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2018年5月16日水曜日

「16年間で2歳しか老化しなかった人」の話


From:
レイ・カーツワイル
Ray Kurzweil
『シンギュラリティは近い』


デザイナー・ベビーブーマー


病気の進行や老化を遅らせるための情報はすでに十分でそろっているので、わたしを含むベビーブーマーは、バイオテクノロジー革命が頂点を極めるまで、この健康をいじできるだろう。そしてバイオテクノロジー革命そのものが、ナノテクノロジー革命への架け橋となる。

わたしは、長寿研究の最先端にいる医学博士、テリー・グロスマンとの共著『素晴らしい未来への航海――永遠の命を手に入れる(Fantastic Voyage: Live Long Enough to Live Forever)』で、画期的な長寿へと導く3つの架け橋(現有の知識、バイオテクノロジー、ナノテクノロジー)について説いた。

その本に、こう記している。

「同世代の人の中には、老化を人生のひとつの過程として潔く受け入れようとする人もいるが、わたしの考えは違う。老化は『自然なこと』かもしれないが、頭がさびついたり、感覚が鈍くなったり、体が硬くなったり、性欲が衰えたり、なんであれ人間の能力が失われていくのを肯定的にとらえることなど、私にはできない。わたしから見れば、何歳になっていても病気と死は不幸な出来事であり、克服すべきものなのだ」






その本で「第一の架け橋」とみなした「現有の知識」には、知識を最大限に活用し、老化を大幅に遅らせ、心臓疾患や癌、Ⅱ型(インシュリン非依存型)糖尿病、脳卒中といった深刻な病を治すことも含まれる。

われわれは、事実上、自分の生化学的組成をプログラムし直せるようになった。つまり、現有の知識を積極的に活用すれば、大多数の病気を支配する遺伝的運命を克服できるところまで来ているのだ。「遺伝でほとんど決まっている」というのは、健康と老化に対してこれまでと変わらず、受け身でいる人の逃げ口上である。

わたし自身の話が教訓になるだろう。

20年以上も前に、わたしはⅡ型糖尿病と診断されたが、従来の治療では悪化する一方だったので、発明家としての観点から、この健康を脅かす難問に取り組んだ。専門文献を読み漁り、独自のプログラムを開発し、ついに糖尿病の治癒に成功したのだ。

1993年に、この経験をもとにして健康に関する本(『健康的な生活を送るための10%の解決策(The 10% Solution for a Healthy Life)』)を書いた。今もその症状や合併症はまったく出ていない。





40歳のとき、わたしの生物学的年齢は38歳前後だった。

現在56歳だが、グロスマンの長寿クリニックで生物学的年齢を総合的に(さまざまな感覚の鋭敏さ、肺活量、反応時間、記憶力、その他のテストによって)測定したところ、40歳という結果がでた。

生物学的年齢の測定方法についてはいろいろは意見があるが、わたしの点数は40歳の平均値と一致している。つまり、この一連のテストによると、過去16年間で、それほど老いていないことになる。それはいくつも受けた血液検査の結果とも一致しているし、実感でもある。

こうした結果は偶然の産物ではない。わたしは自らの生化学的組成を果敢に再プログラムしてきたのだ。毎日サプリメントを250粒摂取し、週6回、静脈内投与(基本的には栄養補給剤を直接血流に注入し、胃腸管を迂回させる)を受けている。その結果、体内の代謝反応はそうしなかった場合とは格段に違ってきた。

…

ケンブリッジ大学遺伝学科の科学者、オーブリー・デ・グレイは生物の基礎となっている情報プロセスを変化させて老化を阻止することを、深い洞察力をもって熱心に訴えている。

デ・グレイは家のメンテナンスをたとえに使っている。

家はいつまで使えるだろう? それは、あなたの手入れ次第だ。なにもしなければ、じきに屋根から雨漏りしはじめ、家は風雨に侵され、やがて崩壊する。しかし先手をうって構造を手入れし、壊れたところは全て直し、危険に対処し、新しい部材や技術をもちいて修繕やリフォームをしていれば、基本的に家の寿命に限界はなくなる。

われわれの身体や脳も同じことだ。

唯一の違いは、家を手入れする方法は熟知していても、生命の生物学的原則は、まだ完全にわかっていないところにある。しかし、生命の生化学的なプロセスと反応経路への理解が急速に深まるにつれて、その知識もかなりの速さで増えている。

そして老化とは、否応なく前進させられる一本の道ではなく、関連するプロセスのまとまりと見なされるようになってきた。

…



From:
レイ・カーツワイル
Ray Kurzweil
『シンギュラリティは近い』

「楽をしたければ『直後に思い出せ』これが記憶の鉄則である」


From:
週刊東洋経済 2016年10/8号




篠原菊紀
『効率的な記憶術 7つのワザ』


ポイント1
覚えようとせずに、直後の思い出す


記憶には、

①覚える=記銘
②覚えておく=保持
③思い出す=想起

の3つの段階がある。3つは本来は別々の働きで、脳のなかで働く部位も違っている。しかし、記憶の神経ネットワークとしては一体化して働いている。記憶するとは、このつながりを強固にすることである。神経ネットワークの部分部分だけをつくることはできないのだ。

だから、何かを覚えたいのならば、一方通行でやみくもに詰め込もうとせず、いったん情報を入力したら「思い出す(想起する)」ところまでしておくことが肝要だ。


米ワシントン大学の研究グループが実施したこんな実験がある。

2つのグループに「およそ250の単語からなる文章を記憶する課題」を与えた。片方のグループは7分間記憶し、さらにもう7分間を記憶する時間にあてた。もう一方は、7分間記憶し、7分間を覚えた文章をできるだけ「書き出す」ことにあてた。それから両グループに確認テストをした。

作業直後である5分後には、「記憶、さらに記憶」のグループのほうが成績がよかった。ところが2日後は「記憶して書き出す」のグループのほうが良好な成績だった。これは1週間後でも同じだった。


脳は、インプットよりもアウトプットを重視する。「出力依存性」をもつ。

記憶に深く関係する海馬は、思い出したり、使ったりすると、それが自分にとって大事なことだと判断するようで、それだけしっかり覚えようとしてくれる。

資格試験の試験勉強でも、単に読んで、蛍光マーカーをひくよりも、読んだ直後に目をつぶって思い出してみたほうが、長く頭のなかに定着する。受験勉強ならば、チェックテストを多用したり、誰かに説明したりすることだ。記憶を引き出すことが効果をうむ。

楽をしたければ、直後に思い出せ。これが記憶の鉄則である。






ポイント2
覚えようとせず、すぐに使う

効率よく記憶するためには、「直後に思い出す」とならんで「直後に使う」ことが大事である。

2011年にサイエンス誌に掲載された有名な論文がある。

短い科学論文を、大学生200人に5分間、読んでもらった。その後、大学生を4つのグループに分け、

「読んだ後に何もしない」
「10分間、何度も繰り返し読む」
「10分間で内容をまとめるコンセプトマップをつくる」
「10分間で読んだ内容に関する自由なエッセーを書く」

を課した。

1週間後にどれだけ記憶しているかのテストをしたが、その前に記憶に対する自信をたずねた。被験者には「すごく自信がある」から「まったく自信がない」まで、自信の度合いを回答してもらった。

「何度も繰り返し読んだグループ」が最も高い自信を示す一方で、「エッセーを書いたグループ」は自信が最も低かった。

結果が興味深い。論文の中身をたずねる質問でも、そこに書かれたことから類推しうる事項をたずねる関連質問でも、成績が最も良かったのは「エッセーを書いたグループ」だった。

エッセーを書くことは、読んだ内容を思い出しながら、それを組み合わせてアウトプットしようとする行為だ。この実験からは、直後に思い出すだけでなく、直後に思い出しつつ使うと、「記銘、保持、想起」のネットワークが強化されることがわかった。

想起(再生)することと、「使う・組み合わせて答えを考える」ことで記憶は強固になる。なにもエッセーを書く必要はない。箇条書きのような短い文章をいくつか書くだけで効果がある。

…




From:
週刊東洋経済 2016年10/8号

2018年5月15日火曜日

AIには出来ない、人間らしさ最後の砦とは?


From:
週刊東洋経済 2016年10/8号




池谷裕二
『人工知能と人間の脳との境界が揺らいでいる』


――人間の創造性を、AI(人工知能)がまねるのは難しいのでは?


たとえば私たちが絵を描き、作曲するという創造的な活動は、人間にしかできないと考えてきた。しかし今では、人工知能に「シェイクスピアのような詩を書いてくれ」と命じれば、専門家でさえ本物かどうか見分けがつかないような高いレベルの詩が書けるようになっている。

今年にはいり米国マサチューセッツ工科大学が、最近の人工知能の創造性について「人間のクリエイティビティに疑問を呈する」とレビューを書いています。創造性とは脳で考えるものですが、脳の作用なんて電気化学反応でしかない。ならば人工知能が芸術を生んでもおかしくない。

マイクロソフトが人工知能に描かせたレンブラントの絵を見ると、相当なプロでも真作と見分けがつかない。でも人工知能は真似よりも創造的なことが得意で、アニメのようなパステル画にレンブラントを描き直すこともできる。こうなるとクリエイティブですよね。

バリエーションやコンビネーションを駆使し、これまで芸術家たちが手掛けてこなかった独創性の高い音楽や絵画や詩をつくることも人工知能なら可能。ただし人間の感性の幅は狭いので、人工知能による独創的な作品を受け入れられるかどうかは別ですが…。


――人間にしかできないことはなくなりますか?


ありますよ。うじうじしたり、イライラしたり、カッとなったりする感情です。こうした感情を人工知能にもたせることは可能ですが、不要なのできっとプログラミングされませんよね。

それが人間らしさの最後の砦になるかもしません。

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From:
週刊東洋経済 2016年10/8号

「つまりネズミは、過去―現在―未来を認識しながら、移動しているのです」


From:
週刊東洋経済 2016年10/8号




藤澤茂義
『記憶の司令塔、海馬を解明する』


過去、現在、未来をネズミは認識している


ではエピソード記憶は海馬において、具体的にどのように形成されているのでしょうか。海馬研究の歴史のなかでも重要なものの一つに、2014年ノーベル生理学・医学賞を受賞したジョン・オキーフ、エドヴァルト・モーザー、マイブリット・モーザーによるネズミを用いた空間認識に関する研究があります。

オキーフたちは、ネズミの脳内には空間認識をつかさどる部位があり、それはきっと海馬だろうという仮説を立てました。海馬には視覚や触覚、味覚、聴覚などの情報が感覚野から集められているため、これらを海馬で統合し空間認識をおこなっているのだろうと考えたのです。

そこでネズミの海馬に極小電極を埋め込んだうえで、四角い箱に入れて自由に走り回らせ、海馬のニューロン(神経細胞)の活動の様子を観察しました。

すると、箱の中で左上に来たときには、海馬のニューロンのなかでも、ある一つのニューロンが発火(興奮)し、右下に来たときにはまた別のニューロンが発火するというように、移動する場所によって、発火するニューロンが異なることがわかりました。

オキーフたちは、特定の場所にいるときに反応するニューロンのことを「場所細胞」と名付けました。つまり海馬の場所細胞によって、マウスは自分が空間のどの位置にいるかを認識しているわけです。

さらに彼らは、「場所細胞の位相前進」という面白い現象を発見します。ネズミが箱の中を場所1、場所2、場所3とどんどん移動していくと、その都度、場所細胞1や2や3が発火します。場所細胞の発火は1回で終わらず、その後もある一定の間隔で発火しつづけるのですが、そのタイミングが少しずつ前へとずれていきます。

すると場所2に来たときは、0.1秒の短い時間で、まず場所細胞1が発火し、つぎに場所細胞2、そしてこれから向かおうとしている場所細胞3の順番で発火します。自分がどこから来て、今どこにいて、これからどこへ行こうとしているかについての情報が、海馬において短い時間のなかに圧縮して表現されているわけです。

つまりネズミは、過去―現在―未来を認識しながら、移動していると考えられます。

画像:週刊東洋経済 2016年10/8号


休んでいるときも場所細胞が発火


オキーフたちによる場所細胞や、場所細胞の位相前進の発見の後、今度は米国のデイビッド・フォスターという研究者が、ネズミが箱の中を走り回るのをやめて体を休めているときも、場所細胞の発火が再生されているのを見つけました。

しかもこのときには、場所細胞5→4→3→2→1というように、逆の順番で、時間的に圧縮されて再生されていることがわかりました。

これはネズミが箱の中を走り回った経路を思い出し、覚えようとしているということだと推測されます。エピソード記憶は海馬のなかで、こうやって形成されているわけです。これは人間もほぼ同じであると考えられています。

興味深いのは、場所細胞の圧縮再生の活動は、睡眠中にも見られることです。記憶の定着にとって、睡眠は非常に大切であるということです。エピソード記憶はマウスよりも犬や猫、チンパンジーや人間というように、脳の進化につれて、より高次かつ複雑な記憶を形成し、維持することが可能になっていきます。

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From:
週刊東洋経済 2016年10/8号



藤澤茂義
『記憶の司令塔、海馬を解明する』

2018年5月12日土曜日

コウモリが「空飛ぶ変な哺乳類」であるように、鳥も「変な恐竜」なのだ。


From:
日経サイエンス2017年6月号
Stephen Brusatte
『羽根と翼の進化』


…

鳥類には他のすべての現生動物と一線を画す特徴がおおくある。飛行能力をもたらす形質だけでなく、代謝が極めて高いために驚くほど成長がはやく、脳が大きいために高い知性と鋭敏な感覚をそなえている。実際、鳥類は非常に独特なので、研究者たちは長い間その起源について頭を悩ませてきた。

1860年代、ダーウィンの親友の一人で、もっとも声高な支持者だったイギリスの生物学者ハクスリー(Thomas Henry Huxley)は、鳥類の起源の謎に挑みはじめた。





ダーウィンが1859年に『種の起源』を出版してからわずか数年後、独バイエルンの採石場で、労働者が割った石灰岩のなかから1億5千万年前の骨格があらわれた。爬虫類のような鋭いカギ爪と長い尾、鳥のような羽毛と翼をあわせもつ動物の化石だった。

始祖鳥(Archaeopteryx)と命名されたこの動物が、やはりその当時に見つかりはじめていたコンプソグナトゥス(Compsognathus)などの小型肉食恐竜に不気味なほど似ていることにハクスリーは気づいた。

そこで彼は「鳥類は恐竜の子孫である」という大胆な説を発表した。ほかの科学者は彼の説に反対し、議論はその後100年間、行ったり来たりの状態だった。





この議論は、よくあることだが、新しい化石の発見によって決着がついた。

1960年代中頃、エール大学の古生物学者オストロム(John Ostrom)が北アメリカ大陸西部で、驚くほど鳥に似た恐竜デイノニクス(Deinonychus)の化石を発見した。その長い前肢は翼のように見え、しなやかな体つきは活動的な動物を思わせた。





デイノニクスには羽毛まで生えていたとオストロムは推測した。もし鳥類が恐竜から進化したのなら(そのころには多くの古生物学者がこの説を受け入れはじめていた)、その進化系統のどこかで羽毛が生じなくてはならない。

だが、彼には確信がなかった。手元にあるのはデイノニクスの骨だけだったからだ。残念なことに、羽毛のような軟らかい組織はほとんどの場合、動物が死んで腐敗し、地中に埋まって化石化する過程で失われてしまう。

オストロムは待った。鳥類と恐竜の関係を疑いの余地なく証明できる聖杯、羽毛があったことを実証できる細部まで保存された恐竜の骨格を探しつづけた。





そして引退間近の1996年、彼はニューヨークで開かれた古脊椎動物学会の年次会合に出席し、現在カナダのアルバータ大学にいるカリー(Philip Currie)に声をかけられた。やはり鳥に似た恐竜を研究していたカリーは中国から戻ったばかりで、同国で驚くべき化石のことを耳にしていた。

彼は一枚の写真を取りだしてオストロムに見せた。それにはなんと、羽のようなふわふわしたものに囲まれた、小さな恐竜が写っていた。この恐竜は、ポンペイのように火山灰によって素早く埋められたため、完全な状態で保存されていた。

オストロムはうれし泣きした。羽毛恐竜が、ついに発見されたのだ。






この化石は後にシノサウロプテリクス(Sinosauropteryx)と命名され、これを皮切りに新たな化石がつぎつぎに発見された。

科学者たちはゴールドラッシュ時代の採掘者のように、その恐竜が発見された遼寧省に駆けつけたが、どこを探したらよいかを知っていたのは地元の農夫たちだった。同省ではそれ以降、これまでの20年間に、20種類以上の羽毛恐竜の化石が見つかっている。

全長が9mもあって毛髪のようなもので覆われたティラノサウルス・レックス(Tyrannosaurus rex)と、同系統の初期の恐竜や、ヤマアラシの針のように羽毛が生えた犬ほどのサイズの草食恐竜、完全な翼をもつカラス大の飛翔恐竜などだ。これらの化石は、世界で最も有名な化石に仲間入りした。





遼寧省で発見されたこれら羽毛恐竜によって議論は決着した。

鳥類は実際に恐竜から進化したのだ。ただ、この言い方は両者が完全な別物であるような印象をあたえる点で、やや不適切かもしれない。実際には「鳥は恐竜だ」。

鳥類は恐竜と祖先を共有する、多数の下位グループの一つであり、トリケラトプス(Triceratops)やブロントサウルス(Brontosaurus)とまったく同様に恐竜なのだ。

次のように考えてもよい。

コウモリが「空飛ぶ変な哺乳類」であるように、鳥も「変な恐竜」なのだ。

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From:
日経サイエンス2017年6月号
Stephen Brusatte
『羽根と翼の進化』



2018年5月9日水曜日

わずか1bit、されど1bit【情報量の意味とは】


From:
斎藤 由多加
『ハンバーガーを待つ3分間の値段』




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「よくも、これだけの車が走っていて、無事でいられるな」

と高速道路を運転しているときに思います。

スチール製のこの無表情な物体の唯一の表情といえば、ウィンカーくらいですが、そこで発することができるのは、わずか1bit の情報量でしかありません。たったこれだけの情報が、高速道路の秩序を保っていると考えると、とても不思議です。

…

大雑把に言うと、野球選手がやっていることといえば、「投げる」「打つ」「走る」「捕る」のどれかです。どれをとっても、一つ一つは単純なアクションで、ほとんど意味をもたない。

注意深く周囲を見回してみると、実はこれは野球に限ったことではないことに気づきます。サッカー、ラグビー、将棋、麻雀、トランプ…、すべてのかけひき(ゲーム)に共通しているのは、「一つ一つのプレイは、ほんのわずかな情報量しかもっていない」ということです。しかし、これらが「特定のルール」に則って行わるとき、それらは別の大きな意味をもってきます。

今年、ドイツでサッカーのワールドカップが開催されますが、日本代表の「シュート」という1bit の情報が、日本人の意識のなかでは数百メガバイトの意味となって駆け巡ります。この、ごくわずかな情報を大きな価値に増幅させてしまう力こそ、もしかしたらインテリジェンスと言われるものではないでしょうか?

「選手が蹴ったボール」=「わずか1bit ほどの情報」

がどれだけ観衆を熱くするか、世界の熱狂ぶりからわかるのは、デジタル的な情報量とは無関係に、私たちの意識のなかで情報は変質するということです。興味のない人たちにとっては無意味なことかもしれませんが、特定の人にとっては、巨大な意味をもつ、それがスポーツの特徴です。

…

わずかな情報を大きな価値に変換するインテリジェンスをもった人々…、彼らは、一般的には「ファン」と呼ばれますが、野球やサッカーのように全国的に浸透するにいたった国民的スポーツでは、たくさんの人がそのインテリジェンスを備えていることを意味します。

…

ルールを知っているファンが多ければ多いほど、そのゲームの資産価値は高い、ということになります。ブランド・メーカーがそうであるように、ソフトウェア企業の資産価値の算定基準は、実はここにあると思います。

つまり、つきつめると付加価値というのはすべて、モノではなく人間の側にその受け皿があるかないか、で決まるものではないかと思うのです。

…

デジタルの世界では、「200バイトの詩」と「2メガバイトの書籍」では、圧倒的に後者のほうが情報量が多い、という暗黙の了解がありますが、ひとたび人間を経由すると、数行の詩が、一冊の百科事典に勝る影響力にまで増幅されます。

ビートルズのたった数行の歌詞が人生を変えた、という話はあちこちに存在していますが、それを可能にしているのはメディアや技術の力ではなく、人間の力です。

この解釈する力を一般的に「感受性」と呼び、そしてこれを利用し、より少ない情報量でメッセージを伝える作品の力を「芸術性」と呼ぶのではないか、と私は思っていますが、この両者がかみあったとき、はじめてコミュニケーションという目的が達成されるようです。

私がゲームを制作していて常日ごろ思うのは、64 bit のグラフィックエンジンとフル3Dモーションをつかったゲームが、果たして二色刷りのトランプやマージャン牌がもたらす興奮に勝てているのだろうか、という疑問です。むしろ、説明過多になればなるほど、受け手の入り込む余地を狭めてしまうような気がしてならない。

…

業界に身をおく人はみな、

「何百Mbps までいけば、顔を突き合わせた現実の人間のやりとりに到達するのか」

なんてことを考えてしまいます。生の対面というのは、果たして何Mbps の情報量で結ばれているのだろうか、と。

その答えはわからない。「わからなくてもしょうがない」ではなく「わからないのが正しい」という意味です。

「生演奏はCDの何倍、音がいいの?」

という質問に似ています。無限の情報源から何を受け取るかは、おのずと受け手のIQに比例します。

…

人間がひとつの目的をもったとき、かならずしも「情報量が多いこと」がリアルとはならないようです。

実はこれ、ゲームの重要な考え方です。どんなにすばらしいCGをつくったところで、プレイヤーの思考のなかで化学変化をおこせないものは、不要なノイズにすぎないのがゲームです。

画面の上に投影されただけでは「情報」はあまり価値をもたない、ということです。どんなに大容量の処理ができるようになったとしても、人間の思考に入り込んで、補完され、そして増幅されないかぎり、大した影響力をもちません。

これに対して、IT業界がこれまで単位としてきた「メガバイト」や「ギガバイト」といった単位は、あくまで技術的な処理量ですから、人間への影響力とは無関係といえます。

…

「メガバイト」「ギガバイト」といった単位に翻弄されている私たちは、情報を昇華させることを忘れているような気がしてならないのです。情報のジャンクフード化とでも言いましょうか、私たちのコミュニケーションが高カロリーの情報ばかりを摂取している様は、燃費のまるで悪いエンジンを見ているようです。

渋滞した高速道路で、私の車の前に割り込もうと、一台のクルマがだした1bit の情報。そこに感じたドライバーの厚かましい性格は、あるいは私の拡大解釈がなせる、単なる誤解だったのでしょうか…。

…

From:
斎藤 由多加
『ハンバーガーを待つ3分間の値段』



人間とサルにしかない細胞【感情の小さな秘密】


From:
レイ・カーツワイル
シンギュラリティは近い




…

人間の脳のもっとも複雑な能力――わたしはこれがもっとも決定的なものだと思う――が、感情に関わる知能だ。

われわれの脳の複雑で相互に連結された階層の最上部に不安定に位置するのは、さまざまある高次の機能の中でも、感情を知覚し適切に反応し、社会的な状況において互いに交流し、道徳観をもち、冗談を理解し、絵画や音楽に感情的に反応する能力だ。

知覚や分析のより低次の機能が脳の感情のプロセスに送り込まれているのは確かだが、脳のこの領域についての理解はようやく始まったばかりであり、こうした問題を扱う特殊なタイプのニューロンのモデル化も着手されつつある。

これらの新たな洞察は、人間の脳が他の哺乳類の脳とどのように異なるのかを理解しようとした研究から最近になって得られたものだ。人間と他の哺乳類との間の差異はごくわずかではあるが決定的なものだというのが、その答えである。

その違いから、脳がどのようにして感情やそれに伴う気持ちを処理するのかを知ることができる。違いのひとつに、人間にはより大きな皮質がある、という点がある。そのために、計画や、判断、その他の形の分析的な思考を行う能力が高くなっている。

もうひとつの重要な違いを表す特性は、感情をかきたてる状況が、紡錘細胞と呼ばれる特殊な細胞で処理されているらしい、ということだ。この細胞は、人間と、数種類の類人猿にしか見つかっていない。この神経細胞は大きく、先端樹状突起と呼ばれる長い組織をもち、それが、他の多数の脳の領域から入ってくる広範な信号とつながる。

こうした類いの「深い」相互連結、つまり、ある種のニューロンが多数の領域にわたる連結を確保している、という特徴は、進化の梯子を上に登るにつれ、ますます多く目につくものだ。このように感情や道徳判断の処理に関わっている紡錘細胞が、深い相互連結の形態をもっているということは、われわれの感情的な反応の複雑さに鑑みれば、驚くことではない。

ところが、驚くべきことは、この働きを担う脳の領域もそもそも小さいが、紡錘細胞がその中にごくわずかしかないことだ。人間の脳にはおよそ8万個しかない(右半球に約4万5千、左半球に約3万5千)。左右の半球で数に差があるのは、感情的な知能は右脳の領分だとする認識を裏づけるものに思われる。ただし、その差はわずかであるが。

ゴリラにはこの細胞が約1万6千個あり、ボノボには約2,100個、チンパンジーには約1,800個ある。残りの哺乳類には、この細胞はまったくない。



アリゾナ州フェニックスにあるバロー神経学研究所のアーサー・クレイグ博士は、最近、紡錘細胞の構造についての論考を発表した。

皮膚や筋肉や器官やその他の領域にある神経など、身体からの入力(毎秒数百メガビットと推定)が、上部脊髄に流れ込む。これらの入力は、手触りや温度、酸の量(筋肉中の乳酸など)、胃腸管を通る食物の動き、この他さまざまな種類の情報を、メッセージとして運んでいる。

このデータは、脳幹と中脳を通じて処理される。ラミナ1ニューロンと呼ばれる重要な細胞が、最新の状態を反映した身体マップを作成する。これは、航空管制官が飛行機の経路をたどるのに使う図に似ていなくもない。

そのあと情報は、後腹内側核(VMpo)と呼ばれる豆粒ほどの大きさの領域に流れ込む。ここは、身体の状況にたいして複雑な反応を計算するところだ。たとえば、「まずい味だ」とか、「くさいぞ」とか、「この軽いタッチが刺激的」とか。

ますます高度になった情報は、大脳皮質の中の、島(とう)と呼ばれる2つの領域にたどりつく。小さな指くらいの大きさのこの構造は、皮質の左右にそれぞれ位置している。クレイグは、VMpoと2つの島の領域を「モノ的なわたしを表すシステム」だと描写する。

メカニズムはまだ解明されていないが、これらの領域は、自己認識や複雑な感情にとって非常に重要なところだ。他の動物のこれらの領域は、ずっと小さい。たとえばVMpoは、マカクでは砂粒ほどの大きさだし、もっと下等な動物ではさらに小さい。

こうした発見は、われわれの感情は脳の中でも身体マップをもつ領域と密接に関連している、とするアイオワ大学のアントニオ・ダマシオ博士が提唱し、広く受け入れられつつある考え方と一致している。さらにまた、われわれの思考の多くは、身体に向けられていて、身体を保護し強化するとともに、身体の無数のニーズや欲求に応えている、とする見方とも一致している。

つい最近、もともとは身体からの感覚情報として生じたものが、さらにまた別のレベルの処理を施されている事例が見つかった。

2つの島の領域から発せられたデータは、前部島皮質と呼ばれる右島の前方にある小さな部分に向かう。ここは紡錘細胞のある領域であり、fMRIのスキャンから、愛情や怒りや悲しみ、性的な欲望などの高次の感情を覚えるときには特に活発になることが明らかにされている。紡錘細胞が強く活性化される状況には、被験者が恋人を見たり、自分の赤ん坊が泣く声を聞いたりしたときなどがある。

人類学者たちは、紡錘細胞は1千万年前から1千5百万年前に、いまだ発見されてはいない、サルと初期のヒト科の共通の先祖の中に初めて登場し、およそ10万年前あたりにその数を急速に増やした、と考えている。

おもしろいことに、紡錘細胞は新生児には存在せず、4ヶ月目ぐらいになってようやく出現しはじめ、1歳から3歳までのあいだに著しく増える。子どもが道徳的な問題を考えたり、愛情などの高いレベルの感情を察知したりする能力は、これと同じ時期に発達するものだ。

紡錘細胞は、長く伸びた先端樹状突起が脳の他の多くの領域と深く相互連結することからパワーを得ている。したがって、紡錘細胞が処理する高次の感情は、知覚や認識に関するすべての領域の影響をうけていることになる。よって、紡錘細胞が接続している多数の領域のモデル化を改善しないかぎり、紡錘細胞の正確な働きのリバースエンジニアリングは難しいだろう。

それにしても、感情に専門で関わっているこうしたニューロンの数が、これほど少ないとは驚きだ。技能育成に関わるニューロンは、小脳のなかに500億あり、知覚や合理的な計画のための変換をおこなうニューロンは大脳皮質のなかに数10億あるというのに、高次の感情をあつかう紡錘細胞が、たったの8万個ばかりとは。

銘記しておくべきは、紡錘細胞は合理的な問題解決をおこなわない、ということである。音楽に反応したり、恋に落ちたりするのを、合理的にコントロールできないのはそれゆえである。だが、脳の残りの部分は、謎の多い高次の感情をなんとか理解しようと懸命に努力している。

…

From:
レイ・カーツワイル
シンギュラリティは近い



決断する0.3秒前には…【意識の幻想】


話:レイ・カーツワイル
シンギュラリティは近い



…

人間の脳のもうひとつの重要な特性は、予測を立てる能力だ。これには、みあずからの判断や行動の結果を予測することも含まれる。予測は、大脳皮質の主要な機能だと考える科学者もいる。ただし、小脳も、運動の予測においては大きな役割を果たしている。

興味深いことに、われわれは、自身の判断を予測したり予期したりすることができる。カリフォルニア大学デーヴィス校の生理学教授ベンジャミン・リベットは、ある行動を開始させるニューロンの活動は、脳がその行動をとろうと決断する約3分の1秒前に実際に起こっている、ということを明らかにした。

これは、決断したつもりのことも、そのじつ幻想であるにすぎず、「意識はループから外れている」〔意識が「決断」する前に脳が命令している〕ということを意味している、とリベットは言う。

認知科学者で哲学者のダニエル・デネットは、この現象を次のように解説している、「行動はもともと、脳のある部分でとつぜん引き起こされ、信号が筋肉に飛ばされるものなのだが、途中で一息入れて、意識の代理人であるあなたに、なにが起きているのかを教えてくれる(ただし、気が回る役員よろしく、いばりくさった社長のあなたが、自分がそれを始めたのだという幻想をもてるようにしてくれる)」

これに関連した実験が最近行われた。神経生理学者が、脳各地点を電子的に刺激して、特定の感情を誘発させた。被験者はすぐに、そうした感情を覚えた理由を説明した。左右の脳の連結がなくなった患者は、片側の脳(たいていはしゃべるのが上手な左側)が、もう片方が身体に出した脳の指令によって生じた行動について、あたかも左脳が右脳の広報担当者であるかのように、手の込んだ説明(「作話」)をでっちあげる。このことは、もうずいぶん以前から知られている。

…



From:
レイ・カーツワイル
シンギュラリティは近い

「行き詰まったときに、どうするか、だ」【マーヴィン・ミンスキー】


人間レベルの知能で
なにより大切な特性は

それがうまく働いているときに
なにをできるか、ではなくて

行き詰まったときに
どうするか、だ。

マーヴィン・ミンスキー
Marvin Minsky



2018年5月6日日曜日

人はなぜ、あってほしいと願うものを見てしまうのか?


話:レイ・カーツワイル

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さらに複雑なパターン認識の作業において、わたしが「仮説と検証」と名づけたモデルの有用性を裏づける文献がたくさんある。

皮質は、それが見ているものが何かを推測し、実際に視野にある特徴が、その仮説に一致するかどうかを判定する。実際にわが目で検証するよりも、仮説のほうに注意がいってしまうことが多い。こう考えると、人々がなぜ、実際にそこにあるものではなく、あってほしいと願うものを見たり聞いたりするのか、ということへの説明がつく。

「仮説と検証」は、コンピュータベースのパターン認識システムでも、有用な戦略として活用することができる。

われわれは両眼を通じて高解像のイメージを受け取っているという幻想を抱いているが、視神経が実際に脳に送ってきているのは、視野の中で興味をひいた点についての輪郭や手がかりにしかすぎない。つまるところ、並行したチャネルを通って届けられた極端に解像度の低い一連の画像を、皮質が解釈し記憶したものを頼りにして、まさに世界を幻視しているのである。

2001年に『ネイチャー』誌に発表された研究論文では、カリフォルニア大学バークレー校の分子細胞生物学教授フランク・S・ワーブリンと、博士課程に在籍するボトン・ロスカ医師が、視神経には10~12の出力チャネルがあり、それぞれが、ひとつの場面について最小限の情報をはこぶ、ということを明らかにしている。

神経節細胞と呼ばれる細胞のうちの、あるグループは、輪郭についての情報(コントラストの違い)だけを送っている。他には、同色無地の広い面積だけを検知するグループがあったり、興味をひく形状の背景だけを感知するグループもある。

「わたしたちは、世界を完全に見ていると思っているが、実際に受け取っているのは、じつは、空間や時間に散らばったヒントや輪郭にすぎない」

とワーブリンは言う。

「世界をとらえた、この12の画像が、眼の前に広がっているものについて私たちが得ることのできる全ての情報であり、こんなに貧弱な12の画像から、視界に映る豊かな世界を構築している。どうして自然は、こんな12の単純な画像を選んだのだろう、私たちが必要としている情報すべてに対して、どうしてこれだけで事足りるのだろう、と不思議でならない」

この発見から、眼や網膜や初期の視神経の処理を代替できるような人口システムの開発が、大きく躍進するように思われる。

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From:
『シンギュラリティは近い』
レイ・カーツワイル