2013年3月31日日曜日

どうしても「中心より上」にいってしまう人間



たとえば、A4の白紙を目の前にして、その「中心」に点を打つことはできるだろうか?

「中心に打てるのは、10人中1〜2人くらいですよ」と杉浦康平さんは言う。

左右は中心に打てたとしても、天地(上下)はたいていの人が中心よりも「5〜6mm上」になってしまうのだという。



それは、なぜなのか?

「『上方転移』といって、人間の身体の構造によるものらしいです」と杉浦さんは説明する。

「心臓は人体の中心より上にありますし、脳も上部にありますから、人は上へ上へと向かう『心理的な運動感』があるようです」



なるほど、錯覚のような「認知の偏り」が人にはあったのだ。

道理で、頭デッカチになりやすい訳だ…。






出典:目の眼 2012年 01月号 [雑誌]
「グラフィック・デザイナー 杉浦康平」

2013年3月30日土曜日

『燕子龕禅師』王維



『燕子龕禅師』王維

行くには栗を拾うの猿を随え[行随拾栗猿]

帰りては松に巣くえる鶴に対(むか)う[帰対巣松鶴]



行くときは栗を拾う猿を供にし、帰れば松に巣をいとなむ鶴と対するのだ。





出典:墨 2011年 12月号 [雑誌]

2013年3月29日金曜日

書家の求める美



「書家の言葉は『見る言語』です」

書家・杭迫柏樹(くいせこ・はくじゅ)さんは、そう言う。



「たとえば書の表現において、『叫ぶ』感じは一字とか二字の作品になります。『しゃべる』もしくは『つぶやく』感じならば、同じ速度ではなくメリハリをつけます」

筆の止まると進む。つまり「運筆」によって、書家はその時々の心境を明らかにしていくのである。



「書は『線の芸術』です。なぜなら、そこに人間の心情が吐露されているからです」と杭迫さんは言う。「その心象表現を突き詰めていくと、書美の究極は『線一本』、『点一つ』でも成り立つと考えています」。

打てば快音の響きがし、切れば血の出るような線。

杭迫さんはそうした美を求めながら、常々筆を持っているのだという。



「書家というのは、筆触感を求めて一生苦労して死んでいくわけです」

杭迫さんは毎朝4時には起床し、朝食までは必ず臨書をして筆感触を磨いていると話す。

「運筆を通して自分を掘り下げ、哲学をしているとも言えます」

畢竟、書はその人の人間性と大きく関わらざるを得ないのだ。






出典:墨 2011年 12月号 [雑誌]
「漢詩を書く極意とは 杭迫柏樹」

2013年3月28日木曜日

兄の死と弟と。剣聖・上泉伊勢守



兄の急逝。

それは、鹿島で剣術修行に明け暮れていた弟・源五郎にとって、まったく予期しない出来事であった。

いわゆる風邪の類いである虫気を患って床に伏せっていた兄・主水丞。病状が急変し、高熱に見舞われ急逝したのであった。わずか齢十九にしての夭折である。



上野国・上泉城からの早馬は、弟・源五郎のいる常陸国・鹿島へと、その急報を届けた。

茫然自失となりながらも、愛馬・新月を駆った源五郎。しかし時すでに遅く、兄の主水丞は青白い亡骸となっていた…。



悲嘆にくれる上泉一門。とりわけ母は気が違ったのではないかと思えるほどに錯乱していた。

兄の骸(むくろ)と母の狂乱。

それが、源五郎にはなぜか遠くに見える。すべての出来事が遥か遠くの世界で起こっているかのようだった。葬儀の最中でさえ、いったい自分がどこに居るのかも解らない…。



それは、見たこともない穴を覗くような気分だった。

突如として大口を開けた深い穴。それは奈落か。一瞬にしてその空虚に飲み込まれた源五郎。確固とした自己は失われてしまっていた。



魂のない抜け殻のような肉体として、源五郎は葬儀の場に居続けた。

「兄者はまだ死んでいないはず」

抜け殻だけの源五郎は、その死を実感できるはずもなかった。



しかしそれでも、死んだ兄が帰ってくるはずはない。

兄の死を上手く受け止められない源五郎。他の者に泪を見せることを頑なに拒み、心を揺らさぬように歯を食い縛り続けた。

兄を失った空虚な穴が悲しみに満たされるまで、源五郎はそれを感情として捉えられずにいたのである。



幼い頃の記憶

病弱ながらも元気だった頃の兄の笑顔

一緒に兵法修行を始めた庭

他愛もない兄弟喧嘩…



「あの時、兄者と組打ちをしておけばよかった…」

源五郎はつい一年半ほど前の晦日の夜を悔やんでいた。

自分が兄者を負かしてしまうのではないかという恐れから、兄との組打ちを断っていたのだった。自分はまだ修行の身で、それは禁じられていると嘘をついて…。

源五郎は、それを心底から悔いていた。



空虚の穴は、兄との思い出とともに次第に悲しみで満たされていく。

すると泪は自ずと湧き上がる。

それでも源五郎は一切の感情を表には出さなかった。まるで、己が泣くことによって兄の死を穢してしまうことを恐れるかのように…。



弱音を吐いた途端に、兄との大切な思い出が消えてしまいそうに思えた。

そのため、源五郎は葬儀の最中も、四十九日の法要が済んでも、他の者とろくに会話もせず、ただ一人きりで塞ぎ込んでいた。

うかとすると込み上げてくる悲嘆を必死で抑えつけながら、源五郎は黙々と木剣を振り続けていた。



そんな源五郎の行動は、周囲から奇異に見られていた。

兄の死に泣きわめくでもなく、嘆くわけでもなく、黙りこくったまま一人で過ごす弟。周囲はそんな源五郎の姿を訝しげに見ていた。

何か感情のない冷血な子供。



とりわけ母は源五郎を責め立てた。

「兄の死を悼んでいない!」

「兵法修行のことしか考えていない!」

そう罵られることもあった。



それらは、他人には窺い知ることのできない誤解であった。

それでも源五郎は言い訳するのが嫌だった。源五郎は悲しみとともに、そうした責めを黙って受け止め続けていた。

取り乱した母の恨み言には、一言も刃向かおうとはしなかった…。



源五郎の本当の心、それを理解していた人物がいたのは幸いだった。

「ワシはお前が兄を亡くした悲しみにどれほど耐えているかを知っている。無言のうちに何を噛み締めているかを解っておる。それを他の者に見せたくない心根も同じ男として解る」

源五郎の父は、無言のうちに全てを見抜いていた。


「源五郎、母を許してやれ。初めての子だった兄の死によって動顛しておる。だから、何も言わぬお前を兄の死を悼んでいないかもしれぬとしか、解せぬのじゃ…」

父はすべてを己の内に飲み込んだ漢(おとこ)の顔で源五郎を見つめていた。



源五郎が初めて堪えきれずになったのは、この時だった。

一筋の涙。

それがついに源五郎の眼から流れた。

そして、それが漢が最後に見せた泪となった…。





出典:「真剣―新陰流を創った男、上泉伊勢守信綱 (新潮文庫)  海道龍一朗」

2013年3月27日水曜日

「犬に体罰はいらない」 盲導犬訓練士「多和田悟」



「犬ってね、楽しくなきゃ仕事をしないんですよ」

そう言うのは、盲導犬の訓練士「多和田悟(たわだ・さとる)さん。



「我慢して仕事やるなんていう犬、見たことない」

多和田さんは、世界で30人しかいないという国際盲導犬連盟の査察員に選ばれた唯一の日本人。そう、「伝説の盲導犬訓練士」である。







盲導犬をつくっているというその場所は、まるでドッグラン。

「遊んでるみたいでしょ」と多和田さん。

たとえ盲導犬といえども、犬には人のために仕事をしているという意識はない。ただ、訓練士のお姉ちゃんと遊びたいのだ。

「まず、お姉ちゃんに夢中なんですよ。ああやって、頭さわってもらって。だって、叱っても問題しか起こらないしね(笑)」



そのお姉ちゃんは、犬が正しい行動をとると「Good」という言葉を連発。

褒められて楽しいと感じれば、犬はまた褒められたくて、同じ行動をとるようになるという。それは次第に高度な技術へと発展していく小さな第一歩である。

多和田さんは言う。

「褒めて育てる。犬の能力を最大限に引き出すには、それしかない」



しかし、「ただ褒めるだけではダメだ」とも多和田さんは言う。

大切なのは「褒めるタイミング」なのだという。

「褒める時、やり終わってから言わないの。もう遅い」



「たとえば、Sitと言って座らせて…、ほら、座りが完成する前にGoodって言ってるでしょ」

とらせようと思った行動が終わる前に「Good」と褒めてあげる。アクションを起こした瞬間に褒めることで、犬にその行動が正しいことを伝えるのである。

というのも、犬は最初、その行動が正しいかどうか分からないので、少し迷っている。その迷った背中を押してあげるのが、訓練士たちの「褒めるタイミング」なのである。







「犬にものを教えるのに体罰は必要ありません」

多和田さんは、そう断言する。

「いい子だね、いい子だね、こればっかりですよ。もう、ただのバカ親父ですよ(笑)」



犬の心は、純粋すぎるほどにシンプルである。

その点、「いや、そうじゃないもん!」と歯向かうことのある人間とは大きく異なる。しかし、たとえ複雑な人間の心とはいえ、その根底に根差すのは盲導犬のようなシンプルさではなかろうか。







現在、日本で活躍する盲導犬は1,043頭。

これは圧倒的に足りない数字だ。盲導犬の希望者はその3倍の3,000人を超えるというのだから。

じつは、訓練をへて最終的に盲導犬になれるのは、3〜4割と意外に難しい。それでも、多和田さんを始めとする訓練士たちは、日夜の努力を惜しむことがない。



「褒めて、育てて、”ワン”ダフル!」







 (了)



出典:探検バクモン
「盲導犬でワンダフル!」