話:日野晃
あるTV番組で、目の不自由なご両親が、健常者である子供のイタズラを叱っている場面があった。目が不自由だから、子供がどこにいるのかは、文字通り見えていない。にもかかわらず、お母さんは子供を真正面にとらえ叱っていたのだ。
そしてその子供は、玄関の戸を開け、外に飛び出して逃げ出した。するとお母さんは、何のためらいものあく子供を追い外に飛び出した。外はもちろん道路で、自動車も行き来している。子供が右に行ったのか、左に行ったのかも分からないはずだ。にもかかわらず、正確に子供を追って走ったのだ。
「どうして出来るのか?」
そのとき思った。しかし、それは”目が見える”という枠に囚われてしまっている自分の哀れな姿だ。自分は実は”目が見える”という障害者だったのだと気づいた。
目が見えている、というのは、文字通り見えているのだが、本当に大事なことが見えているのではなく、さまざまな固定観念や先入観が見えているだけである。逆に言えば、目が見えているということは、何も見えていないとも言えるのだ。
…
出典:
月刊 秘伝 2014年 06月号
日野晃「武術の解答」
0 件のコメント:
コメントを投稿