2013年9月28日土曜日

日本人女性初、プロ・クライマー「尾川とも子」



「私はよく『V14の岩を登るのは、天井に割り箸とペットボトルの蓋がついていて、それを伝って5m進むようなもの』と例えています」

そう言うのは、日本人女性初のプロ・クライマー「尾川とも子(おがわ・ともこ)」。昨年(2012)、女性として世界初となる最高難易度V14の岩場(カタルシス・那須高原)の登頂に成功した。

「指の第一関節も引っ掛からないような凹(へこ)みを頼りに岩場を登っていくんです。指の角度を1mmずらしながら、『こっちのほうが力が入る』などと研究しながら」








年月にして3年、回数にして500回くらい挑戦したというV14のカタルシス(那須高原)。

「さすがに100回くらい失敗した時は、10年くらいかかるんじゃないかなと思って、ため息ばかりでした」と尾川さんは言う。

「失敗を重ね続け、ある時『登ってやる』という感じではダメだと気づくんです。というのは、岩は湿度や気温、風向き、風速によって表情がまったく違います。『今日はこういう表情になるんだ』と理解して進んでいかないと、指の力の入れ方が変わってきます」



初めて見た時は「ドラゴンのように威圧感があった」というカタルシスの岩場。

しかし2年目くらいからは、「ああ、この凹み知ってる。この突起も知っているよ」という感じになってきたという。

「3年目に達成した時は、仲良しの友達にしか思えなかったですね。500回も挑戦していると『制覇』という気持ちにならないんですね」







「ある時期から考え方を変えました。一つ失敗するごとに『この指の形じゃダメだった』というヒントをもらったんだと、だから、私はカタルシスを登るのに『500のヒント』が必要だった。今はそう思っています」

ついに最高難度グレードV14の岩場(カタルシス)に登り切った尾川智子さん。

その功績が讃えられ、その年に世界で一番活躍したクライマーに贈られる「Golden Piton賞」を受賞(2012)。日本人3人目となる快挙であった(日本人女性としては初)。













(了)






ソース:致知2013年10月号
「プロの女性クライマーとして、いつもフロンティアでありたい」

2013年9月27日金曜日

時間を「見る」、砂時計



砂時計の詩



1トンの砂が、時を刻む砂時計があるそうです。

その砂が、音もなく巨大な容器に積もっていくさまを見ていると

時は過ぎ去るものではなく

心のうちに からだのうちに積もりゆくもの

と、いうことを、実感させられるそうです。



時は過ぎ去るものではなく

心のうちに からだのうちに積もりゆくもの



その巨大な砂時計は、仁摩サンドミュージアム(島根県)にあるという。1トンの砂時計が。

それは「ちょうど一年」の時を刻む砂時計。

「砂暦」と呼ばれている。



以前、ふるさと創生という事業が行われた時に、費用1億円、3年の歳月をかけて作られたものだそうで、高さが5m、幅が1mもあるという(世界最大)。

中の砂には少しでも異物があったら使えなくなるので、山奥の500万年も前の地層(山形県飯豊町)から採取した砂を何度も何度もふるいにかけて作られたのだそうだ(砂の落ちるノズルの直径は0.84mm)。



ミュージアムのパンフレットには、こう記されている。

いうなれば時間の可視化である。

今日では、時間の概念は抽象的で単なる数字にすぎない。ことにデジタル時計の出現はそれを極端にした。

ところが砂時計では、いま流れている時間が見えるし、過ぎ去った時間は豊かに蓄えられて砂の山になり、残りの時間も見ることができる。








ソース:
致知2013年10月号「よい言葉がよい人生をつくる」
仁摩サンドミュージアム「世界最大の砂時計 砂暦」


2013年9月26日木曜日

「正直」とは? 『論語』



「正直」について書かれた中国の昔話。



正直で働き者のお父さんがいました。

しかし、飢饉があって子供たちを養うだけのものが稼げない。思いあまって隣の柿を盗んで子供たちに食べさせて、飢えを凌ぎました。

ところが、それに気づいた隣の家の主人が、お父さんを訴えます。お巡りさんから厳しく追求されても、食べた子供まで罪になると思ったお父さんは何も言いません。

今度は子供たちに「お父さんは柿を盗んだだろう」と問い詰めると、子供たちは真実を知っていても「盗んでいない」と言う。

さて、この子供たちは正直でしょうか?



これは中国の古典『論語』に見られる話。

孔子いわく

「父は子のために隠し、子は父のために隠す。直(なお)きこと、その中にあり」






(了)






ソース:致知2013年10月号
「獄中で私を支えた『論語』の教え」


2013年9月25日水曜日

「To this day」シェーン・コイザン




She was eight years old, our first day of grade three when she got called ugly.

彼女は8歳だった。3年生の初日にブスと言われた。

We both got moved to the back of class so we would stop getting bombarded by spitballs. But the school halls were a battleground.

僕たちは教室の後ろに座らされた。後ろから紙つぶてが投げつけられないように。でも、廊下は戦場だった。

We found ourselves outnumbered day after wretched day. We used to stay inside for recess, because outside was worse.

多勢に無勢で過ごす みじめな日々。最悪の室外を避けて 休み時間も教室を出ない。



Outside, we'd have to rehearse running away, or learn to stay still like statues, giving no clues that we were there.

外では繰り返し走って逃げるか― 彫像のようにじっとして気配を消すしかなかった。

In grade five, they taped a sign to the front of her desk that read, "Beware of dog."

5年生のとき、彼女の机の前にこんな貼り紙 「犬に注意」。



To this day, despite a loving husband, she doesn't think she's beautiful because of a birthmark that takes up a little less than half her face.

今でもまだ、彼女は自分を美しいと思えない、愛してくれる夫がいるにも関わらず。顔の半分近くある生まれつきのアザのせいだ。

Kids used to say, "She looks like a wrong answer that someone tried to erase, but couldn't quite get the job done."

「消そうとして消しきれなかった間違った答えみたいだ」と、ほかの子らはからかった。



And they'll never understand that she's raising two kids whose definition of beauty begins with the word "Mom,"

彼らには永遠に理解できないだろう、彼女には2人の子どもをがいて、 その子たちがママを美しいと思っていることを。

because they see her heart before they see her skin, 

子どもたちは肌よりも先に、を見るから。

because she's only ever always been amazing.

彼女はいつも、ほかの誰よりも素晴らしいから。






2013年9月22日日曜日

オリンピック招致、最終プレゼンテーション [佐藤真海]



第一印象というのには、想像以上に大きなものがある。

悲願・東京オリンピック招致に向けた、最終プレゼンテーションの「トップバッター」



大抜擢されたのは、義足のアスリート「佐藤真海選手(陸上・走り幅跳び)」であった。

「まさかトップバッターとは思っていなくて(笑)。ブエノスアイレスに向かう一週間前にそれを言われてビックリしました」



与えられた時間は、他のスピーカーの紹介も含め「4分間」。

世界を共鳴させた、感動のスピーチ!






Mr. President… Distinguished members of the IOC… I am Mami Sato.

会長、そしてIOC(国際オリンピック委員会)の皆様、佐藤真海(さとう・まみ)です。

And I am here because I was saved by sport. It taught me the values that matter in life. The values that Tokyo 2020 is determined to promote worldwide. 

私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです。スポーツは私に人生で大切な価値を教えてくれました。それは、2020年東京大会が世界に広めようと決意している価値です。



Today, that global vision will be outlined by:

President Tsunekazu Takeda(竹田恒和・招致委員会理事長)

Prime Minister Shinzo Abe(安倍晋三・内閣総理大臣)

Governor Naoki Inose(猪瀬直樹・東京都知事)

Bid ambassador Christel Takigawa(滝川クリステル・招致アンバサダー)

And double silver medalist Yuki Ota(太田雄貴・過去2大会の銀メダリスト)



Please allow me to return to my story.

私自身の話に戻らせていただきたいと思います。

I was nineteen when my life changed. I was a runner. I was a swimmer. I was even a cheerleader. Then, just weeks after I first felt pains in my ankle, I lost my leg to cancer

19歳の時に私の人生は一変しました。私は陸上選手で、水泳もしていました。また、チアリーダーでもありました。そして、初めて足首に痛みを感じてからたった数週間のうちに、骨肉腫により足を失ってしました。

Of course, it was in despair. Until I returned to university and took up athletics.

もちろん、それは過酷なことで、絶望の淵に沈みました。でもそれは大学に戻り、陸上に取り組むまでのことでした。



I found that I enjoyed setting goal - and beating it. I developed new confidence.

私は目標を決め、それを越えることに喜びを感じ、新しい自信が生まれました。

Most of all, I learnt that what was important was what I had, not what I had lost.

そして何より、私にとって大切なのは、私が持っているものであって、私が失ったものではないということを学びました。

I competed at the Paralympic Games in Athens and Beijing. I felt privileged to have been toughed by the power of sport. And I was looking forward to London 2012.

私はアテネと北京のパラリンピック大会に出場しました。スポーツの力に感動させられた私は、恵まれていると感じました。2012年ロンドン大会も楽しみにしていました。



Then came the 11th of March 2011. The tsunami hit my hometown. 

しかし、2011年3月11日、津波が私の故郷の町を襲いました。

For six days I did not know if my family were still alive. And, I did find them, my personal happiness was nothing compared to the sadness of the nation.

6日もの間、私は自分の家族がまだ無事でいるかどうか分かりませんでした。そして家族を見つけ出したとき、自分の個人的な幸せなど、国民の深い悲しみとは比べ物にもなりませんでした。



I collected messages from schools and took them home… And shared with the people my own experiences. I also took food supplies. And other athletes did the same. Together, we organized sport activities to help restore confidence.

私はいろいろな学校からメッセージを集めて故郷に持ち帰り、私自身の経験を人々に話しました。食糧も持って行きました。ほかのアスリートたちも同じことをしました。私たちは一緒になってスポーツ活動を準備して、自信を取り戻すお手伝いをしました。

Only then did I see the true power of sport… To create new dreams and smiles. To give hope. To bring people together.

そのとき初めて、私はスポーツの真の力を目の当たりにしたのです。新たな夢と笑顔を育む力。希望をもたらす力。人々を結びつける力。



More than 200 athletes… Japanese and international… making almost 1,000 visits to the affected area… are inspiring more than 50,000 children.

200人を超えるアスリートたちが、日本そして世界から、被災地におよそ1,000回も足を運びながら5万人以上の子供たちをインスパイアしています。

What we have seen is the impact of the Olympic Value as never before in Japan. 

私たちが目にしたのは、かつて日本では見られなかったオリンピックの価値が及ぼす力です。

And what the country has witnessed is that those precious Value… Excellence, Friendship and Respect… can be so much more than just words.

そして、日本が目の当たりにしたのは、これらの貴重な価値、卓越、友情、尊敬が言葉以上の大きな力をもつ、ということです。



applause(拍手)






「言葉に気持ちを乗せて、表情や姿勢でも自分の言いたいことを表現しようとしたつもりです。読まされた原稿では何も伝わりませんから」

「投票結果発表の瞬間は、プレゼンをしているときより緊張していました。もうドキドキで…。安倍総理や森喜朗さんのすぐ隣に座っていたので、こんなところに私がいてもいいのか? と疑問に思いつつも(笑)」

「2020年までに施設や環境面のバリアフリーはもちろん、心の面でのバリアフリーも日本に根づいてくれるといいな、と」

〜スポーツ誌『Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 10/3号 』の取材記事より〜





引用:2020年東京オリンピック最終プレゼンテーション(全文付き)勝利した日本式プレゼンテーションの秘密

2013年9月21日土曜日

立たず座らず。中間姿勢でのデスク・ワーク






”われわれの身体がデスク・ワークをする時

最適な姿勢は『立っている状態と座っている状態の間』にあるんだ”



「Between Standing and Sitting(立つと座るの間)」

その中腰のような姿勢が、頭にも身体にも心地よく感じるのだという。



従来の「座る椅子」は、腰とヒザの2ヶ所が曲がりすぎてしまっているため、この姿勢を長く続けると、血行不良を起こしてしまう。

”頭をクリアに保ち、効率よく仕事をするには、身体を興した状態に保つのがいいのだ(BE-PAL)”

そして開発されたのが「ローカスシート&デスク(Locus Upright Seat & Desk)」。






デザインしたのは「マーティン・キーン(Martin Keen)」。ご存知、画期的スポーツ・サンダル「KEEN」の創設者。フットウェア界に革命をもたらした男だ。

”座ってばかりだと退化する”

昨今、GoogleやFacebookなどIT企業で「立ち机」の愛用者は多いという。かつては、ヘミングウェイ(作家)やチャーチル(元イギリス首相)も立ち机の愛用者だったという。







詳細情報:Focal


2013年9月20日金曜日

家族みんなで自転車1,000km。スウェーデンの夏



すごい荷物だ!

一家の長である父親の自転車は、装着できるだけのバッグが目一杯。そのうえ、これまたバッグ満載のキャリーカーまで牽いている。

”なにかに没頭したように走る姿は、古代の騎馬戦車を駆る兵士のようだ(BE-PAL)”



「200kg以上はあるよ」と、ブロンド・ヘアーの父親は平然と言う。

「家族のテント、炊事道具、着替え、食料、水…」

6週間の夏休みのうち、4週間を使って家族と自転車旅行をして回っているのだという。ドイツから1,000kmを走り、スウェーデンに入ったところだった。



家族は全部で5人。夫婦と子供3人。子供はみんな小学生で、一番小さい女の子はまだ7歳。

それぞれの体力に応じて、家族の荷物は見事に分散されている。恐ろしく重い父親の自転車は言わずもがな、7歳の女の子の小さな自転車にも「ありったけのぬいぐるみ」がくくりつけられている。

”この荷物の配分を理解するだけでも、子供たちには素晴らしい教育になるだろう(BE-PAL)”



「毎日の泊まる場所は、まったく決めてないよ」と、父親は言う。

ここスウェーデンには「アッレマンスレット(自然はみんなのもの)」という法律があって、国中のどこにでもテントを張っていいのだという。

「目的地? ないよ。行けるとこまでさ」



夫婦ともにドイツの大学で教鞭をとっているというが、この家族にとっての教育とは、そういうことだ。

父親に「一番大切なものは?」と聞くと

「水だよ」と、きわめて現実的な答えが返ってきた。



「世界で一番美しい」といわれるスウェーデンの夏。

田舎道をひた走る、家族5台の自転車。

夏草の甘い香りが吹き抜ける。













(了)






ソース:BEーPAL (ビーパル) 2012年 12月号 [雑誌]
「ベルリン小学生の夏休み」


日本アウトドア・ブランド図鑑(BE-PAL)創業順


いまや世界に羽ばたく
アウトドア・ブランド大国「日本」

”30年ほど前、本誌(BE-PAL)が創刊したばかりのころは「舶来品」が優勢だったアウトドア・ギア。それがいまは石に開いに多くのメーカーが存在し、国内展開限定から世界を相手に販路を拡げるブランドまである。その両者に共通するのが「日本ならではの職人気質」が生み出す品質の高さである(『BE-PAL』2012年12月号)”



1900年代〜



サーモス
THERMOS 創業1904年(東京都港区)

1892年に発明されたガラス製魔法瓶のブランドとして誕生し、1978年には世界初の高真空ステンレス製魔法瓶を開発した。

真空断熱構造で飲み頃温度を長時間キープ、結露しないカップ。
ビールが最後まで冷たい!



1910年代〜



オガワ
Ogawa 創業1914年(東京都中央区)

戦中は軍用テントを開発、戦後はいち早くレジャー用品開発に注目。1961年発売の「オーナーロッジ」は日本初のオートキャンプ・テント。

2002年発売開始のロングセラー。
2012年には予想以上に売れ行きが良く、早期完売。追加生産したという。



1920年代〜



エバニュー
EVERNEW 創業1923年(東京都台東区)

金属運動具の製造・卸にはじまり、現在ではコッヘルをはじめ多種多様なアウトドア用品を製造。ブランド名は創業当初の屋号「増新商店」の増新を英語に置き換えたもの。

アルミにセラミック焼き付きコーティングが施され、汚れが落としやすく手入れが楽。
ソロパッカーに大人気のシンプルなセットだ。



ロゴス
LOGOS 創業1928年(大阪府大阪市)

船舶用品問屋として創業。1980年代のキャンプ人口増加の気運を先取りし、1985年から本格的にキャンプ用品開発に着手。バラエティーに富んだアイテム展開が自慢だ。

2012年に大ブレイクした、ヒマラヤ産の天然岩塩プレート。
まろやかな塩味を楽しめるのが特徴。



1940年代〜



ナンガ
NANGA 創業1941年(滋賀県米原市)

ヨーロッパ産の高品質、手摘みダウンを国内で洗浄し、縫製まで行う唯一の”日本製”ダウン寝袋専門カンパニー。全製品に「永久保証」が付く。

オーロラテックスという独自の防水加工を施した表地を採用。
快適使用温度はマイナス18℃まで。



1950年代〜



フェニックス
phenix 創業1952年(東京都新宿区)

1976年に日本初のダウンウェアを販売したことで知られる老舗スポーツウェア・ブランド。1989年よりアウトドア・ギアに着手。

2012年新登場のフェニックス初、本格的バックパック。
雨蓋を開けずに本体にアクセスできる。



キャラバン
Caravan 創業1954年(東京・銀座)

日本山岳会隊によるマナスル(標高8,156m)初登頂時に使われたアプローチ・シューズの開発を機に創設。当初の社名は山晴社。

1958年に作られていたキャンバス地アッパーモデルをベースに、帆布調ナイロンアッパーを使って当時の雰囲気を再現。



スノーピーク
snow peak 創業1958年(新潟県三条市)

登山が趣味の山井幸雄が金物問屋として創業。1986年からオートキャンプ用品ブランドとして本格的にスタートし、いまでは欧米や韓国など世界のアウトドア市場へも進出。

金物の街「燕三条」発の極薄鋳鉄を採用した、とても小さなダッチオーブン・シリーズ。
少量のおつまみ的一品をつくるのにとても重宝する。



1960年代〜



パイネ
PAINE 創業1968年(東京都新宿区)

ICI石井スポーツ(1964年にスタートした登山とスキーを中心としたアウトドア用品店)のオリジナル・ブランド。

現在の超軽量・コンパクトテントの先駆けともいえる、透湿防水素材のシングルウォール・テント。



1970年代〜



ダンロップ
DUNLOP 創業1971年(兵庫県神戸市)

世界初の吊り下げ式ドーム型テント「カラコルム・テント」を開発し、山岳テントメーカーとしてスタート。翌1972年からは超々ジュラルミンポールを初導入。

カラコルム・テントのDNAをもつ定番シリーズを復刻。
生地は超軽量モデルより厚めだが、十分に軽く、なにより耐久性に優れる。



イスカ
ISUKA 創業1972年(大阪府富田林市)

創業以来、基本に忠実で心あるモノづくりを続ける、日本屈指のダウン寝袋ブランド。2001年、現在は標準となった超極薄ナイロンシェルをいち早く採用。

超軽量エア・シリーズのなかでも人気が高いモデル。
重量550gで3,000m級の夏山縦走にも対応。



モンベル
mont-bell 創業1975年(大阪市西区)

アイガー北壁、日本人第2登の記録をもつ辰野勇が創設。山道具ブランドとしてのスタートだったが、現在は幅広いアウトドア・アクティビティーに対応するギアを展開。

たたんでクッションとして身近に置いておけるライフ・ジャケット。
2011年の津波被害を機に考案された。



キャプテンスタッグ
CAPTAIN STAG 創業1976年(新潟県三条市)

BBQ用品や食器類にはじまり、いまや自転車、カヌー、ガーデン用品まで揃う総合ブランドに。使いやすさと購入しやすさが第一の商品展開が自慢。

”メイド・イン・燕三条”!
金物の町発祥のブランドならではの「ステンレス製なべセット」



タラスブルバ
TARAS BOULBA 創業1976年(兵庫県兵庫市)

日本の自然を楽しむためのブランドとして誕生。日本人の体型や気候風土にあったモノづくりがモットー。

東レの3レイヤーエントラントSPを採用した高機能アウター。
非常に高い防水性と透湿性を併せ持つ。止水ジップ使用。



イーピーアイ
EPIgas 創業1978年(東京都文京区)

低重心で安定感のある分離型ガス・ストーブを1990年に開発。以来、超高出力をもつ燃焼器具ブランド。

超軽量コンパクト・ストーブの先駆けともいえるモデル。
1975年以来つくり継がれている、山屋のストーブの大定番。



ソト
SOTO 創業1978年(愛知県蒲郡市)

燃焼器具の製造を起源とし、1992年からアウトドア市場に参入。現在は欧米や韓国へも輸出するグローバル・ブランドに。

最近またスモークが流行りはじめ、2012年にリリースしたこの「美濃焼スモーカー」も人気だという。



1980年代〜



グランドキング
Grandking 創業1981年(東京都豊島区)

入門者向けに柔らかめのソールを使う「キャラバン」ブランドと棲み分けるために創設された、登山経験者向けの本格的トレッキングシューズのブランド。

同ブランド史上、最上位のトップモデル。
アッパーには贅沢な2.5/3.0mm 厚のヌバックレザーを使用。



フォックスファイヤー
Foxfire 創業1982年(東京都新宿区)

フライフィッシング用ベスト開発にはじまり、現在は幅広いアウトドア・ギアを展開。創設以来の一貫したテーマは「クワイエット・スポーツ」。

定評あるカメラパックに、機材以外の収納スペースを充実させた”デジイチ”用の入門者向けモデル。



ライペン
RIPEN 創業1982年(東京都中野区)

1965年創業の登山用具メーカーが創設し、山岳テントやザックを展開している。ブランド名は「熟練」を意味する英語に由来。

2009年発表のユニークな”土間”付き山岳テント。
その開放感に魅了されるファンが年々増えている。



ユニフレーム
UNIFLAME 創業1985年(新潟県燕市)

1989年に初のカセットガス式ツインバーナーを開発。屋外用ナベ類に高品質なステンレスを使うなど、地元の利を活かしたモノづくりが得意。

独自の断熱構造をもつ、卓上で使える炭焼きグリル。
1992年から続くモデルだが、人気はいまだ衰えない。



アクシーズクイン
AXESQUIN 創業1988年(東京都千代田区)

創設当初まだ少なかった女性仕様のトレッキング・ウェアを開発。国内外の最先端素材をいち早く採用することでも知られる。


レインスーツの動きにくさを改善し、必要にして十分な防水機能を備えた「前掛け型の雨よけ」。
膝の帯を裏にまわして止めることで簡易なパンツにもなる。



ホリデーロード
Holiday Road 創業1989年(東京都荒川区)

創業者・佐野保夫みずから「世界一小さいアウトドア・メーカー」といって憚らない業界屈指の零細ブランドだが、心意気は「アイデアと品質も世界一!」。

VHSビデオケース・サイズに収納できるコンパクトなテーブル。
ハイカーや2輪ツーリストに大人気。



1990年代〜



シリオ
SIRIO 創業1993年(東京都江東区)

日本人の足に合う靴をデザインし、世界最高峰の製靴技術をもつイタリアで作りたいという思い入れから創設された。

履き慣れない人でも、欧米ブランドの靴と履き比べれば違いがすぐにわかるシリオの靴の代表的モデル。



オンウェー
Onway 創業1995年(東京都足立区)

キャンプ家具メーカーとして数々の秀作を開発。主に他ブランドに供給していたが、2012年からは自社ブランドで販売開始。

なぜアルミ・折り畳みにこだわるのか。
軽量化と携帯に便利なアルミ折りたたみテーブルを手掛けて15年。
テーブルはモノを置くだけの道具ではない。
そこに置いてあるだけで美しく輝き、生気をもたらし、見る人の想像を羽ばたかせる。
そんな存在感のある芸術作品だと、ONWAYは考えている。 



プロトレック
PRO TREK 創業1995年(東京都)

カシオ計算機(1957年設立)が開発した方位、気圧、温度を計測するトリプル・センサー搭載の画期的フィールド・ウォッチがルーツ。

ソーラー電波搭載モデルに新開発『トリプルセンサーVer.3』を搭載したNewモデル。
コンパクト化したケースと装着性に優れたソフトウレタンバンドを併せて採用し、装着感も向上。


2000年代〜



ファイントラック
finetrack 創業2004年(兵庫県神戸市)

繊維素材に詳しい金山洋太郎のもと、「遊び手 = 創り手」をモットーに創設。使用素材を繊維会社と共同開発できる知識とスキルを持った、数少ないブランドだ。

ヨコ方向に30.5%(3kg加重時)ものストレッチ性をもち、従来にない動きやすさから大好評を博しているレインウェア。



アイポア
aipoua 創業2004年(東京都墨田区)

日本人の体格に合ったサイズの、高品質メリノウール・ウェアを作るために創設。使用素材はもちろん100%メリノウール。

海外ブランドのように袖が長すぎないのは、日本企画ならではのアイポア最大の特徴。
高品質メリノウールを厳選、独自輸入し、国内で縫製している。



アディロンダック
ADIRONDACK 創業2005年(東京都新宿区)

1977年に創業した「エイ・アンド・エフ」が、流行に左右されない普遍的モノづくりをコンセプトに立ち上げたプライベート・ブランド

小さくても耐荷重180kgと力持ちな、携帯性に優れた「折りたたみイス」
その軽さはわずか500gほど。



プロモンテ
PuroMonte 創業2005年(東京都中央区)

1971年からダンロップのテント開発を手がけてきた会社により創設された。テントのほか、ウェアも充実。

超軽量コンパクト装備をめざす岳人のために開発された、オールシーズン対応・山岳用テントの定番モデル。



笑's
ショーズ 創業2008年(埼玉県さいたま市)

町の板金屋さん、高久笑一(たかく・しょういち)が創設した焚き火用品ブランド。今夏はアメリカのショーにも出展。海外デビューも間近。

1mm厚ステンレスとアルミ・リベットを使った、組み立て式の小型焚き火グリル。
鋳鉄ナベも載せられる。



ソース:BEーPAL (ビーパル) 2012年 12月号 [雑誌]
「永久保存版! 世界のアウトドア・ブランド大図鑑」


2013年9月17日火曜日

稽古と「無の境地」



たとえば、お茶や踊りのような芸事なら、どこまでやれば終わりという限度がないから、やればやるほど深くなって「無心の境地」になる。清水知恵さんというダンスの名手の方は「ある境地に入ると、自分が誰かに踊らされているような感じがします」とおっしゃっています。

こういう方に共通するのは「目的がない」ということです。何かの目的を持つと、その途端に価値が半減します。ただひたすらに稽古、訓練、修行に励む。すると、時機が至れば意識から解放されて「無の境地」になる。

私は若いときに射撃をやっていましたが、稽古にただひたすら打ち込んでいると「無の境地」になり、感覚が増幅されます。射撃というのは300m先にある1m幅の的を狙って撃つんですが、銃身の先(銃口)が0.1mmずれると1点下がるような感覚です(的は10等分されており、真ん中が10点、一番端が1点)。

ひたすらな稽古は、千利休の「稽古とは 一より習い十を知り 十よりかへる もとのその一」の句そのものの実践となり、意識は遠くなり「無の境地」になります。目的感、努力感もなく、ただ「無」に生きているという境地でしょうか。




話:井口潔
井口野間病院理事長、九州大学名誉教授

出典:致知2013年9月号
「やるべき仕事があれば年を取らない」


2013年9月15日日曜日

池を開きて月を待たざれ 菓子舗「たねや」


池を開きて月を待たざれ

池成れば月自ずから来る

「月をいくら追いかけても掴めない。月を迎え入れる器をつくりなさい。その中に水が入れば、月は自ずと手の中に写り込んでくる」



「あの木はな、今日あんたが来てくれるために立派になったんと違う。東京に行くからといって急にええ格好をするのではなく、今あるがままの姿が一番美しいんや(長田純)」

「走るなかれ。されど止まるはなお愚かなり。ただ歩めよ(末廣正統苑)」





話:山本徳次
創業141年、老舗菓子舗「たねや」

出典:致知2013年9月号
「商いの道は人の道」