話:桜井章一
座頭市は目は見えないが、人の微かな気配や動きをあたかも目でハッキリ見るように、耳でとらえることができる。座頭市の耳は目と同じどころか、それ以上の働きをしている。
耳というのは実際、目以上に動くものの気配を敏感に察知する。壁の向こうは見えないが、壁の向こうにいる生き物の気配や動きを感じることはできる。
私は麻雀を打っているとき、牌を切る音で相手の調子がわかった。「あせって大きな手を狙ってるな」といったような微妙な心裡が、音の響きでよくわかったものだ。
私は自分の牌だけを集中して見るようなことはしない。あくまで自分の牌に対しては”見て見ない”という感じであり、卓全体をボワッと眺めているような感覚である。それは”耳で見る”感覚といっていい。耳を澄ますと全身の感覚がスッと立ち上がって、鋭敏にさまざまなものを捉えることができる。
そういえば、私が出会った数少ない”できる勝負師”というのは、いずれも目つきは鋭くなく、どちらかというと眼差しがボワッとしたような感じだった。球技ではコーチが「しっかり目を開いてボールを見ろ」と教えたりするが、目に力を入れるとカラダが強張(こわば)って、ボールが正確にとらえられない。
目というものに頼りすぎると、核心はつかめないのである。
…
引用:桜井章一『体を整える』
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