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2018年5月30日水曜日

中村元と『ソフィーの世界』


From:
仏教学者 中村元 求道のことばと思想
2014/7/24
植木 雅俊 (著)


…


それは、1991年の10月9日のことであった。その翌日の午後、出先で携帯電話が鳴った。妻の眞紀子からだった。緊張した声で、「中村先生が亡くなられたみたい」と告げた。86歳であった。





中村は、自らの最期について1986年に出版された『学問の開拓』に、

「わたくしは死の寸前まで机に向かい、自分のほそぼそとした研究をまとめ続けたいと願っている。筆をもったままコトリと息絶えれば、学者として、それはそれで本望であろう」(81頁)

と綴っていた。まさに、その通りの学者として本望の姿であった。
​


『ソフィーの世界』に学ぶ


中村の密葬が、10月12、13の両日にわたって行なわれた。

会場正面の向かって右側に、サールナートで発掘された穏やかな表情の初転法輪坐像」の写真(表紙カバーの写真)が掲げられ、その左側に左斜め前向きで合掌する中村の写真があった。中村の依頼で写真家の丸山勇氏の作品を引き伸ばしたもので、中村が初転法輪坐像に向かって合掌している構図になっていた。

会場では、アメリカから来日していたイナダの姿を見つけて驚いた人が多かった。筆者が、中村の病状を逐一知らせていたことで、駆けつけてきたと聞いて、「植木さん、ケンによく知らせてくれた。ケンとはもう三十年来、音信不通になっていた」と東洋大学教授(当時)の川崎信定(かわさきしんじょう)が喜んでくれた。イナダと同じ年齢の三枝も再会を喜んだ。





告別式で棺の中に花を添える時、中村の胸にヨースタイン・ゴルデル著『ソフ
ィーの世界』が置かれていた。

その理由を三木純子にうかがって、中村の学問に対する姿勢を改めて教えられる思いがした。その思いを本間に伝えると、「植木さん、それを書いてください」と言われ、『仏眼』に次のようにしたためた。



生涯求道の中村元先生を悼む

印度学仏教学の世界的大家、中村元博士が10月10日に亡くなられた。86歳であった。前号で紹介したように7月に決定版「中村元選集」を完結させたばかりであった。一つの大きな山を越えたことでホッとしたところへ、この夏の猛暑。8月末に体調を崩し、病床に臥す毎日だった。前号の記事「決定版r中村元選集』の完結に寄せて」を家族の方々が喜んで下さり、先生の枕元に置いて記念撮影をされたと、長女の三木純子さんからうかがった。恐縮の限りである。

10月12、13の両日、アメリカから駆けつけたケネス·K·イナダ博士夫妻をはじめ、三枝充悳、前田專學、奈良康明、川崎信定、田村晃祐(たむらこうゆう)、森祖道(もりそどう)博士ら、中村先生の教えを受けた人たちをはじめ、東方学院関係者、身内の方々で密葬が行なわれた。

式では中村先生が日ごろから日課として朗読していた「依文三帰(さんきえもん)」と「生活信条」を参加者全員で唱和した。その「生活信条」の全文は次の通りである。
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み仏の誓いを信じ 尊い御名をとなえつつ、強く明るく生きぬきます
み仏の光をあおぎ 常にわが身をかえりみて 感謝のうちに励みます
み仏の教えにしたがい 正しい道をききわけて 誠のみのりをひろめます
み仏の恵を喜び 互いにうやまいたすけあい 社会のためにつくします

その一言一句を噛みしめながら朗読した。卓越した学者でありながらも、どこまでも謙虚で、慈愛溢れる中村先生の人柄の秘密の一端を垣間見る思いであった。

40歳にして初めて難解なサンスクリット語を学び始めた私に、中村先生は人生において遅いとか早いとかということはございません。思いついた時、気がついた時、その時が常にスタートですよ」と励ましてくれた。それは、中村先生自身の信条でもあったのだ。

30年近く前に出された「選集」に満足せず、大幅増補·改訂されて決定版「選集」を完結させた。80歳の時の年初の講義で「今年は9冊本を出します」と言って、本当に分厚い本を9冊出した。二百字詰め原稿四万枚がなくなって、8年がかりで作り直した『佛教語大辞典』の話は有名だ。中村先生は、「やり直したおかげで、ずっといいものができました。逆縁が転じて順縁となりました」と語っていた。その『佛教語大辞典』についても、晩年には「まだまだ手を入れたいところがある」とも口にしていた。





中村先生は、文字通り最後の最後まで研究の集大成に挺身しておられたのだ。告別式で奥様の洛子夫人が、「主人は、自分の何よりも好きな勉強を生涯続けられて幸せだったと思います」と一言挨拶した。短いが、生涯求道の中村先生のすべてを物語っている言葉だった。

お別れの時、開かれた棺の中の先生の胸の上にはヨースタイン・ゴルデル著、池田
香代子訳『ソフィーの世界』(上·下)が置かれていた。





中村先生と『ソフィーの世界』――その組み合わせがなかなか理解できなかった。「何でだろう?」。長女の三木純子さんにうかがうと、中村先生のお孫さんが持っていたその本に興味を示し、中村先生はお孫さんから借りて愛読していたそうだ。検査入院の時や、地方に出かける時、純子さんが、「荷物は何を入れますか?」と尋ねると、いつも

「筆記具と『ソフィーの世界』」

というのが答えだったという。純子さんは, 「父が読みかけだったようなので、 "向こう“でゆっくりと読めるようにと考えて、棺に入れてあげました」と話してくれた。ペーパーバックのカバーは少し擦り切れていた。哲学を分かりやすく書いたものとして、話題になった書である。

中村先生は、日ごろから「分かりやすく説くのは通俗的で、わけの分からぬような仕方で説くのが学術的であるかのように思われているが、これはまちがいだ。分かりやすく説くのが学術的なのだ」とよく話されていた。この本についても、「これからの学者は、このように子どもや一般の人にも分かるように書かねばならない」「ワシも勉強せねばならぬ」と話されていたという。

中村先生がこの書を愛読されていた事実を知って、改めて中村先生の学問への態度を教えられた思いである。

この精神を継承することが中村先生への追善となろう。
中村先生のご冥福をお祈り申し上げます。

一九九九年十一月一日
合掌
(『仏眼』1999年11月15日号)



池田香代子の涙の感動と驚き


この記事を、『ソフィーの世界』の翻訳者である池田香代子に、逸早く知らせたくて郵送した。そして、池田からメールが届いた。11月28日のことだった。それは中村の誕生日に当たり、中村の納骨の日であり、メールを受信したのは、その納骨が行なわれている時刻であった。

そのメールには

『佛眼』をお送りくださり、ありがとうございました。なんだろうと思ってページを繰っていき、ご文章に行き当たって、ほんとうに驚きました。とっさに、涙があふれました。このような大碩学が、晩年、あの入門書を楽しんでくださり、行く先々にお持ちまわりになったとは。この本にたずさわった一人として、生涯、光栄に存じます。しかも、遠い旅立ちに、ほかにいくらでも、それこそいくらでもおありだろうに、あの本を故人にお持たせになったご家族のやさしいお心、故人とご家族の深い愛の絆を思って、ご家族もまたすばらしい方々だと感じ入りました。

中村元氏は、私は直接ご本を読むような器ではありませんが、サンスクリットの詩のご翻訳は昔から拝見していました。友人にサンスクリット学者がおり、「日本には中村元しかいない」と常々言っていました。『ソフィーの世界』の編集者と監修者は、中村氏がお亡くなりになったとき、お噂をしていたそうです。その二人にもすぐさま電話で植木様のことを伝え、電話口でそれぞれに涙ぐんでしまいました。

池田香代子

と記されていた。
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From:
仏教学者 中村元 求道のことばと思想
2014/7/24
植木 雅俊 (著)





2018年4月29日日曜日

捨てられた原稿4万枚、「怒ったって出てこないでしょう」【中村元】


From:
仏教学者 中村元 求道のことばと思想
植木 雅俊 (著)





●4万枚の原稿行方不明事件を乗り越えて


『佛教語大辞典』の原稿は、19年かけて1967年に完成した。中村元が、オーストリア学士院遠隔地会員に選ばれた年である。200字詰め原稿用紙、約4万枚に約3万語が収録されていた。

その原稿を木製のリンゴ箱に入れて、出版社に渡した。ところが、その年の12月初め、出版社がリンゴ箱に入れた原稿を紛失してしまった。出版社の社長が重病になり、間もなく亡くなった。そこへ、都の道路拡張のために移転命令が出た。移転騒動の混乱のなかで原稿が行方不明になってしまったのだ。

古紙回収業者から製紙会社までのリサイクル関係者に探してもらったり、新聞やテレビなどのマスコミを通じて、「見つけたら届けてください」と懸賞金つきで呼びかけたが、出てこなかった。引っ越し騒ぎのドサクサの中であったためか、どうもゴミと間違えて出されてしまったようだ。


出版社の人が謝りに来たが、中村は怒らなかった。

「怒ったって出てこないでしょう」

というのだ。しかし、一ヶ月ほどは呆然として何も手につかなかった。中村は、その時のことを振り返って、

「まるで土足で顔を踏みつけられたような感じがしたのは確かである」

と語った。そんな時に、原稿の整理を手伝った洛子夫人が

「あなた、ボーッとしていてもしょうがないでしょう。やり直したらどうですか」

と言った。

「早くやり直したほうがよい」と言った人がもう一人いる。中村敏夫だ。すでに述べたことだが、中村元は、東方学院の講義の最中に、この中村敏夫の名前をしばしば挙げて、”実力主義の人”と評して紹介していた。

中村元の話の断片からは、中村敏夫は一高時代以来の友人で、弁護士として、東方学院の設立の時にも法律面からのバックアップをした。その中村敏夫は『佛教語大辞典』の原稿が紛失した時には、夫人と一緒に大晦日の日に駆けつけてきて、やり直すための費用として多額の私財を提供したということまでは理解していた。


●逆縁が転じて毎日出版文化賞受賞


原稿がなくなってからというもの、中村は一ヶ月ほど呆然としていたが、洛子夫人や中村敏夫の言葉に励まされ、不死鳥のごとく1968年1月に作業を再開した。

中村は、『佛教語大辞典』の「あとがき」で、その作業について次のように8段階に分けて詳細に記している。

第1段階…1968年1月から数十人の人に語彙・解釈の募集を手伝ってもらうとともに、中村が原稿執筆を開始。

第2段階…同年末に出来上がった原稿を五十音順に並べる作業を開始。

第3段階…学園紛争が甚だしくなり、共同作業の場所がなくなって中断状態となり、中村の単独作業が続いた。

第4段階…出版社の分室で土曜・日曜などに泊まり込みで原稿の整理・完成に従事した。

第5段階…完成を急ぐあまり多くの人に加勢してもらったのはいいが、原稿にムラがあり、一貫した視点で独創的な意味を持たせるためにも、「他人の協力をあてにするという横着な態度」をやめて、1969年秋に集団作業を中止。中村が自分独りで原稿を書き続けた。

第6段階…原稿を確定する仕事に取り掛かる。この第5と第6の段階に2年間を要している。

第7段階…作業が出版社の手に移る。中村は、仏教語の採録に努め、増補の原稿を書き続ける。

第8段階…校正の作業


この間には学園紛争が勃発し、作業を行う場所を転々と流浪した。原稿整理や、加筆のために自宅も使った。洛子夫人も原稿整理を手伝った。

こうして1975年2月、作業再開から8年目にして『佛教語大辞典』が刊行された。『佛教語邦訳辞典』に着手してから数えると30余年がかりの労作である。紛失した原稿では3万語であったが、4万5千語に増えていた。

難解と思われてきた仏教用語の説明が平易な言葉でなされていて、分かりやすい。サンスクリット語、パーリ語、チベット語の原語も挙げて、巻末にはサンスクリット語、パーリ語、チベット語索引も備えているので、仏教用語の梵語辞典、巴利(パーリ)語辞典、西蔵(チベット)語辞典としても活用することが可能である。




紛失した原稿は、200字詰め原稿用紙で4万枚であったが、今度は10万枚にも及んでいて、はるかに内容の充実したものになっていた。

中村は「やりなおしたおかげで、前のものよりもずっと良いものができました。逆縁が転じて順縁となりました」と言った。

中村は、この体験をはじめとする自らの人生を振り返り、順縁と思われたものが悪い結果につながり、逆縁と思われたものが良い結果を招くこともあり、仏教の説く順縁と逆縁は固定的なものではなく、変転するものだと語った。

原稿の行方不明事件をはじめとして、いろんなことがあったが、1975年11月に、中村は『佛教語大辞典』で賞のなかでも老舗中の老舗といわれる毎日出版文化賞の特別賞を受賞した。

…





From:
仏教学者 中村元 求道のことばと思想
植木 雅俊 (著)

2015年11月18日水曜日

ブッダの言葉『スッタニパータ』 [YouTube朗読]



Suttanipāta
スッタニパータ


ブッダのことば
中村元




本書の解説に、中村元氏は言う。

「『ブッダのことば(スッタニパータ)』は、現代の学問的研究の示すところによると、仏教の多数の諸聖典のうちで最も古いものであり、歴史的人物としてのゴータマ・ブッダ(釈尊)のことばに最も近い詩句を集成した一つの聖典である。シナ・日本の仏教にはほとんど知られなかったが、学問的には極めて重要である。これによって、われわれはゴータマ・ブッダその人、あるいは最初期の仏教に近づきうる一つの通路をもつからである。

…

仏教の開祖であるゴータマ・ブッダ(釈尊)を歴史的人物として把捉するとき、その生き生きとしたすがたに最も近く迫りうる書、少なくともそのうちの一つは『スッタニパータ(Suttanipāta)』であると言っても過言ではないだろう」



YouTube 朗読
スッタニパータ(Suttanipāta)
梅尾泰巌(寂静山禅定院)

※朗読文はほぼ、中村元『ブッダのことば』どおりである。



スッタニパータ
第一 蛇の章





スッタニパータ
第二 小なる章





スッタニパータ
第三 大なる章





スッタニパータ
第四 八つの詩句の章





スッタニパータ
第五 彼岸に至る道の章











以下、アルボムッレ・スマナサーラ長老(スリランカ)による『スッタニパータ(パーリ語原文)』の朗読。

宝経
ラタナ・スッタン Ratana Suttam

慈経
メッタ・スッタン Metta Suttam

勝利の経
ヴィジャヤスッタン Vijayasuttam





アルボムッレ・スマナサーラ(Alubomulle Sumanasara)1945〜
ブッダの日常読誦経典[完全版 CD BOOK] (3675)

パーリ語による読経CDブック
『スッタニパータ』はじめ多数収録