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2015年11月2日月曜日

高きは「魔」か「道」か [中国語]



魔高一尺,道高一丈

魔物が一尺(30cm)高くなれば、道は一丈(3m)高くなる。
[最後は正義が勝つ]



NHKラジオ レベルアップ中国語 2015年 10月号より


”魔高一尺,道高一丈”は、近代になって生まれた新しい言い方で、明の時代から使われていた古い諺(ことわざ)は、今と正反対の

道高一尺,魔高一丈

だった。原義は

「悟りを求める修行者が道の高みを一尺(30cm)のぼると、その10倍の高さの一丈(3m)ほどの背丈の邪悪な魔物が立ち現れ、修行者の邪魔をする」

転じて「一難去ってまた一難」。

「ちょっとうまくいったと思ったら、もっと大きなトラブルが待ち受けていた」という意味でつかう。

しかし20世紀、中国が革命と戦争に明け暮れると、「正義は必ず勝つ」という信念から”魔高一尺,道高一丈”という逆の言い方が生まれ、今日ではこちらのほうが主流になってしまった。



近代中国の作家の魯迅は、古来からある諺(ことわざ)

”不打落水狗”
水に落ちたイヌは叩くな

をもじり、わざと逆にして

”痛打落水狗”
水に落ちたイヌは叩くべきである

と言った。ここで言うイヌは「敵」の比喩である。




2015年10月29日木曜日

狭い路地を、馬が走る [中国語]



胡同里 跑马
胡同で馬が走る

直来直去
一直線に行ったり来たり


NHKラジオ レベルアップ中国語 2015年 10 月号より


”胡同(フートン)”は、本来の漢字では”衚衕”と書き、北京の古い町並みの中に今のところどころ残っている「細長い路地」を指す。”胡同(フートン)”には、灰色の瓦とレンガでつくられた伝統的な家屋が立ち並ぶ。

狭い長い路地で馬を走らせることは、今も昔もない。これはユーモラスな比喩である。もし”胡同(フートン)”で馬を走らせたら、右にも左にも曲がれず一直線に行ったり戻ってきたりするしかない。

「細い道を、さっと行ってさっと帰って来るだけ」

「用を済ますのみで新しい発見とか、発展はない」

といった比喩や、

「直球勝負だけでは、勢いがあっても不器用すぎて失敗する。変化球や回り道など、器用に立ち回ることも必要だ」

とたしなめる場合に使う。





現在の北京市は再開発がすすみ、多くの”胡同(フートン)”が壊され、細長い路地が自動車道路に拡張され、高層ビルが建ち並んでいる。ただ地名として今も「なになに胡同(フートン)」という名称が数多く残っている。

その一方、北京市の中心部でも再開発から取り残されたエリアや、観光客用の美観地区では、今も数百年前と変わらぬ細長くて狭い”胡同(フートン)”が健在である。

ちなみに、上海の昔ながらの集合住宅が形づくる独特の都市空間は”里弄“と呼ぶ。







2015年10月26日月曜日

前の波と、後ろの波 [中国語]



长江 后浪 推 前浪

長江の後ろの波が、前の波を押し出す

前浪 死在 沙滩上

前の波は砂浜で消える



〜NHKラジオ レベルアップ中国語 2015年 10月号 より〜


弟子が師匠を超えたり、後輩が先輩より立派になることを、日本語の熟語では「出藍(しゅつらん)の誉(ほま)れ」と言う。”长江后浪推前浪(長江の後ろの波が、前の波を押し出す)”という熟語はもともと「出藍の誉れ」と同様の意味だった。

だが近年は”前浪死在沙滩上(前の波は砂浜で消える)”という後半部も新たに言われるようになり、”前浪(前の波)”すなわち”乗り越えられた師匠や先輩”が競争原理で淘汰されるという現代社会の現実を、風刺とユーモアをこめて述べるときにも使う。

今日では「改革開放経済の熾烈な競争のものでは、先行するヒット商品や先輩社員も、すぐに後発組に追い越されてダメになる」というニュアンスも付加されてしまっているため、中高年が自嘲的に使う場合はよいが、若輩者が目上に向かって言う場合は、失礼にならぬよう注意を要する。


青出于蓝,而胜于蓝

藍は藍より出でて、而(しこう)して藍より勝る(『荀子』)







2015年10月23日金曜日

手前 ミソならぬ手前ギョーザ [中国語]



老婆是別人家的好,
孩子和饺子是自家的好

女房は他人のがよく見える。
子供とギョーザは自分のがよく見える。





NHKラジオ レベルアップ中国語 2015年 10月号より

北方の中国人は、家ごとにギョーザ作りのコツや秘伝がある。彼らにとって、ギョーザはちょっとしたご馳走である(南方の中国人はギョーザよりワンタンを好む)。

中国人はよく自宅で「餃子パーティー」を開く。手打ちうどんを作るような感じで、みんなで協力して小麦粉からギョーザの皮をつくり、あんを詰め、お湯でゆでて、食べる。日本のギョーザは油で焼いて食べるが、中国ではギョーザは茹でて食べるものである。中国人は、食べ残して硬くなったギョーザだけ、翌日に油で炒めて食べる。

日本では大学の先生の自宅に学生がお邪魔するのは珍しいが、中国の大学の先生は、ときどき自宅で餃子パーティーを開き、学生たちを招く。このような餃子パーティーは、午後から夜まで数時間かかることが珍しくない。一緒にギョーザをつくりながら、おしゃべりを楽しみ、親睦を深める。






舒服不如倒着,
好吃不如饺子

気分が良くなるには寝るにしかず
美味しいものなら餃子にしかず


「外でお金をつかって贅沢をするよりも、アットホームな寛いだ雰囲気で楽しむほうが幸せだ」

中国の餃子にはそんな人生哲学があるようだ。