2016年1月19日火曜日

バックステージに消えた、スティーヴ・ジョブズ



話:David Gelles








1981年6月6日の土曜日、蒸し暑い夏のボストン。

ボストンコモン公園にほど近い巨大ホテル、パークブラザの天井の高いボールルームには、オタク風情の聴衆がシャンデリアの下でひしめき合い、時代の予言者として崇められている男の登場を待っていた。

群衆のほとんどは若い男性で、パーソナルコンピュータの熱狂的なファンであり、のちに私たちの生活も仕事も一変させる大革命の先陣を切るコンピュータマニアたちだ。彼らの待ち望んでいるゲストは、スティーヴ・ジョブズだった。





当時まだ26歳の若者だったジョブズは、ほんの数ヶ月前に突如、世界的なスターダムにのし上がっていた。彼が友人と設立した企業、アップルは、上場を果たしたばかりだった。フラッグシップとなる製品、アップルⅢは人々のテクノロジー利用に革命を起こし、彼の資産はすでに2億5,000万ドルに達していた。

ジョブズはボストンのアップル・フェスティバルでスピーチする予定だった。当時18歳のコンピュータの天才、ジョナサン・ローテンバーグがアップル製品の熱狂的ファンのために開いたイベントだ。それはジョブズの知らないところで企画されたものだったが、若く野心的なこの主催者に自分と共通するものを感じたのだろう、ジョブズは直前になって参加を承諾した。

贅肉のない細身の身体に堂々たる髭を蓄え、黒々とした長髪は耳を覆い首まで達していた。ダークスーツに青いドレスシャツ、ブラックタイといういでたちでなければフォークシンガーといったところだ。ワイドフレームの眼鏡が角ばった顔を半分以上覆っていた。彼は暑さのために上着を脱ぎ、肩にかけていた。



昼食後、ジョブズとローテンバーグはパークプラザに戻った。その日、数百人のファンたちは、最新のアップルコンピュータをいじくり回し、情報を交換し、コンピュータが自分の人生を、そして世界を今後数年でいかに変えるかを夢想していた。今や彼らはボールルームに集結し、自分たちの夢を実現させた男の登場を今か今かと待ち構えていた。

ジョブズは若さに似合わず沈着冷静で、億万長者に相応しい満足げな笑みを浮かべていた。とはいえ、1,000人近いもっとも忠実なファンを前にして、さすがのジョブズも緊張気味だった。彼らはジョブズの製品の初期からのファンであり、アップルを存続させるためにはなくてはならないハードコアユーザーだ。

基調講演の10分前、ステージの裏手では10代のローテンバーグがやはり神経を尖らせていた。基調講演の直前、二人は雑談しながらも気もそぞろだった。突然ジョブズが言った。

「ジョナサン、悪いけどちょっと失礼するよ」



ローテンバーグが振り返ると、すでにジョブズの姿はなかった。

本番直前のあがり性か?

トイレにでも行った?

あるいは、風変わりな行動で知られる彼一流のいたずら心だろうか?



長い数分間が過ぎ、ステージの向こうにはしびれを切らした聴衆が見えた。開始まであと4分。ローテンバーグはパニックに陥った。もしジョブズが恐れをなして逃げ出したのだとしたら、アップル・フェスティバルは最悪の結果を迎える。ローテンバーグはこき下ろされるだろう。

彼はジョブズの姿を求めてバックステージを捜し回った。さらに数分が過ぎた。ジョブズの姿はどこにもない。そしてついに、散らかった舞台裏の一角にジョブズの姿を見つけた。



ジョブズは地べたに足を組んで座っていた。

身体をまっすぐに伸ばし、壁を向いて微動だにしない。自分の人生でもっとも重大な瞬間の一つを目前にして、ジョブズは瞑想していたのだ。バックステージの混乱をよそにジョブズがさらに数分間の静寂のときを過ごすのを、ローテンバーグはじっと見つめていた。

ついにジョブズはおもむろに立ち上がり、ローテンバーグに笑顔を向けながらステージに向かって歩き出した。

カーテンの向こうから現れたジョブズにスポットライトが当たると、聴衆は熱狂の叫びを上げた。







混乱のさなかでのジョブズの冷静さと集中力は、彼を偉大なリーダーたらしめた資質の一つだ。彼は完璧とはほど遠い人間だったが、その集中力と洞察、想像力は、彼とアップル社を抜きんでた存在にした。

バックステージでジョブズは、聖なる存在に祈っていたのでも、曼荼羅をイメージしたり、マントラを唱えていたりしたわけでもない。おそらく彼は、瞑想の師に教わったシンプルなこと−−自分の呼吸と身体に注意を向け、心の中に湧き上がる考えを、判断を加えることなくただ観察する−−を行っていたに違いない。

彼は「マインドフルな瞬間」に浸っていたのだ。









引用:マインドフル・ワーク 「瞑想の脳科学」があなたの働き方を変える




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