「こんな美味いコメを食っていると罰が当たるな」
これは新潟でコシヒカリをつくっていたある古老の言葉。40年も前の話である。
「美味いコメ」、それは古老にとって何よりの自慢でもあった。
当時は「メシは喉で食え」と言われていた時代。わずかのオカズで何杯ものメシを「掻き込む」のであり、「味がどうのこうの」はまったく二の次だった。
それから40年、美味いコメは巷にあふれるようになっている。
それは「研究者たちやメーカーによる育種や栽培技術、コンバインや乾燥機など開発努力の成果であり、農家がコメを良食味に仕上げるようとした尽力の結果」である。
だが、一方では「日本のコメの品質が下がっている」との嘆きも聞かれる。
多くの卸業者たちは、こうボヤく。「農協のカントリー(コメ集積場)に集まるコメが、トラック一台ごとに『品質がバラバラ』で、精米や炊飯米として品質を維持することに苦労している」と。
農協に集められるコメは、その多くが「小規模で趣味的な高齢農家」の手によるもの。彼らはなかなか指導基準を守ってくれない。良食味米の栽培基準は農協や指導機関から繰り返し伝えられているはずなのに…。
手前勝手な作り方でつくられたコメは、全体の食味を落としてしまうばかりか、「過剰米」の原因にもなる。採算度外視で大量につくられる趣味的なコメが、コメ全体の値段を下げてしまう元ともなってしまうのだ。
「食味ばかりか、値も落とす」。そんな悩みが日本のコメにはあったのだ。
「日本のコメは、貿易自由化によって滅ぼされるのではなく、農家自身の手によって自滅させられようとしているのではなかろうか?」
専門誌「農業経営者」の編集長である昆吉則氏は、そんな懸念を口にする。
「40年前と比べれば、あらゆる産業で工場での労働品質は向上しているのに、コメ産業だけは、確実に労働の質が下がっている」
日本のコメとは?
美味いコメとは?
それらがどのような土壌の上に成り立っていたのか、いま一度、静かに思い巡らす必要があるのかもしれない。
いたずらにTPPをスケープゴートとしてしまわずに…。
出典:農業経営者 2012年11月号(200号)
「コメ農業を滅ぼすのは農業界と農業政策だ」
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