〜話:足立大進〜
お釈迦さまがこの世にお生まれになるよりもずっと前、前世で「雪山童子(せつせんどうじ)」だった頃のお話です。
雪山童子が山の中でひとり悶々と悩み、修行をなさっていました。そこへ帝釈さまが、羅刹(鬼)に姿を変えて現れます。雪山童子があんまり苦しんでいるので、ちょっと助けようと「諸行無常、是生滅法」とお唱えになりました。それを聞いた雪山童子は「なんと素晴らしい言葉だ」とハッとします。
ところが、目を開いて見回してみても、あたりには誰も居ません。「今のは誰のお声だろう」と思っているところへ羅刹が現れた。「今のお声は、あなたさまでしょうか」と雪山童子が尋ねると、羅刹は「そうだ」と答えます。そこで「その続きがあれば、ぜひ聞かせて下さい」とお願いすると、羅刹はこう言います。「それどころじゃない。私はここ数日、何も食べていない。飢えと渇きで苦しんでいる。私は生きた人間の肉を食いたいのだ。飲みたいのは人間の血だ」。
雪山童子は覚悟を決めて「続きの半偈(残りの句)をお説きいただけるならば、私の身体を差し出しましょう」と約束します。そこでようやく、羅刹に化けた帝釈さまは「生滅々已、寂滅為楽」と残りの二句をお唱えになります。それを聞いた雪山童子は、その言葉を後の世の人のために、周りの石や壁、木や道に石で書き留めました。手当たりしだいに書きつけたあと、「これでもう大丈夫」と木に登り、羅刹に食われるために身を投じられます。
すると帝釈さまは、羅刹の姿から帝釈天に戻り、空中で雪山童子の身体を受け止めて、地上に安置し、礼拝をなさいました。
…
「諸行無常」
諸行は無常である。諸行というのは迷った心の働きを言います。「この世の中の一切のこと」と申し上げてもいいでしょう。あなたの心の迷いも、この世の中の一切のこともすべて移り変わるものだ。
「是生滅法」
是(これ)は生滅の法であるからである。生まれてきたものは消えていく。この世のすべては移り変わる。これが生滅の法である。
「生滅々已、寂滅為楽」
その生滅の法を滅し已(おわ)ったならば(そこを離れたならば)、寂滅をもって楽と為す。寂滅とは悟りの世界、無事の世界を指します。そこが楽である、お浄土である。と、こういう意味です。
…
昔はお葬式で「野辺(のべ)の送り」というものがありました。私が田舎の寺に小僧に行った頃は、まだ火葬がそれほど主流ではなく、ほとんどが土葬でした。土葬の際は、棺桶を担いでお墓まで持って行きます。これが「野辺の送り」です。
野辺の送りのいちばん先頭は松明(たいまつ)や鍬(くわ)を持って歩きます。その次に、四人の人が竹にぶら下げた白い旗を持って歩きます。これを四旗(しはた)と言います。その旗、それぞれに書いてある言葉が「諸行無常(しょぎょうむじょう)」「是生滅法(ぜしょうめっぽう)」「生滅々已(しょうめつめつい)」「寂滅為楽(じゃくめついらく)」という四つの句です。
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