「属国になれ」
今から700数十年前、時の超大国モンゴルは日本に使者をよこしてきた。
受けて立ったは北条時宗、弱冠17歳。
行徳哲男「もともと時宗というのは大変にひ弱で、病弱でもあり精神的にも女々しさをもっていました。そんな時宗の行ったのが、モンゴルの使者たちに酒と女をあてがうことでした」
この酒と女の策は、意外にも奏功した。使者たちは酒食に溺れ、「属国になれ」に対する返答を先延ばしにすることができたのである。
行徳哲男「だが、ふたたび返事を迫られたとき、時宗はどうしていいか分からない。そこでこの若者、そのどうしようもない思いを無学祖元禅師にぶつけました」
すると無学祖元、
「驀直去(まくじきこ)」
ただその一言を時宗に授けたのみで、姿を消した。
行徳哲男「若き時宗には、驀直去(まくじきこ)の教えが解けませんでした。かれは何日も座り続けます。しかし解けません。最後は自分の額を壁にたたきつけます。血しぶきが舞い、血だらけになりました。その瞬間、若者は悟りました」
来ていたモンゴルの使者41名すべてを並べると、次々と首をはねた。
怒れるモンゴル、10万とも15万ともいわれる大軍、4000隻で九州を襲った。
その結果は周知の通り。神風の助けもあって、見事、世界の最強軍団を追い払うことに成功したのである。
ところで、国を救うこととなった「驀直去(まくじきこ)」とは如何なる教えか?
行徳哲男「”驀”は驀地(まっしぐら)という字ですから”一直線”ということです。”直”は素直の直です。最後の”去”というのは”突き抜ける”ということ。だから『お前は酒と女をあてがう、そんな小賢しさで国が救えるか』という教えです」
この「驀直去(まくじきこ)」は、それ以来、禅の公案(問答)となる。「大事到来、いかにしてこれを避くべくや(大事が来たら、どうすればそれを避けられるか)」という問いである。
行徳哲男「その答えは『夏炉冬扇(かろとうせん)』という教えです。”夏炉”というのは夏の囲炉裏と書くわけです。そして冬の扇です。”夏の暑いときに囲炉裏にあたっておけ、冬の寒いときには扇をつかえ”と言ったわけです。これは、暑いのなら暑さの中に浸りきれ、寒いのなら寒さの中に浸りきってしまえ、ということです。つまり、苦しかったら苦しみの中に浸りきって、それを突き抜けろと言っているのです」
かつて、僧・良寛は言った。
苦しきときは苦しむがよき候(そうろう)
悲しきときは泣くがよき候
死ぬるときは死ぬるがよき候
行徳哲男「時宗は若かったから、大事を避けようとしました。それに対して、無学祖元はビシッと喝を食らわしたわけです。そして夏炉冬扇の世界に入った時宗は、それから名君になっていくのです」
…
出典:10ミニッツTVオピニオン
行徳哲男「驀直去(まくじきこ)」北条時宗と無学祖元
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