2015年8月13日木曜日

憲法を書き換えた戦争 [日本とアメリカ]



話:加藤陽子(高校生に語って)





 戦争と社会契約


 新しい憲法、社会契約が必要とされる歴史の条件の一つは、「総力戦(total war)」という大変なものを戦うために国家目標を掲げなければならないということです。このとき、"by the people" 「国民によって」という言葉が必要になる。総力戦の一番単純な定義は「前線と銃後の区別がなくなること」です。また、青年男子の人口と動員された兵士の人口が限りなく一致していく戦争でもあります。

 第一次世界大戦期のヨーロッパ、第二次世界大戦期の世界、これはすべて総力戦下におかれた社会であったといえるでしょう。成年に達しない青少年を徴兵ではなく志願させるため、教育の分野に国家のリクルート(兵員調達)の仕組みが張りめぐらされる。このような戦いを国家が遂行するためには、労苦をしのぶ国民に対して、「民主主義の国をつくるため」というような国家目標が必要になるのはわかるでしょう。国家は、将来に対する希望や補償を国民にアピールしないことには、国民を動員し続けられなくなります。

 国民を国家につなぎとめるためには、国家は新たな国家目標の設定が不可欠となってくる。その際、大量動員される国民が、戦争遂行を命ずる国家の正当性に疑念を抱くことがないように、戦争目的がまずは明確にされることが多いのです。たとえば、アメリカが第一次世界大戦に参戦する際のスローガンは「デモクラシーが栄える世界にするための戦争」、「戦争をなくすための戦争」でしたし、対するドイツ・オーストリア側は「民族的存立を防衛するための戦争」と定義づけました。

 だいたい理解していただけましたか。これまで話してきたことは、戦争の犠牲の多さや総力戦という戦争の仕方それ自体が、戦争を遂行している国の社会を、内側から変容させざるをえない、という側面でした。


 それでは次に、少し違う角度から考えてみましょう。戦争というものは、敵対する相手国に対して、どういった作用をもたらすと思われますか? その前に、そもそも戦争に訴えるのは、相手国をどうしたいからですか?

高校生:相手国に、こちら側のいうことを聞かせるため。

 いいですね。政治の方法、つまり、外交交渉などで相手を説得できなかったときに、力で相手を自分のいいなりにさせる、ということですね。他にありますか。

高校生:相手国の軍隊を打ち破って、軍事力を無力化する。

 ほう。これも、なかなか鋭いです。相手国の主力軍隊を撃破してしまえば、あとは相手国は降伏するしかないという状態に追い込まれてしまう。






 戦争についての最も古典的な定義は、19世紀前半にクラウゼヴィッツが書いた『戦争論』のなかの、「戦争は政治的手段とは異なる手段をもって継続される政治にほかならない」というものでしょうか。クラウゼヴィッツの書物は、ナポレオン軍に敗退し続けたプロイセン側から見た理想的な戦争、そのエッセンスを書いた本でした。政治の分野での交渉と武力による戦争を、ある意味、連続してとらえている点に特徴があります。

 戦争は政治の続きであるといった、このような考え方が一般的であったからこそ、第一次世界大戦で懲(こ)りた世界の国々、ことにアメリカが中心となって書き上げた不戦条約は、次のような内容で、戦争を禁止しようとしたわけです。1928(昭和3)年にできたこの条約は、戦前の日本政府も原調印国として参加していた国際条約でしたが、国家政策の手段としての戦争の放棄(第一条)と、国家間の紛争解決手段としての武力行使の違法か(第二条)をその内容としていました。

 このような条約ができてしまった場合、戦争の概念として許されるのは、自衛戦争と、侵略国に対する制裁行為の二つに限定されてしまいます。不戦条約ができるまでの長い道のりを考えれば、人類がいかに永らく、国家の政策の手段として、あるいは国家間の紛争解決の手段として、戦争をたくさんたくさん行ってきたかということが実感できますね。



 それでは、先の問いに戻りましょう。戦争というものは、敵対する相手国に対して、どういった作用をもたらすと思われますか? もう少しいえば、戦争で勝利した国は、敗北した国に対して、どのような要求を出すと思われますか?

高校生:負けた国を搾取する。

 厳しいですね。でも、それでは、すぐに復讐戦争が起きそうで、勝った側もおちおちしていられませんね。

高校生:占領して、敗北した国の構造を変えて、自分の国に都合のよいような仕組みに変える。

 ああ確かに、イラクに侵攻したアメリカが、その後やろうとして、なかなか果たせなかった、そして今でも果たせない願望ですね。今の答えは、とてもいいポイントをついています。






 それでは、そろそろ答えをば。

 戦争のもたらす、いま一つの根源的な作用という問題は、フランスの思想家・ルソーが考え抜いた問題でした。ルソーのこの論文は日本語訳がなかったこともあって、私はつい最近まで知らなかったのです。東大法学部の長谷部恭男先生という憲法学者の本『憲法とは何か (岩波新書)』を読んで、まさに目から鱗が落ちるというほどの驚きと面白さを味わいました。長谷部先生は、この本のなかで、ルソーの「戦争および戦争状態論」という論文に注目して、こういっています。

戦争は国家と国家の関係において、主権や社会契約に対する攻撃、つまり、敵対する国家の憲法に対する攻撃、という形をとるのだ

と。






 太平洋戦争の後、アメリカが日本に対して間接統治というかたちで占領する。われわれ日本人は、アメリカによる占領を、「そうか、アメリカは民主主義の先生として、日本にデモクラシーを教えてやる、といった考え方に立ってやって来たのだな」、というようなアメリカ固有の問題として理解してきました。けれども、ルソー先生は、こうした戦争後のアメリカのふるまいを、18世紀に早くもお見通しであったのでした。

 ルソーは、彼が生きていた18世紀までの戦争の経験しかないはずですから、19世紀に起きた南北戦争も普仏戦争も、20世紀に起きた第一次世界大戦も、本来、予測不可能だったはずです。けれども、非常に面白いことに、ルソーの述べた問題の根幹は、19世紀の戦争、20世紀の戦争、ました現代の戦争にもぴったり当てはまります。このようなすぐれた洞察を残せたからこそ、今の世にも名を残す哲学者であるわけですが。






 それでは、「戦争は国家と国家の関係において、主権や社会契約に対する攻撃、つまり、敵対する国家の憲法に対する攻撃、というかたちをとる」とのルソーの述べた真理について、もう少しくわしく説明することにしましょう。

 ルソーは考えます。戦争というのは、ある国の常備兵が3割くらい殺傷された時点で都合よく終わってくれるものではない。また、相手国の王様が降参しましたといって手を挙げたときに終わるものでもない。戦争の最終的な目的というのは、相手国の土地を奪ったり(もちろんそれもありますが)、相手国の兵隊を自らの軍隊に編入したり(もちろんそれもありますが)、そういう次元のレベルのものではないのではないか。ルソーは頭のなかでこうした一般化を進めます。

相手国が最も大切だと思っている社会の基本秩序(これを広い意味で憲法と呼んでいるのです)、これに変容を迫るものこそが戦争だ

といったのです。相手国の社会の基本を成り立たせる秩序=憲法にまで手を突っ込んで、それを書き換えるのが戦争だ、と。

 とても簡単にいってしまえば、倒すべき相手が最も大切だと思っているものに対して根本的な打撃を与えられれば、相手に与えるダメージは、とても大きなものになりますね。こう考えれば、ルソーの心理もすとんと胸に落ちます。第二次世界大戦の、無条件降伏を要求する型の戦争を、なぜか18世紀の人間であるルソーが見抜いている。本当に不思議なことです。



 第二次世界大戦の終結にあたっては、敗北したドイツや日本などの「憲法」=一番大切にしてきた基本的な社会秩序が、英米流の議会制民主主義の方向に書き換えられることになりました。

 ですから、歴史における数の問題、戦争の目的というところから考えますと、日本国憲法というものは、別に、アメリカが理想主義に燃えていたからつくってしまったというレベルのものではない。結局、どの国が勝利者としてやってきても、第二次世界大戦の後には、「勝利した国が敗れた国の憲法を書き換える」という事態が起こっただろうと思われるのです。


 



 このあたりまできますと、戦争を考える面白さがだんだんとわかっていただけるのではないでしょうか。

 そして、次に気づくことは、では、相手国と自分の国、彼と我との間でなにが根本的に違っていたのだろうかということです。アメリカと日本が戦争をする。アメリカが勝利して日本の憲法を書き換えるとなったとき、このアメリカと日本の、最も違っていた部分はなにかというあたりを考えてほしいのです。

 では、戦前の日本の憲法原理って何でしょう? 戦前期の日本社会を成り立たせていた基本的な秩序とはどういうものか。事後的に見れば、アメリカが戦争の勝利によって、それを変えたということになります。最も簡単にいえば、二文字から三文字で表現できてしまう言葉ですが、何だかわかりますか?

高校生:天皇は神の子孫であり、その権力は絶対であること。

 いい線いってます。天皇が神であることを否定した、1946(昭和21)年1月1日のいわゆる「人間宣言」=神格化否定の詔書、をふまえた言い方ですね。アメリカとしては、天皇自らの言葉によって、神格化を否定させなければならなかったことからも、これが戦前期までの日本の原理の一つであったとわかる。


 



 二文字の答えまで、もう少しです。では、大日本帝国憲法で、現在の日本国憲法と最も違う部分はなんでしょうか。

高校生:国民ではなく、天皇が国家主権者。天皇が中心となって国を治めるという部分。

 はい、そうですね。大日本帝国憲法の条文上では、第一条「大日本帝国は万世一系の天皇之(これ)を統治す」と第四条「天皇は国の元首にして統治権を総攬(そうらん)し此(こ)の憲法の条規に依(よ)り之を行ふ」がこれにあたるわけです。天皇が日本の国を統治するという国の在り方や原理は、当時の言葉二文字で言えばなんと表現できるでしょうか。

高校生:国体。

 そう、さっき私が二文字です、といったとき、心に描いていた言葉は「国体」です。戦前期の憲法原理は一言でいえば「国体」でした。「天皇制」と言い換えてもかまいません。1925年に制定された治安維持法には「国体を変革し又は私有財産制度を否認することを目的として結社を組織し又は情を知りて之に加入したる者は十年以下の懲役又は禁錮に処す」と書かれていましたが、この場合の国体は、天皇制ということです。

 アメリカは戦争に勝利することで、最終的には日本の天皇制を変えたといえます。現在の日本国憲法の前文部分、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」が、リンカーンの演説、人民の人民による人民のための(of the people, by the people, for the people)と同じだ、というところから話を始めたわけですが、この前文部分のすぐ前に「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と書かれています。

 さて、そろそろ少し疲れてきましたか(笑)。







引用:加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ




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