2014年6月18日水曜日

「良い祈り」「悪い祈り」 [宇城憲治]




話:宇城憲治



脳科学の進歩によって「祈り」と「脳」との関係が発見されたと言われています。

すなわち、心で思うことが科学的にも身体に影響を与えるというものです。すなわち「良い祈り」がその人間を救い、「悪い祈り」がその人の身体に悪影響を与えるというものです。



たとえばスポーツなどの勝負事では、「勝ちたい」「うまくなりたい」と願います。すると、これはポジティブな祈りとして、その人の脳内に神経伝達物質の「ベータ・エンドルフィン」が分泌されます。この物質は会館物質であると同時に脳を活性化させ、かつ身体の免疫力を高めるなど、さまざまな病気を予防する効果があるそうです。

しかし、ここに落とし穴があります。スポーツ、勝負事における願いは、一歩間違うと「ライバルを蹴落として叩きのめしたい」という攻撃的な面に力点が置かれがちです。この場合、「悪い祈り」として分泌する脳内物質は、ベータ・エンドルフィンではなく「アドレナリン」及び「ノルアドレナリン」が主となります。

このノルアドレナリンは別名「怒りのホルモン」とも言われていて、それを数ミリグラムをラットに注射するだけで死に至るほど強い毒性があると言われています。したがって、ノルアドレナリンが脳内に出っ放しになると、脳にとっても身体にとっても非常に害があるものとなります。



これらのことは日常で起こっている事実ですが、良い祈りは「伝統」や「文化」に多々見られ、逆に悪い祈りは「文明」によって生まれているところが多いように思います。

わかりやすい例でいえば、伝統の武術と現在のスポーツ武道との比較です。とかく勝負にこだわる今のスポーツ武道の「相手を倒せ」や「アドレナリンを出せ!」など檄を飛ばす光景などは、まさに悪い祈りの典型ですが、本来の武術はその反対の「戦わずして勝つ」という高い次元にあります。それは、武術というのは生と死のなかで悟ったところから生まれたものだからです。実際、江戸時代の剣聖・伊藤一刀斎は、その剣術書で「術技の究極は真心にある」と説いています。







出典:宇城憲治『気によって解き明かされる 心と身体の神秘



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