〜話:小林秀雄〜
一体文化などという言葉からしてでたらめである。文化という言葉は、本来、民を化するのに武力を用いないという意味の言葉なのだが、それを culture の訳語に当てはめて了ったから、文化と言われても、私達には何の語感もない。語感というもののない言葉が、でたらめに使われるのも無理はありませぬ。
culture という言葉は、極く普通の意味で栽培するという意味です。西洋人には、その語感は十分に感得されている筈ですから、culture の意味が、いろいろ多岐に分れ、複雑になっても根本の意味合いは恐らく誤られてはおりますまい。果樹を栽培して、いい実を結ばせる、それが culture だ、つまり果樹の素質なり個性なりを育てて、これを発揮させることが、cultivate である。自然を材料とする個性を無視した加工は technique であって、culture ではない。technique は国際的にもなり得よう、事実なっているが、国際文化などというのは妄想である。意味をなさぬ。
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出典:小林秀雄「栗の樹 (講談社文芸文庫)」
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