2018年3月20日火曜日

賢くなる道があるというに…[大統領ガーフィールドの死]


1881年、時のアメリカ大統領、ガーフィールド(James Garfield)が狙撃された。

凶弾は背中に命中、そのおよそ2ヶ月後、ガーフィールド大統領は死亡した。




狙撃犯、ギトー(Charles Guiteau)は裁判の席上、大統領殺害を否認した。

ギトーはこう主張した。

「ガーフィールド大統領は『医療過誤』のせいで死亡した」

と。




歴史研究者のオシンスキー(David Oshinsky)は、著書『ベルビュー病院:米国の最も由緒ある病院における医療と混乱の3世紀』で、こう述べている。

「もし医師たちが苦痛軽減処置のみにとどめていたのなら、ガーフィールド大統領はほぼ確実に生き延びていただろう。しかし医師たちは逆に、洗っていない指で弾丸を不器用に探し回り、不潔な探針を開放創に差し込んだ」





19世紀後半のアメリカでは、いまだ『細菌』の存在が疑問視されていた。

ベルビュー病院のベテラン医師であったルーミス(Alfred Loomis)は、ふざけ半分にこう語っている。

「空気中に細菌がいるそうだが、私には見えないね」

狙撃されたガーフィールド大統領の医療処置にあたった外科医ハミルトン(Frank Hamilton)は、「手や器具を洗浄しようとはまるで考えなかった」。

というのも、手洗いと器具洗浄というのは当時最新の考え方であり、守旧派の60代後半だったハミルトン医師の容認するものではなかったのである。



人間が細菌の存在を信じようと信じまいと、細菌にはお構いなしだ。

ガーフィールド大統領は狙撃から死亡までの2ヶ月間で、体重が100ポンド(45kg)近く落ちた。死後解剖の結果、彼は感染症に侵されており、遺体の大部分は膿だったという。



はたして、狙撃犯ギトーが裁判で主張した言葉、「ガーフィールド大統領は、医療過誤のせいで死亡した」は正しかったのだろうか?

いまとなっては、すっかり後の祭りである。

ギトーはすでに絞首刑に処されてしまったのだから。



S. マースキーは、こう締める。

「人間はいつも、ある大きな問題に直面しがちである。つまり、『賢くなる道があるというのに、あくまでも愚かでありつづけようとする』という問題に、だ」



(了)



出典:日経サイエンス2017年4月号
S. マースキー「見る目を持とうよ」

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