの有名な言葉に

思考には気をつけなさい。
それはいつか言葉になるから。

言葉には気をつけなさい。
それはいつか行動になるから。

行動には気をつけなさい。
それはいつか習慣になるから。

習慣には気をつけなさい。
それはいつか性格になるから。

性格には気をつけなさい。
それはいつか運命になるから。

というのがあるらしい。








息子が落ちて意識不明か?

と慌てたあとに、猟期に鹿の親子の子鹿だけを撃ったりしていることを考えた。「子供を失ったか」という恐怖と戦慄が、私に子供を奪われた母鹿の気持ちを想像させたのである。

知り合いの老猟師が「もう十分殺したから」と銃を置く(猟を辞める)のに立ち会ったことがある。「今後も肉を食べるなら、銃を置くべきではない」と当時の私は思っていた(殺生を背負っていくべきだ)。





長男が喜ぶので、イワナを釣って食べた。刺身を筆頭に、燻製にしたり、素揚げにしたり、息子は串を自作して塩焼きにしていた。

もし彼が「生きるとは何か」ということを少しでも考えたとすれば、殺され食べられたイワナたちの命を未来で取り戻すことだってできるだろう。私はまだ老猟師ではないので、それが「生態系の保全につながる柱」だと考えている。生き物をとって食べることが、最も効果の高い環境保護教育である、と信じている。







出典:岳人 2015年 10 月号 [雑誌]
服部文祥「登山も、人生も、手取り足取りすべてを完璧に導くことはできない」




2015年10月2日金曜日

「空よりや降りけん。土よりや湧きけん」 『徒然草』最終段



第二百四十三段



(や)つになりし年、父に問ひて云はく、

「仏は如何(いか)なるものにか候(さうら)ふらん」

と云ふ。父が云はく、

「仏には、人の成りたるなり」

と。



また 問ふ、

「人は何にして仏には成り候(さうら)ふやらん」

と。父また、

「仏の教(をしへ)によりて成るなり」

と答ふ。



また 問ふ、

「教へ候(さうら)ひける仏をば、何が教へ候(さうら)ひける」

と。また答ふ、

「それもまた、先の仏の教(をしへ)によりて成り給(たま)ふなり」

と。



また問ふ、

「その教へ始め候(さうら)ひける、第一の仏は、如何(いか)なる仏にか候(さうら)ひける」

と云ふ時、父、

「空よりや降りけん。土よりや湧きけん」

と言ひて笑ふ。「問ひ詰められて、え答へずなり侍(はんべ)りつ」と、諸人に語りて興じき。





2014年3月11日火曜日

最も完全な構成をなす『サンスクリットの50文字』



 サンスクリット語のアルファベットは、その構成が理想的で、”50の文字”から成り、その各々の発音は一定不変である。

 ジョージ・バーナード・ショーは、例のウィットに富んだ調子で、ラテン語を基本にした英語のアルファベットの表音上の不完全さをいみじくも指摘し、「そこでは26の文字が、音の表現を果たしきれずにもがいている」と述べている。

 彼はまた、「英語に新しいアルファベットを導入するためなら、いかなる文化的闘争も辞さない」と強調して、42文字から成る新しいアルファベットの採用を提案している(Wilson "Miraculous Birth of Language" の序文)。そうなれば、50文字で構成されている完全なサンスクリット語の表音体系にかなり近づくことになる。



 インダス河の渓谷から発見された印形は、サンスクリットのアルファベットがセム語から取り入れられた、とする多くの学者たちの説をくつがえそうとしている。最近、モヘンジョダロとハラッパーにおいて、2〜3の古代ヒンズー都市の遺跡が発掘されたが、それらは、われわれがわずかに想像できるにすぎない有史以前のころに、インドの土地にすぐれた文化の歴史が存在していたことを物語っている。

 もし大昔、この地球上にきわめて進んだ文明時代が存在した、というヒンズーの所説が正しいとすれば、世界で最も古い言葉であるサンスクリットが”最も完全な構成”をなしているという理由もうなずけることになる。

 アジア協会の創立者、ウィリアム・ジョーンズ氏は、「サンスクリットの起源が何であれ、それはまったく見事な構成をなしており、ギリシャ語よりも完全で、ラテン語よりも豊富で、また、そのいずれよりも優美に洗練されている」と語っている。



 サンスクリットの語源”Sanskrita”は、”洗練された、完全な”の意。サンスクリットは、インドやヨーロッパのどの言語よりも古いとされる。

 そのアルファベットの字体は”デーヴァナーガリ(神のすみか)”と呼ばれている。古代インドの偉大な哲学者パーニニは、サンスクリットのもつ数学的、心理的完全さを賞賛して「わが文法を知る者は、神を知る者である」と言っている。

 言語の源をあくまで追求していけば、最後には、宇宙のすべてを知ることになるのかもしれない。




引用:『あるヨギの自叙伝』訳注より


2014年3月7日金曜日

”一枚の葉っぱ” 安田靫彦


言葉:日本画家、安田靫彦(ゆきひこ)

「何年かかってもいいでしょう。

 自分を出そうとしなくても、見た感じを逃さぬように心掛けてゆけばその都度ちがう表現となって、いつの間にか”一枚の葉っぱ”が手に入りますよ。

 一枚の葉っぱが手に入ったら、宇宙全体が手に入ります」




2013年11月4日月曜日

もし言葉がなかったら…  [鈴木大拙]



話:鈴木大拙



さて”言葉”ですが、言葉は最も重要な価値あるものです。人間が社会生活を送るには、何らかの形で言葉を使わずには暮らせない。

ところが、言葉は人間が発明した大変な”くせもの(the most treacherous thing)”です。言葉で自分を縛ったり、不自由さを嘆いたりする。もし言葉がなかったら、みんなどんなに自由になれることでしょう。

言葉を話すことで、われわれが肉体的な存在だと分かります。われわれは身体と心、また魂について語りますが、それは単なる言葉にすぎません。我々はここにあるものが身体だと考えます。

科学者は、身体を無数の要素、原子に分解する。その原子はサブアトムに、さらに別の小さな形の原子に分解される。こうしてさらに分解を続けても、まだ分解し分析しうる何かが残ります。分裂と分割について議論は果てしなく続くのです。

だから、言葉がみんな取り除かれ、科学的装置が壊されると、本当に完全な自由に至るのです。そうすれば、一極から反対の極まで空間を移動でき、同時に”はじめも終わりもない時間(beginning-less time and endless time)”に住めます。これ以上に自由な世界はありえない。これが物事を正しく見ること(正見)なのです。

2013年9月22日日曜日

オリンピック招致、最終プレゼンテーション [佐藤真海]



第一印象というのには、想像以上に大きなものがある。

悲願・東京オリンピック招致に向けた、最終プレゼンテーションの「トップバッター」



大抜擢されたのは、義足のアスリート「佐藤真海選手(陸上・走り幅跳び)」であった。

「まさかトップバッターとは思っていなくて(笑)。ブエノスアイレスに向かう一週間前にそれを言われてビックリしました」



与えられた時間は、他のスピーカーの紹介も含め「4分間」。

世界を共鳴させた、感動のスピーチ!






Mr. President… Distinguished members of the IOC… I am Mami Sato.

会長、そしてIOC(国際オリンピック委員会)の皆様、佐藤真海(さとう・まみ)です。

And I am here because I was saved by sport. It taught me the values that matter in life. The values that Tokyo 2020 is determined to promote worldwide. 

私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです。スポーツは私に人生で大切な価値を教えてくれました。それは、2020年東京大会が世界に広めようと決意している価値です。



Today, that global vision will be outlined by:

President Tsunekazu Takeda(竹田恒和・招致委員会理事長)

Prime Minister Shinzo Abe(安倍晋三・内閣総理大臣)

Governor Naoki Inose(猪瀬直樹・東京都知事)

Bid ambassador Christel Takigawa(滝川クリステル・招致アンバサダー)

And double silver medalist Yuki Ota(太田雄貴・過去2大会の銀メダリスト)



Please allow me to return to my story.

私自身の話に戻らせていただきたいと思います。

I was nineteen when my life changed. I was a runner. I was a swimmer. I was even a cheerleader. Then, just weeks after I first felt pains in my ankle, I lost my leg to cancer

19歳の時に私の人生は一変しました。私は陸上選手で、水泳もしていました。また、チアリーダーでもありました。そして、初めて足首に痛みを感じてからたった数週間のうちに、骨肉腫により足を失ってしました。

Of course, it was in despair. Until I returned to university and took up athletics.

もちろん、それは過酷なことで、絶望の淵に沈みました。でもそれは大学に戻り、陸上に取り組むまでのことでした。



I found that I enjoyed setting goal - and beating it. I developed new confidence.

私は目標を決め、それを越えることに喜びを感じ、新しい自信が生まれました。

Most of all, I learnt that what was important was what I had, not what I had lost.

そして何より、私にとって大切なのは、私が持っているものであって、私が失ったものではないということを学びました。

I competed at the Paralympic Games in Athens and Beijing. I felt privileged to have been toughed by the power of sport. And I was looking forward to London 2012.

私はアテネと北京のパラリンピック大会に出場しました。スポーツの力に感動させられた私は、恵まれていると感じました。2012年ロンドン大会も楽しみにしていました。



Then came the 11th of March 2011. The tsunami hit my hometown. 

しかし、2011年3月11日、津波が私の故郷の町を襲いました。

For six days I did not know if my family were still alive. And, I did find them, my personal happiness was nothing compared to the sadness of the nation.

6日もの間、私は自分の家族がまだ無事でいるかどうか分かりませんでした。そして家族を見つけ出したとき、自分の個人的な幸せなど、国民の深い悲しみとは比べ物にもなりませんでした。



I collected messages from schools and took them home… And shared with the people my own experiences. I also took food supplies. And other athletes did the same. Together, we organized sport activities to help restore confidence.

私はいろいろな学校からメッセージを集めて故郷に持ち帰り、私自身の経験を人々に話しました。食糧も持って行きました。ほかのアスリートたちも同じことをしました。私たちは一緒になってスポーツ活動を準備して、自信を取り戻すお手伝いをしました。

Only then did I see the true power of sport… To create new dreams and smiles. To give hope. To bring people together.

そのとき初めて、私はスポーツの真の力を目の当たりにしたのです。新たな夢と笑顔を育む力。希望をもたらす力。人々を結びつける力。



More than 200 athletes… Japanese and international… making almost 1,000 visits to the affected area… are inspiring more than 50,000 children.

200人を超えるアスリートたちが、日本そして世界から、被災地におよそ1,000回も足を運びながら5万人以上の子供たちをインスパイアしています。

What we have seen is the impact of the Olympic Value as never before in Japan. 

私たちが目にしたのは、かつて日本では見られなかったオリンピックの価値が及ぼす力です。

And what the country has witnessed is that those precious Value… Excellence, Friendship and Respect… can be so much more than just words.

そして、日本が目の当たりにしたのは、これらの貴重な価値、卓越、友情、尊敬が言葉以上の大きな力をもつ、ということです。



applause(拍手)






「言葉に気持ちを乗せて、表情や姿勢でも自分の言いたいことを表現しようとしたつもりです。読まされた原稿では何も伝わりませんから」

「投票結果発表の瞬間は、プレゼンをしているときより緊張していました。もうドキドキで…。安倍総理や森喜朗さんのすぐ隣に座っていたので、こんなところに私がいてもいいのか? と疑問に思いつつも(笑)」

「2020年までに施設や環境面のバリアフリーはもちろん、心の面でのバリアフリーも日本に根づいてくれるといいな、と」

〜スポーツ誌『Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 10/3号 』の取材記事より〜





引用:2020年東京オリンピック最終プレゼンテーション(全文付き)勝利した日本式プレゼンテーションの秘密

2013年9月15日日曜日

池を開きて月を待たざれ 菓子舗「たねや」


池を開きて月を待たざれ

池成れば月自ずから来る

「月をいくら追いかけても掴めない。月を迎え入れる器をつくりなさい。その中に水が入れば、月は自ずと手の中に写り込んでくる」



「あの木はな、今日あんたが来てくれるために立派になったんと違う。東京に行くからといって急にええ格好をするのではなく、今あるがままの姿が一番美しいんや(長田純)」

「走るなかれ。されど止まるはなお愚かなり。ただ歩めよ(末廣正統苑)」





話:山本徳次
創業141年、老舗菓子舗「たねや」

出典:致知2013年9月号
「商いの道は人の道」

2013年9月14日土曜日

心技体は「順番」



私は師匠から

「心技体は、心も技も体も優れていることじゃない。”順番”なんだ」

と教わりました。要するに、心が一番、技が二番、体が三番。

技や体が優れていても、心がダメな奴は相撲がダメだ。少し怪我があっても、心がしっかりしていれば勝てると、よく力説されました。

飯を食い過ぎても胃に穴は開かないけれど、飯も食ってないのに悩んでいると胃に穴が開く。だから、「くだらないことを考えている暇があったら稽古せい」といつも師匠から言われてきました。




話:尾車浩一(おぐるま・こういち)
現役時代の四股名:琴風。現、尾車部屋親方

引用:致知2013年9月号
「怒涛の人生 かく乗り越えん」

2013年9月9日月曜日

「謦咳(けいがい)に接する」とは?



「謦咳(けいがい)に接する」とは?



「白隠(はくいん)禅師というお方の、さらにその師にあたる正受(せいじゅ)老人という方がおられました。その正受老人の傍には、いつも200人ほどの人が集まっていたそうです。ところが、その正受老人は説教もなさらないし、経も上げない。いつもニコニコしていらっしゃる。弟子たちはそのお人柄に触れたいと、それだけで自分が磨かれていくと思い、いつも正受老人の周囲は人だかりだったといいます。白隠禅師は”わが師とはそういうお方でした”とおっしゃっていたと言われています。


 人間は口舌の徒ではなく、居ながらにして人に教える、このような人にならなければいけない、と。人間は作為することのできる大儀や大文章よりも、不用意な一言や一寸(ちょっと)したことに、その人の全貌があらわれる、と」





ソース:致知2013年8月号
「学問と神道 大阪天満宮宮司 寺井種伯」


2013年9月2日月曜日

広瀬淡窓の◯、「万善簿」



江戸時代の儒学者「広瀬淡窓(ひろせ・たんそう)」

彼は「万善簿(まんぜんぼ)」という記録をつけ続けたという。






淡窓が大分県日田の地に開いた私塾「咸宜園(かんぎえん)」は、全国各地から門下生が集い、明治30年の閉塾までに約5,000人が学んだという、日本最大級の私塾です。各藩が設立した効率の学校とは異なる一民間人が個人的に興した私塾が、なぜこれほどの門下生を集めたのでしょうか?

その鍵は、人としての生き方を後ろ姿で示し、己の心と厳しく向き合い続ける淡窓の姿にありました。咸宜園の入門者が増えれば増えるほど、淡窓は自らを深く省み、自分自身にさらなる修養を課したといいます。

それを象徴するのが「万善簿(まんぜんぼ)」と名付けられた善行実践の記録です。一日を振り返って、良い事をしていればその分だけの「白丸◯」を、また悪い事をしていれば、その分だけの「黒丸●」を帳面に付けるというものです。そして月末には、白丸の数から黒丸の数を差し引いたものを純粋な善行の数として集計し、その累計が「一万」に達することを目指しました。

白丸の例として見られる実践項目は、「人に勧めて善を為す」「財を捨てて人を利す」「善書を著す」「怒りを忍ぶ」「放生(捕らえた生き物を放してやる)」などです。また、黒丸の例としては「殺生」「食べ過ぎ」「財を惜しむ」などが挙げられます。

淡窓は「万善簿」を54歳から付け始め、12年7ヶ月をかけて、67歳でついに「一万善」を達成します。しかし淡窓はそれで良しとせず、次の万善を目指して記録を続け、生涯を終えるまで修養を積み続けたといいます。

淡窓は50歳を過ぎた頃の自分の性格を省みて、「自分には三つの病がある」と述べています。「怠けること」「臆病なこと」「利己的でケチなこと」。この三つとも根は同じであると考えた淡窓は、まず「怠けること」から改めようと思い定め、そこから「万善」をやり抜く決意を固めたのでした。

その感化を受けた門人には、「大村益次郎(幕末期の医師・西洋学者)」「高野長英(江戸後期の蘭学者)」などの英才が現れています。



”善積まざれば、もって名を成すに足らず

悪積まざれば、もって身を滅ぼすに足らず”

(中国古典「易経」)



ソース:心を育てる月刊誌「ニューモラル」No.529
「心」を磨く生活習慣

2013年8月19日月曜日

夏目漱石「草枕」冒頭



夏目漱石「草枕」冒頭(引用)


 山路を登りながら、こう考えた。

 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。



 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画(え)が出来る。

 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。



 住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧く。

 着想を紙に落とさぬとも璆鏘(きゅうそう)の音※は胸裏に起る。丹青は画架に向って塗抹せんでも五彩の絢爛は自から心眼に映る。ただおのが住む世界を、かく観じ得て、霊台方寸のカメラに澆季溷濁(ごうきこんだく)の俗界を清くうららかに収め得れば足る。

 この故に無声の詩人には一句なく、無色の画家にはには尺[糸+賺のつくり](せっけん)※なきも、かく人世を観じ得るの点において、かく煩悩を解脱するの点において、かく清浄界に出入し得るの点において、またこの不同不二の乾坤(けんこん)※を建立し得るの点において、我利私欲の羈絆(きはん)を掃蕩するの点において、―――千金の子よりも、万乗の君よりも、あらゆる俗界の寵児よりも幸福である。



 世に住むこと二十年にして、住む甲斐ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日はこう思うている。―――喜びの深きとき憂(うれい)いよいよ深く、楽みの大いなるほど苦しみも大きい。

 これを切り離そうとすると身が持てぬ。片づけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖えれば寝る間も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支えている。背中には重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽き足らぬ。存分食えばあとが不愉快だ……



璆鏘(きゅうそう)の音:玉や金属が触れ合って鳴り響く高く美しい音。詩や歌などの旋律の美しさを表す。

尺[糸+賺のつくり](せっけん):一尺ほどのわずかな絹地。転じて、ほんの小さな画作。

乾坤(けんこん):天地

羈絆(きはん):行動する際に足手まといになり自由を奪う絆。






引用:草枕 [kindle版]