2013年11月2日土曜日

アメリカ詩人と鈴木大拙



話:重松宗育(承元寺 住職)




ギンズバーグが私に語ってくれたD.T.スズキ(鈴木大拙)訪問のエピソードがある。

——ブロードウェイに近い西94番街のレンガ造りの家につくと、秘書の女性が案内してくれた。スズキは書斎に招き入れて、抹茶をたててくれ、雪舟の絵を取り出して見せてくれた。詳しいことは忘れたけど、その風景画はニューヨーク公立図書館で見たことがあった。松の木が生えた岩が宙に突き出ていて、絵の真ん中には切れ目があって、片側は岩で、反対側には何もなかった。

そこで僕、「これは『空』ですか?」

スズキが答えた。「さあどうかな。たぶんただの岩だな。岩は岩ですからな」

ジャックは、『金剛経』について自分の考えを述べたが、スズキは、お茶をたてながら笑って聞いていた。その動きはじつに優雅で、弱輩の僕らとは対照的に、もうかなりの老人だったな。

そのうち、僕らはパーティーのことが気になりだした。みんなが待っていることを考えると、これ以上遅れるわけにはゆかない。それで階下へ降りて、別れの挨拶をいおうとすると、玄関まで見送ってくれたスズキが、手を振りながらこう言った。

「お茶のことを忘れませぬよう。抹茶のことを忘れませぬようにな」

だから、僕にはスズキがたててくれたお茶の味が何より大事なんだ。それからパーティに出かけて、その日はしこたま飲んで酔っ払ったよ。






また、ジャック・ケルアックも、その時のことを書き残している。

——急に、僕はベルをしっかり、ゆっくり三回ならす決心をした。そしてそれからDr.スズキが出てきた。スズキは小柄だった。その長い眉毛は誰でも知っているが、僕の心に浮かんだのは経典の言葉だった。”仏法はちょうど薮と同じ…”。

スズキは、みんなに緑茶をふるまってくれた。ずいぶん濃くて、スープみたいな感じだった。彼自身はテーブルの向こう側に坐り、静かに頷きながら僕らを見ていた。僕は大声で叫んだ(というのは、ちょっと耳が遠いと聞いていたからだ)、
「いかなるかこれ祖師西来意?」

彼は返事をせず、こう言った。「あなた方は、ここに静かに坐って俳句をつくり、わしは緑茶の準備をする」と。

彼は欠けた古いスープ皿のようなものに入れた緑茶を持ってきてくれた。「お茶のことは忘れませぬように」と言った。僕らが帰るとき、スズキは僕らをドアから押し出すようにしたが、ひとたび僕らが歩道に立ったときは、くっくっと笑い出し指差して、「お茶を忘れませぬように」と言った。僕は「これから一生、あなたと一緒に過ごしたいと思います」と答えた。彼は指を立てるとこう言った。

「いつか」











引用:
重松宗育「D.T.スズキの英語公演 ——1950年代、ビート世代との関わり」
鈴木大拙『大拙 禅を語る―世界を感動させた三つの英語講演 (CDブック) 』より



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