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2015年10月3日土曜日

親子キツネと清盛 『新平家物語』



吉川英治『新・平家物語(一)』より






 清盛は、毎日、退屈にたえなかった。

 罪によって、贖銅(しょくどう)を科せられ、院の出仕を、一年停止されたのだ。閉門の身なのである。

 さしも、世論を沸かせた”神輿事件”も、年をこえると、うわさも薄らぎ、話題の中心人物は、六波羅(ろくはら)の門を閉じて、久安四年の一年間を、夏も秋も、欠伸(あくび)の中に、送っていたわけである。





 そこへ、家人の平六が、鎧師(よろいし)の押麻呂(おしまろ)の翁が来て、お待ちしておりますと告げた。退屈な毎日である。だれにかかわらず人恋しいらしい。清盛はすぐ足を回(かえ)して客殿へはいって行った。

「ご注文の、おん鎧(よろい)のことで、参じまいて御座りますが」

 居職の老人にはよくあるせむしのような猫背の鎧師である。ひっそりと、ふくれ面(づら)して、清盛にいう。

 押麻呂作りの鎧といえば、武者仲間では、珍重物だった。かれの作品は、おどしの糸のよりから、小札(こざね)の一枚一枚にまで、良心がこもっているといわれている。その代りに、驚くべき高価であり、また、たやすくは、注文に応じない偏屈な翁(おきな)だとも聞いていたのを、清盛は、一領の小桜縅(こざくらおどし)をあつらえて、ようやく、望みを遂げ、近いうちに、見られることになっていた。

「お好みの、染め革もでき、金具の鍍金(ときん)、縅、菱板(ひしいた)、草摺(くさずり)と、何から何まで、仕上がるばかりになりまいて、ただ一つ、お約束の狐(きつね)の生き皮が届いてまいりませぬ。ありゃ一体、どういうことにしておきましょうな?」

 押麻呂は、その催促で、来たのだった。



 生き皮を、鎧の利(き)き所に使うのが、かれの特技とかで、清盛があつらえたときも、二枚の狐の生き皮を、押麻呂の指定する日に、届けることが、条件となっていた。

 その二枚は、綿噛(わたが)みの裏打と、胴裏のすそまわりと、双(そう)の脇当(わきあて)に使うであるそうだが、脱脂(だっし)してない生皮(なまがわ)をはるには、膠(にかわ)の煮込みに、むずかしい技術がいるし、何よりは、幾十時間も炭火でとろとろ煮上がったときに、すぐ生き皮の現品がないと、せっかくの膠がむだになるのだともいう。

「お約束の日に、待ちぼうけをくい、膠のむだ煮を、何度やったことかよ」と、この名人気質(かたぎ)の翁は、腹を立てて、責めるのである。

「ただの皮を使うなら、おやすいことじゃ、ただし、そんな鎧でよろしいなら、世間に鎧師はたくさんにおる。どうか、ほかへお命じくだされい」



「いや、悪かった。怒るな。そう怒るなよ老爺(おやじ)と、清盛は、かれの気性からいっても、むりはないと、あわててわびた。

「その都度(つど)、家人(けにん)を狩にやっては見たが、いつも雉子(きじ)、兎(うさぎ)などばかり採って来て、かんじんな狐が獲られぬのだよ。こんどは、おれ自身、出かけてみる。そうだ、日限を約しておこう」

「また、待ちぼうけでおざろうが」

「うんにゃ。かならず」

「勿体(もったい)をつけるわけではおざらぬが、膠煮には、秘伝もおざって、童(わらべ)弟子や女手などには、まかせておけぬ仕事なのじゃ。炭火の加減、さし湯、練り、あわ立ちなど、二夜も、精魂こめて、見えおらにゃなりませぬ。……ところが、生き皮は来ぬ。膠はもどる。また、いまいましくも、むだにして、捨てるときの腹立たしさと、いったらない」

「いや、今度は、違(たが)えぬ。明後日のたそがれでは、どうだな。 灯ともしごろまでに、きっと、和主(わぬし)の宿まで、清盛、自身で届けにゆくが」

「御自身でな?」

「人だのみでは、また、心もとない」

「が、今度も、約を違えたら、どう召さる?」

「罰として、贖銅(罰金のこと)の刑でも、何でも、承ろうよ」

「わはははは。あははは」

押麻呂は、ねこ背を伸ばして、ひざをたたいた。

「よろしい。日吉(ひえ)山王の神輿へすら、一矢を射た安芸殿のことじゃ。御一言を信じようわい。……では、さっそく家に帰って、膠の煮こみにかかり、明後日の灯ともしごろには、お待ちしておりますぞい」






 押麻呂(おしまろ)の見えた次の日である。清盛は、弓袋を解いて、手なれの一筋に、弦(つる)をかけた。

「時子は、どこにおるな」

 廊を渡って、妻の部屋をのぞくと、侍女が答えた。

「奥がた様は、きょうもお庭の機屋(はたや)にこもって、御精を出していらっしゃいます。お呼び申しあげますか」

「機屋におるなら、呼ばいでもよい。おれの狩装束を出せ」

 かれは、行縢(むかばき)の野支度に、矢を負い、弓を持って、出がけに、庭の機屋へ立ち寄った。



 この建物は、時子の希望で建ててやった十五坪ばかりのもので、二台の機織(はたおり)機械をすえ、半分には染物瓶(そめものがめ)やら、臈纈染(ろうけちぞめ)の工具やら、刺繍(ししゅう)の台なども備えてある。

 育児も見ながら、かの女は、童女のころ、宮中の更衣殿(こういでん)で習い覚えた手工芸を、家庭でしていた。よほど心に合っている趣味らしく、織娘(おりこ)もおき、妹たちもよんで、好きな染色や図案が織物のうえに出るのをまたなく楽しんでいるふうだった。何よりも、世間にない、珍しい衣服を、われも着、子たちにも着せ、人にもわけて、批評されたり、歓(よろこ)ばれるところに、歓びがあるらしい。

「時子。おれは、狩猟(かり)に出かけるが、信西(しんぜい)入道どのへの手紙は、認(したた)めて、部屋の小机へ、のせておいたぞ」

「ま、にわかな……」と、時子は、機(はた)のそばを離れて、「お供は、だれとだれを、召しつれていらっしゃいますか」と、目をみはった。

「いや、ひとりだ。……幽居中の身、目立つのは、よくない」

「では、せめて、童(わらべ)も、お連れあそばしては」

「山深くはいるではなし、夕方には帰ってくる。だが、そなたから、信西どのの内室へお贈りする織物とかは、でき上がっているのか」

「ええ、染も、刺繍(ぬい)も仕上がりました。お目通しなされますか」

「いや、見なくてもいい。おれには、分からぬ」

清盛は、すぐそこを去った。そして、ひとり脇門から出て行った。



 去年、院の衆議で、自分にたいする罪の裁定が論ぜられるに当って、左府頼長の硬論にたいし、ひとり藤原信西入道が、大いに庇っていてくれたということを後に聞いて、清盛はひそかに、かれを徳とし、知己としていた。

 時子が、丹精(たんせい)をこめた織物を、その信西の妻の紀伊ノ局へ贈ろうということに、清盛も同意したのは、いうまでもない。今、出がけに、小机の上に残して来たという書状は、贈り物に添えるための礼状だった。

「はて。……どこへ行ってみよう?」

 洛内(らくない)にも洛外にも、狐のいるはなしは、よく聞くが、さて、実際に弓を持って出かけてみると、秋の野末は、尾花の波ばかりで、影も見ない。あてもつかない。

 その日、清盛は、深草あたりまで歩いたが、夕方、足だけを疲らせて、むなしく、戻って来た。






 あくる日は、照り降り雨の秋らしい空ぐせを見せていたが、午(ひる)には霽(は)れあがった。

 きのう清盛が、微行(しのび)で、狩に出たことを聞いて、時忠が、

「何も、御自身でお出かけになるまでのことはありますまい。きょうはわたくしと平六とで、山科(やましな)あたりを狩り立ててみましょう」

と、身支度にかかった。

「いや、きのう重盛やおまえの弓のけいこを見て、何か、自分も急に、弓を握ってみたくなったのだ。髀肉(ひにく)の嘆(たん)というのかもしれない」

 時忠や平六が、出て行った後から、まもなく、かれもひとりで、やしきを出た。きのうと同じ野狩姿であった。そして、洛北の蓮台野(れんだいの)あたりを、暮るるまで、歩いていた。



 午(ひる)まえの時雨(しぐれ)の露が、なお乾いていなかった。清盛は、行縢(むかばき)からたもとまで、芒(すすき)に濡れた。思わぬ所に水があり、思わぬ所に窪(くぼ)や丘があり。すべてが萩(はぎ)桔梗(ききょう)にくるまれていて、それが、夕陽に染まるころから、野末は白い霧にかくれかけた。

 西の空には、まだ虹色の光彩があるのに、紺の深い一隅(いちぐう)の空には、ほそい月が、見えていた。

「いない。狐など、影も見せぬ。眼をよぎるのは、鳥ばかりだ……。秋の夕、蓮台野を通ると、よく狐の声をきくというのは、うわさだけのことか」

 遠くに、ちらと、野守(のもり)の小屋の灯が見えた。鎧師の家の膠鍋(にかわなべ)がぶつぶつ煮えていることだろうと思う。あの押麻呂に、また違約を責められるのかと思うと、やりきれない気持になる。灯ともしごろには、生き皮を持って立ち寄るという口約も与えてある。よけいなことをいったものだと、後悔がしきりである。



 野はもう青い夕明り。

 帰ろうかと、道をさがしかけた時だった。がさっと、何かが、穂すすきの、すき間を切って、跳んで、隠れた。清盛は、とっさに、矢をつがえた。するとまた、つまずきそうなすぐ前を、べつな影が、かさっと、かすめた。かれは、一瞬に見た狐の尾を追いかけて、草むらから草むらへ、駆け入った。

 窪の陰に、狐は、じっと、屈(かが)まってしまった。死地に追いつめられたとき人間でも持つあの眼である。狐の眸(ひとみ)は、なんともいえない光芒(こうぼう)を帯び、かれの番(つが)えた矢を睨(にら)んだ。

「しめたっ」と、かれは、弓を引きしぼった。

 唸(うな)るような、一種の腥気(せいき)が、闘ってくる。



「……おや?」

 清盛は、その時、初めて気がついた。狐は、一匹ではないのだった。二匹、いや、三匹も。かたまっている。

 らんらんと、双の眸(ひとみ)を、敵の武器へ向けて、闘志にふくれ上がっているのは、灰色のさし毛をもった老狐である。これは牡(おす)であろう。かれの妻は、その良人(おっと)に庇(かば)われながらも、地につめをたて、ともに、異様な低い啼(な)き声を発しながら、清盛の弓の手へ、恐怖にみちた眼をすえている。

 牝(めす)は、牡の老狐よりも、目立ってやせていた。

 狼(おおかみ)かとも見えるほど、肩骨はとがり、毛づやもなく、腹は薄く巻きあがっている。が、よくみると、その腹の下には、産んでからまだ間もない子狐を抱いているのだった。

「あ。親子だ」

 道理で、逃げきれずに、踏みとどまったはず。子連れ狐であったのだ。

「三匹とは、望み以上だ。はて、どれから射止めようか」

 弓は、弦に満ち張る力に、きゅっきゅっと、鳴った。



 二匹の親狐も、今は滅前と知ったらしい生命を、姿の輪郭に、ぼっと、燐(りん)のように燃やして、ふしぎな呻(うめ)き声を、呪(のろ)うように発した。

 牡(おす)は、死へ直面した犠牲の勇を示し、牝(めす)も、総毛を逆だてながら、しかし、かなしげな本能に、ふところ深く、いよいよ深く、子狐をかい抱いているのである。

「ああ、あわれ。……あわれや、立派だ。美しい家族だ。へたな人間よりは」

 日吉(ひえ)山王の神輿を射た矢も、もと、この親子狐には、放つ勇気が出なかった。



 おれの鏃(やじり)は、いったい、何を求めようとして、この生き物を、追いつめているのだろう。

 鎧。人のよりも優れた鎧をとか。

 ばかな。

 ねこ背の鎧師からまた違約をなじられまいという体面を思ってとか。

 愚(おろか)。愚(おろか)

 押麻呂が笑わば笑わしておけ。鎧は、何も人並みの物で悪いことはない。鎧が、人間を作るわけではなし、鎧が功をたてるわけでもない。

「けちな根性……」と、かれは自嘲(じちょう)にゆすぶられた。

「野獣といえ、こうなったら、荘厳なものだ。慈悲、愛情、親和の権化ともいえる。もし、おれが老狐だとしたら。そして、時子や重盛が、こうなったとしたら? ……。野獣においてや、こう美しい。おれにも、できるか、どうか」



 かれは、鏃(やじり)を、あらぬ方へ向けて、ぴゅつんと、放った。もう宵空となっている星の一つを射たのであった。

 ざざざと、足もとから、一すじの野風が起こって、波のように消えた。ふと、見れば、親子の狐は、もういなかった。






 その夜の帰り途。清盛は、鎧師の押麻呂(おしまろ)の家をのぞいた。裏の破れがきから、かき越しに。屋のうちの灯と人影へ、どなっていた。

「おやじ。おやじ。生き皮など使うのは、もうやめた。なんの皮でも。間に合わせておけい。仔細(しさい)は、あとでわびる。あす、やしきへ来て、清盛を、嘲(わら)うもよし、贖銅(しょくどう)の罪なと何なと、申しつけてくれ」

(にかわ)の煮つまるあの特有な臭いが、外にまでわかった。むくっと、まろい背を、灯に動かした人影は、激した声音(こわね)とともに、

「な、なんじゃ。見合わせたと」

 やにわに、膠鍋を持って、板縁のはしまで、姿を見せ、

「そんないいわけを聞こう約束か。おとといから今の今まで、わしは精魂を膠に煮込んで、手まくらのまどろみもせず、ばかづらして、待っていたのじゃ。おお、日吉山王の神輿を射たのも、さては、その大たわけが、人見せに、やった仕業か。買いかぶったわ、安芸守どのを。もう腹も立たぬ。だれが、見損うた人間のため、鎧など作ってくれよう。ことわるっ。こっちから真っ平じゃ。そこな野良犬め、膠でも、食(くろ)うて去れ」

 沸いたままの鍋が、いきなり庭へ、たたきつけられて来た。異臭と、煙りが、清盛の面を襲った。が、清盛は、黙々と、それをうしろに、帰って行った。






 かれと鎧(よろい)のことでは、なお、後日譚(ごじつだん)がある。

 その年の、十一月である。

 一年の幽居を解かれ、また、多額な贖銅も、官庫へ納めおえて、清盛は、罪なき身となり、ふたたび院へと出仕することになった四、五日前のこと、

「安芸どのの、おん前に、合わせる面(おもて)もない者では、おざるが……」

と、駒寄(こまよ)せの式台に、へたばって、泣かんばかりに、目通りをこう者がある。押麻呂(おしまろ)であった。かれは、奥へ通されると、そのねこ背をいよいよかたく屈(かが)めたきりで、

「どうか、さきごろの、悪(あく)たいは、思慮のない、工匠(たくみ)気質(かたぎ)の囈言(たわごと)と、お聞き流しくだされい」

と、皺(しわ)びたいに、汗をうかして、わび入るのだった。

「おやじ。いかが致したかよ?」

 清盛が、笑って、訊(き)いてみると、こうである。



 この間は、腹立ちまぎれに、膠鍋(にかわなべ)を投げつけて、悪口を申し上げたが、実はその後、あの日の蓮台野のことを、ご当家の郎党から、もれ伺って、さては、そういう優しいお心でのことか、と、なんとも、ひとり恥じ入りました、というのである。

 畜類にさえ、そうしたお慈悲をもつおかたのおん鎧(よろい)なれば、鎧師として、お願いしても、ぜひ作らせていただきたい。武者とは、弓勢(ゆんぜい)ばかりの強さでなく、あなた様のように”もののあわれ”ももって欲しい。まことの武者に召されるものこそ、鎧師もまた、善意と良心をもって、仕事に打ち込む張り合いをかきたてられます。実は、そうして仕上げたおあつらえの物を、今日持ってまいりました。改めて、どうかお座わきへ、お納めねがいたいと存じまして。

 かれは、携えて来た一 領(いちりょう)の美々しい鎧具足を、氏神へでも供えるように、清盛の前において、誇りもいわず、偏屈も出さず、ただ清盛の満足を見て満足とし、やがて、いそいそと帰って行った。



 幽居の解かれたのも、のびのびしたし、鎧のできたのもうれしかったうえに、もひとつ、かれの妻にも、よろこびがあった。

 ある夕。院の出仕から退がって、妻の部屋を訪うと、見かけない一面の琵琶(びわ)がおいてある。だれからの贈り物かと、時子にきくと、先ごろ、時子から小納言信西(しんぜい)の内室、紀伊ノ局へ、自家製の織物をさしあげて、そのお礼の意味でもあろうか。きょう、信西入道の使という僧が見えて、世間ばなしのうちに、

「さてさて、御台盤所(みだいばんどころ)には、よい良人(おっと)をおもちで。お幸せなことである……」

というので、

「何を、また、にわかに、そのような」

と、返辞に困って、笑いながすと、使の僧は、なお大まじめになって。

「いやいや、決して、戯れを申すのではない。花も実もある武者とは、まこと、安芸どののようなお方をこそ、いうのでしょう。実(げ)に、強くして、おやさしい、お心の持ち主である」と、口を極めて、賞めてやまない。

 どうして、そんなに、称(たた)えるのか、とだんだん訊いてみると、蓮台野で、親子の狐を助けたということが、鎧師の押麻呂の口から、信西入道の耳へも、聞こえていたのである。

 そこで、信西(しんぜい)は、自分が、秘蔵としている琵琶を、僧に持たせて、

「これは、亡き母の供養のとき、八面の琵琶を作らせて、母の身寄たちにわけ、いま、手許に残っていた一つです。父の大きな愛、母のこまやかな愛を、そのふたりとも亡い後に悔いているわたくしとしては、さいつごろ、蓮台野で、安芸どのが、親子の狐を助けて、せっかくの鎧をおあきらめになったというお気もちに、今さら、人間の子の、不覚な涙をとどめあえませんでした」

と、まず、琵琶の由来と、自分のいまの心境を、こう使の僧に、伝言させて来たのである。使の僧はまた第三者の立場から、それについて、こう世事(せじ)話しをつけ加えた。

「狐は、神の使、妙音天(みょうおんてん)の化身(けしん)と、いわれております。慈悲の神、愛情の神、音楽の神、知福の神、あの弁財天女の一体が妙音天なのでおざる。されば、安芸どのには、はからずも、めずらしい奇特を施されたわけじゃ。かならずや、行末、家門のお栄えを見るにちがいない。そこで、かねてより、安芸守清盛を見ていた自分の目にくるいはないと、信西どのにも、およろこびを一つにして、かくは御秘蔵の琵琶一面、お内方(うちかた)へ参らせよとのお伝言てになったものでしょう。……さてばまた、拙僧も、思わず、よい良人をお持ち遊ばした女の幸(さち)を、つい余談つかまつりました次第です。どうぞ、なおなおおん睦(むつ)まじく、御生涯を」

と、長なが、話しこんで、帰って行ったというのである。



 清盛は、さっそく、その琵琶を、ひざにかかえて、と見、つぶやいた。

「なるほど、佳(よ)い琵琶だ」

「どこかに、銘(めい)がしるしてあるそうでございますよ」

「なんと」

「のかぜ……?」

「野風とか」

 なるほど、蒔絵(まきえ)がしてある。野水のながれに、萩(はぎ)すすきを、あしらい、模様の中に、小納言信西が、亡き母をおもう自詠の和歌を、葦手風(あしでふう)に描きちらしてある。

「時子。弾(ひ)けるか」

「琵琶は、わたくしよりも、時忠の方が、たしか上手でございました」

「ほ。時忠に、そんな風雅があるのか。よし、それでは、おれも弾いてみせようか。こう見えても、おれは、八歳のころ、祇園の祭りの屋台へ、稚子舞に立ったことがあるのだ。……母の祇園女御は、そういう歌舞や見得張ったことが、人いちばいお好きだったのでな」



 いいかけて、ふと、清盛は、幼児のような、泣きじゃくりを、心の深いところで、呼び起こされていた。

(……あの母。あの女狐はどうしたろう。そういっては、勿体ないが、野の牝狐(めぎつね)にも劣るお人。……御無事でさえおわせばよいが、すでに、あの美しさも、今はあるまい。この野末に、どんな男の矢に射捨てられているやら?)

 かれ自身にもわからない、えたいの知れない、しかも、こんこんと噴き上げてくる地下水のような感情に、なぜか心もおぼれ、思いもみだれ出した。にわかに、胸のどこかが切々と痛んでやまなかった。それを、紛らわすように、琵琶(びわ)を抱いた。そしてふと、微吟しながら、つめで、でたらめに、四絃の糸を鳴らした。

「ほほほほ。それは、なんでございますの」

「知るまい。これはこれ……万葉の中にある、人間の子の歌だよ」

 わざと、大まじめに、おどけめかして答えたが、かれのまつ毛は、かすかながら濡れていた。







引用:吉川英治『新・平家物語




2015年10月2日金曜日

神輿に刺さる、清盛の矢 『新平家物語』



吉川英治『新・平家物語』より






「院には、なんの誠意も見られぬ。請願の儀は、二件とも、突っ返された。加賀白山の一か条だに、裁可ある見込みはない。このうえは、神輿を奉じて、法王の蒙(もう)を、ひらき奉れ」

 いま、鳥羽院から帰って来た横川ノ実相坊や止観院ノ如空坊は、ここに交渉の帰結を待っていた二千余の大衆にむかって、感神院の石段の上から、交渉の決裂を、揚言した。

 大衆は憤激して、

「行けっ。懲(こら)しめろ」

と、すぐ身じだくにかかり、神輿の動座にむらがった。

 動座に先立って、百星にまがう灯明がともされた。祇園の林も煙るばかりに護摩をたく。梵音(ぼんおん)、磬音(けいおん)の仏楽(ぶつがく)は、出陣の鉦鼓(しょうこ)に似ていた。何か、ものすさまじい呪気(じゅき)がただよう。やがて、白丁(はくちょう)を着た人びとの肩に、担(にな)い出された日吉(ひえ)山王の神輿は、金色さんさんと、陽(ひ)を照り返し、大衆の鬨(とき)の声に乗って、ゆら、ゆら、ふもとの大路へむかって進んで来た。



 と。突然。

「凶徒ども、待てっ」

と、どなって、神輿の行く前に、立ちふさがった一個の男がある。

 なんのかざりもない、鉄(くろがね)のかぶとをかぶり、荒目の具足を着、わらじばき、手に、強弓(ごうきゅう)をたずさえていた。

 すこし、うしろに、かれの義弟・時忠と、平六家長のふたりが、無手ではあるが、まるで、仮面(めん)のような、硬直した顔をそろえて、突っ立っていた。

「鳥羽院に仕える安芸守・平ノ清盛とは、おれだ。叡山(えいざん)に人間がいるならば、これへ出て、人間のことばを聞け。凶徒どもの中には、物の分かる人間もいるだろうに」

 何か、真っ黒な、等身大の阿修羅の彫刻でも口でもあいて、怒鳴っているように、その姿は見えた。





 この不敵な男の態度と、ことばに、山法師の大群は、勃然(ぼつぜん)怒りを逆巻いて、

「すわ! 清盛ぞ」

「葬むれ。血まつりに」

と、吠え猛(たけ)った。

 大法師の如空坊、実相坊、乗円坊などは、さすがに、あわてもしなかった。ひきいる大衆を制止して、こうなだめた。

「いや、いわせてみろ。何を吐(ほ)ざくか。手を出すな。まず、いわせてみるがいい」

 その間に、神人(しんにん)たちの、白い群れは、

「神輿を汚(けが)さすな。神輿を」

と、うしろへ、うしろへと、列を、押しもどした。



 天地の生んだ一個のもの。その清盛は、大路の真ん中にあった。そしてなお、しゃがれ声を、張りつづけていた。

「なんじらの欲するものは、なんじらに与えてやろう。ここに連れてきた舎弟時忠、家人平六のふたりを、受けとるがいい。ただし、ふたりとも、生きものだということを知っておけよ」

「………」

 こう聞くと、対峙して、見すえていた如空坊たちは、苦笑をうかべた。苦しい妥協に来ての負け惜しみと聞いているらしい。が、清盛は、ひと息入れて、さらに、いい放った。

「因(もと)は、祇園の喧嘩であった。神も見よ、仏も、耳の穴をほじって聞け。理非いずれは、双方、酒のうえのこと。喧嘩は両成敗と、むかしからの慣(なら)わしにも聞く。清盛の愛する二名の家人(けにん)を、忍んで叡山へ渡すからには、叡山の主たる、日吉山王の神輿へも、安芸守清盛が、物申さでは、さし措かれぬ」



「あはははっ。……あははは。やよ見ろ、安芸守清盛は、気が狂うたのだ。気が狂うて、来たとみゆるぞ」

「だまって聞け。法師どもっ」

 清盛は、声を張るのに、満身を揺すった。まるで、熱鉄の上の水玉のように、ほお、あご、耳のうらから、汗の玉が、散るのだった。

「狂気か、正気かは、気をしずめて、なお、われのいうところを聞いてからにしろ。日吉山王の神輿も聞けよかし。およそ、神だろうが、仏だろうが、人を悩ませ、惑わせ、苦しませる神やある仏やある。あらは外道(げどう)の用具に相違ない。叡山の凶徒にかつがれ、白昼の大道を押しあるく、なんじ、日吉山王の神輿こそ、怪しからぬ。幾世、人を晦(くら)まし、迷わせて来つらんも、この清盛を、たぶらかすことはできぬぞ。喧嘩は両成敗ぞ。覚悟せよ、邪神の輿っ」



 あ? と、うろたえの表情が、無数の面上をかすめたとき、もう清盛は、弓に矢をつがえ、き、き、き……と、満をしぼって、神輿へ、鏃(やじり)を向けていた。

 横川ノ実相坊は、おどり上がって、頭から火を出すような、大喝(だいかつ)を放った。

「あな、無法者っ、罰あたりめっ。血へどを吐いて、死ぬのも知らぬか」

「血へど? 吐いてみたい!

 びゅんと、一線の弦鳴(つるなり)が、虚空(こくう)に聞こえたとき。矢は、さっと、風を切り、神輿のまん中に、突き刺さっていた。



 とたんに、狂せるような諸声(もろごえ)が、二千余人の荒法師の口から揚がった。白 丁の神人たちも、とび上がって、何ら口ぐちにいった。哭(な)くが如き声、怒る声、傷(いた)む声、戸まやどいの声、放心の声、悲しむ声、吠える獣のような声。声、声、声の一つ一つに生きものの感情がどぎつくほとばしっていた。

 古来。

 どんなことがあっても、神輿に、矢のあたった例(ため)しはない。また、神輿の大威徳を冒(おか)して、矢を向けるばかもないが、もしあれば、矢は地に落ち、射手は立ち所に、血へどを吐いて、即死する。

 こう、かたく、信じられていた。

 ところが、矢は、神輿に刺さった。

 清盛は、血へども吐かず、なお、立っている。



 迷信は、白日(はくじつ)に破れた。それは迷信利用の中に、生活の根拠と、伝統の特権をもっていた山門大衆が、赤裸にされたことでもあった。かれらは、狼狽(ろうばい)と、おどろきの底へ、たたきこまれた。

 しかし、祈祷(きとう)のきかないことを、だれより知っていたのは、祈祷する者たちでもあった。大衆を指揮する大法師たちは、大衆の幻滅と狼狽を、すぐかれらの怒気へ誘って、

「やあ、希代な痴(し)れ者っ。そこな外道(げどう)を、取り逃がすな」

と、暴力を、けしかけた。

 うわっ……と、襲いかかる荒法師の長柄(ながえ)の光りや、土ほこりや、神人たちの棒の雨の中に、清盛の姿は、たちまち蔽(おお)いつつまれて、見えもしなくなった。

 乱闘の渦は、べつな所にも起こった。同じように、時忠、平六の二人も、取り囲まれてしまったとみえる。



 振りまわしていたのは、弓であった。もちろん、弦(つる)は、跳ねてしまう。

 清盛は、横なぐりに、三、四人はそれで、なぐりたおした。あとの行動は、無意識の修羅である。

 だた、目にあまる法師群には、笑うべき抵抗だった。ましてかれらの手には、長柄(ながえ)、薙刀(なぎなた)などの有利な武器も持たれている。

「殺すな。つかまえろ」

 衆徒は、ただひとりの清盛を、狩場(かりば)の猪(しし)みたいに見て、なぶり合った。



「捕(と)って伏せろ。生かして、叡山(えいざん)へ、ひいて帰れ」

「生け捕りにこそ。生かしてこそ」

 実相坊か、如空坊か、声をからして、いっている。

 かれ等の首脳たちが、清盛をここで殺すまいとするのは、慈悲ではない。後日、鳥羽院へする掛け合いのためであり、また、信仰の大反逆人清盛と謳(うた)って、世人の前で極刑にすることの方が、叡山(えいざん)の威を示すゆえんであると考えたからである。



 しかし、勢いは、意のままには、うごかない。

 狂せる大衆と、死を思わない一個との、咬(か)みあいだ。

 清盛は、敵の長柄を奪って、いよいよ荒れまわった。かれのすねや小手(こて)にも、血しおが見え、地上にも、死者、怪我人が六、七人は、たおれはじめた。

 一方、やや離れて、ここと同じ死地にある時忠と、平六も、戦いたたかい、つむじ風のように、清盛のほうへ、移動して来ながら、ひたすら、清盛を、案じているらしく、

「わ、若殿っ……」

と、かなたで叫び、

「兄者人(あんじゃひと)っ……。あ、あんじゃひと!」

と、断(き)れぎれな叫びを送っている。

 清盛も、呼び交わした。

「時忠あっ。平六っ……。怯(ひる)むな、気をのまれるな。おれたちの上にも、日輪はあるぞ」

 終わりの言葉は、自分へいっているのであろう。



 そして、すべては、一瞬間のできごとだったが、騒動は、これだけに、止(とど)まらなかった。

 騒ぎを聞き伝えた付近の細民たちは、いつのまにか、まっ黒に、ここを遠巻きにしていた。何か、わんわんいっていたが、

「叡山の狼(おおかみ)に、食い殺させるな」

と、ひとりが、小石を持ったのを見、

「外道の弟子め」

「法師面(ほうしづら)よ」

「強欲の、悪僧ばらを、やっつけろ」

と、口ぐちから、日ごろの感情を吐き出した。

 次には、われもわれもと、小石をひろって、投げはじめたのだ。弥次馬(やじうま)的な心理とするには、余りに、忿懣(ふんまん)のうなりが聞こえる。突如、降って来た天譴(てんけん)の石の雨と、いえないこともない。



 これと時を一にして、祇園の木々の間から、黒煙りを、ふき出していた。

 一か所や二か所ではない。感神院の境内や、八坂、小松谷、黒谷あたりにも、煙りがみえる。

 法師勢が、秩序も強がりも失って、乱れ立ったのは、このためだった。伏兵がある。敵の伏勢が立ちまわったぞ、と口走りながら、にわかに、潰走(かいそう)しはじめた。

 逃げ足となっては、神輿といえども精彩がない。崩れゆく衆徒の上に舞う砂ほこりに、輿(こし)の屋根を傾(かし)がせ、金色(こんじき)の鳳凰(ほうおう)を横ざまにしながら、見ぎたなく粟田口(あわだぐち)方面へと、立ち退いて行くのだった。



「やあ、むなしく退いて行くわ。これは。奇妙だ」

 清盛は、東山の一角に立ち、はるかを見て、笑っていた。よろいの黒革胴(くろかわどう)を、そばに脱ぎ捨て、半裸の姿で、大汗を吹いている。

 実に、おかしい。笑わざるを得ない。



 二千余の大衆よりも、逃げたのは、もちろん、こっちが先なのだ。

 一矢(いっし)を神輿に射たら、すぐ、脱兎(だっと)のごとく、逃げるつもりで、初めから、心に計っていたのである。

(犬死するな。見得を思わず、逃げ落ちろ)

とは、とかく死にたがっている時忠や平六にも、前もって、かたく、いいふくめていたことである。落ち合う場所も、清水寺のうしろの峰、霊山(りょうざん)の岩鼻と、きめておいたものだった。



 それなのに、あの驕慢(きょうまん)な山法師の大群が、何にあわてて、さきに潰走(かいそう)し出したのか。

 石の雨にも、驚いたのだろうが、諸所に揚がった黒煙りに、すわと、疑心暗鬼に追われたものにちがいない。

「しかし、なんの煙りだろうか」

 清盛にも分からなかった。余煙はなお、太陽を鈍赤(にぶあか)くしている。清盛は瞳孔(どうこう)がひらいたような眼を向けていた。そこへ、時忠ひとりが、登って来た。

「あ。御無事でしたか」

「やあ。来たか。時忠。平六はどうした、平六は」

「平六も、血路をひらいて、逃げました」

「あとから、来るのか」

「とどろき橋の下で、出会いましたが、あちこちの煙りを見て、これはきっと、父の木工助家貞が、何か謀(はか)ったことにちがいない。見とどけて来るといって、八坂(やさか)の方へ、駆け去りました。やがて、参るにちがいありません」

「そうか。……いや、そう申せば、六波羅(ろくはら)の家に、むなしく留守している木工助でもない。じじめが、何か、敵の裏をかいた火の手かも知れぬのう……」







引用:吉川英治『新・平家物語




2014年11月6日木曜日

対面、官兵衛と半兵衛 [吉川英治]



〜吉川英治「黒田如水」より〜





「お幾歳(いくつ)にならるる」

「ちょうどでござる」

「三十歳よな。それではわしの方がずんと兄だ。九ツも上だから」

 初対面の彼にたいして、秀吉は敢て「兄」ということばを用いた。官兵衛は心中にその過分な辞をすこし疑ったが、秀吉はさらにそれを不当とは思っていないらしく、ふと、横の座を顧みて、

「…すると、お許(もと)と官兵衛とは、ちょうど二つちがいになるな。官兵衛が一ばん年下で、次にお許、その上がかくいう筑前か。思えばわしもいつかもう若者の組には入らなくなって来つるわ。さりとて、まだまだ、大人の組にも入りきれぬしのう」

 と自嘲をもらして、また大いに笑った。そこにいた一個の人物も、ことばなく黙然と微笑した。初めにちょっと会釈しただけで、ついまだ一語も発せずに秀吉のわきにひたと坐っている一武人である。面(おもて)は白く筋肉は痩せて、たとえば松籟(しょうらい)に翼をやすめている鷹の如く澄んだ眸(ひとみ)をそなえている。官兵衛はさっきからひそかに気になっていたので、

「こちらは、誰方(どなた)でござるか。ご家中の方でいらせられるか」

 と、今をその機(しお)と、秀吉に向って訊ねてみた。

「お。こなたの人か」

 秀吉はまじめに紹介(ひきあ)わせを述べた。

「竹中半兵衛重治(しげはる)。ご承知もあろうが、美濃岩村の菩提山の城主の子じゃ。いまはこの筑前の軍学の師でもあり、家中のひとりでもあるが、信長卿より羽柴家へ付け置かるるという特殊な関係になっておるので、いつ召し戻されるやも知れぬと、秀吉も内心常に恟々(きょうきょう)としておる厄介な家人だ。それだけに謂わば筑前の無二の股肱。いや官兵衛、御辺(ごへん)とならば、きっと肝胆(かんたん)相照らすものがあろうぞ。刎頸(ふんけい)を誓ったがよい」



 秀吉のことばが終ると、その半兵衛重治は初めて静かに向き直って、初対面のあいさつをした。その音声(おんじょう)は秀吉とちがって雪の夜を囁く叢竹の如く沈重であり、言語はいやしくもむだを交じえない。そして一礼のうちにもその為人(ひととなり)の自ら仄(ほの)かに酌(く)めるような床(ゆか)しさと知性の光があった。

「えっ、あなたが竹中殿で。おくれました。それがしは」

 と、官兵衛もあわてて礼をむくいたが、秀吉と話している分には、さほどでもない自己の卑下(ひげ)が、この半兵衛に対しては、なぜかはっきり抱かずにはいられなかった。やはり自分は田舎侍であったという正直な負(ひ)け目である。しかし相手がそれを見下しているような倨傲(きょごう)でないことは十分にわかっていた。



 それにしても彼は、羽柴家の家中に、これほどな人物が甘んじて仕えていることが、何かあり得ない事を見たような気がした。美濃菩提山城の子竹中重治といっては、世上の軍学者でその名を知らない者はないほど夙(つと)に聞こえている大才である。ある意味で織田家中の羽柴秀吉という一将の名よりも、有名なことでは半兵衛重治のほうが聞こえているかもわからない。

 若年、多くは帝都にいたと聞いている。それもたいがい大徳寺に参禅していたもので、ひとたび国許から合戦の通知をうけるや否、馬に乗って一鞭(いちべん)戦場へ駆け、また一戦終ると、禅の床に姿が見られたとは、都あたりの語り草にもなっている。

 その戦場に在る日は、つぶ漆のあらあらとした鎧に、虎御前(とらごぜ)の太刀を横たえ、

コノ若殿、魁(サキガケ)ニ御在(オワ)セバ、軍中、何トナク重キヲナシ、卒伍(ソツゴ)ノ端々ニマデ心ヲ強メケル

とは家中のみでなく一般の定評だった。軍学の蘊蓄(うんちく)は当代屈指のひとりと数えられ、戦うや果断、守るや森厳(しんげん)、度量は江海(こうかい)のごとく、その用兵の神謀は、孔明、楠の再来とまで高く評価している武辺(ぶへん)でもある。



 秀吉のごときはその渇仰者(かつごうしゃ)の随一人であった。彼がまだ洲股(すのまた)の城にいて、ようやく一個の城砦を狭い領土とをはじめて持ったとき、早くもこの若き偉材を味方に迎えんとして、半兵衛重治の隠棲していた栗原山の草庵へ、何十度となく、出廬(しゅつろ)を促すために通ったことは、世間に余りに知れわたっている話である。その事を、むかし漢土において、劉玄徳が孔明の盧を叩いた三顧の礼になぞらえて、

(羽柴筑前の熱心は、ついに臥龍(がりょう)半兵衛を、自己の陣営へひき込んだ)という者もあった。

 いずれにせよ、この戦国において、この事ほど武辺の話題になったことはない。ただ惜しむらくは、竹中半兵衛ほどな人物に、なぜか天は逞(たくま)しい肉体を与えなかった。弱冠から多病の質である。それだけが惜しまれてもいたし、秀吉もまた、破れ易い名器を座右に置いているように、いつも一方ならぬ気遣いをしているようであった。

 中国の僻地(へきち)にいるかなしさには、黒田官兵衛も疾(と)く噂は聞いていたが、およそのことを想像して、忘れるともなく忘れていた。今、あらゆる予備的な世評をいちどに思い出して、厳然と、その存在と人物の重さに、襟を正さしめられたのは、まさに今夜その人と間近に対(むか)い合ったときからであった。





 秀吉も酒を愛し、竹中半兵衛もすこし嗜(たしな)む。加うるに、官兵衛との三人鼎坐(ていざ)であったが、量においては、官兵衛が断然主人側のふたりを凌いでいる。

 夏の夜はみじかい。殊に、巡り合ったような男児と男児とが、心を割って、理想を断じ、現実を直視し、このとき生れ合わせた歓びを語り合いなどすれば、夜を徹しても興は尽きまい。





「明日でも、お目にかかれば、御辺もまた信長様のご風格をよく察するであろうが、ご主君も陽気がお好きで、ご酒をあがられるとよく小姓衆に小唄舞(こうたまい)など求められ、ご自身も即興を微吟(びぎん)あそばしたりなされる。官兵衛、御辺には何ぞ芸があるか」

 秀吉の横道ばなしに、官兵衛はやや業を煮やして、「小唄舞も仕(つかまつ)る。猿舞も仕る」と、嘯(うそぶ)いて答えた。

 すると秀吉は、「それは器用な男だ。どうじゃ一さし舞わんか」と、自分の持っていた扇子を与えた。

「ここではご免です」と官兵衛は手を振って断った。そして隅の方に眠たげにひかえている小姓へ向い、硯筥(すずりばこ)を求めて、その扇子へ何やらしたため終ると、「殿こそ、お謡(うた)いください」と、秀吉の手へ返した。



 酬(むく)われた一矢(いっし)を苦笑してうけながら、秀吉は脇息(きょうそく)から燭の方へ白扇を斜めにしながら読んでいた。

更(ふ)けてのむほど
酒の色
かたりあふほど
人の味
夜をみじかしと
誰かいふ
いづみ、尽きなき
さかづきを

「半兵衛。この裏へ、何ぞ認(したた)めてつかわせ」

 巧みに交(か)わして、秀吉はそれを、竹中半兵衛へあずけた。半兵衛は筆をとって、裏面へ、

与君一夕話
勝読十年書

 と書いて、「殿のおいいつけなので、ぜひなく汚しました」と、さしだした。

 ふと手に取ったが、官兵衛は、じっと見つめている眼から、次第に酒気を払って、まだ墨の乾かぬ白扇をそっと下へ置き直すと、ていねいに両手をつかえて、半兵衛へ、「ありがとうございました」と頭を下げた。

 眼もとに深淵の波紋のような笑(え)みをちらとうごかしながら、半兵衛重治も、「わたくしこそ」と、膝から両手を辷(すべ)らせた。

 もう夜が明けていた。寺房の奥では、勤行(ごんぎょう)の鐘の音がしているし、寺門に近い表のほうでは厩の馬がいなないていた。







出典:吉川英治「黒田如水