…
たとえば、尊者よ。
市場から、あるいは鍛冶屋からとても清らかな浄化された青銅の鉢が運んで来られる。その鉢に、所有者たちが蛇の死骸や人間の死骸を入れて、別の青銅の鉢でもって蓋をして、別の市場に行くとしよう。
その鉢を人が見てこう言うだろう。「あれあれ、一体これは何が運ばれているのだ。とても素敵なもののようだ」と。
立ち上がって、それを開けて覗き込むとしよう。見たとたんに、彼には不快さが確立し、嫌な思いが確立し、また嫌悪の思いが確立するだろう。飢えた人たちですら食べようと欲しないだろう。いわんや満腹した人たちをや、である。
…
たとえば、尊者よ。
市場から、あるいは鍛冶屋からとても清らかな浄化された青銅の鉢が運んで来られる。その鉢に、所有者たちが黒粒を選別除去した白米の御飯を、種々のスープを、種々のおかずを盛って、別の青銅の鉢で蓋をして別の市場に行くとしよう。
それを人が見て、こう言うだろう。「あれあれ、一体これは何が運ばれているのだ。とても素敵なもののようだ」と。
立ち上がって、それを開けて覗き込むとしよう。見たとたんに、彼には好ましい思いが確立し、嫌でない思いが確立し、嫌悪しない思いが確立するだろう。満腹した人たちでさえも食べたいなあ、と思うだろう。いわんや飢えた人たちをや、である。
…
引用:
原始仏典 中部経典
第五経 無穢経
0 件のコメント:
コメントを投稿