2014年10月18日土曜日

仏教の「同時」 [足立大進]


〜話:足立大進〜


 幼い子供たちが庭で遊んでいた。その中の一人が急に転んで、わぁーんと泣き出した。見ていると、一人の女の子がそばに駆寄った。

 さて、女の子はどうするのだろう。こんな場合、二つのやり方が考えられます。一つは、黙って起こしてやる。もう一つは「さあ、起きなさい」と励ましてやる。このどっちであろうかと眺めていたら、意外にも女の子は、泣きじゃくっている子のそばにゴロンと転んだ。そして、泣き虫の顔を見て、ニッコリ笑いました。すると、泣いている男の子も、目にいっぱい涙をためたまま笑った。そこで女の子が「起きようか」と言うと、男の子は「うん」とうなずいて、そのまま起き上がった。よく晴れた日の、ほほえましい出来事でした。

 私もそうですが、子供を前にすると、つい上から見て、手を貸して起こしてやろうと思います。しかしこの小さな女の子は、泣いている男の子のそばに転んでニッコリ笑った。転んで泣き止まぬ子供のそばに自分も転んで、相手と同じ世界で「起きようか」と誘う。相手との苦しみの共感であり、相手と共同の場に生きる。仏教では「同時」と言う。人の苦しみや悲しみを、まったく同じように共感することはできませんが、少しでも同じ世界に近づく努力はできるのです。






出典:『即今只今』足立大進




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