2015年10月3日土曜日

親子キツネと清盛 『新平家物語』



吉川英治『新・平家物語(一)』より






 清盛は、毎日、退屈にたえなかった。

 罪によって、贖銅(しょくどう)を科せられ、院の出仕を、一年停止されたのだ。閉門の身なのである。

 さしも、世論を沸かせた”神輿事件”も、年をこえると、うわさも薄らぎ、話題の中心人物は、六波羅(ろくはら)の門を閉じて、久安四年の一年間を、夏も秋も、欠伸(あくび)の中に、送っていたわけである。





 そこへ、家人の平六が、鎧師(よろいし)の押麻呂(おしまろ)の翁が来て、お待ちしておりますと告げた。退屈な毎日である。だれにかかわらず人恋しいらしい。清盛はすぐ足を回(かえ)して客殿へはいって行った。

「ご注文の、おん鎧(よろい)のことで、参じまいて御座りますが」

 居職の老人にはよくあるせむしのような猫背の鎧師である。ひっそりと、ふくれ面(づら)して、清盛にいう。

 押麻呂作りの鎧といえば、武者仲間では、珍重物だった。かれの作品は、おどしの糸のよりから、小札(こざね)の一枚一枚にまで、良心がこもっているといわれている。その代りに、驚くべき高価であり、また、たやすくは、注文に応じない偏屈な翁(おきな)だとも聞いていたのを、清盛は、一領の小桜縅(こざくらおどし)をあつらえて、ようやく、望みを遂げ、近いうちに、見られることになっていた。

「お好みの、染め革もでき、金具の鍍金(ときん)、縅、菱板(ひしいた)、草摺(くさずり)と、何から何まで、仕上がるばかりになりまいて、ただ一つ、お約束の狐(きつね)の生き皮が届いてまいりませぬ。ありゃ一体、どういうことにしておきましょうな?」

 押麻呂は、その催促で、来たのだった。



 生き皮を、鎧の利(き)き所に使うのが、かれの特技とかで、清盛があつらえたときも、二枚の狐の生き皮を、押麻呂の指定する日に、届けることが、条件となっていた。

 その二枚は、綿噛(わたが)みの裏打と、胴裏のすそまわりと、双(そう)の脇当(わきあて)に使うであるそうだが、脱脂(だっし)してない生皮(なまがわ)をはるには、膠(にかわ)の煮込みに、むずかしい技術がいるし、何よりは、幾十時間も炭火でとろとろ煮上がったときに、すぐ生き皮の現品がないと、せっかくの膠がむだになるのだともいう。

「お約束の日に、待ちぼうけをくい、膠のむだ煮を、何度やったことかよ」と、この名人気質(かたぎ)の翁は、腹を立てて、責めるのである。

「ただの皮を使うなら、おやすいことじゃ、ただし、そんな鎧でよろしいなら、世間に鎧師はたくさんにおる。どうか、ほかへお命じくだされい」



「いや、悪かった。怒るな。そう怒るなよ老爺(おやじ)と、清盛は、かれの気性からいっても、むりはないと、あわててわびた。

「その都度(つど)、家人(けにん)を狩にやっては見たが、いつも雉子(きじ)、兎(うさぎ)などばかり採って来て、かんじんな狐が獲られぬのだよ。こんどは、おれ自身、出かけてみる。そうだ、日限を約しておこう」

「また、待ちぼうけでおざろうが」

「うんにゃ。かならず」

「勿体(もったい)をつけるわけではおざらぬが、膠煮には、秘伝もおざって、童(わらべ)弟子や女手などには、まかせておけぬ仕事なのじゃ。炭火の加減、さし湯、練り、あわ立ちなど、二夜も、精魂こめて、見えおらにゃなりませぬ。……ところが、生き皮は来ぬ。膠はもどる。また、いまいましくも、むだにして、捨てるときの腹立たしさと、いったらない」

「いや、今度は、違(たが)えぬ。明後日のたそがれでは、どうだな。 灯ともしごろまでに、きっと、和主(わぬし)の宿まで、清盛、自身で届けにゆくが」

「御自身でな?」

「人だのみでは、また、心もとない」

「が、今度も、約を違えたら、どう召さる?」

「罰として、贖銅(罰金のこと)の刑でも、何でも、承ろうよ」

「わはははは。あははは」

押麻呂は、ねこ背を伸ばして、ひざをたたいた。

「よろしい。日吉(ひえ)山王の神輿へすら、一矢を射た安芸殿のことじゃ。御一言を信じようわい。……では、さっそく家に帰って、膠の煮こみにかかり、明後日の灯ともしごろには、お待ちしておりますぞい」






 押麻呂(おしまろ)の見えた次の日である。清盛は、弓袋を解いて、手なれの一筋に、弦(つる)をかけた。

「時子は、どこにおるな」

 廊を渡って、妻の部屋をのぞくと、侍女が答えた。

「奥がた様は、きょうもお庭の機屋(はたや)にこもって、御精を出していらっしゃいます。お呼び申しあげますか」

「機屋におるなら、呼ばいでもよい。おれの狩装束を出せ」

 かれは、行縢(むかばき)の野支度に、矢を負い、弓を持って、出がけに、庭の機屋へ立ち寄った。



 この建物は、時子の希望で建ててやった十五坪ばかりのもので、二台の機織(はたおり)機械をすえ、半分には染物瓶(そめものがめ)やら、臈纈染(ろうけちぞめ)の工具やら、刺繍(ししゅう)の台なども備えてある。

 育児も見ながら、かの女は、童女のころ、宮中の更衣殿(こういでん)で習い覚えた手工芸を、家庭でしていた。よほど心に合っている趣味らしく、織娘(おりこ)もおき、妹たちもよんで、好きな染色や図案が織物のうえに出るのをまたなく楽しんでいるふうだった。何よりも、世間にない、珍しい衣服を、われも着、子たちにも着せ、人にもわけて、批評されたり、歓(よろこ)ばれるところに、歓びがあるらしい。

「時子。おれは、狩猟(かり)に出かけるが、信西(しんぜい)入道どのへの手紙は、認(したた)めて、部屋の小机へ、のせておいたぞ」

「ま、にわかな……」と、時子は、機(はた)のそばを離れて、「お供は、だれとだれを、召しつれていらっしゃいますか」と、目をみはった。

「いや、ひとりだ。……幽居中の身、目立つのは、よくない」

「では、せめて、童(わらべ)も、お連れあそばしては」

「山深くはいるではなし、夕方には帰ってくる。だが、そなたから、信西どのの内室へお贈りする織物とかは、でき上がっているのか」

「ええ、染も、刺繍(ぬい)も仕上がりました。お目通しなされますか」

「いや、見なくてもいい。おれには、分からぬ」

清盛は、すぐそこを去った。そして、ひとり脇門から出て行った。



 去年、院の衆議で、自分にたいする罪の裁定が論ぜられるに当って、左府頼長の硬論にたいし、ひとり藤原信西入道が、大いに庇っていてくれたということを後に聞いて、清盛はひそかに、かれを徳とし、知己としていた。

 時子が、丹精(たんせい)をこめた織物を、その信西の妻の紀伊ノ局へ贈ろうということに、清盛も同意したのは、いうまでもない。今、出がけに、小机の上に残して来たという書状は、贈り物に添えるための礼状だった。

「はて。……どこへ行ってみよう?」

 洛内(らくない)にも洛外にも、狐のいるはなしは、よく聞くが、さて、実際に弓を持って出かけてみると、秋の野末は、尾花の波ばかりで、影も見ない。あてもつかない。

 その日、清盛は、深草あたりまで歩いたが、夕方、足だけを疲らせて、むなしく、戻って来た。






 あくる日は、照り降り雨の秋らしい空ぐせを見せていたが、午(ひる)には霽(は)れあがった。

 きのう清盛が、微行(しのび)で、狩に出たことを聞いて、時忠が、

「何も、御自身でお出かけになるまでのことはありますまい。きょうはわたくしと平六とで、山科(やましな)あたりを狩り立ててみましょう」

と、身支度にかかった。

「いや、きのう重盛やおまえの弓のけいこを見て、何か、自分も急に、弓を握ってみたくなったのだ。髀肉(ひにく)の嘆(たん)というのかもしれない」

 時忠や平六が、出て行った後から、まもなく、かれもひとりで、やしきを出た。きのうと同じ野狩姿であった。そして、洛北の蓮台野(れんだいの)あたりを、暮るるまで、歩いていた。



 午(ひる)まえの時雨(しぐれ)の露が、なお乾いていなかった。清盛は、行縢(むかばき)からたもとまで、芒(すすき)に濡れた。思わぬ所に水があり、思わぬ所に窪(くぼ)や丘があり。すべてが萩(はぎ)桔梗(ききょう)にくるまれていて、それが、夕陽に染まるころから、野末は白い霧にかくれかけた。

 西の空には、まだ虹色の光彩があるのに、紺の深い一隅(いちぐう)の空には、ほそい月が、見えていた。

「いない。狐など、影も見せぬ。眼をよぎるのは、鳥ばかりだ……。秋の夕、蓮台野を通ると、よく狐の声をきくというのは、うわさだけのことか」

 遠くに、ちらと、野守(のもり)の小屋の灯が見えた。鎧師の家の膠鍋(にかわなべ)がぶつぶつ煮えていることだろうと思う。あの押麻呂に、また違約を責められるのかと思うと、やりきれない気持になる。灯ともしごろには、生き皮を持って立ち寄るという口約も与えてある。よけいなことをいったものだと、後悔がしきりである。



 野はもう青い夕明り。

 帰ろうかと、道をさがしかけた時だった。がさっと、何かが、穂すすきの、すき間を切って、跳んで、隠れた。清盛は、とっさに、矢をつがえた。するとまた、つまずきそうなすぐ前を、べつな影が、かさっと、かすめた。かれは、一瞬に見た狐の尾を追いかけて、草むらから草むらへ、駆け入った。

 窪の陰に、狐は、じっと、屈(かが)まってしまった。死地に追いつめられたとき人間でも持つあの眼である。狐の眸(ひとみ)は、なんともいえない光芒(こうぼう)を帯び、かれの番(つが)えた矢を睨(にら)んだ。

「しめたっ」と、かれは、弓を引きしぼった。

 唸(うな)るような、一種の腥気(せいき)が、闘ってくる。



「……おや?」

 清盛は、その時、初めて気がついた。狐は、一匹ではないのだった。二匹、いや、三匹も。かたまっている。

 らんらんと、双の眸(ひとみ)を、敵の武器へ向けて、闘志にふくれ上がっているのは、灰色のさし毛をもった老狐である。これは牡(おす)であろう。かれの妻は、その良人(おっと)に庇(かば)われながらも、地につめをたて、ともに、異様な低い啼(な)き声を発しながら、清盛の弓の手へ、恐怖にみちた眼をすえている。

 牝(めす)は、牡の老狐よりも、目立ってやせていた。

 狼(おおかみ)かとも見えるほど、肩骨はとがり、毛づやもなく、腹は薄く巻きあがっている。が、よくみると、その腹の下には、産んでからまだ間もない子狐を抱いているのだった。

「あ。親子だ」

 道理で、逃げきれずに、踏みとどまったはず。子連れ狐であったのだ。

「三匹とは、望み以上だ。はて、どれから射止めようか」

 弓は、弦に満ち張る力に、きゅっきゅっと、鳴った。



 二匹の親狐も、今は滅前と知ったらしい生命を、姿の輪郭に、ぼっと、燐(りん)のように燃やして、ふしぎな呻(うめ)き声を、呪(のろ)うように発した。

 牡(おす)は、死へ直面した犠牲の勇を示し、牝(めす)も、総毛を逆だてながら、しかし、かなしげな本能に、ふところ深く、いよいよ深く、子狐をかい抱いているのである。

「ああ、あわれ。……あわれや、立派だ。美しい家族だ。へたな人間よりは」

 日吉(ひえ)山王の神輿を射た矢も、もと、この親子狐には、放つ勇気が出なかった。



 おれの鏃(やじり)は、いったい、何を求めようとして、この生き物を、追いつめているのだろう。

 鎧。人のよりも優れた鎧をとか。

 ばかな。

 ねこ背の鎧師からまた違約をなじられまいという体面を思ってとか。

 愚(おろか)。愚(おろか)

 押麻呂が笑わば笑わしておけ。鎧は、何も人並みの物で悪いことはない。鎧が、人間を作るわけではなし、鎧が功をたてるわけでもない。

「けちな根性……」と、かれは自嘲(じちょう)にゆすぶられた。

「野獣といえ、こうなったら、荘厳なものだ。慈悲、愛情、親和の権化ともいえる。もし、おれが老狐だとしたら。そして、時子や重盛が、こうなったとしたら? ……。野獣においてや、こう美しい。おれにも、できるか、どうか」



 かれは、鏃(やじり)を、あらぬ方へ向けて、ぴゅつんと、放った。もう宵空となっている星の一つを射たのであった。

 ざざざと、足もとから、一すじの野風が起こって、波のように消えた。ふと、見れば、親子の狐は、もういなかった。






 その夜の帰り途。清盛は、鎧師の押麻呂(おしまろ)の家をのぞいた。裏の破れがきから、かき越しに。屋のうちの灯と人影へ、どなっていた。

「おやじ。おやじ。生き皮など使うのは、もうやめた。なんの皮でも。間に合わせておけい。仔細(しさい)は、あとでわびる。あす、やしきへ来て、清盛を、嘲(わら)うもよし、贖銅(しょくどう)の罪なと何なと、申しつけてくれ」

(にかわ)の煮つまるあの特有な臭いが、外にまでわかった。むくっと、まろい背を、灯に動かした人影は、激した声音(こわね)とともに、

「な、なんじゃ。見合わせたと」

 やにわに、膠鍋を持って、板縁のはしまで、姿を見せ、

「そんないいわけを聞こう約束か。おとといから今の今まで、わしは精魂を膠に煮込んで、手まくらのまどろみもせず、ばかづらして、待っていたのじゃ。おお、日吉山王の神輿を射たのも、さては、その大たわけが、人見せに、やった仕業か。買いかぶったわ、安芸守どのを。もう腹も立たぬ。だれが、見損うた人間のため、鎧など作ってくれよう。ことわるっ。こっちから真っ平じゃ。そこな野良犬め、膠でも、食(くろ)うて去れ」

 沸いたままの鍋が、いきなり庭へ、たたきつけられて来た。異臭と、煙りが、清盛の面を襲った。が、清盛は、黙々と、それをうしろに、帰って行った。






 かれと鎧(よろい)のことでは、なお、後日譚(ごじつだん)がある。

 その年の、十一月である。

 一年の幽居を解かれ、また、多額な贖銅も、官庫へ納めおえて、清盛は、罪なき身となり、ふたたび院へと出仕することになった四、五日前のこと、

「安芸どのの、おん前に、合わせる面(おもて)もない者では、おざるが……」

と、駒寄(こまよ)せの式台に、へたばって、泣かんばかりに、目通りをこう者がある。押麻呂(おしまろ)であった。かれは、奥へ通されると、そのねこ背をいよいよかたく屈(かが)めたきりで、

「どうか、さきごろの、悪(あく)たいは、思慮のない、工匠(たくみ)気質(かたぎ)の囈言(たわごと)と、お聞き流しくだされい」

と、皺(しわ)びたいに、汗をうかして、わび入るのだった。

「おやじ。いかが致したかよ?」

 清盛が、笑って、訊(き)いてみると、こうである。



 この間は、腹立ちまぎれに、膠鍋(にかわなべ)を投げつけて、悪口を申し上げたが、実はその後、あの日の蓮台野のことを、ご当家の郎党から、もれ伺って、さては、そういう優しいお心でのことか、と、なんとも、ひとり恥じ入りました、というのである。

 畜類にさえ、そうしたお慈悲をもつおかたのおん鎧(よろい)なれば、鎧師として、お願いしても、ぜひ作らせていただきたい。武者とは、弓勢(ゆんぜい)ばかりの強さでなく、あなた様のように”もののあわれ”ももって欲しい。まことの武者に召されるものこそ、鎧師もまた、善意と良心をもって、仕事に打ち込む張り合いをかきたてられます。実は、そうして仕上げたおあつらえの物を、今日持ってまいりました。改めて、どうかお座わきへ、お納めねがいたいと存じまして。

 かれは、携えて来た一 領(いちりょう)の美々しい鎧具足を、氏神へでも供えるように、清盛の前において、誇りもいわず、偏屈も出さず、ただ清盛の満足を見て満足とし、やがて、いそいそと帰って行った。



 幽居の解かれたのも、のびのびしたし、鎧のできたのもうれしかったうえに、もひとつ、かれの妻にも、よろこびがあった。

 ある夕。院の出仕から退がって、妻の部屋を訪うと、見かけない一面の琵琶(びわ)がおいてある。だれからの贈り物かと、時子にきくと、先ごろ、時子から小納言信西(しんぜい)の内室、紀伊ノ局へ、自家製の織物をさしあげて、そのお礼の意味でもあろうか。きょう、信西入道の使という僧が見えて、世間ばなしのうちに、

「さてさて、御台盤所(みだいばんどころ)には、よい良人(おっと)をおもちで。お幸せなことである……」

というので、

「何を、また、にわかに、そのような」

と、返辞に困って、笑いながすと、使の僧は、なお大まじめになって。

「いやいや、決して、戯れを申すのではない。花も実もある武者とは、まこと、安芸どののようなお方をこそ、いうのでしょう。実(げ)に、強くして、おやさしい、お心の持ち主である」と、口を極めて、賞めてやまない。

 どうして、そんなに、称(たた)えるのか、とだんだん訊いてみると、蓮台野で、親子の狐を助けたということが、鎧師の押麻呂の口から、信西入道の耳へも、聞こえていたのである。

 そこで、信西(しんぜい)は、自分が、秘蔵としている琵琶を、僧に持たせて、

「これは、亡き母の供養のとき、八面の琵琶を作らせて、母の身寄たちにわけ、いま、手許に残っていた一つです。父の大きな愛、母のこまやかな愛を、そのふたりとも亡い後に悔いているわたくしとしては、さいつごろ、蓮台野で、安芸どのが、親子の狐を助けて、せっかくの鎧をおあきらめになったというお気もちに、今さら、人間の子の、不覚な涙をとどめあえませんでした」

と、まず、琵琶の由来と、自分のいまの心境を、こう使の僧に、伝言させて来たのである。使の僧はまた第三者の立場から、それについて、こう世事(せじ)話しをつけ加えた。

「狐は、神の使、妙音天(みょうおんてん)の化身(けしん)と、いわれております。慈悲の神、愛情の神、音楽の神、知福の神、あの弁財天女の一体が妙音天なのでおざる。されば、安芸どのには、はからずも、めずらしい奇特を施されたわけじゃ。かならずや、行末、家門のお栄えを見るにちがいない。そこで、かねてより、安芸守清盛を見ていた自分の目にくるいはないと、信西どのにも、およろこびを一つにして、かくは御秘蔵の琵琶一面、お内方(うちかた)へ参らせよとのお伝言てになったものでしょう。……さてばまた、拙僧も、思わず、よい良人をお持ち遊ばした女の幸(さち)を、つい余談つかまつりました次第です。どうぞ、なおなおおん睦(むつ)まじく、御生涯を」

と、長なが、話しこんで、帰って行ったというのである。



 清盛は、さっそく、その琵琶を、ひざにかかえて、と見、つぶやいた。

「なるほど、佳(よ)い琵琶だ」

「どこかに、銘(めい)がしるしてあるそうでございますよ」

「なんと」

「のかぜ……?」

「野風とか」

 なるほど、蒔絵(まきえ)がしてある。野水のながれに、萩(はぎ)すすきを、あしらい、模様の中に、小納言信西が、亡き母をおもう自詠の和歌を、葦手風(あしでふう)に描きちらしてある。

「時子。弾(ひ)けるか」

「琵琶は、わたくしよりも、時忠の方が、たしか上手でございました」

「ほ。時忠に、そんな風雅があるのか。よし、それでは、おれも弾いてみせようか。こう見えても、おれは、八歳のころ、祇園の祭りの屋台へ、稚子舞に立ったことがあるのだ。……母の祇園女御は、そういう歌舞や見得張ったことが、人いちばいお好きだったのでな」



 いいかけて、ふと、清盛は、幼児のような、泣きじゃくりを、心の深いところで、呼び起こされていた。

(……あの母。あの女狐はどうしたろう。そういっては、勿体ないが、野の牝狐(めぎつね)にも劣るお人。……御無事でさえおわせばよいが、すでに、あの美しさも、今はあるまい。この野末に、どんな男の矢に射捨てられているやら?)

 かれ自身にもわからない、えたいの知れない、しかも、こんこんと噴き上げてくる地下水のような感情に、なぜか心もおぼれ、思いもみだれ出した。にわかに、胸のどこかが切々と痛んでやまなかった。それを、紛らわすように、琵琶(びわ)を抱いた。そしてふと、微吟しながら、つめで、でたらめに、四絃の糸を鳴らした。

「ほほほほ。それは、なんでございますの」

「知るまい。これはこれ……万葉の中にある、人間の子の歌だよ」

 わざと、大まじめに、おどけめかして答えたが、かれのまつ毛は、かすかながら濡れていた。







引用:吉川英治『新・平家物語




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