2015年9月4日金曜日
「持てる者は持たない者に与えよ」 サウジアラビア
話:藤木高嶺
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最初の関門がビザ取得にあった。サウジアラビアは半ば鎖国状態にあり、私たちの目的が政府の嫌がる遊牧民の取材で、長期間の滞在を希望していたから、問題は予想以上に複雑だった。
苦労の末、やっと入国が許され、車でクウェートを経由して首都リヤドに到着したのは、1965年6月はじめのこと。私たちが覚悟の上で夏の砂漠を選んだのは、遊牧民やラクダでさえ暑さに苦しむ夏に行ってこそ、本当の姿が見られるだろう、と考えたからだ。
砂漠の暑さは予想以上に身にこたえた。私たちが約一ヶ月住み込んだ、ネジド地方の井戸オアシスの村、アブヒダードにおける一日の気温の変化は次の通り。午前6時ごろ日の出とともに気温は上昇して体温を超えはじめ、午前11 時ごろに摂氏40度に達する。日中の最高気温は午後2時ごろで48℃。日中直射日光の下では55℃にもなる。40℃以上が午後4時過ぎまで続き、体温以下に下がるのは日没後一時間ほど経ってから。灼熱の砂漠だ。
これほどの暑さは初めての体験で、ただ耐えるだけの日が続き、取材意欲も失われがちだったが、次第に暑さにも馴れてきて、ラクダやヒツジの遊牧の旅にも同行するようになった。私たちが最後までなじめなかったのは、むしろ精神的な問題で、ものの考え方の違いだ。
村について間もない日、ある男がやってきて
「あなた方を今夜招待する栄誉を与えて下さい」
と言った。遊牧民は聞きしにまさる親切な人たちだなと思った。その夜、その男のテントに出かけると、村の主だった男たち数人も招待されていた。その晩のご馳走はヒツジ飯で、丸いお盆に盛られている。肉から内臓、脳ミソまで米とゴッタ煮にしたもので、味つけは一切なし。皆が右手で手づかみで食べる。風で飛んできた砂まじりだ。
食事が終わると、招かれた男たちは、一言も礼を言わず怒ったような顔をして帰っていった。招待した男は大地にひれ伏している。これは、男たちが怒って帰っていったのではなく、招待した男も謝っていたのではないことが、やがてわかった次第だ。
大勢の人を招待してご馳走するのはたいへん栄誉である。だから招待された側は礼を言ってはならず、招待した側は、与えられた栄誉に対して、アラーの神に感謝しているのであった。
ひと通り各テントからの招待が終わると、遊牧民の男たちは私たちのテントにやって来て、目の前で堂々と、米や野菜、果物から飲料水まで平気で持ち出しはじめた。しかも礼を言わない。私たちが留守の間に持ち出すと泥棒になるから絶対にやらないが、居るときは「もらう権利がある」と考えているのだ。
イスラム教の経典であるコーランは
「持てる者は持たない者に与えよ。富める者は貧しい者に与えよ」
という意味のことを説いている。これを合法的に解釈しているのだ。
ある時、男の子が熱湯を浴びて大やけどをした。泣き叫ぶ子どもを抱きかかえて、その父親が飛び込んできた。私はていねいに治療してやった。それから毎朝、その男は子どもを抱いて治療に通ってくるようになった。ところが礼も言わず、いつも威張って帰るのだ。私は頭にきてカッカと怒っていた。
だが、ここでは私の考え方が間違っているのだ。病気や怪我を治すというのはたいへんな栄誉で、そのチャンスに恵まれたことに対して、私の方がアラーの神に感謝の祈りを捧げなければならないのだ。
砂漠で遊牧民と生活をともにしたおかげで、地球上には、ものの考え方が根本的に違う民族が、いかに多いか知ることができた。だから私たちにとって大切なことは、相手の立場になって物事を考えることだ、と痛切に感じた。
私たちは遊牧民と同じテントに住み、アラビア服を着て、一日5回のメッカの方角に向かってのお祈りにも参加したおかげで仲間と認めてくれたようで、約一ヶ月間無事に過ごすことができて幸いだったと思う。
出典:岳人 2015年 09 月号 [雑誌]
藤木高嶺「山に生きる父と子の170年」11
「ニューギニア高地人」と「アラビア遊牧民」
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