ラベル アフリカ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル アフリカ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2013年5月30日木曜日

「ゾウ同士が戦ったら、傷つくのは草だ」



「ゾウ同士が戦ったら、傷つくのは草だ」

これは東アフリカ地域のことわざで、「大きくて支配的な者同士が対立した時、苦しむのは無力の弱者だ」という意味。






2013年3月16日土曜日

二転三転、育児の常識。「花に心はあるのか?」



アフリカ・ウガンダのお母さんたちは「おむつ」を使わないという。

それを不思議に思った井深大氏、こう聞いた。

「どうして、赤ちゃんがウンチやオシッコをする前に分かるんですか?」



ウガンダのお母さんたちの答えは、じつに素っ気なかった。

「どうして、あなたには分からないの?」



母親と赤子が「密」な、同地のような育てられ方をした赤ちゃんは、「発達がすごく早い」のだという。

「生後2日で首がすわり、生後4日でニコニコ笑うんです」



今の医学では、生後2日で首がすわることも、生後4日で赤ちゃんが笑うなんてことも「あり得ない」。

たとえ、赤ちゃんの顔が笑っているように見えたとしても、それは「新生児微笑」にすぎないと一蹴されてしまう。西洋医学の言う新生児微笑とは、赤ちゃんが母親に捨てられないように、そう装っていることなのだそうだ。



さて、アフリカのウガンダも、すでに西洋の波に洗われている。

彼女らが西洋式の病院でお産をするようになると、これまた不思議なことに、赤ちゃんのウンチもオシッコも、そのタイミングが分からなくなるのだそうだ。

もちろん、生後2日で首がすわることも、生後4日でニコニコ笑うこともなくなったという。



ところ変わって「日本」。

日本の子育ても1945年、つまり第二次世界大戦を境に、激変を遂げたのだという。

戦後、アメリカのGHQの司令で、赤ちゃんは産後すぐに病院の新生児室に移すようになった。それは、戦前の日本では、ほとんどが自宅出産だったため、母子ともに死亡率が高かったからだ。



さらに昭和39年(1964)、赤ちゃんの自立を妨げるからという理由から、「泣いてもすぐに抱っこしてはいけません。添い寝もオッパイもやめましょう」ということになった。

要するに、戦後の日本の子育ては「赤ちゃんとお母さんを切り離す方向」に動いていったのである。

「赤ちゃんに心があるとしたら、きっと寂しかったろうと思います…」と、池川明氏(池川クリニック院長)は語る。



なぜ、そうした時代に生まれ育った世代は、すぐにキレるのか? 情緒が不安定なのか?

そうした疑問が国内に巻き起こるにつれ、「母子を切り離す育児法」は20年後、ついに改められることになる(その時の常識は、いまなお尾を引いているのだが…)。



ちなみに、戦後の育児法には、その「元本」があった。

それは「スポック博士の育児書」である。ここには西洋式の育児法のなんたるかが記されており、当然、抱っこも添い寝も否定していた。

その本を戦後の日本は鵜呑みにして、母子手帳の副読本「赤ちゃん、そのしあわせのために」を作成したのである。それが20年間、毎年全国で150万部が配布され、母子をできるだけ切り離す「育児の新常識」を形作っていったのであった。



この話には、まだ後日譚が残っている。

スポック博士は、著書「スポック博士の育児書」を書き上げたあと、じつは博士自らの手で7回も書き換えている。

最後の書き換えを終えた博士は、こう言った。「今まで書いてきたことは間違っていた。今回ようやく、それを正す本ができた」と。



7回書き換えられたという「スポック博士の育児書」。

しかし残念ながら、その初版を元にしている日本の母子手帳の副読本「赤ちゃん、そのしあわせのために」は、一度も書き換えられることがなかった…。







蛇足ながら、先日の「ダライ・ラマ法王」の話も。

来日した際に、持ち上がった議論の一つに「花に心はあるか?」というものがあった。

仏教と一口にいえど、時代と環境で大きく変わってしまっている。その結果、「花に心がある」とするのは日本の仏教だけのようであった。



古来より、日本民族は万物に神が宿る、ひいては「万物に心がある」との思想をもっている。

何もしゃべれぬ赤ちゃん然り、お腹にいる胎児も然り。日本人はそこにすでに心が宿っていると思ってきた。



しかしグローバル化の進んだ現代、「胎内にいた頃の記憶」などという話は、否定的な目で見られてしまう。

「パパがおへそをツンツンしてきたんだよ」などという子供の言葉は、冷笑ものである。それは西洋医学で証明されていないからである。

しかし幸か不幸か、そうした妄言を否定する科学的根拠も、またないのであった…。






出典:致知2013年4月号
「胎内記憶に耳を澄ます 池川明・村上和雄」

2012年9月18日火曜日

スラムは「お荷物」か? 未開拓の巨大市場。


ケニアの首都ナイロビのすぐ近くには、「キベラ」というアフリカ最大級のスラム街が広がっている。そこに暮らす人は約100万人、首都ナイロビのおよそ5分の1もの人々がスラム街に暮らしていることになる。

しかし、ケニア政府はこのスラム街「キベラ」を「まるで存在しないかのように」振舞ってきた。土地利用地図を見ると、このスラム街は居住地区ではなく「森」と表示されている。

そのため、公共サービスは当然のように一切ない。そのため、スラムの住民たちは「飲み水」を手に入れるのに、普通の人の20倍ものお金を払わなければならない。



地球上の「7人に1人」は、こうしたスラム街、もしくは不法占拠地域に暮らしている(その数およそ8〜9億人)というが、こうした地域は、その国にとっての「お荷物」なのだろうか?

いや、そうとばかりも言い切れない。なにせ、ほとんどの新興経済国で「最も成長が期待できる」のは、じつはこの「闇の世界」なのである。今や、世界の労働人口の半数以上にあたる約18億人もの人々が、闇世界で生計を立てているのである。

「この地下経済の生み出す18億人という雇用は、どんな政府や世界企業にも創り出せないほど大規模なものである」



政府の損失は、この地下の巨大市場を「非合法」としているために、「課税」できないことである。闇の住人たちは、本当は正式な許可が欲しがっている人もたくさんいる。警察にビクビクしながら商売をするのは心地の良いものではない。

そもそも、闇経済というと麻薬取引のような「犯罪活動」を連想してしまうかもしれない。しかし実際は、「無認可の建設業や屋台の食べ物屋、インターネットで商品をせっせと売っているファッション・デザイナー」など、そのほとんどが「害のない仕事」をしているのである。

もし、その健全な部分だけでも「合法化」して課税すれば、それは政府にとって大きな収入ともなり得る。



ところが、たいがいの政府は非合法地域を認めないばかりか、強制排除という強硬手段に訴えてしまうこともしばしばである。ナイジェリアなどでは、住民の70〜80%が闇経済に関わっていると推定されている。それを追いだそうとするのは、いったい現実的な話なのであろうか。

ウィスコンシン大学で都市計画の教授を務めるモラレスは、「単に法を執行すれば良いという考え方から、『人々の分け前が増えるように、パイを大きくしよう』という考え方に変えていく必要がある」と言う。



忘れてはならないのは、今は大都市と化したサンフランシスコ(アメリカ)でさえ、150年前には「静かな漁村」だったということである。

コールド・ラッシュに沸き立ったサンフランシスコには、何千人もの「不法占拠者」が全米から押し寄せ、居座った。

サンフランシスコは、彼らを追い出そうとしたか? いや、逆に「合法」と認めて、彼らを力に変えたからこそ、今のサンフランシスコが存在するのである。






出典:日経サイエンス 2011年 12月号
「スラムの活力」