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2013年9月2日月曜日

魚のカマスの「見えない壁」


かつて、「魚のカマス」を使って、次のような実験が行われた。


カマスを入れた水槽の中央を「透明のガラスの壁」で仕切り、その向こう側には「エサとなる小魚」を入れます。カマスがエサを獲ろうとすると、仕切りの壁にぶつかります。

カマスはこうして「痛い思い」を繰り返すうちに、ここから先へは絶対に行けない、ここを越えようとすると「痛い目に遭う」と学習します。

すると、後でガラスの壁を取り除いても、その「思い込み」によって、壁が立てられていた先には「行こうとしなくなる」というものです。

私たち人間も一人ひとり異なる「習慣」を持っており、自分では意識せずにそうした癖を日々繰り返す中で、実験のカマスのように自分自身で「思い込み」や「決め付け」を生み、「実際には存在しない壁」が今もあるかのように錯覚してしまっていることがあるかもしれません。

”私たちは、自分でつくった習慣のようにしかならない”
(古代ギリシャ哲学者・アリストテレス)




ソース:心を育てる月刊誌「ニューモラル」No.529
「心」を磨く生活習慣」

2013年6月2日日曜日

人を変えるもの。それはリスク




「リスク(危険)を冒す」

それはかつて「先天的」、つまり生まれつきリスクを厭わない人がいるのだと考えられていた。たとえば、「女性は生まれつき男性よりも慎重だ」とか「10代の若者はリスク志向が強い」といった感じで。

ところが最近、そうした固定観念を覆す研究結果がいくつか出ており、その結果、普段は極めて慎重な人も「そのときの感情」や「周囲の環境」で、突然リスクを侵す可能性が高いことも明らかになっている。



アメリカの財務アドバイザー、「ポール・カスマン」さん(36)。

顧客の資金を扱うカスマンさんは、その仕事柄か、普段は非常に慎重に物事を進める性格だ。

だが、「投資」という生き馬の目を抜く世界にあって、「イザという時に備える必要がある」とも考える。



その一時の勝負に備えるため、カスマンさんはハイウェイを最高速のバイクで乗り回すようになった。

「1秒でも集中力を失えば、衝突・炎上して死ぬだろう」と、カスマンさんのアドレナリンは最高潮に達する。

時には、ミグ戦闘機に搭乗し、時速1,000マイル(時速1,600km)超で高度7万フィート(2万1,000m)まで上昇する。



危険を過大に恐れてしまうと、新たな冒険には飛び込めなくなる。逆に過小に危険をみくびれば、何も考えずに危険に飛び込むことにもなる。

「たいていの人は『慣れない環境』に踏み込む時、うまくいかなかった場合の結果を必要以上に恐れている」と、リスクを研究しているマージー・ウォーレル氏は話す。

だが、自らの安全地帯から一歩踏み出した時、人は普段よりもリスクを取るようにもなる、とウォーレル氏は言う。



たとえば、画家のアイオーネ・フレッチャー・クレブンさん(67)。

普段は物静かな彼が、ある春の夜、自宅の庭から聞こえてきた「ケンカの物音」に「イラッ」ときた。その庭には、息子と2人で植えたばかりの植物がある。それを荒らされてはたまらない。



クレブンさんがドアを開けて庭を見ると、ナイフで刺された少年と、血に濡れたナイフをもった屈強そうな男が立っていた。

「背骨がカッとなるのを感じた」というクレブンさん。「自分で自分が怖くなるほど怒り狂っていた」。

怒髪天をついたクレブンさんは、屈強な男のナイフをもった手首をねじり上げると、「Get out of here!(出ていけ!)」と怒鳴った。ややもすると、クレブンさんはその男の手首をねじ切ってしまいかねないほどの剣幕だった。



ほうほうのていで逃げ出す男。

その後ろ姿を眺めているうちに、クレブンさんは我に帰っていた。

飛行機の嫌いなクレブンさん、普段はそんな危険は侵さない。賭け事だって1度もしたことがない。



「今でも自分が冒した危険に驚いている」とクレブンさん。息子と植えた植物を荒らされて、いつも以上に「強い感情」に支配されてしまった。

ある調査によれば、プライドを傷つけられたり、子供を守るために必死になったりと、「強い感情」が胸の内から湧き上がってきた時に、人は必要以上のリスクを取る傾向もある、ということが分かっている。

また、差別されたり拒否されたりしても、常ならぬリスクを冒す危険は高いともいう。



一方、「コロンビア・カード・タスク」という実験では、「10代の若者だから必ずしもリスクを取るわけではない」ということが示されている。

カードをめくって「笑顔のマーク」が出れば勝ち。お金をもらえる。逆に「しかめっ面のネコの顔」が出てくれば負け。お金を失う。

この実験は2通りのバージョンがあり、1つ目は、予め何枚のカードをめくるかを決めておく方法(コールド・バージョン)。2つ目は、はじめに何枚のカードをめくるか決めておかずに、1枚ずつめくり、その時の結果に応じて次をめくるか決める方法(ホット・バージョン)。



はじめに何枚めくるかを予め決めておくほうが、「コールド」と呼ばれるように、冷静に客観的な決断が下せる。

その一方、はじめに何枚めくるか決めておかないと、場合によっては勝負熱がエスカレートして、必要以上の資金を失う危険がある。「ホット」と呼ばれる所以である。



「ホット・バージョンの場合、人は後悔しそうな危険を冒しがちだ」

ベルント・フィグネル助教(ラドバウンド大学)は、そう言う。彼は実験の考案者であり心理学者でもある。

「ホット・バージョンは、バーに飲みにでかけ、1杯飲むごとにもう1杯飲むかどうかを決めるようなもので、どうしても飲み過ぎる」



コールド・バージョンの方では、10代の若者でさえ「冷戦な判断」を下すことができる。たとえばお酒なら、予め飲む杯数が決められているのだから。

ところが、ホット・バージョンとなると、普段は冷戦沈着な老紳士ですら、判断を誤ってのめり込んでしまうことがある。



やはり「リスクを冒す」のは、生まれつきだけではなさそうだ。

感情の過度の高まり、もしくは外的環境に少なからず左右される。



逆に危険なのは、普段は「大丈夫だ」と自分で思っている人かもしれない。

確かに自分の安全地帯のなかでは大丈夫なのかもしれない。だが、そこから一歩足が踏み出て締まった時…

人はどうなるか分からない…







(了)






出典:The Wall Street Journal
人はなぜリスクを冒すのか

2013年3月31日日曜日

どうしても「中心より上」にいってしまう人間



たとえば、A4の白紙を目の前にして、その「中心」に点を打つことはできるだろうか?

「中心に打てるのは、10人中1〜2人くらいですよ」と杉浦康平さんは言う。

左右は中心に打てたとしても、天地(上下)はたいていの人が中心よりも「5〜6mm上」になってしまうのだという。



それは、なぜなのか?

「『上方転移』といって、人間の身体の構造によるものらしいです」と杉浦さんは説明する。

「心臓は人体の中心より上にありますし、脳も上部にありますから、人は上へ上へと向かう『心理的な運動感』があるようです」



なるほど、錯覚のような「認知の偏り」が人にはあったのだ。

道理で、頭デッカチになりやすい訳だ…。






出典:目の眼 2012年 01月号 [雑誌]
「グラフィック・デザイナー 杉浦康平」

2013年3月27日水曜日

「犬に体罰はいらない」 盲導犬訓練士「多和田悟」



「犬ってね、楽しくなきゃ仕事をしないんですよ」

そう言うのは、盲導犬の訓練士「多和田悟(たわだ・さとる)さん。



「我慢して仕事やるなんていう犬、見たことない」

多和田さんは、世界で30人しかいないという国際盲導犬連盟の査察員に選ばれた唯一の日本人。そう、「伝説の盲導犬訓練士」である。







盲導犬をつくっているというその場所は、まるでドッグラン。

「遊んでるみたいでしょ」と多和田さん。

たとえ盲導犬といえども、犬には人のために仕事をしているという意識はない。ただ、訓練士のお姉ちゃんと遊びたいのだ。

「まず、お姉ちゃんに夢中なんですよ。ああやって、頭さわってもらって。だって、叱っても問題しか起こらないしね(笑)」



そのお姉ちゃんは、犬が正しい行動をとると「Good」という言葉を連発。

褒められて楽しいと感じれば、犬はまた褒められたくて、同じ行動をとるようになるという。それは次第に高度な技術へと発展していく小さな第一歩である。

多和田さんは言う。

「褒めて育てる。犬の能力を最大限に引き出すには、それしかない」



しかし、「ただ褒めるだけではダメだ」とも多和田さんは言う。

大切なのは「褒めるタイミング」なのだという。

「褒める時、やり終わってから言わないの。もう遅い」



「たとえば、Sitと言って座らせて…、ほら、座りが完成する前にGoodって言ってるでしょ」

とらせようと思った行動が終わる前に「Good」と褒めてあげる。アクションを起こした瞬間に褒めることで、犬にその行動が正しいことを伝えるのである。

というのも、犬は最初、その行動が正しいかどうか分からないので、少し迷っている。その迷った背中を押してあげるのが、訓練士たちの「褒めるタイミング」なのである。







「犬にものを教えるのに体罰は必要ありません」

多和田さんは、そう断言する。

「いい子だね、いい子だね、こればっかりですよ。もう、ただのバカ親父ですよ(笑)」



犬の心は、純粋すぎるほどにシンプルである。

その点、「いや、そうじゃないもん!」と歯向かうことのある人間とは大きく異なる。しかし、たとえ複雑な人間の心とはいえ、その根底に根差すのは盲導犬のようなシンプルさではなかろうか。







現在、日本で活躍する盲導犬は1,043頭。

これは圧倒的に足りない数字だ。盲導犬の希望者はその3倍の3,000人を超えるというのだから。

じつは、訓練をへて最終的に盲導犬になれるのは、3〜4割と意外に難しい。それでも、多和田さんを始めとする訓練士たちは、日夜の努力を惜しむことがない。



「褒めて、育てて、”ワン”ダフル!」







 (了)



出典:探検バクモン
「盲導犬でワンダフル!」

2013年3月20日水曜日

空海の「十住心論」をかじる




空海の論書にある「十住心論」には、人の心が進んでいく10の過程が記されている。

一、異生羝羊心(いしょうていようしん)
二、愚童持斎心(ぐどうじさいしん)
三、嬰童無畏心(ようどうむいしん)

四、唯蘊無我心(ゆいうんむがしん)
五、抜業因種心(ばつごういんじゅしん)

六、他縁大乗心(たえんだいじょうしん)
七、覚心不生心(かくしんふしょうしん)

八、一道無為心(いちどうむいしん)
九、極無自性心(ごくむじしょうしん)

十、秘密荘厳心(ひみつそうごんしん)






◎一、異生羝羊心(いしょうていようしん)


羝羊心というのは雄羊の心、すなわち動物的・本能的である。

「淫食を念ずること、かの羝羊の如し(雄羊のように、ただ性欲と食欲ばかりを思う)」



無明の闇は最も深く、自我に囚われ、所有への執着が凄まじい。

「たとえば、獣が陽炎(かげろう)を追って水を求め、蛾が華やかな火に飛び込んで身を焼くようなもの」

水に映った月を欲するが如し。



◎ 二、愚童持斎心(ぐどうじさいしん)



愚かな童子(愚童)の心にも、いつかは自らを慎み、他に施す心(斎心)が起こる。

「施心萌動して、穀の縁に遇うが如し(他に与える心が芽生えるのは、穀物が発芽するようなものである)」



人は「外の因縁」によって、道徳的・倫理的になっていく。

賢人の徳、自らの誤ちを知り、善行と悪行の因果(原因と結果)を知る。

「たとえば、自らは節食し、それを他の人々に与えることを喜び、足るを知る心が次第に起こる」



◎三、嬰童無畏心(ようどうむいしん)


嬰児(嬰童)が母のふところに抱かれているように安らかなる心地(無畏心)。

しかし、次第に外の世間の苦しみに気づき始め、内には、自己との対峙・葛藤が芽生え出す。



そして生まれる宗教心。

「仏の戒めを知り、来世の安楽を願う」



ここまでの一〜三は、いわば俗世の心。

そして四以降は、悟り、そして境地、真理への心となっていく。






◎四、唯蘊無我心(ゆいうんむがしん)


自我には実体がないこと(無我)、自分の感じ知ることは5つの要素(五蘊・色受想行識)が仮に和合したもにに過ぎないことを知る。

それは今までの無明を知ることであり、その闇の先のかすかな光に気づくことでもある。



いわゆる、禅の十牛図における「尋牛(じんぎゅう)」の始まり。

しかしこの段階では、声聞(仏の言葉)を聞いて悟る者、「羊車の三蔵」である。



◎五、抜業因種心(ばつごういんじゅしん)


「苦」をもたらす「無明の種」は、ここで取り除かれる。

「無明、種を抜く。業生、己に除いて、無言に果を得」

無知(無明)の元(種)を抜き取って、迷いの世界(業生)を取り除く。そして唯一人、悟りの世界(果)を得る。



迷いや業には、その元がある。

「生けるものの心に煩悩が生じるのは、邪な思惟(不正思惟)を主因とし、無明を間接的な縁とする」

その起こり、縁起の法則を知ることで、自分一人の悟りは得ることができる。

これは、一人で努力・修行して得られる境地である(独覚)。






◎六、他縁大乗心(たえんだいじょうしん)


これは菩薩の境地。己のみの悟りから、他人の悟りへも心が向かう。

「無縁に悲を起こして、大悲はじめて発る」

物事の因果の種を知った己は、縁に囚われるということがなくなる(無縁)。それは、すべてのものが幻影であり、ただ心の働きだけが実在であるということを悟っているからである。



心のみが真実と悟る菩薩は、心に映るものすべては幻や陽炎のごとく「虚妄」であると知っている(唯識)。

その境地には言葉も文字もない。平穏無事の風が吹くばかり。



その菩薩の欲することは、すべての衆生を救うこと(他縁)。

他縁とは、縁に囚われずに、すべての人々に別け隔てなく慈悲の心を感ずることである。

小乗というのが己一人のためのものであれば、大乗というのは自他の境を虚しくするものである。



◎七、覚心不生心(かくしんふしょうしん)


心は何ものによっても生じたものではない(不生)。

心は生じることもなければ、滅びもしない(不生不滅)。

物質に実体がなかった(無我)ばかりか、自分の心に起こることにも実体がないと悟る。



「心に映るものは本来、生じたり滅したりせず、静かに澄み渡っているばかりである」

その澄み渡るこころは自由自在。物の有無に迷うこともなければ、自利・他利の境もない(心王)。



「不生・不滅・不断・不常・不一・不異・不去・不来」

これら8つの不(八不)によって、実在からの迷妄は断ち切られる。

「一念に空を観れば、心原空寂にして、無相安楽なり」

ひたすらに空を観じれば、心は静かに澄み渡り、なんらの相(すがた)なく(無相)安楽である。



◎八、一道無為心(いちどうむいしん)


「この心性を知るを、号して遮那という」

この心を知るものを、仏(大日如来)という。



この境地においては、すべてが清浄である(一如本浄)。人の持つ徳性は汚れに染まらないと観想し、すべての人の心は清浄であることを知るのである。

「すべての人に仏性を見、すべての教えは一道に帰する」



まるで澄み切った水が事物を映し出すがごとく(止観)、静かであってよく照らし、何を照らしても常に静か。

「心は清らかであり、心は外にもなく内にもない。その中間(中道)にもない」

その心は、欲の世界のものでもなければ、物の世界のものでもない。精神世界のものですらないのである。



「境智ともに融す」

主観も客観もともに合一しており、その心は虚空に同じ。

思慮や思慮のないことを離れた境地は、真実そのもの、悟りそのもの。これは空の悟り(無為)である。



◎九、極無自性心(ごくむじしょうしん)


「水は自性なし。風に遇うてすなわち波たつ」

水はそれ自体に定まった性質(自性)はない。風が吹けば波が立つだけである。

そこには一切の対立がない。



対立・矛盾がないゆえに、その世界には一つとして自性(固定的本性)をもつものがない。

宇宙の中のすべては、互いに交じり合い、互いに融け合っている。



「一と多の融合」

一人ひとりの心は、仏のそれと何ら変わるところがない。

「初発心のとき、すなわち正覚を成す」

華厳経は、初めて悟りを求める心を起こした時、たちまち正しい悟り(正覚)を成就する、と教えている。






◎十、秘密荘厳心(ひみつそうごんしん)


「顕薬塵を払い、真言、庫を開く」

一般的な仏教(顕薬)は塵を払ってくれ、そして真言密教が庫の扉を開く。



残念ながら、この境地を説くことは許されていない。

容易く説いてはならない、と戒められているのである。

ゆえに「秘密」といい、すべての分別を超えた境地(荘厳心)がここにはある…。








◎虚空の箭(や)


「箭(や)を虚空に射るに力尽きて、すなわち下(おち)るが如し」

闇雲に矢を空に放っても、それはただ落ちてくるばかり。



これは空海の言葉であるが、的を知らずに矢を放つことの虚しさを説いている。

たとえば、空海の真言宗というのは、即身成仏、すなわち生きながらにして「仏」となることを肯定している。いわゆる自力本願である。

「十住心論」とは、その仏への道筋を示すものであり、たとえ分からなくとも、何となくそんな心の段階を踏んでいくのかということくらいは知ることはできる。



なるほど、虚空の箭(や)は十住心論によって、その的を得るのであった。

ヘタな鉄砲も数打ちゃ当たるかもしれない。

たとえそうだとしても、多少、的の方角が分かっているのは、じつに有り難い…。







出典:十住心論

2013年3月15日金曜日

「ありがとう」の反対語とは?



してもらったこと。

お返しをしたこと。

迷惑をかけたこと。



この3つの問いかけ。

それらを通じて、自分の内面を深く見つめていくのが「内観(ないかん)」。







ある男性は、重度の認知症になった母親の介護に葛藤を抱いていた。

「意志の疎通もできなくなった親を介護することに、どんな意味があるのか?」



はじめは内観にあまり乗り気ではなかったというその男性。

しかし、「あるイメージ」が浮かんだことで、みるみる内観が深まっていったという。



その「あるイメージ」とは、真っ黒な俵型のおにぎり。

男性が小学生の頃、友だちが家に遊びに来るたびに、母親は「ノリを巻いた真っ黒な俵型のおにぎり」をたくさんつくってくれた。



しかし、男性はそれが恥ずかしかった。

「ほかの家ではドーナツやクッキーが出てくるのに…。なんで、うちはおにぎりなんだよ…」



当時、男性の家では2人の姉が進学したばかりで、経済的にとても苦しかった。母親には、お腹を空かせてくる子どもたちに、お菓子を買ってあげる余裕がなかったのだ…。

熱々のご飯で手を真っ赤にしながら、たくさんのおにぎりを握る母親の笑顔。

その笑顔が俵型の真っ黒なおにぎりと結びついたとき、男性は気づかされた。母親の想いに…。そして、その想いは男性の胸をこれでもかと突き上げるのであった…。



以来、男性が母親の介護を苦にすることはなくなっていた。

「自分の中に鬼を発見すると、不思議と仏になる」

この言葉は、内観の創始者である吉本伊信(よしもと・いしん)氏の言葉だという。



「ありがとう」の反対語は何か?

それは「当たり前」なのではないか。



自分を中心に物事を見たとき、その心は「当たり前」で占められている。

しかし、その同じ物事を反対から見てみれば…。

きっと「ありがとう」で一杯なのだ…!





出典:致知2013年4月号
「『ありがとう』の反対語」

2012年11月20日火曜日

「頭でっかち」と「心でっかち」


「頭でっかち」は困り者もしれないが、それと同じくらい「心でっかち」も厄介だ。

唯物論、唯心論、そのいずれもバランスを欠いてしまうと、外界もしくは他者との「しがらみ」が起きてしまう。



「世の中の現象を、単純に『原因と結果だけ』でとらえるのは間違っている」

「心だけ」に原因があると考えた時、人は行き詰まる…。