2012年12月16日日曜日

なぜか似ている「非なるもの」。イカと人と


「イカと人間が似ている? 」

いったい、どこが…。



遺伝子レベルでみた場合、イカは同じ頭足類のタコよりも、人間などのホ乳類との共通点が多く見られるのだという。

「とりわけ血管構造や眼のつくりに共通点が多い。一万ほどある眼に関する遺伝子の多くが同じ塩基配列になっている(お茶の水女子大学・小倉淳特任助教)」

「イカの脳」は小型ホ乳類のそれに匹敵する数億もの神経細胞からなり、「海の霊長類」と呼ばれるほどに知能が高い(タコの名誉のために付け加えれば、タコの知能も抜群に高いとされている)。



なぜ、イカはホ乳類と似通ったのか?

両者は5億年もの遠い昔に、進化の樹から枝分かれしたのではなかったのか。

じつは、種の系統が違っていても姿形が似たりすることがよくある。逆に姿形が似てるからといって遺伝子も類似しているとは限らない。

意外なことに、コウモリとイルカは遺伝子的には親戚である。



神妙なる進化の過程においては、「住む環境」や「エサ」などによって、異なる種を似通わせたりすることがある。

決して「水平伝播」しないはずの遺伝子が、異なる種で見つかったりする一例がコウモリとイルカである。

コウモリとイルカが親戚というのは、両者ともに超音波を出してその反響で周囲の状況を把握する能力(エコーロケーション能力)を持つからだ。この能力に関するプレスチン遺伝子が種のカベを越えるはずがない。

洞窟などの視界のきかない暗闇に暮らすコウモリと、海が濁って視界を奪われることもあるイルカは、期せずして同じ能力を高めることとなったのである。



このように、種の系統は異なっても同じような進化をする現象を「収斂(しゅうれん)進化」と呼ぶ。

イカとホ乳類の神経系統が似通っているのも、そうした進化の末だと考えられている。

種は大きく異なれども、イカとホ乳類は「共通する何か」を必要としたということだ。



また、アフリカのマダガスカル島にはハリテンレックという「針ネズミそっくり」の動物がいるが、じつは彼らは「象の仲間」なのだという。

なぜ象が針ネズミになったのか? 残念ながら毛を針化させる遺伝子はまだ見つかっていない。



かくも奥の深い生物の進化。

新しい事実が見つかるたびにその謎も深まっていく。そのたびに、従来の常識は再考を迫られる。



食卓にイカが上るとき、その深淵なる進化の歴史に思いを馳せて頂きたい。

なむあみだぶつ…。







ソース:日経サイエンス2012年3月号
「分子レベルで進む収斂進化の謎解き」

「似て非なるもの」、ホウレン草と小松菜


漸減するホウレン草に対して、漸増する小松菜。

まだホウレン草にはかなわないものの、「小松菜の勢いは『主客転倒』の予感を感じさせる」。



「低温好き」のホウレン草に対して、小松菜は「猛暑に強い」。

それゆえ、猛暑の夏はホウレン草の品質を落とす一方で、小松菜の地位を高める。今年などは特にそうなった。



生産者にとって、小松菜は「楽」だ。

「ホウレン草よりも作り易く、反収(収量)も上がる」

ホウレン草は夏場に収量を落とすが、小松菜は年間を通じて安定した収量を保つことができる。



しかし、その安定供給ゆえに、小松菜の単価は一貫してホウレン草よりも安くなってしまう。ホウレン草のキロ400円超に対して、小松菜は300円を切る。

かえって、この小松菜の「割安さ」はそのまま消費者のメリットとなる。

アクの強いホウレン草は煮こぼしなどの手間がかかるが、小松菜は洗ってそのまま調理できる。この「簡便性」は忙しい主婦にとって大きな魅力ともなる。



似て非なるもの、それがホウレン草と小松菜。

これからの冬に向けては、一気に「ホウレン草の逆襲」が始まる。気温が下がるほどホウレン草の葉っぱは厚みを増し、その旨みをグッと増すからだ。厳冬期の「寒じめホウレン草」は鍋物に最高である。

一方、小松菜の食味は年中メリハリの乏しいものである。それでも、葉物野菜は「体に良い」という感覚先行で食される機会も多いため、その食味は二の次とされる傾向もある。



むしろ、小松菜の割安感と料理のし易さは、若い世代の心を大いにつかむ。

「スーパーでも家庭でも『常備の葉物野菜は小松菜』という地位を確立しつつあるようだ」

ホウレン草と小松菜の「主客転倒」、それは世代の交代であり、時代の流れなのかもしれない…。






出典:農業経営者2012年11月号
「猛暑後の秋期葉物野菜」

2012年12月14日金曜日

現代に続く「元服」の儀式


「元服」というのは武士の儀式であるが、それを幕末以来、160年以上脈々と受け継いでいる地区があるという。

岩手県大船渡市の佐野地区。地元の中学生は「15歳」になると伝統の元服式が執り行われることとなる。嘉永四年(1851)から一回も休むことなく行われており、今年で162回目を数えたとのこと。



儀式自体は非常にシンプル。君が代を斉唱した後、新成人が守るべき「嘉永四年の定(さだめ)」が読み上げられる。最後は契の杯(ブドウ液)を飲んで、正式に元服となる。

以下は、幕末以来の教えである「嘉永四年の定」の抜粋である。



自慢は知恵のゆきあたり

奢るものの末は、世上の厄介

堪忍のならぬは、心の掃除たらぬため

家内喧騒は貧乏の種まき





われ良きに、人の悪しきはなきものぞ

人の悪しきは、みな我が悪しき





出典:致知2013年1月号
「震災で知った元服式に込めた先人の思い」

2012年12月13日木曜日

モンスターなどいなかった…。


「モンスター」などいなかった。

その森の奥にはモンスターが住んでいると長年信じられていたのに…。



「森に入ってはならない。モンスターに襲われるから」

村人たちは、この村の掟に忠実に従い続けてきた。

しかし、モンスターなどいなかったのだ。



この手のモンスターは、社会の至る所、そして自分の心の中に幾多と巣食っている。

「実態のない敵への恐怖」

それがモンスターの正体である。



自由と民主主義を脅かすのは「テロリスト」というモンスターなのであろうか?

自由化により日本の農業を滅ぼすのもモンスターの仕業なのだろうか?



政治、戦争、教育、メディア…。

モンスターはどこにでも潜んでいる。

そして、そのモンスターから逃れようとすればするほど、「モンスターは巨大化してしまう」。



モンスターに勝つ方法は「ただ一つ」。

「しっかりと目を見開くこと」である。





出典:農業経営者 2012年11月号(200号) Book Review

2012年12月11日火曜日

氷河時代から生き続けている樹木


世界最古の樹木。

それはなんと、最後の氷河期から生き続けている。

スウェーデンで生きているというその樹木は9,550歳。地上部こそは当時のものではないといえ、地下の根っこの生命は脈々と受け継がれている。

樹種は「ドイツトウヒ」というもので、ヨーロッパでは伝統的な「クリスマスの木」として有名である。



この驚くべき長寿の理由は、その再生能力にあるという。

「幹の部分の寿命は600年だが、幹が死んでしまうとすぐに、同じ根元から『新しい幹』が生えてくる」



樹木の寿命は人間のモノサシでは到底測れない。

「1,000年以上生き続ける樹木も珍しくはない」

アメリカのカリフォルニア州にある「ヒッコリーマツ」は、地上部の年齢が約5,000年。世界最高齢とされている。根っこに関しては樹齢5,000〜6,000年という樹木がスウェーデンにはゴロゴロある。





そして意外なことに、樹木というのは「樹齢を重ねるにつれて、成長が加速する」。

年をとるほど「樹冠(樹木上部)」が拡大してたくさんの光を受けられるようになるためだ。「光合成で生成される糖の量が増加し、成長が促される」。

樹木はまさに「老いて益々盛ん」なのである。



セコイア国立公園(米カリフォルニア州)にある樹齢3,200年のジャイアントセコイヤ、通称「プレジデント」は、高さが57mで世界で2番目に大きな樹木と確認されている。

まだ大きくなっているという「プレジデント」。「一生成長が続く」。



どうやら、樹木の世界に「高齢化」というものは存在しないようだ。

人生のピークはつねに前方にあり、いつも「今が最高」。

その成長やまさに「天井知らず」。





2012年12月8日土曜日

日本の「美味いコメ」。蝕まれるその土壌


「こんな美味いコメを食っていると罰が当たるな」

これは新潟でコシヒカリをつくっていたある古老の言葉。40年も前の話である。



「美味いコメ」、それは古老にとって何よりの自慢でもあった。

当時は「メシは喉で食え」と言われていた時代。わずかのオカズで何杯ものメシを「掻き込む」のであり、「味がどうのこうの」はまったく二の次だった。



それから40年、美味いコメは巷にあふれるようになっている。

それは「研究者たちやメーカーによる育種や栽培技術、コンバインや乾燥機など開発努力の成果であり、農家がコメを良食味に仕上げるようとした尽力の結果」である。



だが、一方では「日本のコメの品質が下がっている」との嘆きも聞かれる。

多くの卸業者たちは、こうボヤく。「農協のカントリー(コメ集積場)に集まるコメが、トラック一台ごとに『品質がバラバラ』で、精米や炊飯米として品質を維持することに苦労している」と。



農協に集められるコメは、その多くが「小規模で趣味的な高齢農家」の手によるもの。彼らはなかなか指導基準を守ってくれない。良食味米の栽培基準は農協や指導機関から繰り返し伝えられているはずなのに…。

手前勝手な作り方でつくられたコメは、全体の食味を落としてしまうばかりか、「過剰米」の原因にもなる。採算度外視で大量につくられる趣味的なコメが、コメ全体の値段を下げてしまう元ともなってしまうのだ。

「食味ばかりか、値も落とす」。そんな悩みが日本のコメにはあったのだ。



「日本のコメは、貿易自由化によって滅ぼされるのではなく、農家自身の手によって自滅させられようとしているのではなかろうか?」

専門誌「農業経営者」の編集長である昆吉則氏は、そんな懸念を口にする。

「40年前と比べれば、あらゆる産業で工場での労働品質は向上しているのに、コメ産業だけは、確実に労働の質が下がっている」



日本のコメとは?

美味いコメとは?

それらがどのような土壌の上に成り立っていたのか、いま一度、静かに思い巡らす必要があるのかもしれない。

いたずらにTPPをスケープゴートとしてしまわずに…。





出典:農業経営者 2012年11月号(200号)
「コメ農業を滅ぼすのは農業界と農業政策だ」