ラベル 動物 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 動物 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2018年5月12日土曜日

コウモリが「空飛ぶ変な哺乳類」であるように、鳥も「変な恐竜」なのだ。


From:
日経サイエンス2017年6月号
Stephen Brusatte
『羽根と翼の進化』




鳥類には他のすべての現生動物と一線を画す特徴がおおくある。飛行能力をもたらす形質だけでなく、代謝が極めて高いために驚くほど成長がはやく、脳が大きいために高い知性と鋭敏な感覚をそなえている。実際、鳥類は非常に独特なので、研究者たちは長い間その起源について頭を悩ませてきた。

1860年代、ダーウィンの親友の一人で、もっとも声高な支持者だったイギリスの生物学者ハクスリー(Thomas Henry Huxley)は、鳥類の起源の謎に挑みはじめた。





ダーウィンが1859年に『種の起源』を出版してからわずか数年後、独バイエルンの採石場で、労働者が割った石灰岩のなかから1億5千万年前の骨格があらわれた。爬虫類のような鋭いカギ爪と長い尾、鳥のような羽毛と翼をあわせもつ動物の化石だった。

始祖鳥(Archaeopteryx)と命名されたこの動物が、やはりその当時に見つかりはじめていたコンプソグナトゥス(Compsognathus)などの小型肉食恐竜に不気味なほど似ていることにハクスリーは気づいた。

そこで彼は「鳥類は恐竜の子孫である」という大胆な説を発表した。ほかの科学者は彼の説に反対し、議論はその後100年間、行ったり来たりの状態だった。





この議論は、よくあることだが、新しい化石の発見によって決着がついた。

1960年代中頃、エール大学の古生物学者オストロム(John Ostrom)が北アメリカ大陸西部で、驚くほど鳥に似た恐竜デイノニクス(Deinonychus)の化石を発見した。その長い前肢は翼のように見え、しなやかな体つきは活動的な動物を思わせた。





デイノニクスには羽毛まで生えていたとオストロムは推測した。もし鳥類が恐竜から進化したのなら(そのころには多くの古生物学者がこの説を受け入れはじめていた)、その進化系統のどこかで羽毛が生じなくてはならない。

だが、彼には確信がなかった。手元にあるのはデイノニクスの骨だけだったからだ。残念なことに、羽毛のような軟らかい組織はほとんどの場合、動物が死んで腐敗し、地中に埋まって化石化する過程で失われてしまう。

オストロムは待った。鳥類と恐竜の関係を疑いの余地なく証明できる聖杯、羽毛があったことを実証できる細部まで保存された恐竜の骨格を探しつづけた。





そして引退間近の1996年、彼はニューヨークで開かれた古脊椎動物学会の年次会合に出席し、現在カナダのアルバータ大学にいるカリー(Philip Currie)に声をかけられた。やはり鳥に似た恐竜を研究していたカリーは中国から戻ったばかりで、同国で驚くべき化石のことを耳にしていた。

彼は一枚の写真を取りだしてオストロムに見せた。それにはなんと、羽のようなふわふわしたものに囲まれた、小さな恐竜が写っていた。この恐竜は、ポンペイのように火山灰によって素早く埋められたため、完全な状態で保存されていた。

オストロムはうれし泣きした。羽毛恐竜が、ついに発見されたのだ。






この化石は後にシノサウロプテリクス(Sinosauropteryx)と命名され、これを皮切りに新たな化石がつぎつぎに発見された。

科学者たちはゴールドラッシュ時代の採掘者のように、その恐竜が発見された遼寧省に駆けつけたが、どこを探したらよいかを知っていたのは地元の農夫たちだった。同省ではそれ以降、これまでの20年間に、20種類以上の羽毛恐竜の化石が見つかっている。

全長が9mもあって毛髪のようなもので覆われたティラノサウルス・レックス(Tyrannosaurus rex)と、同系統の初期の恐竜や、ヤマアラシの針のように羽毛が生えた犬ほどのサイズの草食恐竜、完全な翼をもつカラス大の飛翔恐竜などだ。これらの化石は、世界で最も有名な化石に仲間入りした。





遼寧省で発見されたこれら羽毛恐竜によって議論は決着した。

鳥類は実際に恐竜から進化したのだ。ただ、この言い方は両者が完全な別物であるような印象をあたえる点で、やや不適切かもしれない。実際には「鳥は恐竜だ」。

鳥類は恐竜と祖先を共有する、多数の下位グループの一つであり、トリケラトプス(Triceratops)やブロントサウルス(Brontosaurus)とまったく同様に恐竜なのだ。

次のように考えてもよい。

コウモリが「空飛ぶ変な哺乳類」であるように、鳥も「変な恐竜」なのだ。




From:
日経サイエンス2017年6月号
Stephen Brusatte
『羽根と翼の進化』



2017年5月26日金曜日

クマ撃退スプレーとは?



クマ撃退スプレー
『カウンターアソールト』
"Grizzly Tough" Pepper Spray
COUNTER ASSAULT




from: OUTBACK TRADINGI COMPANY 2016 Catalog


カウンターアソールトが誕生したのは、カウンターアソールト社の創業者、ウィリアム・J・ポンド氏が、バイクに乗って一人で放浪の旅をつづけていたときの、ある恐ろしい出来事がきっかけでした。

モンタナ州にはいり、グレイシャー国立公園にほど近い、ハングリーホース・ダム湖畔でキャンプをしていたときのことです。ウィリアム氏はグリズリーベアに、実際に襲われてしまいました。夜に到着した彼が、熟したハクベリーの繁る、クマの餌場のド真ん中にうっかりテントを張ってしまったのが原因でした。

その恐ろしい体験がきっかけとなり、ウィリアム氏は放浪の旅に終止符をうち、クマの攻撃を防ぐ方法の研究を、モンタナ大学のクマの研究者チームと共同ではじめたのでした。





カウンターアソールトの研究は、モンタナ大学のグリズリー研究チームによって、1981年に着手されました。そのリーダーのチャールズ・ジョンケル博士(モンタナ大学名誉教授)は、30年間で1,000頭以上のグリズリーベアやアメリカ黒熊、ホッキョク熊などの調査を手がけた、国際的に有名な研究者です。

6年間にわたる300回以上のテストで(そのうち77回は、実際にグリズリーベアが人を威嚇しているか、攻撃を仕掛けようとしたときにスプレーを噴射し、すべて追い払いに成功)、その素晴らしい効果が実証されています。しかも、製造元のカウンターアソールト社によって、現在も日々、改良がつづけられています。






日本では1987年、秋田県の大平山で、カウンターアソールトが初めて使用されました。使用したのは、アメリカ人のクマ研究家、テリー・ドミコ氏です。

アジアのクマを研究するために来日したドミコ氏は、クマの生態を研究していた米田一彦氏に案内されて入った秋田県大平山で、樹洞から突然飛びだしてきたツキノワグマに、アメリカから持参したカウンターアソールトを噴射して撃退しました。

このエピソードは、そのとき居合わせた動物写真家の大家、田中光常氏の著書『動物への愛限りなく(世界文化社)』の中でも紹介されています。



次にドミコ氏は「のぼりべつクマ牧場(北海道)」を訪れました。

そして、ヒグマ博物館学芸員の前田菜穂子氏と共同で、カウンターアソールトをヒグマに噴射する忌避実験をおこないました。その結果、カウンターアソールトは日本のヒグマにも忌避効果があることが、日本で初めて確認されました。

このように、カウンターアソールトは「ツキノワグマ」と「ヒグマ」にも撃退効果があると、専門家によって確認されている唯一のクマ撃退スプレーです。





その後、米田一彦氏は、調査地を秋田県から広島県に移し、環境省からの委託で、絶滅が危惧されていた西中国山地ツキノワグマ個体群の調査を開始しました。

米田一彦氏はこれまでに、ツキノワグマに6回ほど攻撃をうけたことがありますが、カウンターアソールトでいつも撃退しています。詳細については米田一彦氏の著書『山でクマに会う方法(山と渓谷社)』『ツキノワグマのいる森へ(アドスリー)』『生かして防ぐクマの害(農文協)』をご一読ください。






【知床でのクマ撃退スプレーの使用事例】

日時:2011年7月15日 午後8時15分頃
場所:北海道斜里町 漁港内
天候:晴れ
風速:0.2m/s


ヒグマとの距離 30〜40m

岸壁の上でヒグマを発見した私は、ハシゴで突堤へ降りた。

同時にヒグマの突進がはじまった。

夜間のため、ヒグマの姿や行動は細かく監視できなかったが、事前に突進の予兆を見出すことはできなかった。ヒグマとの距離はおよそ30〜40m。印象的なのは、その唸り声である。突進のリズムに合せて、短く、野太く発せられる呻きにも似た唸り声は、なんとも形容し難く、ヒグマが相当な興奮状態に追いやられていることを感じさせた。

その際、わたしは「非常にまずい状況に陥った」と感じた。漁港という特殊な環境にくわえ、夜間という悪条件が重なった。なによりも、私は幅2mほどの突堤の上にいて、両側は海と垂直の岸壁である。逃げ場はなく、行動の選択肢もほとんどない。同時に、過去の経験から「ブラフチャージ(威嚇突進行動)であり、突進が止まるかもしれない」という機体もあった。


ヒグマとの距離 20m

激しい唸り声とともに黒いシルエットと光る眼がちかづく。

かなり大型の個体であると推定された。冷静さを心がけるが、コントロールの難しい恐怖感に身体が支配されつつあった。左手に強力なスポットライト、右手にスプレー(カウンターアソールト)をすでに準備している。

「オイ! オイ!」と声をだしながら、後ずさりを開始する。これは意図したものというよりは、ほとんどクマの勢いに威圧されての反射的なものである。途中からは、ほぼ横向きに小走り状態になっていた。


ヒグマとの距離 10m

突進は止まらない。

いままでのケースと異なる危険な状況に陥ったことをハッキリと認識した。また、この突進が「威嚇ではない」と判断せざるを得なかった。

この段階でスプレー(カウンターアソールト)を使用することに決め、安全ピンを抜いた。ギリギリまでクマをひきつけ、効果が期待できる至近距離で噴射をおこなうこととした。これは中途半端な距離で使用することにより、クマの興奮をさらに高めるてしまうことを懸念したものである。また、2度目、3度目の攻撃の可能性を考慮して、スプレーの使用量を抑える意図もあった(スプレー連続噴射時間、7〜10秒)。

精神的な動揺はピークであったが、明確な行動が決まることで、若干の落ち着きを取り戻す。右手のスプレーを左手のライトと取り違えないように、改めて確認した。

後ずさりをやめ、クマに正対した。



ヒグマとの距離 3m

向かってくるクマの鼻先に狙いを定めて、スプレー(カウンターアソールト)を噴射。クマの顔面が白い煙につつまれると同時に、クマが180°反転し、尻が見えた。

「効いた」と確信した。

クマはそのまま一挙に後退。

噴射時間は5秒程度であるが、最初の2秒程度で効果があり、後半3秒は念のために長くスプレーを噴射しつづけた。風はほとんどなく(風速0.2m/s)、むせたりすることはなかった。

スプレーはまだ2/3ほど残っており、次回の攻撃に備えて、構えは崩さなかった。

その直後、応援車両が横づけされ、とりあえず緊急の事態を脱したことを確認した。


カウンターアソールトを使用した職員(30歳)による話、おわり]







カウンターアソールトは、その多くの実績と、科学的なデータを元に「クマの追い払いに効果がある」と、アメリカで正式に認められているクマ撃退スプレーです。

IBA(国際クマ協会)でも、カウンターアソールトでクマの追い払いに成功した実例や研究が、これまでに多くの研究者から発表されています。EPA(米国環境保護局)からも登録されている商品です。

カウンターアソールトの主成分は、天然の赤唐辛子(Cayenne Pepper)から抽出した唐辛子エキス(カプサイシン)です。320万SHUの超激辛な刺激で、クマの興奮を鎮め、クマの攻撃能力を追い払うわけです。

※SHU…スコビル熱単位(Scoville Heat Units)。辛さの基本単位として最も多く使用されている単位のこと。ちなみに、甘いバナナは0(ゼロ)SHU、日本で人気の高いハバネロ(Red Savina)は57万7,000SHU、世界一辛い Naga1 Jolokia Pepper が85万5,000SHUです。

カプサイシンは食品として利用されており、人や動物の体内に入っても害はありません。ただし、ガス状になったカプサイシン(CA)を浴び、吸い込むと、目や鼻、ノドの粘膜が焼けるように痛み、呼吸機能にも影響します。効果は短時間つづくだけで、毒性はありません。

2006年春から発売した「カウンターアソールト・ストロンガー」は、約10m(通常品は9m)、連続して約9秒(通常品は約7秒)、噴射することが可能です。






【危機管理 第1段階】
クマと遭遇した場合に備える

慌てず騒がず、落ち着くことが肝心。

クマとの距離が離れていて、クマがあなたに気づいていない場合は、静かにその場から立ち去る。

クマは100mを7秒台で走る能力があると言われている。木登りも泳ぎも達者である。このことを念頭にいれて行動すること。

至近距離で突然クマと遭遇し、クマから威嚇や攻撃を受けた場合の危険な行為は、急に立ち上がる、大声で叫ぶ、大きな音を出す、物を投げつける。これらの行為は不用意にクマを刺激して、逆に攻撃を誘発させる可能性が高い。

急に背中を見せ、走って逃げることは、自殺行為と同じで非常に危険。狩猟本能を呼び覚まされたクマは、反射的に追いかけて来る。最近のクマは鹿を襲って食べることもある。

あなたがクマに敵意をもっていないことを伝える。動かずにジッとしていること。「急」のつく行動はしない。クマが立ち去るまで静かに待つ。

子グマの近くには必ず親グマが隠れている。子グマしか見えないからと、不用意に近づくのは自殺行為である。また、親グマと子グマの間にはいってしまったら、確実に攻撃を受けるので注意すること。

【危機管理 第2段階】
クマが接近、攻撃してきた場合

カウンターアソールトを噴射して、クマを追い払う。

荷物や服を、クマとあなたの間に捨て、クマの関心がそれに移ったスキに、静かに逃げる。ただし、中には人間に異常に興味をもっているクマもいるので注意が必要。

「死んだふり」をしても助からない。クマは好奇心が強いので、あなたを噛んだり引っ掻いたりします。クマに攻撃をうけ、何も対処する方法がない場合の、最後の手段が「死んだふり」である。凹地があれば凹地に伏せ、頭や首筋、腹部などを腕で保護し、ダンゴ虫のように丸くなり、できるだけダメージの少ない体勢で、クマが攻撃を止めて立ち去るまでじっと耐え抜く。ただし、クマが付近にまだ隠れている場合もあるので注意する。



【クマ撃退スプレーを適切に使用するために】

1. スプレーをいつでも取り出せる場所に装着すること。

クマの攻撃や突進という行動に対処する場合、決定的に重要なのは「使用できる状態のスプレーが手元にある」ということ。常にスプレーをすぐに取り出せる位置に装着しておくこと。さらに、パニックになっても無意識で取り出せるよう、いつも同じ位置に同じ向きでスプレーを装着しておくことが望ましい。





2. スプレーの使用について、事前トレーニングが必要。

スプレーの使用方法は難しいものではない。しかし、切迫した状況下の恐怖や焦りといったヒューマンファクターを考慮すれば、


  1. スプレーをホルダーから抜き、
  2. ピンを外し、
  3. 適切な距離でクマに対して噴射する


という一連の流れを確実におこなうことは予想以上に難しい。クマの突進がはじまってから、スプレーを取り出していては間に合わない。また、発射のタイミングや射程距離は経験しなければわからない。

実際にスプレーを試射するという、実際の使用を想定したトレーニングが必須と考えられる。また、スプレーを装着するたびに、スプレーの位置とホルダーから引き抜く手順を実際に確認しておく癖をつけるようにすることをお勧めしたい。







2016年11月15日火曜日

タバコを吸うトラ[韓国]


虎がタバコを吸っていたころ…

호랑이 담배 피우던 시절
ホランイ タムベ ピウドン ジジョル


これは韓国での決まり文句である。

その意味は…





「トラが煙草を吸っていたころ」というのは、韓国の昔話の出だしの枕詞だ。日本なら「むかしむかしあるところに...」にあたる言葉である。

ちなみに韓国の昔話にはトラがよく登場する。伝説上、韓国人の始祖は壇君(タングン)という人物であるとされるが、その壇君の神話にもトラが登場する。壇君の母親はクマから人になった女性であるが、実は、クマと一緒にトラも人になる試練に挑戦していた。しかし、トラはそれに耐えられず人になれなかったというのだ。

たしかに、現在の韓国にはトラはいない(朝鮮半島の北部には一部いるという)。しかし、過去は韓国にもトラがいた。かつての支配階級だった両班(ヤンバン)が歯ブラシ代わりにしていたという虎のヒゲを見せてもらったことがある。ヒゲ一本で、塗りの箸と同じくらいの長さと太さであった。その根の方を歯にあててこすっていたとのことであった(武井一)。







2015年8月22日土曜日

「スーパー捕食者」人間 [AFP]



〜話:AFP通信〜




人間が成魚を殺す割合は、海洋捕食動物より14倍も高い傾向がみられるという。また、人間がクマやライオンなどの大型陸生肉食動物を殺す割合は、野生の捕食動物の9倍だという(Science誌)。

なるほど人間は、成体の動物や魚を過剰に殺す「スーパー捕食者だ」。





人間が行う狩りは、海の自然界で行われている狩りの方法とは180°異なる。海では、大半の捕食動物が主に狙うのは成熟していない個体で、成体は約1%しか捕食されない。

漁業に関して、トム・ライムヒェン教授とダリモント教授は「成熟していない幼魚で、より小型の魚に重点を置くように」と呼びかけ、「成魚は繁殖に関して有用であり、繁殖が可能なあいだにより多くの卵を産めるように捕食対象から外すべきだ」と主張している。







出典:AFP BB News
人間の「スーパー捕食者」傾向に見直し必要、研究




2015年7月6日月曜日

「猫でも渡るぞ」 [沢庵和尚]



〜話:加藤咄堂〜




 宗矩(むねのり)一日雨降るの中を、ヒラリと庭の飛石(とびいし)に下り、またヒラリと縁に帰り、電光石火、衣袂(いべい)少しも潤はず。沢庵(たくあん)に誇りていふ。

「和尚、これが出来るか」

沢庵、悠々として庭に下り来り、衣袂ことごとく潤ふ。すなわち宗矩(むねのり)を顧みて曰く

「此(かく)の如くにして正しきに適(かな)ふ。卿(おんみ)の為すところは軽業師(かるわざし)の行ふ道のみ」と。



又一日、五寸ばかりの細長き板を縁と縁とに渡して、

「柳生(宗矩)殿、これが渡れるか」と。

宗矩(むねのり)、

「これは嬰児(あかご)でも渡れる」

といふと、さればかくして渡り得るかと、其の板を屋上に架す。宗矩、色少しく阻む。和尚、大笑していふ、

「猫でも渡るぞ」と。

板動かずして、心まづ動く。和尚これを戒めたるなり。







出典:加藤咄堂『剣客禅話




2015年6月30日火曜日

虎と沢庵和尚 [剣客禅話]



〜話:加藤咄堂〜



 徳川家光の代に、朝鮮より虎を上覧に供せし時、柳生但馬守(やぎゅう・たじまのかみ)は其の檻の中に入って、よく虎を睨みて尻込(しりごみ)せしめしに、沢庵(たくあん)和尚は静かに其の檻の中に入って、虎の頭を撫でて出て来たといふ。

 一は気をもって彼を制し、他は和をもって之を服したので、これこの時、己を忘れ、物を忘れ、いわゆる無物の境にあり、神武にして殺さざるもの剣道の極意、その妙、口言うあたはざるものがあるのである。





 引用:加藤咄堂『剣客禅話



2015年5月20日水曜日

熊、人を助(たすく) [鈴木牧之]



鈴木牧之『北越雪譜』より




熊、人を助(たすく)

 人熊の穴に墜(おちいり)て熊に助けられしといふ話、諸書に散見すれども、其実地をふみたる人の語りしは珍ければこヽに記す。

 余(よ)若かりし時、妻有(つまあり)の庄に魚沼郡の内に在用ありて両三日逗留せし事ありき。頃は夏なりしゆゑ客舎(やどりしいへ)の庭の木かげに筵(むしろ)をしきて納涼(すずみ)居りしに、主人(あるじ)は酒を好む人にて酒肴をここに開き、余は酒をば嗜(すか)ざるゆゑ茶を喫(のみ)て居たりしに、一老夫こヽに来り主人を視て拱手(てをさげ)て礼をなし後園(うらのかた)へ行んとせしを、主(あるじ)呼(よび)とめ老夫を指(ゆびさし)ていふやう、

「此 叟父(おやじ)は壮年時(わかきとき)熊に助られたる人也、危(あやふ)き命をたすかり今年八十二まで健(すこやか)に長生(ながいき)するは可賀(めでたき)老人也、識面(ちかづき)になり給へ」

といふ。老夫莞爾(にこり)として再(ふたたび)去(さら)んとす。余よびとヾめ、「熊に助られしとは珍説(ちんせつ)也、語りて聞せ給へ」といひしに、主人(あるじ)余が前に在し茶盌(ちゃわん)をとりて「まづ一盃喫(のめ)」とて酒を満盌(なみなみ)とつぎければ、老夫筵の端に坐し酒を視て笑(ゑみ)ふくみ続(つヾけ)て三盌(さんばい)を喫し舌鼓(したうち)して大に喜び、

「さらば話説(はなし)申さん、我廿歳(はたちのとし)二月のはじめ薪(たきぎ)をとらんとて雪車(そり)を引(ひき)て山に入りしに、村にちかき所は皆伐(きり)つくしてたまたまあるも足場あしきゆゑ、山一重(ひとへ)踰(こえ)て見るに、薪とすべき柴あまたありしゆゑ自在に伐(きり)とり、雪車(そり)哥うたひながら徐々(しずかに)束(たばね)、雪車に積(つみ)て縛つけ山刀(やまかたな)をさしいれ、低(ひくき)に随(したがっ)て今来りたる方へ乗下(のりくだ)りたるに、一束(いっそく)の柴、雪車より転(まろ)び落(おち)、谷を埋(うづめ)たる雪の裂隙(われめ)にはさまり …凍りし雪陽気を得て裂る事常也… たるゆゑ、捨て皈(かえら)んも惜(をし)ければ、その所にいたり柴の枝に手をかけ引上んとするに、すこしも動(うごか)ず、落たる勢(いきほひ)に撞(つき)いれたるならん、さらば重(おもき)かたより引上んと匍匐(はらばひ)して双手(もろて)を延(のば)し一声かけて上んとしたる時、足に蹈(ふむ)力なきゆゑ、おのれがちからに己が躰(からだ)を転倒(ひきくらかへし)、雪の裂隙(われめ)より遥(はるか)の谷底へ墜(おちいり)けるが、雪の上を濘(すべり)落たるゆゑ幸(さいはひ)に疵(きず)はうけず、しばしは夢のやう也しがやうやうに心付、上を見れば雪の屏風を建(たて)たるがごとく今にも雪頽(なだれ)やせんと …なだれのおそろしき事下にしるす… 生(いき)たる心地はなく、暗(くらさ)はくらし、せめては明方(あかるきかた)にいでんと雪に埋(うまり)たる狭(せまき)谷間(たにあひ)をつたひ、やうやうにして空を見る所にいたりしに、谷底の雪中、寒(さむさ)烈しく手足も亀手(かがまり)一歩(ひとあし)もはこびがたく、かくては凍死(こごえしぬ)べしと心を励(はげま)し、猶途(みち)もあるかと百歩(はんちやう)ばかり行たりけん、滝ある所にいたり四方を見るに、谷間の途極(ゆきとまり)にて甕(かめ)に落たる鼠(ねずみ)のごとく、いかんともせんすべなく惘然(ぼうぜん)として胷(むね)せまり、いかヾせんといふ思案(しあん)さへ出ざりき」



 「さて是より熊の話也、今一盃たまはるべし」とて自(みづから)酌(つぎ)てしきりに喫(のみ)、腰より烟艸帒(たばこいれ)をいだして烟(たばこ)を吹(のみ)などするゆゑ、「其次はいかに」とたづねければ、老夫曰(いはく)、

「さて傍(かたはら)を見れば潜(くヾる)べきほどの岩窟(いはあな)あり、中には雪もなきゆゑ、はひりて見るにすこし温(あたヽか)也。此時こヽろづきて腰をさぐりみるに握飯(にぎりめし)の弁当もいつかおとしたり、かくては餓死(うゑじに)すべし、さりながら雪を喰(くらひ)ても五日や十日は命あるべし、その内には雪車哥(そりうた)の声さへ聞(きこゆ)れば村の者也、大声あげて叫(よば)らば、助(たすけ)くれべし、それにつけてもお伊勢さまと善光寺さまをおたのみ申よりほかなしと、しきりに念仏唱へ、大神宮をいのり日もくれかヽりしゆゑ、こヽを寝所(ねどころ)にせばやと闇地(くらがり)を探りさぐり這入りて見るに、次第に温(あたヽか)也。

 猶(なほ)も探りし手先に障(さはり)しは正しく熊也。愕然(びっくり)して胷(むね)も裂るやう也しが逃(にげる)に道なく、とても命の期(きは)なり死(しぬ)も生(いきる)も神仏にまかすべしと覚悟をきはめ、いかに熊どの我(わし)は薪(たきヾ)とりに来り谷へ落(おち)たるもの也、皈(かへる)には道がなく生(いき)て居(をる)には喰(くひ)物がなし、とても死(しぬ)べき命也、擘(ひきさき)てころし給へ、もし情(なさけ)あらば助たまへと怖々(こはこは)熊を撫(なで)ければ、熊は起(おき)なほりたるやうにてありしが、しばしありてすヽみいで我(わし)を尻にておしやるゆゑ、熊の居(ゐ)たる跡へ坐(すはり)しにそのあたヽかなる事巨燵(こたつ)にあたるごとく全身(みうち)あたヽまりて寒(さむさ)をわすれしゆゑ、熊にさまざま礼をのべ猶もたすけ玉へと種々(いろいろ)悲しき事をいひしに、熊手をあげて我(わし)が口へ柔(やはらか)におしあてる事たびたび也しゆゑ、蟻(あり)の事をおもひだし舐(なめ)てみれば甘くてすこし苦(にが)し。しきりになめたれば心爽(さはやか)になり咽(のど)も潤ひしに、熊は鼻息を鳴(なら)して寝(ねいる)やう也。さては我を助(たすく)るならんと心大におちつき、のちは熊と脊(せなか)をならべて臥(ふし)しが宿の事をのみおもひて眠気もつかず、おもひおもひてのちはいつか寝入(ねいり)たり。

 かくて熊の身動(みうごき)をしたるに目さめてみれば、穴の口見ゆるゆゑ夜の明(あけ)たるをしり、穴をはひいで、もしやかへるべき道もあるか、山にのぼるべき藤づるにてもあるかとあちこち見れどもなし、熊も穴をいでヽ滝壺にいたり水をのみし時はじめて熊を見れば、犬を七ツもよせたるほどの大熊也。又もとの窟(あな)へはいりしゆゑ、我(わし)は窟(あな)の口に居て雪車哥(そりうた)のこゑやすらんと耳を澄(すま)して聞(きき)居たりしが、滝の音のみにて鳥の音(ね)もきかず、その日もむなしく暮て、又穴に一夜をあかし、熊の掌(て)に飢(うゑ)をしのぎ、幾日(いくか)たちても哥はきかず、その心細き事いはんかたなし。されど熊は次第に馴(なれ)可愛(かあいく)なりし」



と語るうち、主人は微酔(ほろゑひ)にて老夫にむかひ、其熊は牝熊ではなかりしかと三人大ひに笑ひ、又酒をのませ盃の献酬(やりとり)にしばらく話(はなし)消(きえ)けるゆゑ、強(しひ)て下回(そのつぎ)をたづねければ、老夫曰(いはく)、

「人の心は物にふれてかはるもの也、はじめ熊に逢(あひ)し時はもはや死地事(ここでしす)と覚悟をばきはめ命も惜(をし)くなかりしが、熊に助(たすけ)られてのちは次第に命がをしくなり、助(たすく)る人はなくとも雪さへ消(きえ)なば木根(きのね)岩角(いはかど)に縋(とりつき)てなりと宿へかへらんと、雪のきゆるをのみまちわび幾日といふ日さへ忘(わすれ)て虚々(うかうか)くらししが、熊は飼犬(かひいぬ)のやうになりてはじめて人間の貴(たふとき)事を知り、谷間(たにあひ)ゆゑ雪のきゆるは里よりは遅くたヾ日のたつをのみうれしくありしに、一日(あるひ)窟(あな)の口の日にあたる所に虱(しらみ)を捫(とり)て居たりし時、熊窟(あな)よりいで袖を咥(くはへ)て引しゆゑ、いかにするかと引れゆきしにはじめ濘落(すべりおち)たるほとりにいたり、熊前(さき)にすヽみて自在に雪を掻掘(かきほり)一道(ひとすぢ)の途(みち)をひらく、何方(いづく)までもとしたがひゆけば又途(みち)をひらきひらきて人の足跡ある所にいたり、熊四方を顧(かへりみ)て走り去(さり)て行方しれず。

 さては我を導(みちびき)たる也と熊の去(さり)し方を遙拝(ふしをがみ)かずかず礼をのべ、これまつたく神仏の御蔭(おかげ)ぞとお伊勢さま善光寺さまを遙拝(ふしをがみ)うれしくて足の蹈所(ふみど)もしらず、火点頃(ひとぼしころ)宿へかへりしに、此時近所の人々あつまり念仏申てゐたり。両親はじめ愕然(びっくり)せられ幽霊ならんとて立さわぐ。そのはづ也、月代(さかやき)は蓑(みの)のやうにのび、面(つら)は狐のやうに痩(やせ)たり、幽霊とて立さわぎしものちは笑となりて、両親はさら也、人々もよろこび、薪とりにいでし四十九日目の待夜(たいや)也とていとなみたる仏事も俄(にはか)にめでたき酒宴(さかもり)となりし」

と仔細(こまか)に語りしは、九右エ門といひし小間居(こまゐ)の農夫(ひゃくしやう)也き。其夜燈下(ともしびのもと)に筆をとりて語りしまヽを記しおきしが、今はむかしとなりけり。







引用:鈴木牧之『北越雪譜 (岩波文庫 黄 226-1)




2015年4月11日土曜日

なぜネコは箱に入りたがるのか?



なぜ、ネコは箱に入りたがる?

行動生物学者と獣医師が、その理由を考えた。



動物行動学者のクラウディア・ヴィンケ(オランダ・ユトレヒト大学)は、猫のストレスを研究している。箱という閉鎖空間で、ネコは快適さと安心を得ている、と彼は言う。

「”隠れる”という行動は、あらゆる種にとって、ストレスに対応するための行動戦略です」



The Domestic Cat (飼い猫)』には、こう記されている。





「ネコは”紛争解決戦略”を立てないようだ。他者を避ける活動を抑えることで、敵対する相手との接触を回避しようとする」

つまりネコは、問題を解決しようとするよりも「問題から逃げ出す」「問題を完全に回避する」傾向が強いらしい。







最後の説は、こうだ。

「ネコは寒がり」

いわゆる日本で歌われるように、♪ネーコはこたつで丸くなるー♪



NRC(全米研究評議会)の研究によれば

「飼い猫が”快適”と感じる温度(温熱中間帯)は30~36℃。これは人間の場合よりも約11℃高い。箱や段ボールは優れた断熱材であり、その密閉空間によって体温保持が可能となる」







ソース:WIRED
ネコが箱を愛する科学的な理由