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菜根譚講話 新訳
荻原 雲来
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むかし会津藩主・保科侯がある日、藩の山崎闇斎(やまざき・あんさい)に向かい、
「先生は何をもって此の世の楽しみとなさるか」
と尋ねた。闇斎はしばらく考えたうえで、
「わたしに楽しみとするものが三つあります。一つは萬物の霊長たる人間と生まれたこと、二つは文治の天下に生まれて自由に書を読み、道を学ぶことのできること、三つは楽しみのなかの最も楽しいことでありますが、これは憚りあって申し上げかねまする」
と答えた。保科侯はそれを聞き、
「ぜひとも、その最大の楽しみを申してみよ」
といわれるので、闇斎は形を改めて、
「それでは申し上げますが、他でもありません。卑賤に生まれて大名に生まれたなかったことが、楽しみのなかの最も大なる楽しみでございます。
その理由は、大名の御殿のなかに生まれ、幼少のころから婦人の手でそだち、御側近侍の者どもから何事も御意(ぎょい)にかなうよう、御無理(ごむり)御尤(ごもっとも)と崇めたてまつられるから、事の善悪も物の道理も少しも知らず、自分ほど偉いものはないように思い、生まれつき賢明な君も、のちには東も西も知らぬような馬鹿殿様になってしまいます。
それに比べると、われわれ下賤の者は、上役からも同役からも、始終叱言(こごと)や忠告をうけるおかげで、是非善悪の何事たるかもわきまえ、自然と身を修め才を磨くことになります。人間としてこれほど有益なことはありません。それで私はこれを楽しみの第一としております」
と答えたので、保科侯も「なるほど」と感心されたという話がある。
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「良薬は口に苦く、忠言は耳に逆(さから)ふ」
『菜根譚』に云う、
耳中常聞逆耳之言
耳中(じちゅう)常に逆(さから)ふの言を聞き
心中常有払心之言
心中(しんちゅう)常に心に払(もと)るの事あらば
纔是進徳修行的砥石
纔(わず)かに是(こ)れ進徳修行的(の)砥石なり
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菜根譚講話 新訳
荻原 雲来
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