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2015年11月2日月曜日

The burglar and the Zen method 禅と夜盗 [鈴木大拙]



話:鈴木大拙
『禅と日本文化 - Zen and Japanese Culture』


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The following story told by Goso Hoyen (Fa-yen; died 1104), of the Sung dynasty, will help us greatly in our understanding the Zen method and Zen spirit which have been described as being against teaching based on intellect, logic, and verbalism.

宋代の五祖法演(1104歿)によって説かれた次の説話は、知力・論理・文字言語を基とする説教とは相反するものといわれる禅的方法と禅の精神を、われわれが理解する上に多大の助けとなろう。(註、原文は『五祖録』という禅宗語録に出ている)


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If people as me waht Zen is like, I will say that it is like learning the art of burglary.

人が「禅とはいかなるものか」と問えば、自分は「禅とは夜盗の術をまなぶに似たるもの」と答えるであろう。



The son of a burglar saw his father growing older and thought,

ある夜盗の息子が自分の父の年老いたるを見て思った。

'If he is unable to carry out his profession, who will be the bread-winner of this family, except myself? I must learn the trade.'

「親父が商売をやれぬとすれば、この己より外に自家(うち)の稼ぎ手はないわけだ。己が商売をおぼえねばなるまい」

He intimated this idea to his father, who approved of it.

彼はこの考を父親にひそかにもらし、父親もこれを承知した。



One night the father took the son to a big house, broke through the fence, entered the house, and, opening one of the large chests, told the son to go in and pick out the clothings.

一夜、父は悴(せがれ)を伴い、ある豪家に至り、塀を破り、屋内に入り、大きな長持(ながもち)の一つを開き、息子に「この中に入って衣服を取り出せ」と命じた。

As soon as he got into it, the lid was dropped and the lock securely applied.

息子がなかに入るや否や、父はその蓋をおろして鍵をかたく掛けた。

The father now came out to the court-yard, and loudly knocking at the door woke up the whole family, whereas he himself quietly slipped away from the former hole in the fence.

そして中庭にとびだし、「泥棒だ」と大呼し、戸を叩いて、家中のものを起こした上で、さて己はさきの塀の穴から悠々と逃げ去ってしまった。



The residents got excited and lighted candles, but found that the burglar had already gone.

家人は立騒いで灯をつけたが、盗人はすでに逃げたことが判った。

The son who remained all the time in the chest securely confined thought of his cruel father. 

その間に、長持のなかに固く閉込められた悴は、父親の無情をうらんだ。

He was greatly mortified, when a fine idea flashed upon him.

彼はひどく煩悶したあげく、名案が不意に浮かんだ。



He made a noise which sounded like the gnawing of a rat. The family told the maid to take a candle and examine the chest.

鼠の物を噛るような音を立てると、家人は下婢に「灯を取って長持を調べよ」と命じた。

When the lid was unlocked, out came the prisoner, who blew out the light, pushed away the maid, and fled.

蓋を開けるやいなや、ここに閉込められていた捕虜は飛びだした。灯を吹消した。下婢を突飛ばした。そして一目散に逃出した。



The people ran after him.

人々は彼を追いかけた。

Noticing a well by the road, he picked up a large stone and threw it into the water.

彼は路傍に井戸を認めたので、大石を抱き上げてこれをその水中に投じた。

The pursuers all gathered around the well trying to find the burglar drowning himself in the dark hole.

すると、暗い井のなかに、盗人が入水したのだと思って、追手はことごとく井戸の周囲に集まった。

In the meantime he was safely back in his father's house.

そのうちに彼は無事自家(うち)に戻った。



He blamed his father very much for his narrow escape.

彼は「危機一髪のところだった」と言って、父親の非道を鳴らした。

Said the father, 'Be not offended, my son. Just tell me how you got off.'

父親が言った。「まァ、憤るナ、どうして逃げてきたか、ちょっと話してみろ」

When the son told him all about his adventures, the father remarked,

そこで悴がその冒険の一部始終を語り終った時、父親は言った。

'There you are, you have learned the art.'

「それだ。お前は夜盗術の極意をおぼえ込んだ!」





引用:『対訳 禅と日本文化 - Zen and Japanese Culture』




2014年5月2日金曜日

飛躍横超 [鈴木大拙]


話:鈴木大拙


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 物理の話で有名な、量子説というものがある。不連続なところを飛び越えるのだと聞いています。

 むかしギリシアの哲学者でゼノンという人があって、この人は運動を分析して、これは不可能だと言ったということです。”ここ”から”ここ”まで来るその空間は無限に割れる。いかなる小さい何分の一ミリメートルでも、両点の空間は依然として無限に割れる世界である。その間をどんなに短くしても同じです。こんな風に無限に割れる空間だから、どうしても飛ぶということが不可能なのです。

 理屈の上で考えると、連続しているものでなく区切られるものだから、イの点からロの点、ロの点からハの点に行くには、その間を飛ばなければ行けない。その飛ぶということがどうしてできるか? イからロを通らずに、どうしてハに行くか? 亀の子が兎より一歩先に出発したとすれば、兎は永遠に亀を乗り越すわけに行かぬというのである。

 とにかく、不連続なところが事実上あるので、そこへ来ると行き詰まるのです。”路頭窮まるところ”といいますが、そこが不連続で切れているのです。ここからはどうしても飛ばんといけないことになっている。それで事実上、宗教の体験にはそんなようなことがあるので、飛躍とか横超とか言わなくてはならぬのです。



 この飛ぶということを心理的に話すと、物理的に飛ぶことに相当する。心理的体験を話すると、非常な苦しみということを考えなければいけないのです。対立の世界を非常な束縛だと感ずることがなければいかん。それを感ずること、すなわち業(ごう)という考えを有することになるのです。

 浄土のほうの見方では、罪業ということを非常に強く感じさせるように仕組んである。これを感ずると、われらはどうもこうもならんということになって、心中の苦しみはたとえようがないということになる。

 その苦しみの揚句に、”雲万重の関門を叩く”と、それが不思議に開かれる。いかにもわが全体を尽くして叩きのめす時に——自分の存在そのものを超えた時に、その門が一時に開かれるのであるから、これを他力とも天啓とも言う。



 門が開かれてみると、従来いた世界は世界でも、大いにその意義を異にするものがあることに気がつく。これを”心は浄土に遊ぶなり”と言うのである。心理的に言うと、非常な苦しい世界、その世界の苦しい中を抜け出して、楽しい処に往かしめるため、祖師方はいろんな方便でわれらを救おうとする。罪業の苦しみ、対立的な存在の苦しみなどを指摘する。

 それから、この身は本来は地獄にゆくに決まっているなどとも教える。そうなると、立っても寝てもおれぬということになる。本当にこの苦しみを痛切に感じだすと、その極に思わぬ力が出てきて、今まで飛べぬと考えていたところを飛ぶということができるのである。



 本当にこの世の苦——いろいろの意味においての苦を痛切に感じる人が、ひとたび是非やらなければならぬことは、先にも言ったごとく、飛躍または横超の経験でなくてはならぬ。対立の世界にいる限りは、何だかだ、真・美・聖とかいうようなもの、我楽苦多(がらくた)が仰山にある。

 いろいろなものを次から次へと積み上げ、重ね上げた世界では、動きがとれなくなる。賽の河原で子どもが小石を積み重ねると、鬼が出て来て、これを一度に踏み倒してしまうというが、それと同じ案配に、自分らが一心に作りあげたと考える、この世界を一瞬時に叩き潰してしまわなくてはならぬ。

 ”一拳拳倒黄鶴樓(一拳に拳倒す黄鶴楼)”、”一趯趯翻鸚鵡洲(一趯に趯翻す鸚鵡洲)”という言葉がありますが、それを体験しなくてはならぬ。一つずつ崩すというようなことでは助かることができない。積み上げた概念を、根元から転覆させなくてはならぬ。

 それは決して楽なことではない。なかなか容易ならぬ苦労だが、やってしまえば、あとは大安楽である。この安楽境を、自分は無心の境地と呼びたいのである。

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引用:鈴木大拙『無心ということ』








雲、無心にして [鈴木大拙]


話:鈴木大拙


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 ”有”が直(じき)に”無”で、無がまた直に有である。

 その有と無とを離れたようなところに何かがあって、有から無に移り、無からまた有に移ったり、またその有無が一合相になったりしていては、何もできるひまがない。一に逐われ、二に逐われ、三に逐われて、これ日も足らぬということになりはしないか。

 それよりも、三つなら三つ、二つなら二つ、何でもよい、皆一つにぐっと握ってしまう。こう握り占めたところから、二でも三でもの世界に出てくる。そうすると、そこに柔軟性というものが発見せられる。無分別というものが出てくる。木や石と同じで、”どっちに転んでもいいという世界”が出てくる。

 これが開けてくると、そこに”無心”と名付けられるべき境地が展開して来る。宗教的に本当の無心というものが、ここでわかるのだと私は思う。



 それを通俗的に、「雲無心而出岫(雲無心にして岫を出で)鳥倦飛而知還(鳥飛ぶに倦んで還るを知る)」と言う(陶淵明・帰去来の辞)。

 雲が何の意図ももたず山の洞穴のような所(岫・しゅう)から湧いて出る。それから、鳥が飛ぶのが厭になって森のねぐらに帰って来る、というほどの意味の言葉で、木になり石になると言ってもよい。

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引用:鈴木大拙『無心ということ』








柔軟心(にゅうなんしん) [道元]


話:鈴木大拙


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 むかし道元禅師が支那から帰られた時に、支那に行って何を学んで来たかと、こう人が訊ねたら、「自分は柔軟心(にゅうなんしん)を得た」と言われたとのことであるが、この柔らかいとか、固いとかいうのは、わが心の全体を挙げての働きからみて言うのです。

 この柔らかいというのは、いわゆる受動性の型、宗教の極致と言うてもいいので、柔らかでなければ物を入れようとしてもはいらぬ。なにか固いものをその中に蔵していると、”われが”といって頑張る。そんなに頑張ってしまうと、内外から来るものに対して、すぐ反発してしまう。なるべく自分がなくならなくてはいけない。

 自分というものが、大いにはっきりしないものであると言われるかもしれないが、とにかく、何だかそこに頑張るものがあると喧嘩してしまう。あるときは喧嘩もよいが、いつも喧嘩腰では困る。”自分”が倒れると”人”も倒れる。すべてが倒れてしまうと、ここから新たな世界ができる。

 柔軟なものになると、はいったものをすっと包んでしまう。こっちに何だか一物あると、これが出しゃばりたがって困る。抵抗が顔出し始めると今までの僅かの柔軟性も引っ込んでしまう。これは二つのものが一つになったといっては悪い。

 そんなら、その二つのものを超えてしまったかというと、それも悪い。二つをそのままにしておいて、しかして一つであるとでもいうか、これは円融自在(えんゆうじざい)の世界である。事々無礙(じじむげ)の世界です。事々無礙の世界が柔軟心の世界である。それが受動性のもとである。こう言ってもいいのであります。


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引用:鈴木大拙『無心ということ』



木や石のように [鈴木大拙]


話:鈴木大拙


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 これはキリスト教の人の話ですが、セント・フランシス・オブ・アッシジなる人が昔いましたが、イタリアのアッシジという所の聖者のフランシスという人のことです。

 その人は説教の中にこういうことを言っている。今のキリスト教者はみんな心がありすぎて困る。死人のように、死んだ人のように、死骸のようにならないと駄目だ、と言っています。

 それはどういう意味かというと、死骸になれば、どこかにもって行って、立てておけばそのままに立っている。しかし、押し倒せばまたそのまま倒れる、そのままになっている。人が何を言っても怒りもしない、笑いもしない。それから、それに紫の衣でも着せて説教の場所に出せば、いかにもそれに堪えないように生白い顔して、まごまごしている、こういうのです。

 これには多少諷刺がはいっているかも知れませんが、日本でも、坊さんなら紫の衣や緋の衣を着せると、得意然として、ずいぶん好い気になっているように見えることもある。人間は大抵そんなものだ。人間は死骸にならないと本当のことがわからんといってもよい。まあ、こんな意味のことだと片づけておきましょうか。



 それからまた、これもキリスト教の人で、ゼスイットの開祖のセント・イグナシウス・ロヨラであったと思いますが、その人の言うのに、今、神様が出て来て、そこの海辺にある、櫂もない帆もない捨小舟(すておぶね)、それに乗って大海に出よと命ぜられるなら、即座に出てゆく。なんら躊躇することをしない。

 あとは神のままにされて動く。波間に沈むなら沈む、大洋に浮かび出るなら浮かび出る。どこへどうなるかわからぬが、それでよいというのです。宗教生活にはそういうところがあるのです。

 木や石のようになるということは、いまの死骸のようになることであると見てよい。また、ゼスイットのセント・ロヨラのような心持になるのだといってもよい。動かせば動く、坐らせれば坐る、蹴飛ばせばとばされる。そして別に何とも不平を言わぬ、全く絶対の受動性を発揮している。そういうことがあるのです。

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引用:鈴木大拙『無心ということ』



2014年4月22日火曜日

「おのずから」 [鈴木大拙]


話:志村武


先生(鈴木大拙)は

「『誠はおのずから成るなり』というが、その『おのずから』が大切なのだ。『おのずから』にかえるようにしなければならぬ。それが一番大事なのだ」

 といわれているが、先生の目の前には、先生だけにしかできない仕事が山のように積み上げられ、それを先生は

「疲れたら寝るのだ。いつでも眠くなったら眠る」

という態度で次々と片づけていかれた。つまり「おのずから」処理していかれたのである。



この「おのずから」については、名著『無心ということ』のなかで次のように述べられる。

「もうそろそろ雁がわたって来る季節になりますが、雁が天空を飛ぶと、その影が地面のうえのどこかーー否、この目前にたたえられている水の上にちゃんと映っているではないか。雁には自分の姿を映そうという心持ちはないのだし、水にも雁の姿を映そうという心がない。一方には跡をとめる心がなく、また片一方にはそれを映しておこうという心もないが、雁が飛べばその影が水に映る。心なきところに働きがみえる…」

心なきところに見える働きが「おのずから」であり、その無功用行(むくゆうぎょう)のうちに、鈴木大拙の幸福があったのだといえる。

大拙「幸福は苦しみを超越したところにある。幸福は因果応報を出たところにあるのだ。だが、それを出るということは、因果をはなれて因果を見るのではない。因果のなかに入っていながら、それが楽しみそのものになるのだ。禅宗のほうではこの点を強調する。地獄へいって、針の山にいるのが苦しいかというと、自分を捨てているとすれば、その苦しみに苦しみながらも、それが楽しみになるかもしれん…」

西田幾多郎「大拙は身辺に事があると、こまる、こまる、といっているが、あまり困っているようでもなかった」



先生の人生には、春になると花が咲き、冬になると雪が降るというような、自然そのままの味わいがあった。先生は、微風にそよぐ一輪のコスモスにふと足をとめる。

「花はよく春を忘れないで咲くものだ。花自身からいえば、花咲くのではない。ひとりでに咲いて散るだけのことだ。花はなんの造作もなく、無為にして咲き出てくる…」

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引用:
「也風流庵 家語」志村武







銅羅ひと打ち [鈴木大拙]


話:柳宗悦


 ある日日差しのよい秋のことであったが、差し込む日光を浴びつつ、その室で先生(鈴木大拙)と話をしていた時、たまたま来客の報らせがあった。絶えざる来客に悩まされている先生は、少し迷惑そうな顔をされた。

 野暮くさい身形をした通訳を伴って、西洋の婦人がまもなくその室に入ってきた。先生は「何御用かなあ」と英語で尋ねられた。すると、その婦人は「仏教のことをお伺いに上がりました」と答えた。

 その時、先生はすぐ仏壇のほうに向き直られて、朱塗りの握り手のあるバイ(打ち棒)を取って、いきなり備えつけてある平銅羅をひと打ちされた。この銅羅はとても良い音のする一個で、往年文庫のために私が京都で幸運にも探し出したものなのである。もとより静寂な丘上の文庫に急に余韻のある音が響き渡った。

 その時、先生はまた客のほうに向き直られ、「お聞きなさい、ここに仏教がある」と、ただ一言簡単に答えられた。響きが静かに余韻を残しつつ消えて行った時、その婦人はこの応答に気を奪われてか、何も言わず、ただ「サンキュー」といって、軽く会釈した。この瞬間の光景はなかなか劇的で、私には忘れ難い印象として残った。

 その婦人は、この会話であとは何も言わず、そこそこに辞して行った。何という名の人であったか、また何国人だったのか、そんな事は私も覚えていないが、その折の鐘の響きと先生の一語とが耳の底に残って、今も離れぬ。

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引用:
「“かけがえのない人" 鈴木大拙先生のこと」柳宗悦


2014年4月20日日曜日

竹影と月 [鈴木大拙]


話:玉城康四郎


 それでは、悟りの事実とは、どういうことであろうか。

 彼(鈴木大拙)によれば、”禅の事実”と”禅の哲学”とは、きびしく区分されている。世の多くの禅学者は、この2つを混同しており、そのために禅の生命を見失っている、という。

 ”禅の事実”というのは、生活そのものである。日々の経験そのものである。手を動かし、足を運ぶ、そのことである。これに対して、手を動かすのは自分である、足を運ぶのは自分である、という意識が出てくると、立ちどころに、禅の事実は消える。それは分別の世界にすぎないからである。禅の事実は、分別のかかわらない行為そのものである。だから、感覚の世界のほかに超感覚の領域がある、といっても、また、相対我を越えて絶対我が存在する、と説いても、それはすべて哲学にすぎない、禅の事実ではないことになる。

 しかるに、われわれの日常生活は、つねに分別にとらわれているから、その分別を突破るところの禅体験が要請されたのである。



 このような禅の事実を、われわれの心構えから押していくと、”無心”という態度が出てくる。彼(鈴木大拙)は、この無心ということに異常に情熱をよせ、つねにこの無心の世界にあることに、たゆみない精進を重ねていったと思われる。

 無心の代表的な表現として、彼は好んで次の句を引く。

「竹影、階(きざはし)を払って塵動かず、月、潭底(たんてい)をうがって水に痕(あと)なし」

 竹の葉がそよいで、その影を石段の上にゆるがすが、段の上の塵は少しも動かない。また、月が淵の底をうがって影を落としているが、水にはその跡形もない。

 これはいかにも詩的であるが、そのまま無心の世界をあらわしている。ここには、もはや無心という態度さえもない。われわれのいかなる態度も消滅してしまって、あたかも木石のごとき観がある。第三者から見れば、とりとめもなく茫漠としているが、その人自身にとっては、これ以上確かな世界はない。

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引用:
鈴木大拙『道の手帖』
「仏教思想の国際性」玉城康四郎


2014年4月9日水曜日

「点の思想家」 鈴木大拙


話:増田文雄


 たとえば、先ほど申しました田辺元先生が、どこかで批評をされましたときに、その弟子の北森嘉蔵という、これはキリスト教神学の日本の第一人者でありますが、うまい書き方をいたしました。

 田辺元という人がこういう思想家だということを、ズバリと書いたのです。それは「間の哲学者」であるという批評をしました。

 だいたい田辺元という人は、もとは理学部のほうを専門にやってこられた。そうして哲学のほうにやってきて、哲学者になったのであります(理学と哲学というのは、じつは近いのですけれでも)。そうすると田辺先生に一番はじめの問題はなにかというと、自然科学と哲学、そこの”間”でものを考える。それからいろいろな”間”でものを考える。自然科学と哲学、それから仏教に入ってまいりました。最後には、戦争と哲学、国家の地域と哲学と、いつも”間”で考えている。

 お釈迦さんの頭をみていきますと、第一に縁起というものを一番はじめにつかまえた。縁起は関係なのです。線で、これとこれとの関係はこうだという。だから、お釈迦様は「線の思想家」なのだと考えているのであります。



 なかには、いま申した柳宗悦先生のものなど読んでおりますと、あれは「否定の哲学」だ。「否定の思想家」だ。

 はじめにあの人はキリスト教をやりました。神を追求している。それからブレークをやり、朝鮮の美術をやり、日本の美術に帰ってくる。これを全部やり、これでもない、これでもない、これでもない、そうするとこれしかないじゃないかと、あの民芸にきました。そして美が民芸のなかにあるというのは、いったいどういうことであるかと、最後に一生懸命考えた。

 そうして民芸というのは、”成仏しようと思わないで成仏しておるのが、民芸ではないか”と言っていた。あるとき柳宗悦先生はわたしに、「ああ成仏しよう成仏しよう、悟ろう悟ろうという者は悟れくて、とても私には悟れないなどと、悟ろうなどという気持ちを全部捨ててしまった者が悟ってしまった。それですよ」と言われた。

 柳宗悦先生の文章を気をつけてずっと読むと、何々にあらず、何々にあらず、何々にあらずといった調子です。これはずっと否定して、いわゆる、クロス・アウトとしていって、そして最後に残ったものをとらえる、こういう思想家であります。






 いったい鈴木大拙という人は、どういう思想家だろうか。

 よく鈴木大拙のものには”体系がない”というようなことをいう人があるのであります。おもしろいことに、体系がないということで、西田幾多郎先生の『善の研究』の英文の序文に、西田幾多郎が、もう少しおまえも体系的にやれと私にいったというようなことを、鈴木先生がちょっと書いているのです。

 それからあるとき、先生にわたしは質問をしてみたのです。「先生の仕事には体系がないですね」といったら、「うん、そうだ。わたしは体系家じゃないよ」と、こういうのです。あとで考えてみると、つまらない質問をしたと思っておりますが、鈴木大拙の仕事というものの本質をつかまえてみると、それは、体系のなかで組み上げようなどというのは、その仕事の本質に反しておることなのでありまして、それだから先生が堂々と、おれは体系家じゃない、というのは当たり前の話だということに気がついたのです。

 そこで私は、それでは先生はどう考えますかといったら、「わしは何か一つつかまえると、そこから一点だけだんだん掘っていく。これはと思うものをパッとつかむと、ずっと掘り下げ、掘り下げ…」。錐(きり)みたいですねといったら、「錐よりは太いだろうね…。それじゃあドリルかなにかで穴を掘る井戸掘りみたいなものだな」と言ったのです。

 ”間”とか”線”とかいう言葉ですと、これは「点の思想家」だと私は考えております。そうして、これは表現はいかにあろうと、体系家でもなく、間で考える人でもなく、否定の哲学者でもなく、一点を掘り下げる哲学者であるのです。



 鈴木先生はたとえば、「わしの考えによると」というような文章の書きはじめかたを、よくやるのです。

 一番はじめに「according to my way of...」、こうくるのです。初めからポンと、私はこうみるのだよというわけですから、人がどうみようと、大乗諸家がどうみようと、そういうことは平気なのです。わしがみるとこう…。穴だけ掘っていくのですから、わしの見方はこうだ、というのが一番はじめに出てくる。

 私どもは、文献により仏陀が悟ったときはこうだったというような、その前後の歴史をずっと集めて描き出すのですが、鈴木先生はそんなやり方は絶対にしないで、「もしその時、わたしが仏陀のそばに立っておったとするならば…」と、その時にそこに立っておって、そうして仏陀という人の存在をじっと上からのぞいたらどんなものだったろうと、こういうのです。

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引用:「鈴木大拙論」増田文雄


「所作すでに弁ず」 増田文雄


話:増谷文雄


仏陀が悟られて、しばらくしましたところに

「所作已(すで)に弁ず」

という言葉を吐いておられます。



 このことを私は、もちろん昔から知っておりましたのですが、私の師の姉崎正治先生が定年で退職したときに、記念文集ができました。先生、何という名前をつけますかといったところが、「已弁集(いべんしゅう)」と名をつける、とこう言う。

 変な名前だなと思ったのですが、”所作已に弁ず”というので、人は一生こうやってきて、”まあこれでいいわ”と思ったときには、こういう具合に言うのだなと感じたのです。私の先生は、定年退職しましたときに、所作已に弁ずと、こう言いましたわけです。


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出典:「鈴木大拙論」増谷文雄


2014年4月5日土曜日

「本願が昇ってきたぞ」 [鈴木大拙]


話:内藤喜八郎


 鈴木大拙先生は、昭和41年(1966)の7月12日に95歳で逝去されたが、その一ヶ月前の6月13日に松ヶ岡文庫で、京都から上京された金子大榮先生と対談しておられる。同席した加藤辨三郎理事長は「世紀の対談」と称賛された。


 対談の最後に、加藤先生が一つ問いを出された。そのときの問答を加藤先生が自ら追悼号に書いておられる。


「”この身即ち仏なり”ということも理の上ではわかるのですが、実感としてはどうしても私は凡夫としか思えないのです。それはどうしたことでしょうと申しますと、(鈴木大拙)先生はこうおっしゃった。


『凡夫か、凡夫ね。ふーむ、誰がそう思わすか、そこがまことに微妙なところでね』


 これが私にとりましては、期せずして、先生の遺偈となったのです。私は終生、先生のあの温顔とともに、この遺偈を忘れないでありましょう」




 昨年の秋、その「世紀の対談」の舞台となった北鎌倉の松ヶ岡文庫を訪ねた。鈴木先生ご生前のままにのこされた洗面室のある二階へも通していただいた。そこには、先生ご逝去の年のカレンダーが書き込みを遺したまま張られ、洗面具もまだ棚にあった。


 洗面台の上に、東に向かって小さな窓が開いていた。そこから峡をへだてて円覚寺の山が見える。卒然と、その山の上に真紅の朝日が昇ってくる幻想にかられた。


 鈴木先生がひげを剃っておられた時、秘書の岡本美穂子さんに「本願」を問われ、顎に手を当てたまま考えておられた先生が、昇ってくる朝日を見ると、「ほーら、美穂子さん、本願が昇ってきたぞ」とおっしゃったという。単刀直入の本願であった。


 先生はいつも全体を全体のままつかまれる。分析したらいのちがなくなるのだ、と。「人は考えながら、しかも考えない。彼は空から降る夕立のように考える。じつに彼は夕立であり、海原であり、星であり、木の葉である」と。


 対象を裁断しない。全体まるごとの中に、無心に飛びこむ。その消息は、朝日そのものが自らに飛びこんでくる消息でもあった。






出典:『鈴木大拙 (道の手帖)』


2014年3月6日木曜日

風幡心動(ふうばんしんどう)


話:鈴木大拙

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はじめの問答はどういうことかというと、一般に”風幡心動(ふうばんしんどう)”ということを言っている。

広東の市に出て来られると、ある寺で坊さんが涅槃経を講ずるというのである。仏教の経典でもだいぶ大切なお経の一つであるが、寺院には幡(はた)がよく立っている。ことに日本でも曹洞宗の寺院になると幡が立っているのを見る。その幡が風で動く。すると寺の前で坊さんが議論を始めた。

「幡(はた)が動くのか、あるいは風が動くのか」

というような塩梅に。よく鐘が鳴るのか、撞木がなるのかというが、それと同じように、風が動くのか、あるいは幡がうごくのかと、非常に議論をやっておった。

するとそこに六祖(慧能)が出て来て、「それは幡が動くのでもなければ風が動くのでもなくして、これは汝の心が動ずるのである」ということを言われたという話がある。

これを”風幡心動(ふうばんしんどう)”と言って伝わっているのである。

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出典:『禅とは何か』鈴木大拙

2013年11月17日日曜日

弓も折れ、矢も尽きはて… [鈴木大拙]



話:鈴木大拙


鎌倉時代の有名な禅匠は歌う。

弓も折れ
矢も尽きはつる
ところにて
さしもゆるさで
強く射てみよ

矢幹(やがら)なき矢を、弦なき弓で射れば、そはかならず、かつて極東の人々の歴史におこったように岩をも突き通すであろう。

禅宗と同様に、芸術のすべての部門において、この”危機の通過”ということは、あらゆる創造的作品の根源に到達するために極めて肝要だと考えられている。

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引用:鈴木大拙『禅と日本文化 (岩波新書) 』



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「一剣」問答 [楠木正成]


2013年11月14日木曜日

剣の奥義「水月」



話:鈴木大拙


剣道の最後の段階には、十分資格のある師範だけにしか与えられぬ奥義がある。腕の鍛錬だけでは不十分である。腕の熟達だけではまだ弟子気分を超えない。この秘伝(奥義)は「水月」といって師範のあいだに知られている。

ある著者によると、つぎのように説明されている。

「水中の月とは、どういう意味であるか?」

「剣道の各流儀ではいろいろに説明されているが、要するに、水のあるところ如何なるところにも、月が『無心』の状態で映る、その映りかたを会得することである。嵯峨の広沢ノ池のほとりで詠まれた御製の一つに、

うつるとも月もおもはず
うつすとも水もおもはぬ
広沢の池」


この歌から、人は無心の秘訣を洞徹するに違いない。そこには人の手による工夫の痕は一つもない、あらゆるものが大自然に任される(それは禅の教えである「無心論」)。

「さらにそれは幾百の流れに映る一つの月の如きである。

 月光が幾百の影に分かれるのではなくて、影を映す水があるのである。月光はそれを映す水がないところでも、依然おなじことである。さらにまた、多くの水があるところでも、ささやかな水溜りのところでも、月の光に変わりはない。

 これから類推すれば、心の神秘は理解しやすい。しかし、月と水とは触れうる物質である。心には形なく、その働きは跡づけ難い。象徴はかくして全ての真理ではなくして、暗示にすぎぬ」



引用:鈴木大拙『禅と日本文化 (岩波新書) 』第四章 禅と剣道



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キコリの無心 [鈴木大拙]

稽古と「無の境地」




2013年11月13日水曜日

キコリの無心 [鈴木大拙]



話:鈴木大拙


つぎの話によって「無心」というものを説明しよう。



一人の樵夫が奥山でせっせと樹を切っていた。

”さとり”という動物が現れた。平素は里に見当たらぬたいへん珍しい生きものだった。

樵夫は生け捕りにしようと思った。動物は彼の心を読んだ。

「お前は己を生け捕りにしようと思っているね」

度肝を抜かれて、樵夫は言葉もでないでいると、動物はいった。

「そら、お前は己の読心力にびっくりしている」

ますます驚いて、樵夫は斧の一撃によって彼をうちたおしてくれんという考を抱いた。すると、”さとり”は叫んだ。

「やァ、お前は己を殺そうと思っているな」

樵夫はまったくどぎまぎして、この不思議な動物を片付けることの不可能を覚ったので、自分の仕事のほうを続けようと思った。”さとり”は寛大な気配を見せなかった。なおも追及していった。

「そら、とうとう、お前は己をあきらめてしまったナ」

樵夫は、自分をどうしてよいか、わからなかった、おなじくこの動物をどう扱っていいか判らなかった。とうとう、この事態にまったく諦めをつけて、斧を取り上げた。”さとり”のいることなぞ気に掛けないで、勇気をだして一心に、ふたたび樹を切り始めた。

そうやっているうち、偶然に斧の頭が柄から飛んで、その動物を撃ち殺した。いくら読心の智慧をもっていたこの動物でも、「無心」の心まで読むわけにはゆかなかったのだ。






引用:鈴木大拙『禅と日本文化 (岩波新書) 』第四章 禅と剣道



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2013年11月12日火曜日

石火之機 [沢庵]



石火之機


と申すことの候。これも前の心持ちにて候。


石をハタと打つや否や、光が出で、打つとそのまま出る火なれば、間も透間もなきことにて候。これも心の止まるべき間のなきことを申し候。


早きこととばかり心得候へば、悪しく候。心を物に止めまじといふが詮にて候。早きにも心の止らぬところを詮に申し候。心が止まれば、我心を人にとられ申し候。早くせんと思ひ設けて早くせば、思ひ設ける心にまた心を奪われ候。


西行の歌集に「世をいとふ人とし聞けばかりの宿に 心止むなと思ふばかりそ」と申す歌は、江口の遊女のよみし歌なり。「心止むなと思ふばかりぞ」といふ下句の引合せは、兵法の至極に当たり申すべく候。心をとどめぬが肝要にて候。




禅宗にて、「如何か是れ仏」と問ひ候はば、拳をさしあぐべし。「如何か仏法の極意」と問はば、その声いまだ絶たざるに、一枝の梅花なりとも、庭前の柏樹子なりとも答ふべし。


その答話の善悪を選ぶにてはなし。止まらぬ心を尊ぶなり。止まらぬ心は、色にも香にも移らぬなり。この移らぬ心の体を神とも祝ひ、仏とも尊び、禅心とも、極意とも申し候へども、思案して後に云ひ出し候へば、金言妙句にても住地煩悩にて候。


石火の機と申すも、ぴかりとする電光の早きを申し候。




話:鈴木大拙
たとえば、人から話しかけられたときには、ただちに「諾」と答える。ーーそれが不動智である。話し掛けられたとき、いかなる用があるのかと不審がったりして熟考するならば、それは心の「止る」のでありーーすなわち、混乱と無智(沢庵のいう住地煩悩)とであり、いまだ尋常の智の人であることを示すのである。

問に対して即座に応ずるところのものは、「仏陀の智慧」であり、それは神々と賢愚の別なく人間を含めたいっさいのものに、あまねく分ち与えられているものである。この「智慧」に命ぜられて行動するときは、人は仏か神である。

神道・歌道・心・儒教の教えはさまざまであるが、みな究竟において「唯一心(ワン・マインド)」の実現を目指している(唯一心・仏陀の智慧・不動智は同一物の名称である)。この「心」を説明するために、言葉は不十分である。説明すれば心は分割されて、そこに「我」と「非我」が生じ、(この二元性のゆえに)われわれは善悪のいっさいの行為をとげることとなり、「業(カルマ)」のもてあそびものとなるよりほかない。

「業(カルマ)」もじつは「心」から発する。ゆえに最も肝要なことは「心そのもの」を洞徹することである。この洞徹力をもつ人は少なく、われわれの多くはその働きに関して無知である。

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引用:鈴木大拙「禅と日本文化 (岩波新書) 」



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2013年11月4日月曜日

もし言葉がなかったら…  [鈴木大拙]



話:鈴木大拙



さて”言葉”ですが、言葉は最も重要な価値あるものです。人間が社会生活を送るには、何らかの形で言葉を使わずには暮らせない。

ところが、言葉は人間が発明した大変な”くせもの(the most treacherous thing)”です。言葉で自分を縛ったり、不自由さを嘆いたりする。もし言葉がなかったら、みんなどんなに自由になれることでしょう。

言葉を話すことで、われわれが肉体的な存在だと分かります。われわれは身体と心、また魂について語りますが、それは単なる言葉にすぎません。我々はここにあるものが身体だと考えます。

科学者は、身体を無数の要素、原子に分解する。その原子はサブアトムに、さらに別の小さな形の原子に分解される。こうしてさらに分解を続けても、まだ分解し分析しうる何かが残ります。分裂と分割について議論は果てしなく続くのです。

だから、言葉がみんな取り除かれ、科学的装置が壊されると、本当に完全な自由に至るのです。そうすれば、一極から反対の極まで空間を移動でき、同時に”はじめも終わりもない時間(beginning-less time and endless time)”に住めます。これ以上に自由な世界はありえない。これが物事を正しく見ること(正見)なのです。

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2013年11月3日日曜日

「目で聞き、耳で見る」。正見とは?



話:鈴木大拙


初期仏教徒は、ブッダの悟りの体験をいわゆる「八正道(はっしょうどう)」として解釈しました。八正道といえば、仏教学者なら8つみんな言えないといかんでしょう。私は忘れましたが、まぁ勘弁してもらいましょう。

ですが、第一の「正見(しょうけん)」は忘れません。私が考えるに、これが最も大事です。正しく見ることです。この「正見(しょうけん)」は、禅が教え説くのは、ものごとを「そのまま(is-ness)」に、「あるがまま(such-ness)」に、「そのとおり」に見ることです。

われわれには目があります。この客体(object)からでた何かがこの目に当たる。それ以外に見るということはない。しかし、大乗仏教で説かれる「見る」は、目で見ることではありません。これを、目ではなく”耳で見る”のです。

耳で見て、目で聞く。そうすれば正しく見ることができる。正しく、真実に、正確に聞くことができるのです。禅がわれわれに期待するのは、こうした体験です。でも、あるいは皆さんはおっしゃるかもしれない。それでは見ないことになってしまうじゃないか、と。



日本にはこんな話が伝わっています。たぶん500〜600年前のことですが、京都に一人の禅匠がいて、「正見」をテーマにした短い詩を残しました。31文字のものです。この禅僧(大燈国師)の残した詩は、こんな和歌です。

耳に見て 目に聞くならば疑わじ
 おのずからなる軒の玉水

耳で見る、目で聞く。もしそれができるならば、軒から落ちる水の音がどんなにか自然に響くことだろう、というのです。

ソローはコンコードに住んだ偉大な哲学者、詩人、隠者など、まぁいくつも顔をもった人ですが、このソローは自分で小屋を建てましたが、そこで暮らしはじめた頃は、人里離れていたのでずいぶん孤独感に襲われました。しかし、雨降りの日にこんなことが起こった。細かな雨で、本降りではなく霧雨に近い雨でしたが、雨だれに耳を澄ませているうちに、なにか連帯感のようなものが感じられた。それ以後は、孤独感がまったくなくなった、と書いています。いわゆる無生物にすぎない雨だれとの間に、ある種の親近感を覚えたからです。

この話から、大乗仏教徒の言う衆生救済、雨だれも芭蕉葉も巨大な岩さえも、大海原に渦巻く逆波まで救済するという、その意味を皆さんにもお分かりいただけるかと思います。大乗仏教徒は、すべての無生物のなかにさえ何か人間的なものを感じとっているのです。


われわれが耳で聞くと言うとき、この耳には空間的な場所があって、五感の一つに数えられます。明らかに耳のついている場所があります。目で見ると言うときも同じく、明らかに場所があります。その耳も目も、ある特定の空間を占有しているからです。

しかし、もし空間を意識すると意識は個別化され、コチラとかアチラといった一定の方向性をもちます。そうなると、もはや全体性(totality)は失われます。自己分裂した状態です。人格全体はある方向に向かい、もはや全体は”それ自体”ではなくなる。いわゆる無意識の領域を含むわれわれの意識は、全体性を失う。

その意識が数多くの部分に分解されても、それぞれの部分がなにか機能を果たすなら、たぶん客観的な意義をもつでしょう。しかし、お話ししてきたように、一つの存在(being)が客体と主体に分かれると、もはや”存在そのもの”とは言えない。分裂したものです。この分化が起こると、耳や目の場合と同様、その全体性が失われます。

しかし、真の実在(reality)は、すべてが全体性を保つときであって、多様に分化した様相や現象の中にはありません。「本当に知る」「本当に見る」「本当に聞く」、そのためには原初の”根源的実在そのもの”に戻らねばならないのです。



いま、根源(original)とか原初(primary)とか言いましたが、実在にいかなる概念(concept)も観念(idea)も付け加えてはなりません。原初と言えば、自然に時間の経過が連想されます。しかし、実在はこうした経過も進展も何もまったく含まない。ただただ”それ”です。

この”ただそれ”に至ると、その主体性から客体性(聞く、見る、香りをかぐ)といった働きが現われる。だから「正見」、つまり真実に確実に見るために根源まで戻るのです。しかし、このように”戻る”と言うと、これらの言葉には時間の経過が含まれます。しかし、時間の概念をもちこんではならない。空間もなく時間もない。

私が”空間もなく時間もない”などと言うと、皆さんは「それでは何かについて話すことなどできるのだろうか。人から人へ何も伝えられないではないか」と疑問に思うでしょう。しかし不思議なことに、われわれ誰でもこの”分化されない何ものか”を内に秘めているのです。もっとも、私が”われわれ誰でも”と言うと、もう実在はそのものから離れています。なぜなら、”われわれ誰でも”という言葉が分割された空間を意味するからです。

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抜粋:鈴木大拙『大拙 禅を語る―世界を感動させた三つの英語講演 (CDブック) 』



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2013年11月2日土曜日

アメリカ詩人と鈴木大拙



話:重松宗育(承元寺 住職)


…

ギンズバーグが私に語ってくれたD.T.スズキ(鈴木大拙)訪問のエピソードがある。

——ブロードウェイに近い西94番街のレンガ造りの家につくと、秘書の女性が案内してくれた。スズキは書斎に招き入れて、抹茶をたててくれ、雪舟の絵を取り出して見せてくれた。詳しいことは忘れたけど、その風景画はニューヨーク公立図書館で見たことがあった。松の木が生えた岩が宙に突き出ていて、絵の真ん中には切れ目があって、片側は岩で、反対側には何もなかった。

そこで僕、「これは『空』ですか?」

スズキが答えた。「さあどうかな。たぶんただの岩だな。岩は岩ですからな」

ジャックは、『金剛経』について自分の考えを述べたが、スズキは、お茶をたてながら笑って聞いていた。その動きはじつに優雅で、弱輩の僕らとは対照的に、もうかなりの老人だったな。

そのうち、僕らはパーティーのことが気になりだした。みんなが待っていることを考えると、これ以上遅れるわけにはゆかない。それで階下へ降りて、別れの挨拶をいおうとすると、玄関まで見送ってくれたスズキが、手を振りながらこう言った。

「お茶のことを忘れませぬよう。抹茶のことを忘れませぬようにな」

だから、僕にはスズキがたててくれたお茶の味が何より大事なんだ。それからパーティに出かけて、その日はしこたま飲んで酔っ払ったよ。






また、ジャック・ケルアックも、その時のことを書き残している。

——急に、僕はベルをしっかり、ゆっくり三回ならす決心をした。そしてそれからDr.スズキが出てきた。スズキは小柄だった。その長い眉毛は誰でも知っているが、僕の心に浮かんだのは経典の言葉だった。”仏法はちょうど薮と同じ…”。

スズキは、みんなに緑茶をふるまってくれた。ずいぶん濃くて、スープみたいな感じだった。彼自身はテーブルの向こう側に坐り、静かに頷きながら僕らを見ていた。僕は大声で叫んだ(というのは、ちょっと耳が遠いと聞いていたからだ)、
「いかなるかこれ祖師西来意?」

彼は返事をせず、こう言った。「あなた方は、ここに静かに坐って俳句をつくり、わしは緑茶の準備をする」と。

彼は欠けた古いスープ皿のようなものに入れた緑茶を持ってきてくれた。「お茶のことは忘れませぬように」と言った。僕らが帰るとき、スズキは僕らをドアから押し出すようにしたが、ひとたび僕らが歩道に立ったときは、くっくっと笑い出し指差して、「お茶を忘れませぬように」と言った。僕は「これから一生、あなたと一緒に過ごしたいと思います」と答えた。彼は指を立てるとこう言った。

「いつか」





…






引用:
重松宗育「D.T.スズキの英語公演 ——1950年代、ビート世代との関わり」
鈴木大拙『大拙 禅を語る―世界を感動させた三つの英語講演 (CDブック) 』より



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2013年10月31日木曜日

「不動智」とは? [沢庵]



沢庵和尚の書翰より(柳生但馬守 宛)



諸仏不動智

と申す事。不動とは、うごかずといふ文字にて候。智は智慧の智にて候。

不動と申し候ても、石か木かのやうに、無性なる義理にてはなく候。向ふへも、左へも、右へも、十方八方へ、心は動きたきやうに動きながら、卒度(そっと)も止らぬ心を、不動智と申し候。

不動明王と申して、右の手に剣を握り、左の手に縄を取りて、歯を喰出し、目を怒らし、仏法を妨げん悪魔を降伏せんとて突立て居られ候姿も、あの様なるが、何国の世界にもかくれて居られ候にてはなし。容(かたち)をば、仏法守護の形につくり、体をば、この不動智を体として、衆生に見せたるにて候。

一向の凡夫は、怖れをなして仏法に仇をなさじと思ひ、悟に近き人は、不動智を表したる所を悟りて、一切の迷を晴らし、すなわち不動智を明(あから)めて、この身すなわち不動明王ほどに、この心法をよく執行したる人は、悪魔もいやまさぬぞと、知らしめんための不動明王にて候。

しかれば不動明王と申すも、人の一心の動かぬ所を申し候。また身を動転せぬことにて候。動転せぬとは、物ごとに留まらぬことにて候。物一目見て、その心を止めぬを不動と申し候。なぜなれば、物に心が止り候へば、いろいろの分別が胸に候あいだ、胸のうちにいろいろ動き候。止れば止る心は、動きても動かぬにて候。

たとえば、十人して一太刀づつ我へ太刀を入るるも、一太刀を受流して、跡に心を止めず、跡を捨て跡を拾い候はば、十人ながらへ働を欠かさぬにて候。十人十度心は働けども、一人にても心を止めずば、次第に取合ひて、働は欠け申すまじき候。もしまた一人の前に心が止り候はば、一人の太刀をば受流すべけれども、二人めの時は、手前の働き抜け申すべき候。



千手観音とて手が千御入り候はば、弓を取る手に心が止まらば、九百九十九の手は皆用に立ち申すまじく、一所に心を止めぬにより、手が皆、用に立つなり。観音とて身一つに千の手がいずれにあるべき候。不動智が開け候へば、身に手が千有りても、皆、用に立つということを、人に示さんがために、作りたる容(かたち)にて候。

たとえ、一本の木に向うて、その中に赤き葉一つを見ておれば、残りの葉は見えぬなり。葉一つに眼をかけずして、一本の木に何心もなく打ち向ひ候へば、数多の葉残らず目に見え候。葉一つに心をとられ候はば、残りの葉は見えず、一つに心を止めねば、百千の葉みな見え申し候。これを得心したる人は、すなわち千人千眼の観音にて候。

また、なまもの知りなる人は、身一つに千の手・千の眼がござして有り難しと信じ候。いま少しよく知れば、凡夫の信ずるにても破るにてもなく、道理の上にて尊信し、仏法はよく一物にしてその理を顕はすことにて候。諸道ともにこの様のものにて候。神道は別してその道と見及び候。有のままにて思ふ凡夫、また打破ればなほ悪し。その内に道理あることにて候。この道、かの道さまざまに候へども、極所は落着き候。



さて初心の地より修業して不動智の位に至れば、立帰て、住地の初心の位へ落つべき仔細おんいり候。貴殿の兵法にて申すべく候。初心は身に持つ太刀の構へも何も知らぬものなれば、身に心の止ることもなし。人が打ち候へば、つひ取合ふばかりにて、何の心もなし。

しかる処にさまざまの事を習ひ、身に持つ太刀の取様、心の置所、いろいろのことを教へぬれば、いろいろの処に心が止り、人を打たんとすれば、とやかくして、ことのほか不自由なること、日を重ね年月をかさね、稽古をするにしたがひ、後は身の構へも太刀の取様も、みな心のなくなりて、ただ最初の、何も知らず習はぬ時の、心のようになる也。

これ初と終と同じやうになる心持にて、一から十まで数へ回せば、一と十と隣になり申し候。
…




(原註)
このことは私に百足(むかで)の話を思い出させる。百足が、どうしてそんなにたくさんの脚を、一時に揃えて動かすことができるのか、と尋ねられた時、その問が百足を「止め」て、それについて考えさせた。この「止る」ことと考えることが、脚の間に大混乱を起して、めいめい勝手に動こうとした。百足はそれで命を失った。荘子の渾淪の話も、これに関連して、はなはだ興味があろう。

※「渾淪」は混沌と同じで『荘子』應帝王に見える太古の伝説上の中央の神。耳、目、口、鼻の七つの穴がなかったので、南海・北海の神が返礼として七つの穴をうがったところ、死んでしまった。




話:鈴木大拙

仏教徒の修業も同じことである。その最高の段階に到達すれば、仏陀のことも法(ダルマ)のことも何も知らぬ無邪気な子供と同じようになれよう。

しかるときは、不動智は、結局、無智であり——両者は二ならず、一である、ということができる。ここには、ある点に対して、ある点を選択する際に、人を躊躇させるところの、分別智というものがなく、したがって、無念無想という心境の熟達にとって有害な「止まる」ということが、どこにも存しないからである。

無智の人は、智力をいまだ目覚まさぬから、素朴のままにある。賢い人は智力のかぎりを尽くしているから、もはや、それに頼らない。両者は睦まじい隣り同志である。「生ま知り」の人にかぎって、頭を分別でいっぱいにする。

…



引用:鈴木大拙『禅と日本文化 (岩波新書) 』 第四章 禅と剣道



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