話:アルボムッレ・スマナサーラ
…
むかしむかし、あるブッダが現れて、涅槃に入って、やがてそのブッダの教えも消えてしまった。そのとき、菩薩は王として生まれ変わっていました。菩薩である王様は、ブッダの教えを聞きたくなって誰か知る者はいないかと探したのですが、誰もいませんでした。そこで、
「ブッダの説かれた真理を聞くことができないならば、自分が人間の王として国を治めても意味がない。真理以外、私にはもう何も要りません」
と言って、王位を捨て、森に入ったのです。
それを知った帝釈天が、
「この人は必死になって法・真理を探している。教えてあげないと、この人は途中で死んでしまうだろう」
と哀れんだのです。その時代の人々の中で、ただ一人この人だけが、ブッダの教えに興味を持っていたのです。
そこで帝釈天は、とても恐ろしい鬼の形に変身して現れた。菩薩の王が、
「あなたは誰ですか?」
と聞いたら、
「私は人喰い鬼だ」
と答えた。でも生きる意味をなくした王は怖がりませんでした。その代わりに、国中の人々に聞いてきた質問をこの鬼にもしたのです。
「あなたは、ブッダの教えを知っていますか?」
と。すると鬼が、
「知っていますよ」
と答えた。王はブッダの教えを知っている人に初めて出会ったのです。
「では、教えてください」
「教えません」
「なぜですか?」
「私は腹が減っているんだ」
「ならば、何でも食べ物を用意しますから教えてください」
「駄目です。私は人喰い鬼だから人しか食べません」
「いくら私が王でも人を差し出すわけにはいきません。ですから私自身を差し上げます。どうぞブッダの法を教えてください」
それでも、
「まず食べてから教えるんだ。腹が減って死にそうだから」
と鬼はゆずらない。
「そんなこと言われても、あんたが私を食べたらどうやって教えるんですか。私はそのときもう死んでいるんだから。ですから先に教えてください」
「駄目だ。こっちは腹が減って死にそうなんだ。先に食べなくては」
「それでは、何か良い案を考えましょう」
そこで王は一つの案を出しました。王(菩薩)は崖の上に登って、そこから鬼に言いました。
「あなたは崖の下で口を開けて待ってなさい。私が崖の上からあなたの口に飛び降りるから、落ちる間にブッダの教えを聞かせてください」
と。それで鬼が先でも王が先でもなく、やりとりは同時に起こるのです。菩薩が崖の上から飛び降りる間に、鬼はブッダの法を教えました。もちろんこの鬼は帝釈天で、人を食べるものではありません。始めから菩薩を助けるために来たのです。知らないのは菩薩だけ。菩薩が飛び降りたところで、帝釈天はちゃんと手で受け止めてあげました。
でもその間に、偈を一つ唱えたのです。その偈は、テーラワーダ仏教徒なら誰でも知っているお釈迦様の言葉です。
諸行は無常である。
生まれては消えていくものだから。
生まれたら、みな消えていく。
そこから解脱したら平安である。
Aniccā vata saṅkhārā uppāda vaya dhammino, Uppajjitvā nirujjhanti tesaṃ vūpasamo sukho.
それだけです。短いけれど真理はきっちり入っているのです。この偈を、人喰い鬼に化けた帝釈天が唱えたのです。この偈は帝釈天のお気に入りの偈なのです。お釈迦様が亡くなったときにも帝釈天はこの偈を唱えて弔辞としたのです。『大般涅槃経』にそう記録されています。
このジャータカ物語では、実際命がなくなることはないのです。教訓は、「真理を知らずに無知で百年生きるよりも、瞬間であっても真理を知って生きることに価値があるのだ」ということです。
…
出典:アビダンマ講義シリーズ〈第3巻〉心所(心の中身)の分析―ブッダの実践心理学
0 件のコメント:
コメントを投稿