話:鈴木大拙
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はじめの問答はどういうことかというと、一般に”風幡心動(ふうばんしんどう)”ということを言っている。
広東の市に出て来られると、ある寺で坊さんが涅槃経を講ずるというのである。仏教の経典でもだいぶ大切なお経の一つであるが、寺院には幡(はた)がよく立っている。ことに日本でも曹洞宗の寺院になると幡が立っているのを見る。その幡が風で動く。すると寺の前で坊さんが議論を始めた。
「幡(はた)が動くのか、あるいは風が動くのか」
というような塩梅に。よく鐘が鳴るのか、撞木がなるのかというが、それと同じように、風が動くのか、あるいは幡がうごくのかと、非常に議論をやっておった。
するとそこに六祖(慧能)が出て来て、「それは幡が動くのでもなければ風が動くのでもなくして、これは汝の心が動ずるのである」ということを言われたという話がある。
これを”風幡心動(ふうばんしんどう)”と言って伝わっているのである。
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出典:『禅とは何か』鈴木大拙
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