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2016年12月15日木曜日

ネコ背になる本当の理由とは?[小池義孝]






〜小池義孝『ねこ背は治る!』より〜


知れば、ねこ背が治る!


胸をはって背筋を伸ばす。

そのような格好を「良い姿勢」だと思っている人がほとんどです。

私も子供のころ、嫌というほど、この姿勢をしつけられました。少しでも気をゆるめると、「背筋、ピンッ!」と母の厳しい声が飛んできたものです。がんばってこの格好を維持していれば、やがては良い姿勢が当たり前になる。その頃は、そんな風に漠然と考えていました。それは母も同じだったようです。

何年も何年も、根気よくしつけられ続けられましたが、私のねこ背が矯正される様子はありませんでした。この方法でねこ背を矯正するのは、私には不可能だと、ついには諦めました。これが20代半ばのころです。





結局は、無理に背筋をのばす解決方法が、そもそもの間違いです。それでは「姿勢が悪いから、姿勢が悪い」と言っているようなものです。ねこ背になってしまう原因は、決して「ねこ背だから」ではありません、正解を知れば、姿勢の改善は一瞬です。

人間がねこ背になってしまうのは、立っている時、座っている時です。寝ている時にはねこ背になりません。これは当たり前ですけれども、もう一つ、ねこ背にならない状態があります。

それは膝立ちをしている時です。膝立ちをしていると、背筋がスッと伸びます。実際に試してみてください。いかがでしょうか。普段はねこ背ぎみの人でも、自然な形で良い姿勢になれたと思います。無理にがんばって背筋を伸ばす必要もありません。





ではなぜ、膝立ちだと姿勢が良くなるのでしょうか?

全身の骨格図を見てください。大腿の太い骨を「大腿骨(だいたいこつ)」と呼びます。骨盤と上半身全体が、大腿骨に支えられています。太く頼もしい骨に乗っているので、骨盤が安定しています。変な傾き方はしていません。ですから背骨もその上で、きれいに伸びていられます。

美しい姿勢は、こんな風につくられていきます。骨が骨を自然に支えて、無理のない状態です。





また、右膝のアップの図を見てください。膝が一点で重さを支えているのがわかります。膝のすぐ上には大腿骨があります。

膝立ちは無条件に、大腿骨で身体を支える姿勢をつくります。大腿骨に上手に乗れば、人間は良い姿勢に楽に到達できるのです。

良い姿勢とは、このように、骨が自然と立っている状態を指します。決して無理に背筋をのばして、強引につくるものではありません。膝立ちをした時に、楽にスッと伸びる背筋。ここに正解があります。



膝立ちのときは良くても、足の裏で立つと、やはりねこ背に戻ってしまいます。今から、その理由を説明します。ねこ背が治る光明は、もう見えています。

膝で立つのと、足の裏で立つのとでは、何が異なるのでしょうか。大腿骨は膝と接していますが、足の裏からは遠く離れています。この違いがあります。膝の下にスネの骨が2本あって、足首があります。その下に足の裏です。

大腿骨に乗るためには、つながるスネの骨に乗らなければなりません。スネの骨は2本ありますが、乗るのはもちろん、内側の太い方の骨です。外側の細い方では、体重を乗せるには頼りありません。太い骨のサポートぐらいに考えておいてください。





下の図の◯印は、足の裏から見たスネの太い骨の場所です。この場所に体重を乗せてください。肩幅くらいに足を広げるとわかりやすくなります。

そうするとスネの太い骨に乗って、大腿骨に乗って、膝立ちと同じような状態になります。少し内側に絞るイメージになります。





足の裏は地面に触れている面積が広いので、膝立ちのように一点では支えられません。スネの太い骨を中心にして、広範囲で支えるようなイメージになります。

この時に、スネの太い骨に乗る意識を強くもってください。



スネの太い骨に乗れたら、今度は全身の力を抜きます。

そして自分の背筋を意識してください。スッと楽に、自然に伸びていれば成功です。無理に胸をはって、背筋を強引に伸ばすのとは違います。背筋自体には、まったく力を入れていません。

これが本当の「良い姿勢」です。

おそらくあなたは今まで、こんなにも脱力して立った記憶がないと思います。上手に骨格で身体を支えてあげると、立っている姿勢とは、ここまで楽なものです。立ったまま休んで、疲れた身体も癒せるほどです。



ねこ背になる、本当の原因


ねこ背になる本当の原因は、正しく骨に乗れていないからです。

足の裏は広いので、つま先から踵まで、好きなところに体重をかけられます。体重をかける場所を、スネの太い骨から外すと姿勢が崩れてしまいます。

ねこ背は「結果」ではありません。足の裏の間違った重心のせいで、倒れそうになる身体を修正する「手段」です。手段を矯正して治そうとしても、うまくいくはずがありません。無理に良い姿勢に見えるものをつくって、身体に辛い思いをさせるだけです。表面だけを追ってしまうと、このゆに間違いに間違いを重ねてしまいます。



ねこ背になってしまう原因として、足の裏の重心の場所は、あまりに小さ過ぎるものです。ほとんどの人から見過ごされてきたのも仕方ありません。

ねこ背は、原因と症状が同じものと考えられてきました。それが常識でした。先ほども申し上げた「ねこ背だから、ねこ背になってしまう」という理屈です。



正しく座る


では、座っている状態では、どのように考えればよいのでしょうか?

大腿骨の下がスネの太い骨ですから、上は骨盤です。骨盤にきれいに乗るのが、座っている場合の正解です。

骨盤には「坐骨(ざこつ)」という骨があります。椅子に座ったときに、下に当たる骨です。





坐骨の角度をみてください。

前が狭く、後ろが広くなっています。これには意味がちゃんとあります。もし坐骨が真っ直ぐに平行だったら、安定が悪くて仕方ありません。左右にグラグラとして、落ち着いて座れません。改めて人間の身体は機能的にできていると感心します。

骨盤にきれいに乗るためには、うまく坐骨を活かします。坐骨を外すと、身体は極端に不安定になります。不安定な身体のバランスをとるためには、やはり姿勢を悪くするしかありません。

基本的な理屈は、立っているときの場合とすべて同じです。坐骨を外して前に体重をかければ、ねこ背になります。外すのが後ろなら仰け反ってしまいます。



正座やあぐらでも、理屈は同じです。正座の場合には坐骨の下に自分の足があります。坐骨をきれいに足に乗せられるように調整して、力を抜いてください。

背筋がスッと伸びると、椅子に座ってやる作業が楽になります。正しい座り姿勢では、骨格が体重を効率よく支え、筋肉の負担は最小限に抑えられます。長時間の作業も楽になります。

パソコンのキーボード操作でも、首や肩の負担は減り、キーボード操作も軽快になります。目からきていると思っていた首と肩のこりは、じつは姿勢のせいだったということもあるかもしれません。



正しい姿勢とは、骨格にうまく体重を預けて、リラックスしている状態です。力が抜けているので、必要な筋肉がすばやく反応できます。

なんだか武道の真髄のような話ですが、実際の日常生活にも通じるものがあります。



原因の最初から正さないと、満足な結果はでません。

スネの太い骨に体重を乗せる。坐骨に乗る。たったこれだけのことで、手強かったねこ背は自動的に正されます。真相は意外なほどにシンプルです。

あなたがこの事実を伝える発信源になって、ぜひ一般常識を変えてしまってください。

1. 膝立ちから説明して

2. スネの太い骨に乗る、

3. 坐骨に乗る

という順番だと、伝わりやすいです。








出典:小池義孝『ねこ背は治る!』




2016年11月5日土曜日

「走らなくなるか歳をとるのだ」[Born to Run]



話:クリストファー・マクドゥーガル





「じつに面白い話があります」

とブランブル博士は言った。

「われわれは2004年のニューヨークシティマラソンの結果を調べて、年齢別にタイムを比較してみました。それでわかったんですが、19歳を振り出しとして、ランナーたちは毎年速くなり、27歳でピークに達する。27歳をすぎると、タイムは落ちはじめるのです。

さて、ここで問題。19歳のときと同じスピードに戻るのは何歳のときか?」



オーケー。

私はノートをめくって新しいページを開き、数字を書きなぐりはじめた。27歳で自己ベストに達するまでに8年かかる。速くなるのと同じペースで遅くなるとしたら、19歳のタイムに戻るのは36歳。8年かけて上がり、8年かけて落ちるわけだ。

だが、"引っかけ" があるのはわかっていたし、それはつまり、タイムが向上するときと同じ速さで衰えるのかどうかが問題にちがいなかった。

「おそらく一度獲得したスピードはなかなか同じようには落ちていかないでしょう」

と、そう私は判断した。

26歳でマラソンの世界記録を破ったハリード・ハヌーシは、36歳になっても2008年の米国のオリンピック選考会で4位に食いこむ速さがあった。数々の故障があったにもかかわらず、10年間で10分しか遅くなっていない。このハヌーシ曲線に敬意を表して、私は回答を40歳に引きあげた。



「40…」

と言いかけたところで、ブランブルの顔に笑いが浮かぶのが見えた。

「…5」

と急いで言い足した。

「45でしょうか」



「はずれ」

「50?」

「いやいや」

「55はありえない」

「そのとおり、ありえない。」ブランブルが言った。

「答えは64です」



「本当に? とすると…」

私はざっと計算式を書いてみた。

「とすると、45歳の差がある。10代のランナーが3倍の年齢の人に勝てないと言うのですか?」

「たまげるでしょう?」

ブランブルも同じ意見だった。

「64歳が19歳と互角に渡り合う競技を、ほかに挙げてみてください。水泳? ボクシング? 接戦にもならない。われわれ人間にはじつに不思議なところがあります。持久走が得意なばかりか、きわめて長期間にわたって得意でいられる。われわれは走るためにつくられた機械 -- そして、その機械は疲れを知らないのです」


You don't stop running, because you get old.
人は歳をとるから走るのをやめるのではない

とディップシーの鬼は、いつも言っていた。

You get old, because you stop running.
走るのをやめるから歳をとるのだ





宇宙飛行士は地球に帰還したとき、数日間で何10歳ぶんも老化していた。骨は弱くなり、筋肉は萎縮した。不眠、鬱、急性疲労、倦怠感に悩まされ、おまけに味覚まで衰えていた。

長い週末をソファでテレビを見ながら過ごしたことがある人なら、その感覚がわかるだろう。この地球にわれわれは無重力空間を現出させたのだ。身体が果たすべき仕事を奪い、その代償を払っている。

西洋における主な死因、心臓病、脳卒中、糖尿病、鬱病、高血圧症、10数種類の癌…、のほとんどを、われわれの祖先は知らなかった。医学もなかったが、ひとつ特効薬があった。あるいは、ブランブル博士が立てた指の数から判断すると、ふたつ。



「この療法だけで、病気の蔓延をまさしく直ちに止めることができるのです」

と博士は言った。そして2本の指をさっと立ててピースサインをつくり、それをゆっくりと回転させて下向きにし、宙で指を交互に動かす。ランニングマンだ。

「ごく単純なことです」

と博士は言った。

「脚を動かせばいい。走るために生まれたと思わないとしたら、あなたは歴史を否定しているだけではすまない。あなたという人間を否定しているのです」









引用:クリストファー・マクドゥーガル『Born to Run』




2016年10月13日木曜日

10 tips for skiing


10 tips for skiing




1. Relax your toe

Many of us carry a great deal of tension in our toes, believing that this helps us when it comes to controlling our skis.

But the reverse is actually true.

The looser your toes, the better you can absorb variations in the terrain, stay upright, and stay in control.


2. Flex your ankles

The secret to better balance lies in flexing your ankles as well as your knees.

In tandem, this keeps your body more upright and responsive to the terrains and shape of the trail.


3. Position your shins

You'd think where you have your feet make the difference in your ability to turn, but it's actually your shins.

When you keep them right against the tongues of your boots, you'll find it easier to initiate those turns, your weight will be more centered and you will find a great degree of overall control.


4. Use your ski tips to turn

Do exactly this.

To start a turn, put pressure on your ski tips and then let your feet follow.


5. Roll your skis

A common mistake is to flatten your skis between curves.

Don't do it.

Instead, roll your skis immediately into the next turn.

This will improve your control and fluidity and reduces your chance of falling.






6. Keep your skis parallel

Both of your skis should work in parallel at all times.

They should enter each turn precisely together and roll on edge simultaneously.

7. Keep your eyes forward
Good balance isn't only the rest of placing your limbs correctly, but from your entire body.

I often see many beginners falling in the trap of looking in all directions, yet wonder why they end up falling so frequently.

The trick is to keep your eyes forward.

In addition to helping to maintain your balance, it will also boost your reaction time and allow you to focus on the experience as a whole.


8. Hands forward

Perfect hand posture is also really important for balance and control.

Keep them forward, as if you're holding a tray of food in front of you.

9. Place your poles carefully

You can even tweak your pole placement to get some great results.

Plant it to the side of the ski, instead of forward and you will notice an improvement in your rhythm, confidence and overall performance.

10. Center your weight

At all times, keep your weight in both feet and center yourself as much as possible.

Keep your feet hip width apart.

This will help you stay balanced and make you less likely to fall.






By perfecting these 10 simply tweaks, you will develop the confidence and ability to tackle the most challenging of terrains.

Keep yourself centered, balanced, eyes forward and position yourself accurately to instantly become more of a pro.

...





from: Dan Davis How to ski

2016年9月22日木曜日

トースター・マラソン [ディーン・カーナゼス]



話:ディーン・カーナゼス





パンが焼けてトーストになる温度がある。

その正確な温度はわからないが、そんな温度のなかを走るのは賢明ではないだろう。





最初に履いたランニングシューズは、アスファルトのあまりの熱さで、1時間もしないうちに底が溶けて壊れてしまい、さっそく2足目に履き替えた。

他の選手たちを見て、道路の縁にある白線の上を走ることを学んだ。白線が熱を少し反射してくれるため、2足目のシューズは少なくともすぐ溶けずにすんだ。

しかし白線の上を走っていても、路面から反射してくる猛烈な熱はまるで高炉のようだった。



まだ12マイル(19km)しか走っていないところで、足はすでに水ぶくれになってしまった。15マイル(24km)目には水ぶくれの上にさらに水ぶくれができてしまい、もうどうしようもなく、ランニングシューズをズタズタに切って簡易サンダルをつくって履いた。

これで少し楽になった。

涼むために便利だと聞き、霧吹きを持参したのだが、氷がないとほとんど役に立たず、ノズルから出てくる水は体に届く前に蒸発してしまった。



話によれば、今年初め、道路の横で丸焼け状態で死んでいるヨーロッパの観光客が発見された。

彼はどうやら写真を撮るために外を歩いていたようだ。検視報告書によると、遺体の足の損傷が著しく、どうやら彼は熱湯のようなドロ沼に両足で踏み込んでしまい、抜けられなくなってそのまま焼け死んでしまったようだ。

彼も霧吹きを持っていたらしいが、まったく無意味だった…。






30マイル(48km)地点で嘔吐がはじまった。

その後、痙攣と重症な脱水におちいった。まだレースの4分の1も走ってなかったが、すでに大変なことになってしまった。

父がクルマの窓から、「何か食べてみるかい?」と聞いた。

「そうだね。もうこうなったら何でも試してみるよ」

父がウインドウを開けて、ピーナツバターとジャムサンドイッチを渡してくれた。受け取って数100m走り、気分は悪いが一口でも食べようと思い、ようやく口に入れるとパンがトーストになっていた。

”父はなんでこんなところにトースターをもってきているのだろう?”

と思った瞬間、今、オーブントースターの中を走っているんだ、と気がついた。



午前1時。この馬鹿げたレースのスタートから42マイル(67km)離れたストーブパイプウェルズに到着した。

ときおり転がってくる枯れ草や、不毛の砂漠を吹き抜ける風の音以外、あたりの道は暗くて静かだった。たどり着いたのは真夜中だったが、真っ暗にもかかわらず、気温は華氏112度(44℃)だった。

その日は鳥が空から落ちてくるほど暑かったらしい。








引用:ディーン・カーナゼス『ウルトラマラソンマン』




ウルトラマラソン、最後の1マイル [ディーン・カーナゼス]



話:ディーン・カーナゼス







ロビーポイントへの最後の上りは強烈だった。僕は残っていた水をすぐに飲み干してしまい、喉がカラカラだった。僕はよろよろと登り、何度も転んだ。両手は切り傷だらけ、両脚はあざと擦り傷だらけだった。

身体がもうこれ以上耐えられないというような過酷な上りを乗り切ると、ようやくロビーポイントの灯りが見えてきた。登り切るまであと少しというところで、僕は泥と自分のよだれにまみれ、目はほとんど閉じられていた。目先の数フィートの地面しか見えていなかった。



計測記録を手にした男が立っており、彼は僕を見るやいなやクリップボードを手から落として駆け寄ってきた。僕は彼の差し伸べた腕に倒れ込み、彼はゆっくりと僕を地面に降ろした。彼は僕にほとんど叫ぶように何か言っていたが、意識が朦朧としていた僕はその言葉を理解できなかった。

そしてもう一つ、別の見慣れた顔が視界に入った。

「父さん?」

「息子よ」

父は心配そうに聞いた。

「何があったんだ?」

父は僕の横にひざまずき、両手で僕の頭を抱えた。彼の頬からは涙が伝わり落ちた。彼は僕の中に残っている魂を守ろうとするかのように、優しく僕の身体を揺らした。

「母さんはどこ?」

僕はつぶやいた。

「母さんにこんな姿を見せたくない」

父はすすき泣きながら言った。

「心配するな、母さんはゴールで待っているよ」



「父さん」

僕は弱々しく言った。

「僕はどうすればいいの? もう動けないよ」

「息子よ」

父は思いつめたように言った。

「もし走れないのなら歩きなさい。歩けないなら這ってでも進め。やるべきことをやりなさい。前に進むんだ。決して諦めるな」

父は目を閉じ、僕をしっかりと抱き締めた。僕は父の肩に手をかけた。

「父さん、わかった」

僕はつぶやいた。

「諦めないよ」

父は手をほどいて、僕は腹這いになった。僕は腕と足を地面につけ、父に言われた通り、道を這いはじめた。僕が身体を引きずると、父の嗚咽が聞こえた。



コースは舗装路に変わったが、まだ真っ暗だった。町はずれの田舎道には街灯一つなかった。もちろん歩道もないので、僕は暗い道の真ん中を這い進んだ。這いながら脚が役に立たなくなると腕の力で進んだ。

ゴールまで1マイル(1.6km)もあるのに、こんな状態を続けるのは無理がある。だが僕を止めるものは何もなかった。道路を近づいてくる自動車でさえも。

僕は這うのをやめて、手にしたハンドライトを振った。クルマは急ブレーキをかけて止まり、僕のそばで急停車し、カップルが飛び出してきた。

「大丈夫か?」

僕は路上に仰向けになり、顔を傾けてつぶやいた。

「ずっと最悪だ」

女性が泣き叫んだ。

「何てこと! もう少しであなた、轢かれるところだったわ」

「大丈夫さ、気を付けていたから」

僕は唸った。



僕はやっとのことで座り直し、状況を説明した。二人を助けを申し出てくれたが、実際にやってもらうことは何もなかった。ゴールはすぐそこなのに、別の大陸にあるように思えた。僕は疲れ果て、彼らの前で温かいアスファルトに横たわった。

だが背中が路面についた瞬間、今日あった出来事が心の中で蘇った。痛みと疲労の中で、ここまでの99マイル(159km)の間に、僕に温かい手を差し伸べてくれた人々の記憶が次々と思い起こされた。

「足の修理屋」ジム、ラストチャンスで水をくれたネイト、魔法のブラウニーを作ってくれた女性、僕に命の輝きを与えてくれて、今日ここまで導いてくれた妹のペリー。最後はフォーズバーでのエイドステーションで出会った、あのネイティブアメリカンともう一人の言葉だった。

「君ならやれる」



僕は夢から覚めたように何かに打たれ、これが夢でないことに気が付いた。僕はクルマの傍らに立つカップルに向かい、挑むように叫んだ。

「僕はやれるんだ!」

二人は僕をじっと見つめた。僕はもっとはっきりした口調で繰り返した。

「僕はやれるんだ!」

彼らはまじまじと僕を見たが、男の方が同調してくれた。彼は厳かに言った。

「そうだ、君ならやれる」

僕は跳ねるように立ち上がり、腕と足をブルブルと動かした。僕は頭をぐるりと回して野獣のように叫び声を上げると、

「やれるんだ、やれるんだ!」

と叫びながら道路を駆け出した。



最初の数歩は苦痛だったが、少しも驚くことではなかった。この段階ではもはや予期していたことで、痛みはこれまでにないほどひどかったが、僕はこれまでのように痛みにただ甘んじることをしなかった。僕は痛みを求め、痛みを追いかけた。痛みは体の細胞の全てから発生するようだったが、形勢は逆転した。

痛みよ、さあかかってこい!

僕はいつ自分が最後の壁を越えたか記憶にないが、おそらくこの格闘の時だと思う。初めの壁を越えたのは肉体的なもので、疲労や苦痛にかかわるものだったが、50マイル(80km)を過ぎると精神的な闘いになった。さらに最終段階でのそれは、自分の中のもっと深い部分で起こったことで、覚醒のようなものだった。



100マイル(160km)を走り切ることは、サバイバルを学ぶ以上で、生きることの素晴らしさを学び取ることだ。ランニングは一人でやるスポーツだが、もはや僕だけのものではなくなった。僕の格闘は、一人のランナーがこの底知れない苦難を乗り越えるだけではなく、人間がいかに困難に打ち勝つかという偉大な能力を問うものとなった。

たくさんの勇気と力をくれた多くの応援者たちは、本当は僕を応援しているわけではない。本当は僕なんてどうでもいいのだ。彼らが見ているのは、全身全霊を傾けて夢を実現させるためにトレーニングをし、犠牲を払い、自分を律している人間の姿なのだ。

これは非常に強いメッセージで、僕はそれを伝えているだけに過ぎない。そして僕はそれを誇りに思う。僕が果たす任務の最終 形は、ゴールインすることであり、今まさにそれを実現しようとしている。僕らみんなのために。



僕は今、覚醒した状態にあって、目の前の道や痛みは意識していない。

もう少しで失おうとしていた夢が、こんなに力強く復活するなんて不思議だ。夢の再生は、僕に喜びと信じられないような強さを吹き込んだ。突然、目の前の障害は消え去り、あとは夢を実現するだけだった。

プレーサー高校の競技場までの半マイル(800m)で、靴は脱げ、足の指からは血を流し、シャツはボロボロだったが、そんなことは関係なかった。とにかくゴールインするだけだった。



競技場に入場して最後の一周を回る時、大粒の涙が僕の頬を伝わり落ちた。

最後の何歩か、僕は泣き、そして笑っていた。

時刻は朝の2時をちょうど回ったところで、競技場は生の興奮を求めるわずかばかりの偏屈者を除いてガラガラだった。彼らは椅子の上に立ち上がり、手を叩いて、誇らしげに泣きながらゴールする僕に歓声を送った。もしこの連中が純粋な感動と情熱を求めていたのなら、彼らはまさにそれに立ち会うことになったのである。



気持ちの面でも僕は大きく成長した。スタート地点にいたライフルの男は正しかったのだ。

僕はウェスタンステーツで生まれ変わった。目にするもの全てが今までと違って見えた。僕の態度からイライラがなくなって、生きる世界で重要なことが、前よりはっきりとしてきた。僕は以前より前向きになった。他人に対しても気を使うようになり、我慢強くなって、より謙虚になった。

僕はレースが自分にもたらした変化を嬉しく思い、もっと上を目指したくなった。レースを終えて1ヶ月も経たないうちに、次の挑戦を求めている自分に気が付いた。



僕のウェスタンステーツ公式記録は、21時間1分14秒で、順位は15位だった。世界でも最難関の長距離レースで、初出場でこの記録は素晴らしかった。順位はどうでもよかったが、情熱が向上心に火を付け、さらなる高みを望んだ。

自分が100マイル(160km)以上走れると考えるのは、特にあのように過酷な状況下ではかなり楽観的だったが、僕は人間の耐久性を試すと同時に、自分の限界を伸ばしたかった。僕は自分の心に耳を傾け、居場所を探した。

もし可能性があるのであれば、やってみたい。自分がどこまでできるかを知りたい。








引用:ディーン・カーナゼス『ウルトラマラソンマン』




2016年8月20日土曜日

悪魔のドリンク「チア・フレスコ」



話:クリストファー・マクドゥーガル
Christopher McDougall







峡谷からでる長い登りにむけて出発しようというとき、アンヘルはへこんだブリキのカップをよこし、「これを飲めば、かならず役に立つ」と請けあった。

「きっと気に入る」

と彼は断言した。



わたしは中をのぞいてみた。カップの中身はドロドロしていて、米抜きのライスプディングのように見えた。

黒い斑点のついた泡がたくさんあって、これは ”孵化直前のカエルの卵” にちがいない。もし別の土地でこんなものに出くわしたら、悪ふざけとしか思えないだろう。まるで子供が金魚鉢から上澄みの泡をすくい取り、私をだまして味見させようとしているようなものだと。

穏当な線で考えても、おそらく発酵した植物の根と、川の水を混ぜたもの、つまり、味には我慢できたとしても、バクテリアが原因で吐き出すはめになる。



「どうも」

と言いながら、わたしはサボテンの裏にでも中身を捨てられないかと、あたりを見回した。

「これは何です?」

「イスキアテだ」



聞き覚えがある…。

そうだ。不屈のルムホルツはかつて過酷な探検の最中に、食べ物を求めてタラウマラ族の家によろよろと入っていったことがあった。前方には、日暮れまでに登らないといけない山が立ちはだかっていた。ルムホルツは疲れはて、絶望的な気分だった。どう考えても、あの山を登る力はのこっていない。

「ある午後おそく、洞窟にたどり着くと、女性がこの飲み物をつくっているところだった」

とルムホルツは後に書いている。

「私はひどく疲れ、600メートルほど上方の野営地まで、どう山腹を登ったものか途方に暮れていた。ところが、イスキアテで飢えと渇きを満たすと…」

と彼はつづける。

「むくむく新たな力が湧き立つのを感じ、われながら驚いたことに、大した苦労もなく高峰にのぼることができたのである。以後、イスキアテはいつでも困ったときの友となり、力をみなぎらせ、回復させてくれた。これは発見といって差し支えないだろう」



まさに、自家製の〈レッドブル〉!

これを試さない手はない。





「あとでいただきますよ」

と私はアンヘルに言った。そしてイスキアテを、ヨウ素の錠剤で消毒済みの水が半分はいった腰のボトルにそそぎ、さらに2錠を追加した。私はくたくたに疲れていたが、ルムホルツとは違って、水が媒介するバクテリアが原因で一年間の慢性的な下痢に苦しむリスクを冒すほど自暴自棄にはなっていなかった。



数ヶ月後に知ったのだが、イスキアテは

「チア・フレスカ(冷たいチア)」

とも呼ばれている。






作り方は、チア(サルビア・ヒスパニカ)の種を水に溶き、少量の砂糖とライムの絞り汁をくわえるというもの。

含まれる栄養素からいうと、スプーン一杯のチアは、鮭とホウレン草、ヒト成長ホルモンを材料にしたスムージーに近い。小さな種のなかに、オメガ3脂肪酸やオメガ6脂肪酸、タンパク質、カルシウム、鉄、亜鉛、食物繊維、抗酸化剤がつめこまれている。

無人島に一つだけ食料をもっていくとしたら、チアより優れたものはそうそうない。少なくとも、筋肉をつけ、コレステロール値を下げ、心臓病のリスクを減らしたい人にとってはそうだ。チアを食べつづければ、数ヶ月後には泳いで家に帰れるだろう。







チアはかつて非常に重宝され、アステカ族が王への貢ぎ物にするほどだった。アステカ族の使者はチアの種を噛んで戦場へと走り、ホピ族はアリゾナから太平洋までの壮大なランのあいだにチアで栄養を補給した。

メキシコのチアパス州はじつはこの種子にちなんで命名されている。チアの種はトウモロコシや豆とならぶこの州の商品作物だった。



また、「黄金の液体」とも呼ばれているのに、チアは馬鹿バカしいほど育てやすい。〈チア・ペット〉さえ買えば、自前の悪魔ドリンク完成まであと少しだ。

そのうえ、ヨウ素がほどほどに溶けたころに思い切って二、三口飲んでわかったのだが、この悪魔のドリンクはすこぶるうまい。薬品の後味があってなお、イスキアテはライムの香り豊かなフルーツパンチのようにノドを潤してくれた。

カバーヨ探しで興奮していたせいかもしれないが、数分もすると爽快な気分になり、前夜、凍りかけた土間で寝たために午前中ずっと感じていた軽い頭痛まで消えていた。
















引用:BORN TO RUN 走るために生まれた ―ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族”




2016年4月15日金曜日

有働アナの”美しき背中”



話:水野良樹(いきものがかり)






初夢を見るよりも先に、夢の舞台に立ってきた。昨年末の話だ。紅白歌合戦に出演した。





「間もなく本番です!」

スタッフの緊張感ある声がかかったところで、居並ぶ出演者の前に、ひとりの女性が音もなく、すっと立った。

とても美しい背中だった。

総合司会の有働由美子アナウンサーだ。









「あ、これが噂の有働アナの背中だ」

と、最初はなんとも間抜けなミーハー心で見てしまったのだが、すぐに目を話せなくなった。

とてつもない緊張感

が、そこから立ち上がっていたからだ。



ぶるぶると震えているわけではもちろんない。

むしろ静かで、凛とした佇まいだ。



何度か背筋を伸ばし、姿勢を確認。

音もしない咳ばらいを、二度、三度。

マイクをもち、幕が上がるのを待っている。



考えてみれば、その背中の後ろには、歴戦のスターたちが凄まじい存在感を放って居並んでいる。

かたや幕の向こうには、会場の3,000人の観客だけではない、TVの前の数千万人にもおよぶ視聴者が、放送を待っている。

そのあいだで、彼女は静かに立っていた。



今この人は、いったいどれほどの重圧を背負っているのだろう。

スターたちの先頭に立ち、その魅力を視聴者に余すことなく伝えるため、この紅白歌合戦を仕切らなければならない。

想像をするのも怖い。



幕が上がる瞬間、顔が少し上がった。

おそらく笑顔になったのだろう。

アナウンサーとしての真剣勝負にのぞむその背中は、ただ美しく、尊く、格好よかった。



イチローが打席にたつ姿も、

錦織圭がコートで相手をにらむ姿も、

白鵬が土俵で重々しく構える姿も、

エンターテイメントであろうとスポーツであろうと、勝負にのぞむその立ち姿は必ず

”絵になる”。



ただ立っているだけなのに、

もう勝負はついている。







引用:Number(ナンバー)894号 〝エディー後〟のジャパン。特集 日本ラグビー「再生」 (Sports Graphic Number(スポーツ・グラフィック ナンバー))
水野良樹「強く、美しく」




2016年3月7日月曜日

「絵文字の著作権を放棄します」 [勝見勝・東京オリンピック]


話:村越愛策





東京オリンピックは絵文字で


1960年の春、東京オリンピックを4年後に控えた日本の組織委員会のなかに、デザイン懇話会が設けられました。その座長に、冒頭に紹介した勝見勝先生が選ばれたのです。勝見先生は

「地球のあらゆる地域から人々が集まり、さまざまな言語が飛び交う国際行事では、たとえ公用語が決まっていても視覚言語の役割は大きい」

として「デザイン計画はすべてそれに基づく」というポリシーに沿って進めることを提案されました。



1964年の大会終了後、その結果は各国関係者に大きな影響を与えることになったのです。スイスで発行されていたグラフィック・デザインの専門誌『グラフィス=GRAPHIS』は

「1949年の国際道路標識は、部分的な成功を収めた実例であるが、この種のシンボルはあらゆる人種と文明のなかで容易く識別されなければならない。こうした課題のすべてが1964年に開催された東京オリンピックによって提起された。

旅行者で日本語のわかる人は例外であり、70ヵ国以上の参加者にとって唯一の共通点はシンボルのみである。勝見勝氏をリーダーに、若いデザイナーたちがスポーツをはじめ各種の施設シンボルのデザインに当たったが、これらのシンボルが次の大会にも採用されることによって、万国共通の視覚言語として磨き上げられることを望んでいる」

と記しています。





「わたしは直接オリンピックの仕事をしておりませんが、同じ時期に日本の表玄関となる東京・羽田空港のサインや絵文字にたずさわっていました。オリンピック以前の日本には、アメリカ人を除くと外国人が比較的少なかったためか、英語の案内だけでした。

しかしオリンピックとなると世界中から人々がやってきます。そのときに英語からフランス語、スペイン語、ロシア語、中国語、ドイツ語など、と各国語で場所などの案内を表記するのは不可能です。それで勝見先生は『絵文字をつくろう』と提案したのです」

これは2011年、小学館から出版された野地秋嘉氏の著書『TOKYOオリンピック物語』のなかの私の言葉です。同書には続けて

「オリンピックの絵文字は12人のデザイナーが3ヶ月かかって製作した。作業が終わったとき、勝見は『諸君、まことにありがとう』と頭を下げた。その後、書類を配り『皆さんのサインを下さい』と言った。書類の中身を確かめると、そこには

『私の描いた絵文字の著作権を放棄します』

と記されていた。これに戸惑うデザイナーたちに勝見は言った。

『あなたたちの仕事は素晴らしい。しかしそれは社会に還元すべきものです。誰が描いたものとしても、これは日本人のやるべき仕事なんです』

」と、野地氏が同書に後述しています。



勝見氏はまた、次のような言葉を残しています。

「わが国には視覚言語などという生硬な語呂よりも前に、ちゃんと『絵ことば』という用語があり、また紋章という世界でも最も完成した視覚言語の一体系が存在していた。オリンピックは国際的な広がりをもち、条件もきわめて複雑多岐にわたっていたが、本質においては紋章と同じであったと思っている。

ただ戦後の視覚文化の国際的風潮を踏まえてサイン言語の重点的使用に踏み切らせたものは、私のなかの文明批評と時代感覚だったといえるかもしれない」

と。








引用:絵で表す言葉の世界―ピクトグラムは語る (KOTSUライブラリ)